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周りに頼るな!自分の頭で考えろ!

腕や技術がうまくなるように、考えることも、次第に上手になります。でも、どこかに素人の部分を残しておかないといけない。なぜなら、自分の中のどこかに無関心で無神経で無知であるような素人がいないと、物事をゼロから考えることができないからです。素人じゃないと、根底からぶっ壊したり、思い切って撤退したり、本音をぶつけたり、縦横無尽な発想をしたりすることはできません。

無学問のすすめー自分の頭で考える思想入門(伊東裕吏)

私は『無学問のすすめ-自分の頭で考える思想入門』(伊藤裕吏)を読んで驚嘆した。福沢諭吉や池上彰、ソクラテスやソシュールにここまで強く反論を掲げることができるとは。本書では筆者の持つ莫大な「学問」や「言葉」に対する引用から議論が展開され、それらをことごとく覆して筆者の持論である「学問をすると、バカになる」を痛快に表現している。



「学問をするとバカになる」とは


筆者は、「学問をする=論文を書くこと」と言っている。その論文は、それまでの研究や定説を否定して「批判」することによって、新たな自分の考えを提案し発表する、というのが基本である。だから学問は自分と相手の考えや優劣を区別して論文を書くという1種の競技であり、学者はアスリートなのである。そしてここで言う「自分の考え」というのは、これまでの研究である他者の考えにのっとって、その違いを生み出すわけであるため、「自分の考え」と言いつつも、実は学問によって導き出された考えであるのだ。従って、学問をするほど自分の頭で考えることがなくなるから、学問をするとバカになる、と筆者は言う。

うむ。勉強しなくてもいいよ、とか言ってくれるのかと思ったが、そうではないようだ。この後も「脳の言葉と内臓の言葉」についてや「思想とは勃起することである」など興味をそそられるが学術的で硬派な話が展開していく。だが難しいので割愛。最後に筆者が読者に伝えたいであろうことをまとめておく。


いつまでも素人でいること


文明が進むにつれて、余暇が増えることによって、人々はより学問や知識に魅了され、素人でいることが難しくなっていくだろうと筆者は言う。たとえあなたが勉強をして賢くなったとしても、学問や知識に溺れてしまう、また勉強をしていないことで負い目を感じ、インテリや学問に無駄な憧れや苦手意識を持ってはいけないと言う。


自分の頭で考えるには

実はこのことについては詳しく記述がない。「素人であり、常識を保って生きろ」とか「専門家のいうことを鵜吞みにするな」とかそんなことしかない。ただ、今まで池上彰に疑いをかけることさえできなかった私が、この本を読んで、「これってほんとにそうなの?」みたいな簡単な疑問を持つことができるようになったため、また何か反論を掲げる書物を読んでみると、常識をより常識たらしめるかもしれないと感じた。

最後に

最近読書をじっくりするようになって、基本的に初めて触れるアイデアや考え方には全て頷いて読んでしまっていた。そんなぬるったいフィルターのない頭をピシッと正してくれるような、「生きていく上で必要なのはお前の頭で考える力だぞ」というのを改めてくれるような作品で、ここ最近で一番印象に残った本であった。

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