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子育てと責任

現代は子育ての責任を母親がかぶることが多いです。

何かあると行政も会社も母親も責められる…

これを考えるとき、かつて20年以上前に就職した頃の社会の論調を思い出します。

その頃、公務員バッシングかひどかった…
環境問題を学生時代に学んだけど、現場に行って、困っている人たちに直に会って何とかしようとしている人たちの結論でさえ、「行政の怠慢」という言葉がでてきていました。

何かをするには責任が伴い、どこかにその責任をおわせてその人たちがものすごい努力を強いられる社会…
当時から見ても、行政は「責任」を果たそうと自分を律し、社会にもその責任を義務付け、それはそれは涙ぐましい努力をしてきました。

「責任」を追求した結果、誰にとっても生きづらい社会になってしまいました。

気がつくと、核家族のなか、母親には1人前に子供を育てる「責任」が覆いかぶさっていました。

何かあったときの「責任」…

責任を取れる人っているのだろうか?
本質的には、誰も他人の人生の責任は取れないのではないかと思います。

子どもの抱えている問題は、実は親が解決できるものではないかもしれません。

本来は自由な人間に、「こうあるべき」でなければ責任を取るなんて、何て窮屈な考え方なんだろう。

責任を取ろうとするよりも、分かろうとすること、大好きだと伝えること、そして、その人たちがなりたいものに近づくことを邪魔しないこと。

本当は、困っている当事者自身が答えを知っているような気がします。

責任なんて、元から存在してないし、当事者に愛を感じてもらうのは、親だけでなく、社会全体ができたらいいなあ、と思う今日この頃です。それだけで救われる人も実は多いのではないかと思います。

責任なんて元から無いのだから、あなたはあなたらしく、大好きな人の声を聴いて、ただ愛を表現しながら生きていければ幸せなのではないかと思います。


“れていることはありませんか”

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