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092_The Roots「Things Falls Apart」

考えがまとまらない。頭の中がバラバラだ。電車を降りて、俺は足早に家路を急ぐ。つい1時間ほど前に、会社で見た光景というものが未だ信じられない。あんなところにいたのか、自分は。口の中に棒みたいなものを無理やり突っ込まれて、どうしようもなくえづかされたような、湧き上がるような異物感と吐き気を覚える。

なんて、おぞましいのだ。あんなことを会社がやっていたなんて。清廉潔白そうな顔をして。うちの社長、役員そして上役も、みんな。あの顔、あの顔どもよ。雁首並べて何をやっていたんだよ。知らぬは下っ端ばかりなりと言うことか。そうさ、知らぬ間に片棒かつがされて、どうしようも無くなったら、結局はトカゲの尻尾切りみたいに。

そうなんだな、淳、やっぱそうだったんだよな。理由なく、自分の人生見切らないよな、簡単に。なんなんだよ、くそ。なんかの痛みを我慢するように俺の目には涙が滲み出てきた。悔し涙だった。一番仲の良かった、あの同期は今はいない。そして、それが会社の指示に伴うものであったことに。

駅前で警察官がうずくまっている年配の女性に優しそうな口調で声をかけている。どうも、女性は体調でも悪い様子だ。俺は涙まじりの潤んだ目を伏せて、自分を足元だけを見つめるように歩き出した。不意に、田舎の母親のことを思い出した。3年前に目の手術をしてから、最近は足元もおぼつかないのだ。誰かがついてあげなければいけない。

できれば、自分が。親父も癌で10年前に亡くなっている。真面目に働いて俺を育ててくれたのに、最後まで親孝行らしいこと大したことをしてやれなかった。ほかに兄弟もいないから、母親にはもう俺だけしかいない。せめて母親だけは、どうにかして俺が最後を見送ってあげたい。

なんとなく、気になって携帯を見たら、着信が入っていた。やはり、母親からだ。最近は、母親からの着信履歴があるたびに、何かあったのだろうかという思いから、緊張で体がこわばる。こんな夜に。何もないことを祈って、電話をかける。

「もしもし、俺、電話した?」
「ああ、ごめんね、わざわざ、仕事忙しいのに」
「全然、気にしないで」
「ほら、大塚さん、私のまた従姉妹の。そこの奥さんが亡くなったって、私も急に電話もらって、びっくりした」
「ああ、そう」

親類が亡くなった話、よかった、母親との会話の定番だ。母親の身に何かあったわけではない。俺は安心した。次々と母親の周りの誰かが亡くなっていく。その度に、俺に確認するように電話をかけてくる母親の気持ちを少しわかる気がする。人間関係は自分の人生を構築する大切なパーツのひとつだから。それが手の中からこぼれ落ちるように、ひとつひとつ欠けていくことになる。

「そう、でね、あのおばさんのとこの息子さん」
「うん、いたね、確か俺と同じくらいの年だったかね。俺も2、3回くらいしか顔見とらんけど」
「あんたと同じくらい。30歳手前くらいの子でね、私知らんかったんやけど、その子も最近、亡くなってしまったって」
「え、なんで、まだ若いのに」
「それが自殺やって」

自殺。2、3回、顔を見た程度。俺の人生でギリギリで触れるか触れないかくらいの登場人物。だが、死んだ。自殺した。まるで、自分にパスされたわけではないのに、なんとなく俺が、そのこぼれ玉となってしまったボールを受け取ってしまった気分だった。

「なんで、なんで、そんなことなってしまったの」
「理由はよう知らん、でも私も人から聞いたことやけど」
「うん」
「仕事で悩んどったって。だから、なんとなく私もびっくりして電話してもうて。ごめん、気にせんといて」
「ああ、うん、俺は大丈夫だから。まあ、しょうがないよ、みんなこのご時世、色々抱えているからさ」

そいつはまるで俺の人生に関係してこないし、顔を見ただけで話したこともない。何も知らない誰かが、誰も知らない何かを抱えていた。自分の大切なパーツではないけれど、俺の胸に深く楔を打ち付けられた気分になった。その後、2、3分母親と世間話をして電話を切った。とりあえず、母親の体調に何も問題はなく、それだけは安心したが、心がなんとなくざわつき続けている。どうにも一人であの冷たい無機質な家に帰りたくない気分になり、コンビニでストロング系の酒を2缶ほど買って、公園のベンチに座った。

The Roots 「Ain't Sayin' Nothin' New」

俺は今日、自分の会社が数年前に組織ぐるみで不正会計を行っている内部文書を見つけた。同期の淳が会社の命令で不正に手を染めていた。淳はその告発文書をしたためていたのだ。後任となった自分が書類を整理していて、それを今日俺が偶然見つけた。

封筒に入った書類の束をテーブルの上に整理しようと、封筒を並べた時のはずみで床の上に書類が派手に散らばった。その文書は俺に見つけて欲しそうに佇んでいた。ハッとして、俺は動揺を隠しつつ、目線だけで周りを見渡し誰も自分をみていないか思わず確かめた。そして、震えた手で文書の中身を確かめてから、スルッと自分のバッグの中に入れた。

誰もが自分の作業に集中している。会社から与えられた仕事を淡々とこなしている。それが社会にどんな結果を生むのかまで考えていない。自分の打つテンキーの数字の羅列が、一体どんな意味を持つのかまで考えていない。自分は言われた自分の仕事をやっただけ。個として考えるのをやめる。おそらく淳もそうだったに違いない。でも耐えられなくて、自分が生きていたことの痕跡のようなものを何かを残しておきたくてこの文書を書いた。その後、淳は自殺した。

俺は決して自分にパスされたわけではないボールを受け取ってしまった。だが、これは嫌だと言っても、ついてまわる。小学校の学級委員も押し付けられた。気難しいクライアントとの調整の窓口もやっぱり俺がやった。そういえば、常にそういう役どころだったな、俺は。誰もやりたがらないけど、誰かがやらなければならないことをやらされる。だが、特に感謝されることはない。

「だけど、だけど、やるよなあ」

誰かがやらなければならないのだし、淳がやれなかったんだったら、俺がやるよ。俺は夜の公園に鎮座する子供用の巨大なタコの遊具の上に駆け上がって、ストロング缶を飲み干して、月に吠えた。


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