家が箱になるまえに

冬の実家から、静かに「老い」の匂いがした。
私が温かく伸びやかに生まれ育った愛しき我が家は、今や老人ふたりがひっそりと仕舞われている箱のようである。
大学2年生の冬、一人暮らしの私が実家に帰省したとき、いのいちばんに思ったことがそれだった。


「炊飯器、壊れたから小さいのに買い替えたの。」

帰省のため持ってきた鞄を椅子において、母の言葉に目をやると、台所に見慣れない新入りがいた。
黒色のちんまりとした、真新しい炊飯器だ。小さなそれは、居心地悪そうに私に見下ろされている。無理もない。なぜなら、かつてそこにあった先代炊飯器は倍大きく、どっかりと居座っていたために、そこにすげ替えられた小さな炊飯器には、先代炊飯器がいたその場所はあまりにも広過ぎているからであった。不自然な余白に囲まれた小さな炊飯器は、尚のこと決まり悪そうに炊飯完了のアラームを鳴らした。

「もう2人だけだからね、この大きさでいいの。」

炊飯器の蓋を開け、炊きたての白米をしゃもじでかき混ぜる母はそう言う。もう2人だけ。かつての我が家は、4人兄弟と両親2人から成る6人家族で賑わっていた。私は末っ子で、上の兄弟3人はとっくに自立して家を出ている。こうやって定期的に実家に帰ってくるのは、まだ学生の身空である私ぐらいであった。母の言葉に、ふーん、と興味なさげに私は返事をした。胸には、なぜだか分からない、一抹の寂しさがあった。
最盛期には、朝6合、夕3合をせっせと炊きあげ、家族6人の胃袋を支えてきた大きな炊飯器。
今や、住人が両親ふたりだけになったこの家では、お役御免となってしまった。
代わりにやってきた、小さな小さな炊飯器。あんなに大きかった炊飯器が,こんな小さな姿になったなんて…。それもそうか。大きくったって意味ない。もうこの家に、食べ盛りの子供はいないのだから。
なんだかセンチメンタルな気分になってきた。別に、先代炊飯器との別れを惜しんでいるわけじゃない。もっと何か、別の……。

「ご飯の用意ができたから、お父さん呼んできて。」

思考はそこで途切れた。はあいと返事して、階段に向かう。そこから、2階にいる父に向かって、おとうさあんと名前を呼ぶ。
お決まりの流れのあと、私たち家族三人は食卓につく。ちなみに、父は寡黙な人だからあまり喋らない。なので、食事のときの会話の中心は、もっぱら私と母になる。

「あれ、お母さん、ダイニングテーブルの照明って、オレンジ色じゃなかった?」
「ああ、前のはもう切れたから、新しいのに替えたの。」
「へぇ、あれ結構長く持ってたのにね。」
「ね。照明が昔のやつだから、合わない電球が多くて大変だったのよ。これ、LEDってやつ?」

そうなんじゃない、あまり詳しく分からないけど。
きっと今のは父親に振ったのだろうが、基本父親はまさか自分に話が振られているとは思わないようで、黙っていることが多く、それでたびたび母親に小言を言われている。なので私が適当に返事をしておく。これが家族3人のときのコミュニケーションであった。
相槌もそこそこに、味噌汁を啜った。
なんとなく、白色の照明に照らされた、母の手料理を見つめる。
食べ物の色彩も、陰影も、白の明かりの下ではいっそ冷たいくらいにはっきりと目に映る。その瞬間、私は、ふと、だがしかし猛烈に、かつてのオレンジ色の灯りが恋しくなって、とりとめもない郷愁が胸の内にこみあげた。
オレンジ色の灯りは、白色の照明と違って、問答無用で料理をオレンジの色味に変えてしまう。鯖の味噌煮も、茄子のおひたしも、回鍋肉も、小さいころ、この食卓に並べられた夕飯は、みなどことなくオレンジ色に染め上げられていた。当たり前だ、照明がオレンジ色なのだから。だがそれは、一人暮らしするまでの19年間、この家で食卓についたとき、私が毎日変わらず見続けてきた光景なのであった。そして、家族6人揃った賑やかな食卓を照らし続けてきた、思い出の色なのであった。だが、もう、オレンジ色の灯りは、どこにもない。
私は漠然と、白色の光に照らされた食卓を、他人の家のもののように感じた。白色の照明に、いつの間にか増えた父親の白髪がキラキラと反射している。「この照明、なんかやな感じ。前の色に戻そうよ。」と言いたかったが、2人はそこまで気にしていなかったようなので、味噌汁といっしょに流し込んだ。

小さくなった炊飯器。白色になった照明。
かつての我が家の風景が少しずつ喪われていっているのを、久しぶりの帰省でようやく私は気がついた。
食休みとして、ソファに腰掛けながら兄弟たちの小さいころの落書きがそのままにされているリビングの壁をぼうっと眺めたとき、私は、もうこの家から何も生まれないのだと、確信的に悟った。もう一度炊飯器が大きくなることはないし、壁のラクガキも増えない。照明は……また色を変えることはあるだろうが、家族六人を照らしていた灯りはもう消えた。
老後の暇潰しに…と母が買ったオセロは、私がやりたいと言わなければ、今も視界の隅の戸棚の上で埃をかぶっている。この調子じゃ、どんな暇潰しグッズを買ったとて、すぐさま部屋の端っこで眠ることになるだろう。昔は、暇な休日があれば兄弟たちと父と母で人生ゲームに盛り上がっていたが、もうそのボードがどこにあるか、誰も分からない。現に、私も分からなかった。実際、もう捨ててしまったのかもしれない。
少しずつ停滞し、少しずつ失われていく。子供が出ていった家は、次第に形を変え、ただ残された両親が、仕事から帰り、飯を食い、寝て、また仕事に行く、これを繰り返すための箱になりつつある。そして、子供が久々に帰ってきたときに、いつもより多く灯りが灯されて、家の体裁を取り戻すのである。

「次はいつ帰って来れるの?」

お母さんのこの言葉が嬉しくもあり、大学生という身分の若い私には、この老いていく家に帰ってくることへの虚しさを誘う。

「そうだね、今度は1ヶ月後くらいには帰ってくるよ。」
「そう。」

母親は天邪鬼なところがあるため、自分からいつ帰るのかと聞いてくる割に、相槌は素っ気ない。そして、私が帰ってくる日の夕食は、いつもよりちょこっと品数が多く、豪華になる。

「じゃあ迎えに行くから、ちゃんと連絡くださいね。」

母は運転をしないので、送迎は父の役目である。こういうとき、父親は読んでいる新聞から目を離さず、ボソッとそう言う。照れ屋だからだ。普段は寡黙な人だが、それはこの性格が由来しているのだと思う。大学の関係で実家の最寄り駅に到着する時刻が遅くなっても、黙って迎えの車に乗せてくれる。

老いていく家に帰ってくるのは、確かに虚しさがある。
だがなぜ帰ってくるのかといえば、そこに愛があるからだ。私が帰ってくると、いつもなら並ばないちょっと手の込んだ料理が、湯気をくゆらせて出迎えてくれる。本を読んでばかりの父が、食後のボードゲームに応じてくれる。10時過ぎまでやってる金曜ロードショーを、いつもなら夜9時には就寝しているらしい母とああだこうだ言いながら鑑賞し、それを肴に父が酒を飲む。そんなんだから、いつもより長く、リビングに灯りが灯されている。故に、家を家たらしめるのは、家族との時間、ひいては、親から子供への愛なのではないか、と、私はぼんやり思うのだ。

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