昔話から学ぶ=モチベーション
先日 たまたま見たテレビで 親への質問で「子供に 働く理由を話すとき 悩みますか?」というテーマでコメンテーターの方たちが話していました。
「生活のため としか言えない、、」「お金がないと生きていけないから」「自分もわかってないから どう子供に説明すればいいかわからない、、」と。
テレビの演出のせいかは不明ですが、全員の方が「お金のため」との答え。それ以外一つも出てこなかったことに かなりびっくりしました(・・;)
でも現実社会で生活している中では そう思われるのは仕方がない「現実」なのかな、、と想像できました。
そこで 今日はこのテーマをどうしても書いておきたいと思います。
イソップ物語の「3人のレンガ職人」の話
和訳の原文をそのまま引用させていただいて、解説したいと思います。
ある旅人が町を歩いていると、1人の男が道の脇で難しそうな顔をしながらレンガを積んでいました。
旅人は、その男のそばに立ち止まってたずねました。
「ここでいったい何をしているのですか?」
すると、男はこう答えました。
「見ればわかるだろう。レンガ積みをしているのさ。毎日毎日、雨の日も強い風の日も、暑い日も寒い日も1日中レンガ積みだ。なんでオレはこんなことをしなければならないのか、まったくついてない」
旅人は、その男に「大変ですね」となぐさめの言葉を残して歩き続けました。
しばらく行くと、一生懸命レンガを積んでいる別の男に出会いました。
しかし、その男は、先ほどの男ほどつらそうには見えませんでした。
そこで、また旅人はたずねました。
「ここでいったい何をしているのですか?」
すると、男はこう答えました。
「オレはね、ここで大きな壁を作っているんだよ。これがオレの仕事でね」
旅人は「それは大変ですね」と、いたわりの言葉をかけました。
すると、意外な言葉が返ってきました。
「なんてことはないよ。この仕事でオレは家族を養ってるんだ。この仕事があるから家族全員が食べていけるのだから、大変だなんて言ったらバチが当たるよ」
旅人は、その男に励ましの言葉を残して歩き続けました。
さらにもう少し歩くと、別の男がいきいきと楽しそうにレンガを積んでいました。
旅人は興味深くたずねました。
「ここでいったい何をしているのですか?」
すると、男は目を輝かせてこう答えました。
「ああ、オレたちのことかい? オレたちは歴史に残る偉大な大聖堂をつくっているんだ」
旅人は「それは大変ですね」と、いたわりの言葉をかけました。
すると男は、楽しそうにこう返してきました。
「とんでもない。ここで多くの人が祝福を受け、悲しみを払うんだぜ! 素晴らしいだろう!」
旅人は、その男にお礼の言葉を残して、元気いっぱいに歩き始めました。
~~さて あなたはあなたの仕事にどんな気持ちで取り組んでいますか?
どのレンガ職人 に近いですか?~~
同じ「レンガを積む」という作業でも 3人の「気持ち」は大きく違ってきます。
どれが正しいか?? というお話ではありません。
1人目の人は 誰が見ても 文句ばかりで ちっとも楽しそうじゃない。
仕事をする上で こんな風になってしまっているときは 一瞬であれば 誰でもあるでしょう。
しかし、私は この1人目の職人は 長続きしなそうに感じます。
彼には 仕事は「命令されたもの」でしかないのです。
自分の人生なのに 人に命令された作業をするのみ。
やりがいもなければ 楽しそうでもないです。
2人目の職人は かなり多くの人が 共感するのではないでしょうか。
仕事はお金、生活のため。だから割り切って いやなことでもやってるんだよ、というものです。
1人目との違いは「何のため」が明確にありますから、命令されたことをただ実行するだけのむなしさはありません。
2人目の彼は「何のため」=「生活・お金」 でした。
では「お金」は目的なのでしょうか?
お金が目的だったら お札と小銭が手元にあれば目的達成となります・・・
お金は持っているだけでは何にもなりませんね。
お金は 生活のために使うもの・・・
生きていく上で よりよく より安心快適に過ごすために必要な「手段」とも言えるのではないでしょうか。
★働く目的 ≠ お金
★お金 = 生きていく手段
そして お金はいくらあればいい、それ以上はいらない、というものはありません。 あればあるほど いいですよね。
ということは いくらもらっても 少し時間が経てば 「まだ足りない」 と感じる可能性が高くなるのです。
欲望に際限がなくなるわけですね。
いくらもらっても たくさん稼いでも 「これでいい」と思える満足感は なかなか生まれにくいのです。
ですから、本当にお金が必要なら 「何にどれくらい使う予定か」 ライフプランを考えて、その目標額を稼ぐことを考えるほうが具体的数字にどれだけ近づいているか ゴールが見えるわけですから、目標達成しやすくなります。
さて話を「働く」に戻します。
働くうえでの満足度を「生活・お金」を目的にしている2人目の職人の場合、お金がもらえなくなると 一気に働く気が薄れてしまうわけです。
そしてもし給与が出なくなると 働くのをやめるのでしょう。
もちろん お金は大切ですし、生活には欠かせません。給与も正しく労働の対価として支給されて当然です。
ただ、このような「外的要因」(お金をくれる人)だけで 自分の「働く」という行動をストップしてしまうことは、環境に影響されすぎてはしませんか? 働くのはあなたの意志なのに、環境が悪くなると 適応できなくなってしまうのは あまりに自分の人生を他人に任せすぎるように思います。
そこで3人目の人です。
彼は 「レンガを積む」という行為について 何に結び付けているでしょう。
「レンガを積む」 ≠ 「命令」
「レンガを積む」 ≠ 「お金・生活」
「レンガを積む」 ≠ 「教会を建てる」
「レンガを積む」 = 「人々の喜び」 に加担する
ただ教会を建てるではなく、村人のため そこで経験できる素晴らしい思い(祝福や悲しみ)に対して 自分がかかわれることへの 喜び を感じているのです。
命令も給与も1人目、2人目の労働者と変わらないかもしれません。
でも3人目の彼は 確実に「自分の喜び」として 同じ作業を担っています。
どうでしょうか。 あなたなら どの職人になってみたいですか?
3人目の職人であれば、確実にストレスが軽減されます。
自分の毎日に満足度が高くなります。
日々の仕事が楽しければ 自然と笑顔になります。
笑顔の人には なぜか不思議と ラッキー(運)がめぐってきます。
心身が元気な人には 風邪などの体調不良も起こりにくくなります。(免疫力、自律神経の安定)
理想は3人目の職人になることですが、これは人から強制されることではありません。(勿論仕事自体は顧客?親方?の指示で始めることですが)
せっかくなら「自分に笑顔と元気をくれるもの」を見つけて
3人目の職人のようないきいきした笑顔で仕事ができたら 自分の子供にも 家族や友人にも 「働く理由」を わくわくした笑顔と共に伝えられるのではないでしょうか。
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