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金はあるけど不幸な人あるある

社会に出ると、一般的にまずは自分がそれなりに成功することをイメージする。

どこまで行けば成功なのかというのは難しいけれど、年収2,000万円くらいあれば税引後でも1,300万円くらい残るので、毎月手取り100万円ちょいで子供を2人くらい育てながら、好きなものをそこそこ遠慮なく買いつつ、毎年海外旅行に行くくらいの余裕は出るだろう。

なんとなくそれくらい行けるのかなという感覚で新卒で就職する人は少なくないだろう。

ところが、初任給を見て衝撃が走る。激安すぎて親に箱根旅行のプレゼントをするくらいのことすらままならず、その会社で50歳くらいまで働いても年収400万円くらいが普通だということを知ることになる。

そして、年収1,000万円を達成できる人ですら社会の5%程度で、ほとんどの社会で成功していると言えるレベルの人たちはとても教育水準の高い一握りの人たちなんだと気づく。

また、街でよく見かける妙に羽振りが良かったり外車を乗り回したりしている若者はただ実家が金持ちなだけだと気づく。

世の中のほとんどの人は忙しく働きながら小銭を稼ぎ定年を迎え、少ない貯蓄を切り崩しながら細々と老後を過ごすことになる。

ちくしょう、今更気づいたけどそういう人たちが羨ましい・・・と思うかもしれない。

では、そのごく少数のカネがある人たちは幸せな人生を送っているのか?と言えば、むしろ普通の人よりも苦しんでいる人が案外多かったりする。

そんなに羨ましいものでもないのだ。

それはどういうことかについて解説する。


激務で不幸

世の中でたくさんお金を稼いでいる人は、仕事に費やす時間が物凄く長い人が多い

彼女も探せない、彼女がいても会えない、嫁や子供と会話する時間がない、そんな人はそこそこカネがもらえていても、明らかに不幸な人たちである。

筆者もかつてはそのような日々を過ごしていたが、当時の記憶はほとんどない。本当に人生を切り売りしてそこそこの給与をもらいながら仕事の経験値を買っていただけだ。今思い返すと本当に不幸な日々であった。

一般的なイメージだと有名な大企業で年収1,000万円〜というと夢が膨らむイメージだが、そもそも大企業は一般的に成熟した利益率が低めのビジネスを手堅く運営していて、社会の公器として社会コストをたくさん引き受けているので、従業員が労務の対価として受け取る給与も労働のインプットに対して夢のあるレートで返ってくるものではない。むしろ、時間単価にすると激安だったりする。未だにサービス残業という違法労働が横行しており、累進課税も激しいので、結果的に恋人や家族のためよりも社会のために鬼残業している人は世の中にたくさんいる

それはそれで社会的役割としては素晴らしいことだが、普通に19時とか20時とかに自宅に到着してプライベートを過ごしている人と、連日終電を逃しながら働いている人の手取り額に明らかに納得できる差がなければ、ただ自由な時間を捨てている不幸な人に過ぎない。

そして、筆者の主観では、プライベートが無くなるレベルの激務はたかが年収1,000万円〜どころでは決して納得できる差ではなかった

その程度の稼ぎでプライベートを失うくらいなら、普通の給与水準で定時で帰った方がずっとマシだと思った。

税制に文句を付けると必ず日本の制度が嫌なら日本から出て行けと言う人が現れる。しかし不幸な激務の人たちから恩恵を受ける側は、こういう人たちのお陰で日本が成立していることを忘れてはならない。遠慮する必要はないが、道義として感謝は必要だ。

激務で不幸な人たちは立ち止まって考える猶予が与えられないので、5年、10年とズルズル働き、そのまま最後まで走り抜けて死に際に後悔するというパターンをよく耳にする。筆者もそのまま走り抜けていたら間違いなく後悔していたと思うので、一旦立ち止まって考えてみることをオススメする。仕事は手段であり、目的ではないはずだ。


幼いままのボンボンで不幸

実家が金持ちで、まとまった地代家賃や株式配当などがある家は働かなくても生きて行けてしまう。毎月数十万、数百万入ってくるならば働く必要がない。

経験はカネで買えるので、金持ちは人生を有利に過ごすことができる可能性が高い。机上の空論に何年もかけるより、資金を投入して実際にやってしまうとか、自分で四苦八苦して学習するところを資金を投入してプロから要点を教えてもらうとかで物事の習得の時間を大きく圧縮することができる。

しかし、たまたまカネを持っている家系だったりして親自体の教養や親の教育者としての意識が薄かったりすると、カネがある故に社会で競争することもなく自分の殻に閉じこもってダラダラと過ごしてしまい、ホンモノの子供部屋おじさんになってしまう。30歳を過ぎたあたりで取り返しがつかなくなり、社会に出ることができなくなる。まともな社会人として働くことができず、異性との交際どころか交流もなく今更口説く能力を身につけることもできない。

カネだけは流れ込んでくるが、孤独で自信のない人生を生きてゆくことになる。

それは本人の責任だろうと言えばそうなのだが、一般的には背水の陣となり踏ん張りどころとなるようなシチュエーションがそうならなかったという意味では可哀想ではある。


最後に

どんなにカネがあってもあの世には持って行けないし、この世でも最近はスマホさえ持っていれば無料で大抵のサービスを受けることができてしまうので、カネの重要性も低下してきている。もちろん老後や突然の事故・病気を考えるとある程度のストックが欲しくなるところだが、結局若い時間を過度に切り売りして稼いだところで人生全体を通してみるとむしろマイナスだったりするので気をつけるべきだ。

たまたまカネのある家に生まれたことにより競争から逃げてきてしまった人は今日からでも行動に移すべきだ。そのままでも生命体として生き続けることはできるが、人間は社会的な生物であるので、他者との交流がなければ決して充実した人生を送ることはできない。不幸にも取り返しのつかない年齢まで過ごしてしまった人でも、できることを見つけて社会との接点を持つと良いだろう。



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