972_長島有「トゥデイズ」
「なに、読んでるの?」
「これ。君が買ってきた、小説なんだけど…」
「ああ、それね。つまんないわよ」
切って捨てるように妻が言う。こういう時は、妻は本当に率直で正直な物言いをする。ドライすぎるきらいはあるが、それは概ね信頼できる。
「ああ、まあ読んでて、そんな気がする」
「ほんと時間の無駄だったわ」
「はあ」
「なんか、なんだろう。話としてダラダラ夫婦の日常の描写が緩急がなく続いて、それでそのまま終わるの」
「あ、そうなの。ちょうど今そんな感じ」
「で?結局、何が言いたいの、って感じ。なんか妙に読みづらいし」
「ふーん」
案の定、妻の言った通りだった。本当にたいしたオチもないまま、小説は終わった。「え、これで終わり?」っていう話はいくつもあるけど、最近では確かにその最たるものの気がする。
だがなにより、まず、文章が頭に入ってこない。読んでいる人に対して、情景を理解させよう、というものでは決してない。なんか「うまいこと言ってやろう」とか、「深くて刺さる言葉を重ねよう」みたいな、作者の「えぐみ」みたいなものが散りばめられていて、なんとなく読んでいて胸焼けがするのだ。
どこにでもいるマンションに住んでいる子あり夫婦のありふれた日常という題材なのに、なぜか全然シンプルじゃないのでまったく共感できない。
言葉遊びや入り組んだ趣旨や中途半端なサブカルや文学趣味が、ひとつのセンテンスに山盛りになっているので、読んでいる途中で、あれこれっていったいなんの話を読んでいるんだろう、という気がしてくる。
肝心要の冒頭に起きるマンションの飛び降り事故についても、最終的にそれがなんなのか、どういった意味があったのか、よくわからない。
真実は藪の中、とでも言いたいだけなのか、でもそれに辿り着くのに、単調で曲がりくねった道を行きつ戻りつ、でも結局は辿り着けず、といったような。
帯には「日本に住むすべての人へ、エールを送るマンション小説!」だとか「どこにでもある日常が、どうしてこんなに愛おしいんだろう」と謳われていて、正直、はてなマークしか浮かばない。帯を考える人も相当苦労したのではないだろうか。
この帯からすれば個性豊かなマンションの住人たちが巻き起こすドタバタ悲喜劇みたいなものを想像するのに、肝心の他のマンションの住人たちの存在感も幽霊かってほど薄い。
「つまんなかったでしょ」
「だね。君のいうとおりだったよ」
「なんで、この程度で本出せるんだろうね」
「あ、でも芥川賞とか取ってるみたいだよ、この作者の人」
「よくわかんない。賞取れば面白いのか、っていうと、別にそうでもないし」
ごもっとも。僕はそっと本棚に本を戻すことにした。
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