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震災学習・伝承で大事にしたい、「なぜ?」を巻き込む場づくり

今年8月に、「Smart Supply Vision」主催の「ソナエトーク」に呼んでいただいた。
テーマは、『子どもたちの「なぜ?をまきこむ場づくり〜”教える”ではなく、”一緒に考える”3.11〜』だ。

(以下、同イベントの案内文)
今回は「場づくり」をテーマに、2人のゲストを迎えてお話します! 大学のボランティアセンタースタッフ、高校に地域の人として関わるコーディネーター、元・児童館職員という子どもたちへの関わり方はバラバラの私たちですが「子どもたちに震災の学びをどう手渡すか」「子どもたちが自ら自由に学べる場をどうつくるか」などの「場づくり」には共通した”声”がありました。
震災を体験した世代と直接体験をしていない世代を飛び越え、多世代で学び合える場を集まったみなさんで考えたいと思っています。
教育関係者だけに限らず、仕事内外で子どもに関わる方、地域の大人として何かしたいと思っている方、みなさんで語り合う時間にしましょう。

本日開催された「ソナエトーク」にて、今年度の振り返りを行ったようなのだが、事前にそこで紹介されるコメントをお願いされていた。
その機会に私自身もその時の内容を改めて振り返ることができたとともに、今自分が考えていることも整理することができた。

せっかくなので、同イベントに寄せたコメントをここでも紹介しておきたい。

「なぜ?」を巻き込む場づくり

災害に関する学びの場を開くとき、私たちは過去の教訓を伝えようと必死になるが、ときにそれは価値観の押しつけとなり、同時に奇跡的に条件が揃ったことでもたらされた結果を「答え」として提供してしまうことにつながりかねない。
あたかも被災を経験した自分たちが成熟している存在ように認識して、これから被災する可能性がある者を未熟だと捉える。もちろんそれをはっきりと意図しているわけではないだろうが、大人が子どもに教えるように、”上下の関係性”が存在しながら震災学習・伝承が行われているように、私は感じていた。

今回の「なぜ?」を巻き込む場づくりに関するトークでは、そのような現状をどのように捉え、対峙していくかをより深く考えることができたように思う。特に私は、誰しもが今後災害を経験する可能性をもつ者として、年齢も性別も関係なく、「問い」を通じて対等につながっていくことの必要性を強く実感した。
平たく言えば、「みんなが大人のようになる場面があっても、みんなが子どものようになる場面があってもいいんじゃない?」ということだろうか。誰かの無邪気(≠無配慮)な「問い」から、みんなの新たな想いが立ち上がるかもしれない。

この「問い」は、被災経験の有無に関係なく共有されるもので、関心と未来への希望の塊だと思う。忙しない日常の中で、小さな疑問を見て見ぬふりしてしまうことも多いが、当たり前・ありふれた日常の隙間に取り残された「問い」を拾うこと、それをみんなで眺め、おもしろがり、丁寧に育て上げることで、災害に向き合う「わたし“たち”」の力が育まれていくような気がしている。

「問い=不安」ではない。「なぜできないのか」「なぜそうならないのか」といった今後の伸びしろに希望をもちながら、みんなが率直に「なぜ?」と発することができる場をこれからもつくっていきたいと思う。

(ソナエトーク 第44回に寄せて)

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