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劣情を認識する、その時の心理描写(トルストイ『アンナ・カレーニナ』から)


初めてのロシア文学のきっかけは、村上春樹だった。


僕の勝手なイメージだが、村上春樹の小説の主人公は大体は暇になると長大なロシアの小説を読み、大体はどこか体の一部に特徴がある女性(結構な割合で人妻)と触れ合い、大体は素材にこだわったシンプルなサンドイッチやサラダを食べ、大体はジャズかクラシックに定見を持つ。
家ではビールかウィスキーを飲み、外ではギムレットかマティーニを飲む。

僕がトルストイの『アンナ・カレーニナ』を読んでみようと思ったのも、村上春樹の小説の主人公がこの本を読んでいたからだった。
初めてのロシア文学だが、読んでみると面白く、参考になる部分がかなり多かった。
まず思うところは、心理描写がかなり細かい。
登場人物の思索の過程が細部までひたすら緻密に描かれる。
そしてその文章が異常に長い。読んでも読んでも「。」が見つからず、5行ぐらい「。」無しの一文だったりすることがある。
しかしそこが逆にそこが面白く、没入感を持って読める。これがすごい。
展開の速さを追い求める、今の多くのコンテンツとは大違いである。
テンポ?タイパ?そんなクソくらえだ。
あと、村上春樹の文章がトルストイと似ているような気がするのは、やはり氏もかなり影響を受けているんだろうか。

そんな『アンナ・カレーニナ』から、感銘を受けた心理描写を記事にしてみようと思った。150個くらい付箋をつけたが、目についた1個を紹介しようとするだけで記事になってしまった。

僕が読んだのは、以下のリンクの中村白葉さんの訳のものです。
人物名などもこれに従います。
ネタバレはもちろんあります。
Amazon.co.jp: アンナ・カレーニナ(上) eBook : レフ・トルストイ, 中村白葉: 本


劣情を認識する、その時の心理描写。


まず『劣情』という表現が正しいかどうか微妙ではあるのだが、この小説でアンナは若いウロンスキイという男との不倫関係に陥る。
その許されぬ恋をアンナが”微かに認識し始める段階”の心理描写について、トルストイは以下のように表現した。

しかも、それでいて、回想がこの場所へくると同時に、急に羞恥の念が増大した。あたかも彼女がウロンスキイのことを思い出したちょうどそのときに、ある内部の声が、「暖かだ、たいへん暖かだ、燃えるようだ」こう彼女に言いでもしたように。
(中略)
『おや、あれはいったいなんだろう、あの肘掛けの上のは――シューバ(毛裏外套)だろうか、獣だろうか?そしてここにいるわたしは、これはわたしだろうか――わたし自身だろうか、別の人じゃないだろうか?』彼女には、こんな忘却状態に自分を任せておくのが不気味だった。しかし、なんともえたいの知れぬものが、彼女をそのほうにひきつけた。そして彼女は、意のままにそれに身をゆだねることも、遠ざかることも出来るのだった。

アンナ・カレーニナ(上) レフ・トルストイ(中村白葉 訳)

若き美貌の貴婦人 アンナ・カレーニナが、ペテルブルクに帰る汽車の中から外を眺めている。その時の彼女の心境を描写したものだ。

(中略)よりも前の文章で、彼女はモスクワの舞踏会でのことを思い出している。若いロシア貴族の男であるウロンスキイからのアプローチを受け、彼女がそれに心を動かされていることを、微かに認識し始めている。
しかし彼女には、ペテルブルクに年の離れた夫がいる。
彼女が若いウロンスキイに惹かれるというのは仕方がないことだが、一方でこの時のロシアの貴族社会でも、人妻が他の人と関係を持つと言うことは相当な非難を浴びることらしい。
この感情は、アンナにとっても簡単には認めがたい、許されざる感情なのである。

僕が「トルストイ、ヤバいな」と思ったのは、ウロンスキイのことを考え始めたときの彼女の感情を「暖かだ、たいへん暖かだ、燃えるようだ」という心の中の声として表現した部分だ。

この人のことが好きだ。
そのことを認識する瞬間、僕らの心の中では、何か沸き立つような感情が自然発生的に生まれてきているように思う。
心臓の鼓動がはやまり、呼吸が浅くなる感じがして、なんとなくウキウキと心が弾んでしまうような気がする。
もし現代風に一言で済ますとするなら、テンションがあがる、という状態かもしれないが、そのニュアンスを表現するのは難しい。
それを、トルストイは「暖かさ」で表現した。
なるほど。「たいへん暖か」で、「燃えるよう」なのか。

この表現から僕が感じたのは「熱さ」ではなく「温もり」である。
好きだ、と気が付くその瞬間、僕らの心の中では、小さな”焚火”がパチパチと音をたてて燃え始めているような気がする。
火の暖かさというのは、好意を持った人のことを考える時に感じられる、淡い恋心としか言いようのない、あの特定の温度感と似たもののような気がする。
またその炎は、たとえそれが小さなものであっても魅惑的に揺らめき、様々な種類の光を発するものである。美しく、ずっと見ていたいような気持ちになるものだ。

しかし、(中略)以降の文章を見てみると、アンナの中ではこれが認められえぬ感情であることへの葛藤がある。
アンナは人妻なのである。若いウロンスキイに惹かれて、道を違えるわけにはいかない。
彼女はこの感情から目を背けようとしているのか、車外の風景を眺めて、別のことを考えようとする。しかし”他の考え事”には集中することが出来ず、自分の意識が自分のものではないような、忘却状態に陥る。
彼女は、本心ではウロンスキイのことしか考えたくないのである。
音を立てて暖かに燃える、その炎から目を逸らしたくないのである。

”そして彼女は、意のままにそれに身をゆだねることも、遠ざかることも出来るのだった。”
僕の個人的な印象だが、この一文は、彼女がそういう沸き立つような「恋」と「背徳」の織りなす劣情の中に浸っているような印象がある。

火は暖かだが、やがて勢いを増していった時には大きな災いを起こすものである。
そのことが暗示していたように、アンナとウロンスキイの関係は、ウロンスキイの激しいアプローチによって次第に熱を増していく。
そしてアンナも、そのことを拒絶しない。
彼女の感情の根底にあるものは、若いウロンスキイに対して芽生え始めた恋心と、求められることへの喜び(女としての優越感みたいなものも含まれているかもしれない)であるように思う。
そして炎は燃え上がり、美しい輝きを放って日々を照らしながら破滅へと向かって行く。

学びたい部分が多すぎて整理できない。


僕が引用した文章は、『アンナ・カレーニナ』の中でも、冒頭に近い部分である。この小説はここからこの「アンナ」と、もう一人「レーヴィン」という男の物語を軸にしてストーリーが展開していく。

このあとも僕は、トルストイから感情表現を学ぼうとして100個以上の付箋を貼りつけた。その全てはもちろん紹介しきれない。
僕自身、付箋をつけた場所を読み返して整理することができていない。
しかし最後にもう一つ、この段階のアンナに対するウロンスキイの心理描写を一つ引用したい。
人妻のアンナへの激しい慕情を抱くウロンスキイの、その恋に対する、ある種の言い訳めいた決意である。

彼はまた、これらの人々の目には、生娘とか、自由な婦人とかと恋している不幸な男の役回りならこっけいに映るかもしれないけれども、すでに人妻である夫を追いまわして、彼女を姦通に誘惑するために、とにもかくにも、自分の生命を賭している男の役回りは――こうした役回りは、なんとなく美しく、偉大なところをもっていて、けっしてもの笑いになどなるべき性質のものではないことを、あくまでも承知していた。

アンナ・カレーニナ(上) レフ・トルストイ(中村白葉 訳)

僕は文学者でも専門家でもなんでもないので、この記事は一個人の感想として見てもらいたい。
アンナ・カレーニナ、面白かったです。


【余談】
『妻帯』という単語に対して、「夫を持っている妻」側の言葉って無いんですかね。だとしたら『夫帯』って言葉も作んなきゃいけないかもですね。


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