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【現代小説】金曜日の息子へ|第21話 帰国

いよいよその日が来た。会社の窓から眺めるアメリカの空は、いつもよりも高く広く感じられた。机の上には辞令書とパスポート、そして家族の写真が並んでいる。この一枚の写真に、過去と未来、そして今が凝縮されていた。

「もしもし、ジュリア。俺、今から空港に向かう。」電話を切った後、部屋に漂う静寂が身に沁みた。妻と娘との別れは5日前に済ませ、今は自分一人。家を引き払い、1997年の8月末、アメリカを出国する。

空港までの車の中で、たくさんの「もしも」が頭をよぎる。もしもジュリアと娘が一緒に日本に来てくれたら、もしも新しい仕事がうまくいかなかったら、もしも娘の教育環境が変わってしまったら…。でも、その全てはこの瞬間にはもう関係ない。選択はしてしまった。

飛行機に乗り込むと、機内映画で「もののけ姫」が流れ始めた。画面を見つめながら、「娘が見たら喜ぶだろうな…」と思い、涙がこぼれた。この涙は、家族への愛情と切なさ、そして新しいステージに踏み出す不安と希望が混ざり合ったものだった。だから多くの日本人が観ているであろう、この映画を俺は未だに直視できていない。

空港に着陸すると、新たな現実が待ち受けている。日本での仕事は確かにキャリアアップのチャンスだが、それと同時に家族から遠ざかることの代償でもある。ジュリアの言葉が頭によぎる。「私たちの未来のために、日本での新しい仕事を受け入れることを真剣に考えてみてほしい。」

この一言は、まるで新たな生活の扉をそっと開けてくれるかのようだった。そう、これはただの「仕事の場所の選択」以上のもの。これは、家族とどう生きるか、自分自身がどうありたいかという根源的な問題に直面する瞬間でもある。

だからこそ、新しい挑戦が始まる。日本とアメリカ、仕事と家族、そして自分自身との対話。これからも俺たちは何度も深い話し合いを重ね、最良の選択をするための道を探し続けるのだろう。

日本に到着するまで俺はうつむきがちだったが、前を向こうと決めた。見渡せば、この空港内には多種多様な人が歩いている。その一人一人に人生があり、物語があるのだ。この物語は、その答えを探し求める一人一人に捧げられる。

「さあ、始めよう。」自分自身にそう呟きながら、空港の出口へと足を踏み出した。


帰国後の日本での生活は、予想以上に波乱含みだった。新規事業のプロジェクトとして、全国各地でシネマコンプレックスの開発に携わることになったのだ。このプロジェクトは俺にとって大きな挑戦であり、可能性に溢れていた。

ホテル暮らし、住所不定。一見、落ち着きのない生活に見えるかもしれない。しかし、この新しい環境は、怒涛のような日々の中で寂しさを紛らわす役割も果たしていた。帰国した年の9月に会社が登記され、1号店を福岡に開設するまでには1年以上が必要だった。

この期間は決して楽なものではなかった。地元の規制、地域との協力、そして何よりも新しいビジネスモデルを確立する必要があった。しかし、それぞれの課題を乗り越えるたびに、俺は新たな自分を発見していった。それは、新しい環境との対話、そして自己成長の過程でもあった。

一方で、ジュリアと娘がアメリカでどう過ごしているのか、常に気になる思いは拭い去ることができなかった。特に娘の教育環境や、ジュリアや娘がアメリカで生活する中での心の中を考えると、心は重くなった。

1号店のOPENは4月23日だったが、4月20日にアメリカ合衆国コロラド州リトルトンにあるコロンバイン高校で発生した大量殺人事件が起こったからだ。エリック・ハリスとディラン・クレボールという2人の高校生が計画し、実行した。この事件により、教師1人を含む13人が死亡し、20人以上が負傷した。その後、2人の犯人は自殺した。

この事件は多くの点で注目を集めた。一つは、犯人が自分たちの行動を事前に計画していたこと、そしてその計画を一部インターネット上で公開していた点だ。さらに、事件後に公にされたビデオや日記により、犯人たちの心の内面や動機が多少なりとも明らかになった。この国は病んでいると心底思ったものだ。

また、この事件はアメリカ国内での銃規制議論を再燃させるとともに、学校におけるいじめや心の健康に対する懸念を高めた。そもそもアメリカは多民族・多文化社会であり、学校でもその多様性が反映されている。しかし、それが人種や民族に基づくいじめや差別の一因ともなっているのだ。

俺も日本人ということで差別を受けたことが何度もあった。きっとサンもジュリアも外国人だったから差別を受けてきたはずだ。特に日本人は日本企業がアメリカ市場で成功を収めた1980年代以降、経済的な脅威としての日本人に対する感情も一部で見られたことに起因する。これは日本でも経験したことがある大山君から敵意を向けられた感情と同じだった。

だから俺は特に反応することはなかった。こういった矮小な人間はどこにでも、何歳になってもいる。年齢を重ねれば自然に成熟するというものではない。

この事件は、学校での安全対策、警察の対応、メディアの報道方法、そして銃規制に関する議論に多大な影響を与えた。学校や教育機関がいじめや差別に対してどれだけ真剣に対処しているかも大きな問題だろう。プロトコールや方針があっても、それが実際に適用されるかどうかは各学校によって異なるからだ。

だから娘の教育環境について本気で考えた。アメリカに未来はあるのかと。

俺は日本とアメリカ、両方で生活した経験があるからこそ、いじめや差別については比較的明確な視点を持っている。日本では同調圧力が強く、娘がもし何らかの点で異端であれば、それが厳しいいじめの対象になる可能性がある。一方で、アメリカは個性が尊重される社会ではあるが、その反面で人種や性別、性的指向に基づく差別が根深い。

「だからこそ」と思った。娘が将来、どちらの国で育つにしても、避けて通れない問題がそこには存在する。しかし、アメリカでは少なくとも法的な保護は確立されている。教育機会均等法に基づいて、学校も差別やいじめに対しては一定の対策を講じている。透明性があり、社会全体でその重要性が認識されている。

日本も進化している。だが、現在の段階では、いじめ問題に対する社会的な認識や制度が完全に整っているわけではない。

俺は自分自身、日本でもアメリカでも差別を経験してきた。それが大人になっても消えるわけではない。だからこそ、娘には強く生き抜いてほしいと思う。そのためには、どの国で育つか、その選択が重要であると痛感した。

未来は予測できない。しかし、娘の未来に影響を与える今の選択が、俺には重くのしかかっている。この問題は誰にとっても避けては通れない壮大な挑戦となるのだろう。


一方で、福岡での1号店開設が成功したとき、その喜びは一層大きかった。これはただのビジネス成功以上のもの、家族への新たな約束とも言える成果だったからだ。

福岡の1号店から、俺の人生は新たなステージに突入していた。しかし、この新しい挑戦は、ただ単にビジネスのスケールを拡大するだけでなく、俺の心の中にも新たな「スケール」をもたらしていたのだ。

俺がこれからどう選択し、どう行動するのか。その答えはまだ見えていなかったが、一つ確かなことは、これが新たな人生の章、新しい挑戦となることを示唆していた。それはビジネスにおいても、家庭においても、そして心の中においても、避けられない選択となりそうな予感がしていた。

ジュリアと娘に報告するビデオ通話の瞬間、二人の笑顔を見たとき、俺は改めて確信した。離れていても心は繋がっている、そしてこの新しい事業も、いずれ家族にとっての新しい可能性となるだろうと。

これが俺の新たな挑戦、そして家族との関係における新しい章の始まりなのだと。そして、このストーリーはこれからも続いていくはずだ…

シネマコンプレックスの開発は、一つの成果に過ぎない。これからも様々な試練が待ち構えていることだろう…

その都度、家族とともに乗り越えていくのだと信じたい。

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