イノベーションは理論化できるもんじゃない―「反逆の戦略者」① デイヴィッド・ローラン(著)
「イノベーション」という言葉は最近、ちやほやされている気がします。
昔は経済学者の言葉でした。
今では学者よりも若い人、ベンチャー企業に参加する人やSNSの一部のインフルエンサーが多く使用しているように見られます。
今、「イノベーション」を意識している人々は熱量に溢れ、若々しく「イノベーション」を追い求めています。
それに付随するように「イノベーション」を創出させるためのセミナーを主催する企業が増えたりもしています。
本書はそんなセミナーなどを主催している組織の人たちと著者が交流をしている場面から始まります。
さすがにセミナーを開くだけあって彼らは「イノベーション」を創出する方法を独自で生み出し、実践経験などを経て裏付けしています。
それらの一つ一つは裏付けもあり、一定の結果につながっているようですが著者は今一つ腑に落ちません。
なぜなら著者は以下のように考えているからです。
確かに「イノベーション」が理論化して一般化できていれば、誰でも革新的な技術を生み出せますし、今のお金のあるインフルエンサーはとっくにテスラ並みの革新者になっているはずです。
ここに著者の疑問が生まれます。彼らの語っている「イノベーション」とは「真のイノベーション」ではないのではないか。要は単にビジネスがうまいだけではないかということです。
この偽物のイノベーションを著者は「イノベーション劇場」と呼び批判します。
そして「真のイノベーション」の例としてSpotifyの創業者であるダニエル・エクへのインタビューを回想し、真のイノベーションの要素を導きます。
1. 非合理的な視点を持つ:既存の視点の外側の視点を持つ。
2. 多様な人材を場にそろえる:多様な人材をmixすることで新たな反応を示す。
3. イノベーションは副次的なもの:イノベーションの内容自体は何か別のものと連鎖して出てくるもの。
要は「真のイノベーション」とは偶然性を持つものであるということが示唆されているのです。
ここで提示された「真のイノベーション」とされる概念は、近年の「イノベーション」という言葉が無作為に使用されていることから登場したのではないかと感じます。
なぜなら特別新しいことは述べられていないからです。
ですが、このような定義を著者が必要としたのはやはり広く使われることで言葉の意味合いが変化していると感じたからでしょう。
このような言葉の変化はおもしろいです。
大したことでなくても「イノベーション」とついたら思わず感嘆してしまうのが現在であるという著者の指摘は共感できます。
ここに書いている文章はあくまで私の読書メモとしての内容ですので、気になった方はぜひ読んでみてください。
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