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【現代小説】金曜日の息子へ|第十一 話 若王子

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ニューヨークに発つ前日、俺は京都に戻って、許婚と肩を並べて夜の哲学の道を歩いた。その冬は日本中に寒波が吹き荒れ、京都にも何度か雪が降ったのだが、その夜も頬が痛むほどの冷え込みだった。

雪解けの哲学の道は、かつては「文人の道」と親しまれていたそうだ。俺はこの道で思案するのが好きだったのだ。過去の賢人から知恵を授かれるのではないかと俺の中では、そこら中にある神社よりも価値のある場所だったのだ。

お互いの他愛もない近況などを話していたが、すぐに会話は途切れた。この道を歩くには自然なことだったので気にも留めていなかったが、彼女は木陰に立ち止まり、何かいいたそうだった。

俺は彼女が黙ったままでいるのを良いことに、彼女が本当は何して欲しいのか見透かしているのに何もせずやり過ごすことにした。この時に彼女を傷つけたしっぺ返しは俺にとって人生をえぐられるほどの痛みとなって返ってくることになったことはこの時は知る由もない。

「日本とちごうてニューヨークは色々と危ないところみたいやし気をつけてなぁ」

1980年代から1990年にかけてニューヨーク市の犯罪件数は急増していた。特に1990年には殺人件数が2245人となり歴史的ピークを迎えていた時の話だ。

俺が「少し冷えてきたなぁ」と言って、再び歩き出すと彼女はそんなことを言った。俺は身を固くしたまま、濡れた地面を睨みつけていました。

その時、なぜだか俺はひどく腹が立ったのだ。犯罪が多いことに恐れはなかった。チェルシーの6番街と20丁目の角に立つゴシック様式の教会を改造したライムライトに憧れはあったが、自分のいくニューヨークはニューヨークシティではないことは、出発前日には流石に理解していた。

ニューヨーク州の南はそのニューヨーク市からはじまっているし、北はナイアガラの滝・カナダ国境まであって、面積は北海道と東北地方を足したくらいの広さだ。

州都はニューヨーク市中心部のマンハッタンから北へ300㎞ぐらいのオールバニという小さな街で、ベースボールの殿堂のあるクーパーズタウンやナイアガラのアメリカ側の玄関でもある。

俺が行くところは、ニューヨーク市を離れて北東の方へ500㎞ほどいくと、鹿のいる森がずっと続いたり、一面のイチゴやブドウの畑が広がっていたりなど、その意味でも、いわゆる我々の思っている「ニューヨーク」とはずいぶん違う雰囲気の場所だ。

「9時前のはるかに乗らはるんやんなぁ」許婚はうなだれながらそう口を開いた。

はるかとは「JR関空特急はるか」のことで、JR西日本が関西国際空港のアクセス列車として米原駅・草津駅・京都駅〜関西空港駅間で運行している、特急列車のことだ。

相変わらず俺が黙り込んだままでいると、彼女は困った様子で「どないしはったん?」と心配している様子で尋ねてきた。

しかし、彼女の視線は熊野若王子神社の近くにあった喫茶店「若王子」を何となく見つめながら、白く小さな息を吐いていた。それまでにも何度か彼女との間に埋められない溝を感じたことがあったけど、この時ほど彼女を遠くに感じたことはなかった。

ところでこの喫茶「若王子」は俺の想い出の中に、いつまでもある店のひとつだ。

この店がどんな位置づけだったのかはよく知らない。でも宮崎市へ移住してしばらく経って、実家がお墓を買ったから見に行って欲しいということだったので、たまたま店の前を通ると閉店していて、猫の楽園となって廃墟?として有名になっていた。

俺はこの「廃墟」というキーワードがどうも引っかかる。ネット社会の弊害だろうか、今この喫茶店を検索すると「廃墟」系のワードばかりがひっかかる。

そんなイメージを持たれたくないという想いもある。とても、良い店だったのだから…。

同じ京都でも俺は長岡京の人間だったから、銀閣寺や哲学の道界隈などは、地元意識など全くない。やはり観光地のひとつである。

東京で言えば、新小岩の人間が浅草寺あたりに行く感覚かも知れない。

昭和の時代に哲学の道を歩くうえで途中にどれほどのカフェがあったのか詳細には思い出せないが、この店は男一人でも気兼ねなく入れる唯一の店だったように思う。落ち着く店でずっと本を読んでいることができた。

君も時間があればそんな想い出の跡地をたどってみて欲しい。俺が生きてきた中で何を感じてきたのか知って欲しい。ここは哲学の道の入口に電車のホームにある駅名看板のようなモノが立っている。

そこから階段を一〇数段下りたトコロにお店があって、疏水の水面よりは低い位置にあった。不思議とお店の屋内の印象は全く無い。ほとんどが、いわゆるテラス席で、野外の緑と溶け込むような感じだったと思う。

そう、様々な緑が生い茂った空間だった。陽の光を一杯浴びるというより、木漏れ日を楽しめる感じだった。何かの石像や池や人口の水場もあって、お寺や神社の境内の庭でもなく、かと言って日本庭園でもなく、どちらかと言えば西欧風の雰囲気に近かったように思う。

そんな空間でお気に入りの本を読みながら至福のカフェタイムを過ごすのが好きだった。ただ、残念ながらコーヒーの味が思い出せない。俺にとってこの店は、その場所であり、雰囲気にこそ価値があったのではなかろうか。

君に京都の観光案内。特にインクライン周辺のことは通っていた学校があったから、君の方がよく知っているだろうけど、銀閣から南禅寺へ季節ごとに様々な景色を楽しませてくれる。

本来、哲学の道自体が、界隈の寺巡りのそんな位置づけだったのかも知れない。哲学の道そのものが観光対象と考えた場合、この店は、まさに哲学の道に代わって一服できる場所であり、思想に耽るコトのできる場所でもあった。

ちょっと思い出しただけでも、いろいろな感情が甦ってくる。彼女とも…君を生んだお母さんとも何度か行ったし、観光客はもとより、間違いなく地元の人にも多くの人々に愛されていた名店だった。

「若王子」は俺の想い出の中に、いつまでもある店だ。皮肉にも新しく買った南禅寺のお墓には俺が最初に入ることになる。しかし、数少ない暖かい想い出に帰れるなら少しは救われているのかもしれない。

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