私の環境研究ことはじめ #1中国史の視点からGENの活動を見つめて(インターン生 小林杏佳)1/2
村松弘一さん(GEN世話人、淑徳大学人文学部教授)
今回インタビューに答えていただいたのは、淑徳大学の村松教授。大学時代から中国史の研究を続け、2001年のツアー参加を経て現在もGENの活動に携わってくださっています。インタビューでは教授の研究分野である中国史との出会いと、GENの一員として活動に携わるようになった経緯について詳しくお聞きすることができました。
■ 中国史の研究者として
―なぜ中国史の研究を選ばれたのですか?
中学生の時に読んだ三国志が好きでして。現在の中国にも、歴史上の人物のような人がたくさんいるのではないかと思って専攻しました。実際は、もっとさまざまな人がいましたね。
―大学時代のエピソードは?
大学時代の師匠のアドバイスで、2年のころから中国へ度たびフィールドワークに訪れるようになりました。具体的には、地理書や歴史書の記した土地に赴いて現場で照合するといった研究です。1993年(当時大学4年生)には一年間中国の西安に滞在し、夏休みには陝西省の楡林から新疆ウイグル自治区のイリ川まで黄土高原を巡る旅を経験しました。私の旅行記については、下記にて詳細を綴っていますのでよかったら覗いてみてください。
はじめての黄土高原へ~1993年夏 by 村松弘一(GEN世話人)|緑の地球ネットワーク (note.com)
―学生時代に執筆した論文をご紹介してください。
卒業論文では、甘粛省に居住していた古代の少数民族を取り上げ、修士論文は漢代の環境変動と豪族社会というテーマで書きました。博士課程に入ってからは、秦の咸陽や漢の長安における水問題や古代陝西省の灌漑用水路の変化を追った環境史の研究をしました。また、大学院時代の授業で、明清時代に長江中流域の洞庭湖が開発されて水量が減っていく史料を輪読したことも環境史研究につながりました。
―環境史を取り扱うようになった理由はありますか?
大学では東洋史の中でも主に古代史を研究しており、修士論文を書く時から既に中国の環境史に興味を持っていました。ちょうどGENが大同で活動を始めたころ、砂漠化や酸性雨など、アジアの環境問題がクローズアップされたころでした。その後、2003年に国際交流基金(Japan Foundation)でもう一度西安を訪ねる機会を得ました。目的は、緑化活動団体の研究を行う為です。当時中国で活動していた約20団体と連絡を取り、ツアーへの参加などを通してさまざまな方のお話を聞きました。例えば、北京の環境センターの職員の方にインタビューをしたり、中国人が行っているNGO緑家園のツアーで四川省徳陽市や山西省と陝西省の間にある黄河中流の壺口瀑布の滝付近での植林を行い、参加している中国人と対談したりといった具合です。この20団体の中には、もちろんGENも含まれています。縁家園のツアーは、体験記を読んでいただけるとGENと重なる部分も見つかるかと思います。
20年前の話、「緑家園」の生態游(エコツアー)に参加して by 村松弘一(GEN世話人)|緑の地球ネットワーク (note.com)
―環境研究について関心のある分野などはありますか?
環境史の研究も近年大きく進歩しています。例えば、地中に埋められた馬の骨からストロンチウム同位体を分析することで、資料の馬の産地情報や生息地情報が得られるといった研究は歴史研究にとても役立っています。馬の生息圏の環境が把握できると、文献資料に書かれている馬が生産された時代背景に関する理解が深まります。農耕や遊牧などの土地利用の変遷は、当時の気候状況と深く関連していますから、より豊かな土地を育む活動の知識面での貢献も見込めます。環境研究の発展が、さまざまな社会問題の解決の後押しになることを研究者の一人として期待しています。
(2/2につづく)