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映画「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家・森山大道」監督日記㉘ ~最終回「写真とは、想い出です」

撮影が終わる、ということ

2018年の正月から始まった撮影は
2019年の正月に終わりました。
ドキュメンタリーの撮影とは不思議なもので
ある時、「よし、これで撮影終了だ」と思う時が訪れるのです。
それは何も特別なイベントや出来事を撮り終えた瞬間ではなく、
ある時、何の脈絡もなく監督(撮影者)の頭の中で
「はい、カット、OK!」と声が響くのです。
それは、例えば画家が絵を描き上げるとき
「よし、これでOKだ。あとは何も足してはいけない」
と判断する時に近いのかもしれません。

この映画に関して言えば
「よし、僕は21世紀の森山大道さんを
ちゃんと見つめることが出来たな」と思索した瞬間でした。

ある晩のことです。
僕は考えていました。
あのパリフォトでの熱狂のことを。
「にっぽん劇場写真帖」が無事完成し、
世界最大の写真フェア・パリフォトでお披露目された時、
会場が興奮に包まれたその日のことを。
人々は完成した写真集を買い求め、
大道さんのサインを求める人の列は途絶えませんでした。
サイン会が終わっても、
バックステージで恐る恐るサインを求めてくる
ファンの一人一人に、
時差やら講演会やらでくたびれ果てているはずの大道さんは
嫌な顔一つ見せずに、
恥ずかしそうに丁寧に応じるのでした。

飄々と、淡々と、あくまで自然体で、
気負わず、気張らず、驕らず、謙虚に振る舞う
世界的なストリートスナップの巨人。
ああ、これが森山大道という人なんだな。
僕はパリの会場で泣きそうになっていました。

僕はまた考えていました。
そのパリから帰ってきた翌週のことを。
パリフォトの熱狂冷めやらぬ中、
激しい疲労が残っているに違いない中、
大道さんは「じゃ、今日もよろしく」と言って
軽やかに路上スナップに出かけるのでした。
「疲れたね」とか「パリ、すごかったね」とか
そういうことをまったく持ち出さず、
何事もなかったかのように東京の街へ
当たり前のようにスナップに出るのです。
そして小さくうなずきながら
シャッターを切っていくのです。

僕はその背中を追いかけながら
胸がいっぱいになっていました。
「ああ、この人は50年以上
ずっとこうやってきたんだな。
雨の日も風の日も、
求められる時も求められない時も、
褒められる時も貶される時も変わらず、
ずっとこうしてきたんだな。
ずっとずっと写真を撮ってきたんだな。
写真を撮ることだけはあきらめなかったんだな。
それだけは手放そうとはしなかったんだな。
それが森山大道という人なんだな。」

そう考えた晩、
僕の頭の中で「はい、カット、OK!」という声が響きました。
そうなのだ、森山大道とはそういう人なのだ。
映画の撮影は
もうこれで十分でした。

ある日、大道さんから手紙が

一年間の密着撮影で
撮影素材は500時間を超えました。
膨大なテープ(データ)に取り囲まれて
僕は…しかし確かな手ごたえを感じていました。

あえて見取り図を作らず始めた撮影でした。
航海図もコンパスも持たないで、
現場で起きることだけに集中し、
大道さんと大道さんの周りの人々の化学反応だけに
謙虚に耳を澄まし、
じっと目を凝らす撮影でした。
その結果、
一冊の写真集が出来上がる様を間近で見届けました。
一人の写真家が毎日毎日写真を撮るその現場に
居合わせることが出来ました。
その間、大道さんの写真と人生を巡る
多くの記憶が解きほぐされました。
大道さんは亡き友への思慕を明かしてくれました。
僕は森山大道という写真家の「魂の聖域」に
足を踏み入れることを許してもらいました。
僕はその一部始終を自分のカメラで記録し、
500時間に及ぶ撮影素材に囲まれていました。

いける。

僕がそう確信した時、
この映画制作は次の段階に突入しました。
編集です。
500時間の素材をどう2時間にまとめていくか。
さてと、どこから手を付けようか。
そう考えていた矢先、
大道さんから一通の封書が届きました。
何だろう。
そう思って封を開けた僕は思わず
「あ」と小さく声を上げました。
便箋が一枚。
そこにはこう記されていたのです。

「写真とは、想い出です」

それは、僕への静かな激励であり、
謎めいたミステリアスな最後のメッセージでした。
僕はその便箋を壁に貼り、
編集機の前に座りました。
来る日も来る日も
その便箋を見ながら僕は編集を続け、
半年後、ようやく映画は完成しました。

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森山大道、この映画を観る

2019年9月4日。
東映の一番大きな試写室を
スタッフが用意してくれました。
今日は、ここに森山大道さんがやってきます。
大道さんの為だけに、試写会を行います。
僕は朝から吐きそうでした。

大道さんは、編集前に
僕にあの謎のメッセージを送って
最後にこう言ったのです。

「あとは全部、任せるから。
途中経過の報告とか、そういうのいらないからさ。
とにかく、岩間さんがいいと思ったことだけで
作ればいいから。
僕は、完成したものだけを見せてもらえればいいから。
ほんと、煮るなり焼くなり好きにしてよ」

そう言って微笑んだのです。
それは図らずとも
あの編集者と造本家に投げかけた言葉と同じでした。
編集者と造本家が真顔になって作業に挑み、
吐きそうになりながら完成させた写真集。
その完成作を大道さんに見てもらう日と
まったく同じ状態を僕は迎えていました。

大きな大きな試写室の
巨大なスクリーンの前に、
大道さんは一人ちょこんと座りました。
その何列か後方で、僕は大道さんの背中を見てました。
大道さん、気に入ってくれるだろうか。

暗転して映画が始まります。
1時間51分。
僕は、人生最大の緊張に
ほとんど失神しそうになりながら、
その時間を過ごしました。
1時間51分。
永遠とも一瞬とも思える時間、
僕は息をすることも忘れそうになるほど
身を強張らせ、身じろぎ一つせず
大道さんの背中とスクリーンを
交互に見つめていました。

エンドクレジットが出て
試写室の明かりが灯りました。
僕は矢も楯もたまらず、
大道さんを喫煙室に連れ出しました。

喫煙室で大道さんが
ロングピースに火を点けるのを待って、
僕は大道さんの顔を覗き込みました。
大道さんはゆっくりと
煙草の煙を吐き出しました。

1秒、2秒、3秒

僕は待ちました。

4秒、5秒、6秒、7秒。

大道さんが言いました。

「いいね。」

「いい映画だね。」

!!

「自分が出ているとか
そういうことと関係なくさ、
とてもいい映画だね。
なんていうの、
だから主観的にも客観的にもいい映画だね」

大道さんは
嬉しそうに煙草をプカリプカリ。
そして二本目に火を点けて
僕に最後にこう言ったのです。

「この映画に参加できてさ、つくづくよかったよ。
ここに足すものも引くものも何もないね。
あとは観る人のものだからさ、
自由に見てもらえればいいわけだけど、
僕自身にとっては『これだ!』という映画だね」

僕は膝から崩れ落ちそうになりました。

一本の映画が産声を上げ
そこに魂が宿った瞬間でした。
コロナが世界を覆う前のことでした。
完成した映画は
公開直前、想像を遥かに超える危機に直面します。
皆様の元に届けられるのには
まだまだ果てしもない
試練と挑戦が待ち構えていたのですが、
それはまた別のお話。

悩める20代だった僕は、
50代だった森山大道さんに出逢い、
一本のドキュメンタリー番組を作らせてもらいました。
それから四半世紀。
僕は当時の大道さんと同じ50代になって
今度は80代の、21世紀の森山大道さんの
ドキュメンタリー映画を作りました。

それは僕にとって
長い長い、青春の伏線回収でした。
そして
大きな大きな、人生の落とし前をつけることでした。

さぁ映画よ!
旅立て。

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~おしまい~

※”映画「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい
写真家・森山大道」監督日記”は以上をもって
終わらせていただきます。
皆様、長い間のご愛読
本当にどうもありがとうございました。

次回はあとがきにかえて
頂いた寄稿文を一本掲載します。

(文中写真:撮影 小岩井ハナ)




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