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就活の模擬面接を体験し「反就活」「反社会」の意識が強まった話

私の通っている大学は就活に力を入れており、1年次から参加できる就活に向けた説明会や講座が多く存在する。
私は就活には興味がなく、このような講座に参加したことはなかったのだが、大学のお知らせで届いた就活関連の講座でおもしろそうなものを見つけたので参加してみることにした。

講座では小論文とディスカッションを通して自分の意見を伝える力を鍛えることを目的としており、最終的には就活で勝てる人材を作ることを目指していた。 

このような陳腐な講座に参加してしまった理由は主に3つある。

1つ目は、私は小論文を書くことが大好きなので左派系の大手新聞社OBと右派系の大手新聞社OBが講師として小論文の添削をしてくれるというところに魅力を感じたから。
しかし実際はお題が用意されており自分が興味のないテーマで書かされるのは苦痛でしかなかった。

2つ目は、1年ほど前から自分の言葉を喪失した感覚があり、何とか取り戻そうと「伝える」方法を探していたから。
この問題については問題の根本が見えておらず、解決の方向性が間違っていたことがある人に相談したことによって判明した。

3つ目は、就活には興味がなかったが、会う人会う人に「就活、就活」と言われ焦っていた。のかも、、、。

この講座は全10回あり、初回では自己紹介と過去に行われた新聞社の入社テスト、就活の模擬面接をやった。この模擬面接があまりにも最悪だったため文章に昇華して何とか気持ちを静めようと思う。

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模擬面接について

就活の模擬面接をやった。
インターンとかにも参加したことがないのでガチ面接は初めてだった。他の人は希望の職種と志望理由を話していたが、私は希望職種がないため「伝える仕事がしたい。」と言い、その理由を歴史修正主義に触れて話した。
そしたら「歴史修正主義など使い古されたような陳腐な言葉ではなく自分の言葉で話せ」と言われた。そしてここから「歴史修正主義」という言葉についての批判が始まった。

わたし:間違った歴史を広めている人がおり、教科書でも「従軍慰安婦」の「従軍」が消されたり、「強制連行」という文言が消されているということに問題意識を持っています。

面接官:「では正しい歴史とはなんですか」

わたし:「正しい歴史という言葉は使いたくないのですが、、、」

面接官:「でもあなたは先ほど間違った歴史という言葉を使っていましたよね。では正しい歴史とはなんですか」

「間違った歴史を教えている」ということと「正しい歴史がある」ということはイコールではない。

だから私は「正しい歴史というのはなくて、あるのは事実だけです。だからその事実をどのような視点から捉え、どう考えるのか対話などを通して考えていくことが重要だと思います。教科書も書かれていることが真実であるとは限らないため問うことの重要性を伝えていくことが必要だと思います。」と言ったが、健闘むなしくまた正しい、間違ってる論争が始まってしまった。

矛盾点を突くことしか考えていないからこういうすれ違いが起こるのだろうなと思う。
面接官はわたしを含む面接を受けた人全員の共通の問題として想像力のなさを指摘したが、わたしはこの面接官たちこそ想像力がないと思うし、読解力もないし、シンプルに勉強不足だと思った。

「歴史修正主義」という言い方は「その人にとってはそれが正しい歴史だから歴史修正主義という言葉を使うことで相手がより攻撃的になる。だから使わない方がいい」と3/4の面接官に言われたが、それがこの人たちの中立性なんだなと思った。

事実があってどう考えても歴史を捏造しているのに、「相手の意見も聞こうよ」という姿勢は、歴史修正主義者の意見を認めることになる。
例えば関東大震災後に「朝鮮人虐殺はなかった」という意見もあるということを広めることは中立ではなく、捏造への加担である。

このような人たちが新聞社にいるから今でも、歴史修正主義者が幅を利かせているんだなと思った。間違った言説も尊重する中立は差別に加担することだから、「歴史修正主義という言葉を使うな」と言った彼ら自身が歴史修正主義者だったんだと思う。だからみんなその言葉に拒否感を示した。

その言葉でしか表現できないことがあって、わたしは歴史修正主義者の意見は間違いであり、そういう意見もあるという軽いものにしたくないから、あえて歴史修正主義者という言葉を使う。(勉強していく中でこの言葉は使わない方がいいと判断した場合は自らの判断で使うのをやめる)

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就職面接全体について

話の矛盾しているところを突いたり、言葉を指摘したり。
それって意味あるのかな。

人間は矛盾しているのか当たり前で「そこ矛盾してる!」って指摘して人間性が見えてくるのだろうか。

私は「自分がどう思っているのか」とか「何を考えているのか」とか、よくわからなくなってしまったけど、何を考えているのかわかるときもそれを言葉にすることはすごく難しくて、結局うまく伝えることができない。
面接では短く話すことが求められる。
でもぐるぐる考えていると話しが長くなってしまってまとまりもなくなる。

でもまとまりってそんなに大事なのだろうか。自分の思いを端的に伝えられない人は落第者なのだろうか。

面接は自分の熱意を伝える場だから自分の大切な部分をさらけ出さなければならない。そのさらけ出した部分に面接官からの質問(ほぼ槍、、、)が無配慮にぶつけられる。その部分はぐちゃぐちゃになる。なんとかさらけ出した部分を肯定してもらおうとさらにさらけ出す。するともっとぐちゃぐちゃになる。就活で毎日のようにぐちゃぐちゃにされ続ければ、修復する時間がなく、化膿する。化膿した状態で合格しても新しい環境でのストレスも相まって腐敗するだろう。私は就活をして週5~6日、毎日同じ時間に出勤して8時間以上働いて正気を保っている人が信じられない。私は絶対に無理。1週間も無理だろう。

面接は自分の言葉を相手に伝わるようにきれいに端的に言語化して、それを熱意とともに相手に送る。しかも自信を持って。
私は熱意があってもそれが自分だけの言葉だけでしか表現できないということもあると思うし、文章で書いたり、じっくり考えれば言葉が溢れてくるけど、すぐ答えろと言われると何も浮かんでこなくて表面的なことしか言えないということもあると思う。

就活の詳しいやり方はわからないが、このやり方で生き残れるのは、小、中学、高校をちゃんと行けてた人なんだろうなと思った。私の通っていた高校にいた人たちでこのやり方の面接で充分に魅力が伝わる人は少ないと思った。めちゃめちゃ魅力があっても。
面接は練習すればうまくなるというが、スポーツかよ。

個性とか言われてるけど結局画一的な仕組み自体が変わっていないので既存の社会に合わない個性は排除される。
選んでる人が社会に順応してる個性的ではない人なんだから、その人が個性的な人を選ぶことは不可能だろう。選ぶ側に問題がある。
女性議員が少ないことを指摘されて「能力で選んでいる」と言った政治家と同じように。

選ぶ側に能力がない場合、本当に能力がある人を選ぶことは難しい。
この政治家を例にあげると、選ぶ側には、能力のあるなしだけでなく、「女性の割合を増やすことで社会にどのような影響があるのか」また、逆に「男性の割合が大きい状況を維持したままだと社会にどのような影響があるのか」という広く長期的な目線も必要になる。
だからこの発言については「と無能が申しております。」としか思わないし、面接についてもどのような人かわからない人に評価されるというのはすごく怖いことだと思った。

面接官が評価する人がいずれ面接官になって、またその人が評価した人が面接官になって、、、。恐怖の循環。画一的で落第者はずっと落第者。

面接は大切な思いを踏みにじられるだけで受けとってもらえないから、生の「思い」ではなく、ガチガチにコーティングした「思い」を伝える必要があると感じた。ある程度「思い」をコーティングしておかないとぐちゃぐちゃにされてしまうということを今日の模擬面接から学んだ。
面接はツイッター(X)に似てるなと思った。

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自省

就活なんてクソだ。

私は自分を見失なっていた。
アナキズムを学びたいと思いながら社会に迎合しようとしていた。
自分の言葉が見つからないからそれを形にする方法ばかり考えていて中身がないことに気づかなかった。

左派系の大手新聞の記者だろうが右派系の大手新聞の記者だろうが結局は小、中、高、大と当たり前に出て、就活をして、会社に入って、そこで働けた人なんだ。
わたしにはそれがなによりも難しいことで、うまくできないから通信制の高校に入って、二部の大学にいる。社会はそれができる人が作ったものでわたしはそこから排除されて苦しんでいたのに就活就活と煽られ、無意識に彼らに迎合しようとしていた。ばかだ。
あらゆる差別に反対してアナキズムを学んでいる人間がそんな奴らの作った社会に入れるはずがない。

でもある人と話して気づいた。就活も自分のやり方でやればいい。いろんなバイトを経験して自分のやりたいことを見つけるでもいいし、(同じ高校の先輩は1年大学をのばしてその1年で30以上のバイトを見つけたらしい。それでできる仕事を見つけたみたい)他にもたくさんボランティアしたり、仕事を転々としたり、、、。

就活も自分でつくる。

わたしのような人間に合う仕事なんてなかなかないから、自分で探さなければならない。もし大学を卒業しても見つからなかったら、フリーターになったっていい。自分のやり方を見つけるのはすごく大変なことだけど、排除する側に加担しながら、クソみたいな奴らが作った社会に迎合して生きる大変さよりは全然いい大変さなのでわたしは迎合しない方を選ぶ。あー、本当になにやってたんだろ、、、。
相談したある人には「そんな講座やめた方がいいよ!こういう人間が社会を作ってきたんだなという社会調査の一環として入るのはいいかもしれないけど~」と言われた笑笑。

この講座は3年目で過去脱落者は1人もいないと誇っていたが私が記念すべき1人目の脱落者となった。「合わないから辞めます」というメールを送ったらほぼ嫌味のような説教メールが長文で送られてきて辟易した。

ていうか、指導員5人いて全員おじさん(おじいさん)ってジェンダーバランス最悪だったな。

反就活!反社会!


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