自死を選ぶ思考の素は何か

悲しい訃報が続いています。

苦しんで傷ついて、いつしか自分を失って。
冷静な判断力や、苦しいという感情すらもも失って。
とうとう自死を選んでしまう。
本当に悲しいことです。


ひとが自らの手で死を選ぶ時、どういう経緯でその選択にたどり着くのか、という疑問が僕の中にわきました。
自死とは、自分で自分の人生を終わらせるということです。
すなわち、自分の人生や自分そのものに価値を感じていないと言えます。
(仮に自分の人生が価値あるものだと考えているのなら、わざわざ自分でそれを終わらせる人はいないでしょう)


「こんな自分が生きてても意味ない」
「こんな社会で生きてても辛いだけ」


しかし、それは裏を返せば、自分の人生に価値を見出すことさえできれば自死という選択には至らないはずだということです。

「そう口で言うのは簡単だけど、現実そう簡単にはいかないからこそ、自分の人生に絶望して自死を選ぶんじゃないか」
と、言われそうですね。
しかし、現実が簡単に変えられないのであれば、いやむしろ現実が簡単に変えられないからこそ、自分の思考を変えるしかありません。


「どうせ自分なんて……」と思いつめてしまいがちな人でも、もしかしたら自分に価値を見出せるかもしれない考え方があります。
それは、究極の自己受容、自己肯定感です。
殺人鬼ですら誰かの役に立つというものです。
んなわけあるかい!? と思ったあなた、下のリンク記事を読んでみて下さい。

「どうせ自分なんて……」などと自分を卑下する必要はもうありません。


自死は社会の誰の幸せにもなりません。

どうかどうか、誰かの自死が少しでも避けられますように。


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