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あだち充に考えさせられた日

無性に走りたくなる、そんな時はないだろうか。

昨日の俺はそうであった。


多分、『タッチ』を全巻一気読みしたからだ。


『タッチ』といえば、あだち充の作品であり、言わずもがな名作。漫画アニメに乏しいウチのおばあちゃんも『タッチ』は知っている。


あだち充先生の漫画は大好きなのだが、何故か『タッチ』を読む機会が無かった。

時間も空いていたことだし、試しに読んでみようと思い読み進めていると気づいたら全巻読み終わっていた。



あだち充の「青春」は、ただ恋愛したり、ただエモいだけじゃなくて、
大人になりきる前の切なさやもどかしさが描かれている。

『タッチ』みたいに、幼馴染の事が好きな訳でも、ましてや双子がいた訳でもないけど、あだち充の描く「人間味」は何故か心に響き、同じ境遇でもないのに、共感してしまう。


個人的な意見だが、あだち充の真髄といえば、「解釈」 を任せるところだと思う。
あえてセリフ無しのページにして表情や仕草で何かを語ったりする。

全てを語らずに含みを持たせることで、読み手側が「こういうこと?」「もしかしたらこうか」と独自で解釈する


そこに「青春」という誰もが通るジャンルを組み入れることで、心に浸透しやすくする。



野球漫画であり「考えさせられる作品」は珍しく、個人的には国語の教科書に載ってもいいんじゃないかと思うくらい、あだち充先生は表現が上手い。




そんなあだち充の表現方法に見事食らい、「青春」の切なさもどかしさを感じて、いてもたってもいわれなくなり走り出したワケだが。


なんかとても虚しくなった。走っても走っても満足出来ない。きっとあの青春と今の自分のギャップが大きすぎるのだ。

思えばココ最近、ろくに何かに熱中出来ていない。ていうか人生でろくに長続きしたのはサッカーだけ。
(小学生から今まで続けてる。)


しかし、そのサッカーとの関係も、歳を重ねる毎に希薄になっていく。大人になっていくにつれ新鮮さは失われていく。


22歳の代は、今年から社会人。周りの友人が就職し、どこかで集まっても話す内容は給料や職場の話。


そんな中自分は未だ大学生であり、就活もしていない。


社会との狭間。大人と子供の境界線。自分と周りの空気感。



虚しくなった心を幾分か紛らわそうと体に疲労を求めたものの、特に疲れずに帰宅する。



色々な考えが頭の中でグルグルと回る中、時間は確実に経過していく。



人生て難しい。


けど、青春はどこにでも転がっているのだ。

もしかしたらこの悩みも青春なのかもしれない。




あだち充の真髄に『触れた』気がした。


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