オレは本質的に依存してたいんだなと気付いた話 〜アダルトチルドレン〜

ほんのスキマ時間にちょっとでもやりたいことというのがあれば、それが本当にやりたいことらしいです。
(引用元)

ぼく「んーーー、スマホゲーム(依存行為)なんだよなぁ。別にやりたいからやってるわけではない」

スマホゲームの巧妙なところは、スキマ時間にやりたくならせる仕掛けが溢れているところであり、それは依存性を商売利用しているとも言えます。
だからスマホゲームが僕の本当にやりたいことにはなり得ないと思っていました。
スマホゲームは"やりたいこと"ではなく、"やらされている""やりたくならされている"んだと。

でもふと気になって、もう一段階掘り下げると、実はスマホゲームは枝葉に過ぎず、本質の根っこがあるような気がしました。

すなわち、本質的に僕は『何かに依存していたい』のではないか? と思えたのです。

そしてなぜ依存していたいかというと、きっと安心したいから

依存行為というものは、何度も何度も繰り返される行為のことであり、繰り返し行為というのは安心が本質なのです。

しかし依存行為が現実逃避の要素を持つ場合はほぼ例外なく、その依存行為をいくら繰り返そうが、依存度がどれだけエスカレートしようが、逃避している現実は何も変わらないため、真の安心は永遠に手に入りません。
安心できていないからこそ、安心を求めて、その場しのぎの安心でもいいから安心したい、そんな気持ちをほんのひと時だけ薄めてくれるのが依存行為です。

そこから抜け出すには、逃避している現実と向き合って、真の安心を得るしかありません。

僕はこれを求めているんだなと、今回改めて気付きました。

つまり、安全基地。
依存していられる基地。
うんと甘えていられる場所。
無条件の愛情を注いでくれる存在。
まだいたんだ、オレのインナーチャイルド。
そりゃあ、いるよね。久しぶり。
そんなところにいたんだね。

久々に、じっくり話そうか。

つづく



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