1062_Shu-ri-kan「Advance」
結局、エージェントに回答してから、2週間後に先方と最初のWeb面談があり、そのあと文字通りのトントン拍子で話が進んでいった。自分で信じられない話だが、最終面談でも社長との話がおもいのほか業界の話題が盛り上がり、相応の手応えを感じられるものだった。ちゃんと準備して臨んで正解だった。
「いいんじゃないかな。君の行きたい道であれば。どんな形であろうとも、君の選んだものであれば、間違いなく僕は賛成するよ」
夫に相談した結果は言わずもがな、さすが私が選んだ男であって、なんて聞き分けのいい人なんだろうと感心する。
女子大を卒業後、新卒で採用されたのは地銀の総合職だったが、銀行という旧態依然の職場には到底満足できるものではなかった。宴会では重役にお酌をさせられて、年末の忘年会で若手の女子行員で出し物を考えなければいけない、となったとき、はて私はいったいここで何をさせられているんだろうと思った。
全国転勤が念頭にあるため、会社からの異動の命令も絶対だった。新築一戸建てのマイホームを建てた上司が途端に地方に飛ばされて、単身赴任となって肩を落とす姿を見た。住宅ローンという大きな借金があれば、会社の命令に絶対に逆らえないという判断なのだろう。
なんて、残酷なのだろうか。重い足かせをはめられたままで、ずっと組織のために働き続けることを強いられる運命にあるのかと思うと、いったい誰のための人生なのかを考えてしまう。
私は私の人生の主導権を誰にも渡したくなかったので、その後のキャリアパスのために、外資に転職が決まった。努力して資格勉強して勝ち取った結果だった。
それなのに、銀行での整斉と残務を片付けているときの、お局様たちの視線がいまだに忘れられない。
「なぜ、あなたは自分の人生が思い通りになると思っているの?必ず足元をすくわれるわよ」
そう言いたげだった。同期の反応は肯定的なものとそうでないもの2つに大別されていたが、嬉しかったのは一番お世話になった女性の先輩から背中を押されたことだった。それがなかったら、この銀行には悪い思い出しか残らなかったろうけど、そうはならなかったのは幸いだ。この会社で過ごした日々もひとつのいい思い出になる。
以前、付き合っていた恋人から君はドライだねと言われたこともあるけれど、それは私はあくまで自分の人生のあり方に忠実だからであって、それにそぐわないものや必要のないものは切り捨てる必要があるっていうだけ。結果的に、その彼氏も私に切り捨てられたひとつだった。
大事なのは優先順位をつけていくこと。それは決して悪いことなわけがない。それができない人は、おそらく自分で運命に切り開くことはできず、運命に引きづられていく結果になるに違いない。
自分にはそう言い聞かせていることにしている。いずれにせよ、私が間違っているのか、私以外が間違っているのか、それは最終的に私が死ぬ前に思い返して決めることになる。過去にこだわっている人たちは、皆なにかしら自分の選択に後悔しているのだ。
転職が決まってからやめるまでの時間はあっという間に過ぎた。辞めることを伝えたとて、みんな「ほう」という顔をしたが、この業界の常というか、人がポンポン入れ替わることなんて、みんな慣れたものであったろう。
ただ、唯一「この人は次はどこに行くんだろう」ということだけが最大の関心事であったに違いない。チームから月並みな送別会を開いてもらって、色紙の寄せ書きをもらった。
送別会には子どもの都合で遠山さんの姿は当然なかったが、寄せ書きには「ご迷惑をおかけいたしました。新天地でも頑張ってください。いつまでも応援しています」と書いてあった。
彼女から、迷惑な思いなど私はこれまで一切味わったことはないのに。彼女はいったい誰に対して頭を下げているというのだろうか。自分に降りかかる理不尽に対して、彼女はすべて平伏して決して頭を上げないでいるに違いない。私は彼女に対して、どこかやりきれない気持ちを抱えたまま、職場をあとにした。
数ヶ月が経ち、前のチームの仲の良い部下とランチしていたときに、皆の近況を聞いていると、遠山さんの話になった。
「彼女、離婚されたらしいです」
「え。それ、ホント?」
「ええ、たしか旦那さんが浮気されていたって話で」
「あら、まあ」
それ以上のリアクションを取ることができない。あんなに、優秀な人なのに、子育てに仕事に自分が一生懸命やれるだけのことをやった結果、旦那の浮気で別れることになるなんて。幼い子を抱えて、どれだけ世の中理不尽なの。職場に戻ったあとも、私の頭に遠山さんの申し訳無さそうな表情がずっと残っていた。
翌日、私は散々迷ったあげく、彼女あてにメールをしたためることにした。部下の子から、遠山さんが離婚したことに伴って時短ではなくフルタイムでの待遇を求めて職場と交渉しているがどうもうまくいかないようだ、という話を聞いていたからだ。
「なにか、力になれることがあったら言って欲しい」
メールの文末にそう付け加え、ランチのお誘いをした。
「ありがとうございます。万障繰り合わせて、なんとかお会いできるようにいたします」
依頼に対してまず常に即レスする彼女らしく、すぐに返信が返ってきた。堅い文章だなあと苦笑しつつも、outlookの予定表にランチを入れた。
「あなた、よかったら、私のアシスタントとして、うちに来ない?前よりもだいぶ良い待遇で働けると思うの。やることさえやってもらえたら、テレワークとか在宅でも、子供さんがいても、割と柔軟に対応できるから」
遠山さんは信じられない、という顔をして私を見た。相変わらず恐縮した表情であったが、私の申し出が心底ありがたいということは明らかに見て取れた。
「本当にいい申し出だと思うんです。ただ…」
「ただ?」
「なぜ、私にそこまでしてくださるんですか。波多野さんには、私いつも迷惑ばかりかけてきて、私はてっきりさじを投げられているんだとばかり思っていて」
「あなたねえ」
彼女といつも接する通りの苦笑をした。結局、前の職場で伝えきれていなかった彼女への適切な評価をこの場で彼女に伝えることになった。
「あなたはもっと自分のやってきたことに自信を持っていい。頭を下げるばっかりじゃなくて、もっと常に顔を上げて前を見なさい」
私のチームで部下であるうちに、それはもっと早く彼女に伝えるべきことだった。だが、やはり彼女はやはりこわばったままの表情が取れない。
「ねえ、こんな風に考えるといいかもしれない。離婚と転職って似ていると思うの」
遠山さんは、急な私の言葉に変化球を投げられたバッターみたいにキョトンとしていた。
「なんでも、相手選びを間違えると、失敗するってこと」
私は困惑したような彼女の反応を気にせず、私は続ける。
「会社も旦那も、今まで食わせてもらって確かに感謝しているけれど、でもこれが一生これが続くだなんて心底うんざりするって感じじゃない。それとこれとは、別問題よねっていう」
彼女は前を見て、私の目をまっすぐに見つめいている。
「金の切れ日が縁の切れ目ってね。自分でお金が稼げられて自立していれば、相手に依存せず、すぐにでも離れて自分の道を歩むことができるのにね」
「はい。それは、とっても、わかります」
「なるべくなら、一生のうちにそう何回も経験したくない、って思っていたのに、そうも言えない世の中になってきているなあって感じるしね」
「私も転職サイトのCMはそこら中でバンバンと流れてるから、若い子がそれ見て「ぶっちゃけ、そんなに長くこの会社にいるつもりはないです」と言ってて、すごいびっくりしました」
「そうよ、若い子こそ、そういう気持ちでいるから。日本の離婚率は35%にも達して、今では3世帯に一つが離婚するんだって。結婚と転職を何度も経験するのが当たり前の世の中になったとしても、それによって幸せになるか不幸になるかは自分次第なの」
「自分次第…」
「離婚して、転職してよかったのか、悪かったのか。選択をしたあなた以外に、誰もその答えを持ち合わせていない。でも望むと望まざるを問わず、そうなるのが避けられない運命なんだったら、最後はあなたにちゃんとそれがどちらなのかを決めて欲しい。ごめん、じゃあね、時間だから」
「あ、あの、波多野さん」
「なに?」
「こんな私で良かったら、使ってください。どうか、よろしくどうかお願いします」
「もちろん。あと、こんな私っていう枕詞は、余計よ。じゃあ、あとでメールするね」
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