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「性格」と「人格」は異なる。【2024/5/30】

今日も今日とて、初めて書いた小説に対する試行錯誤を繰り返しているわけだが、小説が動画よりも難しいと感じる部分の一つは、登場人物に対してしっかりとした人格の形成が求められる部分なのかもしれない。
(別に、創作の難易度として『動画<小説』と言いたいわけではない。それぞれのコンテンツにはそれぞれの困難がある。)

これまではシュミレーションゲームのプレイ内容をベースにストーリーを付けた動画を作ることに取り組んできたが、こういったタイプのコンテンツだと、正直言って登場人物の人格形成までは深く求められなかったように思う。
ストーリーラインがゲームのプレイ内容に規定されるため、登場人物の「性格」さえしっかりと確立されていれば、シーンごとに最適な人物がそれなりに動いてくれて物語が成立していく。
もちろん、それなりに複雑なバックグラウンドを設定して「人格」らしきものを作りこむ部分はある。だがそれは、本当に物語の核となる人物に対する部分的なものだけで十分だったように思う。

小説の場合には、自由自在にキャラクターを作り、動かし、関係性を構築することが出来る。思い通りの展開と関係性をキャラクター同士に当て込むことが出来る。しかし自由度が高い分、逆に途方に暮れてしまう。

この人物は、こういう状況で何を考えるのか。
どうしてこういうふうに動くのか。
どういう要素を持っていて、何を魅力に感じて、何を嫌悪するのか。

そういったものを決めようとしたときに、その人物のバックグラウンドの豊かさが無いと、心の動きが想像しきれない。
心の動きが分からないままに書き進めるので、細部の展開が登場人物にマッチしたものにならない。
その結果、小説の中に登場人物の「人格」が上手く入り込んでこない。
ご都合主義の出来上がりである。
論理性だけではどうにも物語が進んでいかない。

その人物の感情の動きに寄り添う必要がある。
しっかりと人格が形成されていないと、登場人物の心の動きを物語として表現していくときに「なぜそう思うのか」「どうしてそういうセリフを言うのか」という部分を、どうにも捉えきることが出来ない。

単なる「性格」ではなく、しっかりとした「人格」を作ってやらなければならない。
この「性格」と「人格」が異なるということは、自分の中では価値のある気づきであるように思う。
思い付きの行き当たりばったりで改稿するのではなく、バックグラウンドから人格に検討を加えつつ、ストーリーラインから違和感を消していく。
少しずつでもいいから、前進出来ると良いのだが。


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