深夜3時 自殺

実はこの記事は一度消した。
朝に読み返し、「頭おかしいのか?」と思ったからだ。
当たり前である。深夜3時ごろの、正常であることをやめた脳味噌が筆をとらせていたんだから、十分睡眠を取った真っ当な脳味噌には、到底耐えられない文なのだ。

だが奇跡的に反応をもらっていた。

ここで逃げては漢が廃る。恥を忍んで再掲する。なんとかなれ。


時刻は只今、2:39。ド深夜。
風呂にもまだ入っていない。就活に向けて、情報の波に乗り出し、転覆し溺れた。ちなみに明後日にTOEICの試験を控えている。今日の勉強時間、5分。

はーん、考えなきゃいけないことが多すぎて、やってらんねぇな。

就活。もうこの2文字を見ることすら嫌だ。
でも志望動機対策にとひたすら自分とは何たるか考え詰めて、ちょっと悟りの境地に片足突っ込んだのだ。

いま死ぬのがいちばんきもちいい。

現実逃避か寝不足の二択が導き出した崇高な結論である。アホがよ。
実際、そう思った経緯に100%寝不足は関係しているが無視する。

これは就活のおかげである。せい、ではなく。

就活の事前準備に自己分析というものがある。ここでは自己分析が何たるかは割愛するが(どうせ知っているだろうし)、これのおかげで、私は不明瞭だった自分の輪郭をいくらかはっきりさせることに成功したのだ。

皆さんは内省の時間を一日にどれくらい取っておいでだろうか。
noteに書き込む人種は数分でもその時間があることとし進めるが、これがなかなか、結構楽しい。
もちろん内省は苦しい。到らない自分を見つめ直すのだから延々自分にペケマークをつけ続けるのだ。

だがたまに、マルをつけるべきところが見えてくる。

そのマルにするところも、他人から見ればデケェ‪‪✕‬‪‪をつけてやるような所だろうが、だがこれが結構自分の気に入るところになってくれる。

自己分析でそれを繰り返す。次第に、あれ、あたしってこんな人間だったのかぁ、はぁ、なかなか人間味があって、よござんすね。
こうなる。

内省をすると、自分という人間が浮き彫りになって、他人では到底埋められないであろう、「どうせ私の人間性は理解されない」という孤独に相槌を打つ自分が現れ、不思議と満たされる感覚になる。

自分自身で自分を見つけてやった。とでも言うのだろうか。そのとき、私がわたしを「あ〜わかるわかる」と抱きしめてやってるような、おかしな心地良さがあった。

人間は孤独を満たす為に生きているらしい。本当か嘘かは知らん。売り言葉を買ってちょうど良かったのでいま並べた。
だが赤の他人に個人の孤独が満たすことができるとは、微塵も思わない。だとすれば人生の終着点とは。

ここで今日のところは風呂に入ることを諦めた私が思うのは、自分が自分の理解者に少しでもなれたとき、人は初めて死を受け入れるのではないかということだ。

実際、自己分析による内省で「ああ私って、こんな人間だったのね!」と思ったその瞬間、「そうだ、死のう!」という喜びで脳味噌が満ち足りた。ゴールしたのだ。自分がどういった人間なのかということに。そして、積年の孤独がいっきに馬鹿馬鹿らしくもなった。

自身を理解できるのもまた自身。見る人が見ればなんとも哀れなものである。だが私にはこれが最適解であった。

あなたも一度、とことん自分を見つめてほしい。そして自分の形を捉えたとき、自身を骨の髄から理解してしまったとき、人生・完!と思うのかどうか、ぜひとも体験してみてほしい。
それまでに私は、ひいこら言いながらあくせく就活を進めることとする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?