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2019年秋 ポーランド ワルシャワ キュリー夫人とショパンそしてゲットー

携帯のオススメ写真で5年前のこの日ということで出てきた写真。
あー、そうか、いろいろあったワルシャワは丁度5年前の2019年秋だったと振り返ることができました。 たいへんだったけどインパクト強い旅でした。


市内でいちばん目立つ建物

旧ソ連から押し付けられた文化科学宮殿
周囲を圧する存在感
このときはこれは無視

Old Town Market Square 旧市街の広場

戦後再建された世界遺産の
Old Town Market Square
上の写真が暗いので補足
世界遺産でよく出てくる風景

Maria Skłodowska-Curie Museum キュリー夫人博物館

ワルシャワ王宮からOld Town Market Square
を抜けた先の街並みの古い写真
上の写真があったのがココ
Maria Skłodowska-Curie Museum
キュリー夫人博物館
古い写真と同じ景色です
左手の入口がキュリー夫人博物館の入口

単純かもですが、ワルシャワ行くまでの私のイメージはキュリー夫人とショパンとコペルニクスでした。なかでもキュリー夫人は子供のころの偉人伝記の定番だったので、一家が暮らした家が博物館になっているというので最初に目指しました。博物館入口のパンフレットには日本語版も。
見ていくと展示というかキュリー夫人の凄さにタジタジになって、我ながら珍しく英語の説明をじっくり読みながら見学しました。

一家で5つのノーベル賞!?

だいたいにして、一家でノーベル賞5コってどういうこと???

1903年 物理学賞 ピエール、マリー
1911年  化学賞  マリー
1935年 化学賞  娘のイレーヌと夫のフレデリック


 す、すごすぎる。

次女でのちに母の伝記を書いたエーヴが、家族でノーベル賞とってないのは私だけなの と云ってたとか。 実はエーヴがのちに結婚した人はユネスコだったかの事務局長でノーベル平和賞とっている。 でー、すごすぎる。

キュリー夫人の履歴をあらためて見ると闘士ですね。最初のノーベル賞のときは女性に与えるのはどうかという声があって、本人はノーベル賞に対してあんな奴がつくった表彰なんか誰がもらうか!みたいに云ったとかその反骨心、闘争心すごいものがあります。ノーベルはダイナマイトや兵器で大儲けした、母国ポーランドはその兵器で大きな被害を受けた、そんなヤツが作った表彰はまだ第3回で胡散臭くもあり、結局ベクレルとキュリー夫妻で受賞しますが、その後もしばらく女性の受賞者はなく、キュリー夫人の功績は突出しています。

ショパン博物館

こちらはショパン博物館
棚をあけると自動演奏されるとか、
音と楽譜と説明で楽しめる博物館でした
その演奏 なんかほとんど聞いたことがある
こちらもすごい綺羅星展示でした

トラムは妖怪ウォッチ

こんなトラムを利用しました
なんか妖怪ウォッチを想像してしまう

ワルシャワ ゲットー

次の日は現地で入手した地図を頼りにワルシャワゲットーあたりへ。
欧州ではゲットーやシナゴーグを訪ねることがあります。自分でもわざわざなぜに?と思うことがあるけど、たぶん好悪じゃなくて、行って見て知りたい+知らないと なのだと思います。

ワルシャワは代表的な、著名なゲットー。
その割には入口はここなの?ですが  ここでした。

公共住宅+商店街を入っていく
少しなかに入るとゲットーの案内がありました
思ったよりかなり大きな規模
終盤はすごい密度の人数だったとのこと
ゲットーの壁
突然壁を作らされたら、それが境界の壁になったらしい
ゲットー跡周囲にはこうした境界跡を示すサインもある

ゲットーやワルシャワ蜂起は重いけど知っておくべき歴史だと思います。

*追記* 3人はコスモポリタン

出だしでコペルニクスと書きましたが、ワルシャワ市内にはコペルニクス科学館?博物館があります。表の通りから見えたけどこのときは行きませんでした。

 コペルニクスはイタリアのボローニャ大学に行ったとき確か卒業生と読んだ気がします。何語で講義を受けて生活してたのかな? ラテン語? マルチリンガルだったのかな。
 考えると3人とも活躍の舞台は外国だったわけで、ポーランド語は外国語と親和性が高いのかな? キュリー夫人はフランス人と結婚してフランスで生活していたわけだし、ショパンもジョルジュ サンドとギッコンバッタンで長い付き合いで消耗して失望して亡くなったとも云えるわけで、時代から考えるとコスモポリタンの先駆けのように思えるのでありました。

 その割にはワルシャワの駅でキップ買えばいいのか、目的地へどう行けばいいのか聞こうと5人位が並ぶ窓口で 誰か英語話せますか? と聞いたら誰も判りませんと両手を挙げられたなあ。 英語がスムーズに通じたのはホテルのカウンターくらいのイメージでした。 印象深い町だったけど、難しく、フシギの町ワルシャワ。

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