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東京・赤坂~新宿紀行(3)築地本願寺~皇居~千鳥ヶ淵戦没者墓苑


ハワイアン・ロコモコ風朝ごはん

予約したアパホテルでは、5時間ほど眠れました。
起きて身支度を済ませると、一階に併設されている朝食会場へ向かいました。

ハワイアン・ロコモコ朝食セット

デロンギの珈琲メーカーで丁寧に淹れたレギュラー珈琲と、ロコモコ風朝食セットでした(ライス・ロコモコ=チキンフリッター・マカロニサラダ・紫キャベツ添え)。
揚げ物が朝から、と少し身構えましたが、もたれることなどは全くなく、優しい味付けでモリモリと、添え野菜と共に頂けました。
現在はメニュー提供の品数も格段に増え、私の食事よりも更に多くの献立が用意されているようですよ。

ホテルをチェックアウトし、築地本願寺へ朝のお勤めに行きました。

築地本願寺参詣

当院の広大な壁に沿って歩くと、インドの大寺院のような巨大な伽藍が見えてきました。
このエリアでも、地元町内会の方々が丹精込めて咲かせた紫陽花の大輪が、朝散歩の目を楽しませて下さいました。

インドのヒンドゥー教寺院を思わせるような、エキゾチックな本堂
本堂正面。入場し、参詣してきました。
逆アングルからの本堂。旅の最後までの安全を、二日目朝に祈念です。

本堂を背にして左側にある、境内の数々の墓碑や親鸞上人像にもお参りしてきました。

境内前庭にも、よく手入れされた可憐な紫陽花が
咲き乱れていました。
親鸞上人立像
国内の交通事故で急死した、数多くの犠牲者を悼む慰霊碑
悲劇の奥医師(徳川将軍直属医師)・
土生玄碩(はぶげんせき)の墓標と顕彰碑
当院を後にしようとすると、ロシアのウクライナ侵略に対する真宗・本願寺派としての
声明が掲げてありました。

さて、ここからメトロ乗り継ぎにて、皇居最寄り地下鉄駅の東京メトロ千代田線・大手町駅を目指します!

本日最初の出発駅メトロ日比谷線・築地駅)はここ。
この駅で下車し、皇居に入城します。
ホーム向いの駅票

大手町駅から皇居(旧江戸城)入城

経団連会館ビル
ENEOSホールディングスビル

皇居・大手町駅に到着。ここから左回り方向で、外堀一周ウォーキングのスタートです!
正々堂々、大手門からの入城、と致しました。
いざ!

皇居巡りの出発点、皇居・大手門
和気清麻呂像
同上像(正面より)
「震災イチョウ」。
当年(2023)は1923(大正12)年発生の、関東大震災からちょうど100年の節目であります。
平川門を見下ろすかのように厳然と建つビルは、毎日新聞社本社ビルです。
平川門前(皇居側を望む)
梅雨前後なので、お堀は蓮の繁茂する時期でした。
清水門から城内へ入り、武道館方面を目指します
青銅で補強された、堅牢な城門

堀沿いに散策しながら、武道館の敷地内に入っていきました。
皇居・北の丸公園として整備されており、戦後日本の主権回復・日本国憲法制定等に尽力した吉田茂元総理の銅像等がありました。

吉田茂・元内閣総理大臣像。
自民党現副総裁、麻生太郎氏の祖父です。
日本武道館が見えてきました。
耐震補強工事中のようです。
土曜午前の、静かな北の丸公園です。
館内では、大きな武道(弓道)の大会が開催されているようでした。
徳川御三卿の名家の一つ・田安家の名称の元となった、田安門
田安門の説明プレート

田安門を潜った上で一旦城内を出て、千鳥ヶ淵方面へ向かいます。

都民・千代田区民のウォーターフロント

品川弥二郎像
明治維新・長州閥の偉人のようですね。
旧日本陸軍創設者・大山巌騎馬像
日露戦争では陸軍司令官として、大きな武功を上げたのですね。
堀の緑の遙か先に、ビル群が。
夏は、すぐそこです。
「千鳥ヶ淵緑道」が記された縁石
緑豊かな、都心のウォーターフロントです
これから訪れるべき場所の最寄りに相応しい
「純白」の紫陽花が、遊歩道に咲き乱れていました。

千鳥ヶ淵戦没者御苑にて、慰霊参拝

靖國神社と同じ「九段下」エリアまでやって来ました。
戦没者を慰霊するにあたり、どちらに参拝するか当初の旅行計画段階では若干の迷いがありましたが、やはり戦後に「国立・無宗教」のコンセプトで設立された当苑にて、先の大戦での尊い犠牲者を弔うことにしました。

墓苑の入口モノリス
環境省設置の説明票プレート
苑内に掲げられた、太平洋戦争での主な戦場における
日本国内犠牲者の一覧図を刻んだ一枚岩のモノリス
明仁上皇陛下御製(2005)の歌碑
上皇陛下御製碑
昭和天皇御製碑
昭和天皇御製碑

お二人の陛下が詠まれた御製碑に刻まれた、鎮魂の和歌に思いを馳せながら、メインの慰霊施設である「六角堂」まで進み出ました。

この奥の「陶棺」内に、無名戦没者を代表する戦争犠牲者の尊い「御遺骨」が埋葬されています。
向かって右手側にある白菊に志を納め、献花する形式になっています。

実のところ、祖父母の実家などでは盆の帰省の際に毎年、墓参はしておりましたが、この施設にて戦没者に哀悼の意を捧げるのは、初めての経験でした。
白菊を献花すると、今までの暑さとは2℃程度涼しくなったような厳粛な空気が流れ、この先の戦争と共に、この年(2022)の晩冬に開戦したウクライナ戦争での犠牲者や、ロシア軍の残忍非道極まる拷問・虐殺、性的暴行の末に殺害された無辜のウクライナ市民にも、思いを馳せました。
手を静かに合掌している間、自分が男性であることも忘れるかのごとく、しばしさめざめと流れ落ちる涙を禁じ得ませんでした。
六角堂を後にすると、順路には「戦後強制抑留・引揚死没者慰霊碑」も控えていました。

平成22年8月に、新しく建立された石碑です。
左側:旧満州などからの「引揚」の途上で、帰国叶わず絶命された約20万人もの方々
右側:「シベリア抑留」にて、犠牲になった約5万5千人もの尊い犠牲者の方々
を悼むために建立されました。
建立の由緒と、壮絶な外地引揚・旧ソ連軍によるシベリア抑留の解説石版。

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