見出し画像

新宿副都心、上る下る。〜ここは地上か、はたまた地下か

最近テレビで、懐かしい昭和の風景が取り上げられることが多い。その手の映像、とりわけ高度成長期(1955年~1973年、昭和30年〜48年)の頃が好きで、街や建物が出来上がっていくさまに、ついつい手を止めて釘付けになる。

中でもいま虜なのは新宿副都心だ。

昨年、娘の坂道聖地巡礼ツアーの際に訪れた西新宿。(その内容は下の記事へ)

新宿駅を出た瞬間から、魅力はもう始まっている。

小田急百貨店、京王百貨店などに囲まれた新宿駅西口広場は、小田急百貨店とともに建築家坂倉準三の設計だ。大きな開口部のあるロータリーに地下へと通じるスロープが特徴的。昭和ならではの佇まいに気持ちを掻き立てられる。

そこから西へと延びた道を歩き出すと、立ち並ぶビルに目移りが止まらない。
モード学園コクーンタワーを皮切りに、道の先には魅力的なビル群が待ち構える。

裾が広がる、損保ジャパン本社ビル

しかしほどなくして、まっすぐ続くはずの大通りはぷつりと切れ、車は右か左に曲がることを迫られる。
確かに新宿駅から地上を歩いてきたはずだ。だが目の前に立ち並ぶビルたちは、眼下からニョキニョキ生えている。いったいどうして。どこかだまし絵に迷い込んだような心地がする。
あるはずの道をまっすぐ進みたかった私達は、すぐそばにあった階段を下りた。

新宿三井ビルディング(右)と新宿住友ビル(左)

そこには、ビル群を突き抜ける別の道がまた続いている。
右手にはビジネス街の憩いの広場、“会社対抗のど自慢”でおなじみの新宿三井ビルディング。
そしてその先の高架をくぐると、三角柱の形が印象的な新宿住友ビル。ビルの内部、1階部分に広がるのが三角広場。この日の目的地、乃木坂46のMVのロケ地だ。

新宿住友ビル三角広場

上から三角広場を眺めようと、広場内のエスカレーターを2階へ上がり、しばらくしてそばにある出口から自然と外へ出る。

ここまで来たなら都庁もね、と新宿住友ビルと道を挟んだ隣の区画へ向かうと、すぐに現れた東京都庁はまたしても眼下からそびえ立つ。

東京都庁

都庁の向かいに建つ京王プラザホテルにいたっては、建物の3階部分に正面玄関がある。

京王プラザホテル

京王プラザホテルは、新宿副都心で一番最初に建設され、1971年にオープンした。更地から出来上がっていく姿は、新宿副都心の生まれる象徴として写真や映像で多く取り上げられる。
今でこそ周りの超高層ビルと肩を並べるが、間近から見上げるとやはりその貫禄に圧倒される。これが空に向かってぐんぐん伸びていくのだから、当時の人々の驚きはいかばかりであったろうか。

しまった。また上の層に迷い込んでしまった。あわてて都庁のへりにある階段を下り、1階であるだろう都庁の足元へたどり着く。

休日の副都心は、家族連れも多く穏やかだ。ここが平日ともなれば、足早に仕事に向かう人でいっぱいになるのか。そんなことを思いながら新宿駅に戻ろうと歩いていると、いつしか歩道はトンネルへ吸い込まれていた。
たどり着いた先は、新宿駅の地下、西口広場のあのスロープの下だった。だから、なぜ地下なんだ…
狐につままれたような気持ちで帰路につく。

なにがどうしてそうなったのか。謎を解くためにいろいろと調べてみると、興味深い成り立ちがわかってきた。

新宿副都心が開発される以前、あの場所は“淀橋浄水場”だった。
高層ビルが一棟すっぽり収まるマス目のような区画が実は浄水場の池。浄水場を造る際に掘り下げられ、のちに池の底にビルを建てたため、地面が新宿駅より下がっていたのだ。
さらに、その池のふちを道路として利用したことで、高架のような道がビルの2-3階の高さとなり、池の底に通された道と立体に交差しているというわけだ。

東京都の東京デジタルアーカイブのサイトでは、淀橋浄水場跡の空撮を、今と昔で比較することができる。わかりやすいのでオススメ。


昔と今の写真を何度も見比べ、変化していく時代に思いを馳せる。高度成長期に次々と立ち並んだ超高層ビル。あれからもう50年が過ぎている。新宿西口をはじめ都心のあちこちで再開発が行われ、昭和の街並みが失われていく今、新宿副都心も例外ではない。巨大地震への不安もある。この景色をいつまで見ることができるのだろうか。

だから近いうちにまた新宿副都心に行きたい。
そういえば、今回は足元ばかりが気になって肝心のビルが疎かになってしまった。
次は、昔の景色を思い浮かべながら、いろいろな角度からビルや街を見ることにしよう。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?