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018_Television「Marquee Moon」

ああ、もう嫌だ。空からお金でも降ってこないかな。いや、今ならお金でなくてもいい。とりあえず、なんでもいいから、なんか面白いことでも起こらないかな。はあ、まったく、なんて頭の悪いことを考えているのだろうか。この前出た課題が難しすぎて、机の上で、解いている間に、頭の中が軟体動物のようにフニャフニャになってきたようだ。

学生は自由でいいねなどと大人は言うだろうが、時間はあれど、なにぶんこちとらお金がない。遊ぶ金欲しさに悪さをする輩もいるが、大学生が面白いことやオシャレなことをしようとするのにも幾分とお金がかかる。卒業したらしたで、何年にもわたって奨学金の返済も控えている。

「大学は文学部に進みたい」と親に言ったら、露骨に嫌な顔をされた。「もっと社会に役に立つことに学びなさい」などと諭されたが、遠回しに文学部なんかじゃ就職に不利だと言われた気がした。それは十分にわかっている。実態として、今も自分が本当に社会に役に立つ人間なのだろうか、と考えざるを得ない現状が続いているからだ。

居酒屋のバイトは、なぜか最近シフトに全然入れていない。理由はわかっている。ひとえに、自分がポンコツなせいだ。この前のシフトの時も、店長にねちっこく言われた。

「お前さあ、もうちょっと先のこと考えてさ、仕事できないわけ?」

「はい、ええ、まあ、自分としては、か、考えてやってるつもりなんですけど…」

「え?聞こえない」店長が頭をかしげる。僕はただ、俯かざるを得ない。

「いや、考えてるつもり、っていうか…」

「そもそもさ、お前の声、なんて言ってるかさ、俺、全然聞き取れないんだよ。うちの店はさ、元気よくいきたいの。ね、活気のある店っていいじゃない。わかるでしょ?」

「ええ、はい。わかります…」

「わかってくれるよね、君さ、O大なんだからさ、すごい頭良いわけじゃない。俺なんか高卒よ、高卒。ね、頭の作りが違うんだからさ、先のこと考えて動くのって至極当たり前のことなんだってわかるよね」

「はい…」

だめだ、今日は全然お客さん入ってないから、店長の小言がいつもより余計にねちっこいうえに、出口のなさがひどい。どう返しても、これは解がないパターンだ。このままいくと、前例からすればこのまま2、30分は続きそうだ。僕は厨房の中で立たされて、丸椅子に座って腕を組む店長の顔を真っ向から見ることができず、彼の足先のサンダルの先っぽだけ見つめている。

「マキちゃんをさあ、見習えよ。なあ、すごいよく気がつくのよ、彼女。お客さん入ってきてさ、テーブルの空きとかで、どこ通すかとかさ、すぐにパッと判断つくのよ。お前さ、いつもあたふたしてテンパって、全然お客さん通せなくて、結局、俺が何番テーブル回してーとか、後ろから言わないとダメじゃん?なんでか、わかる?」

「はい、まあ、ええっと、多分僕が周りを見てないからだと…」

「それもあんだけどさ、お前さ、次、何人組のお客さん来たら、この5番テーブルに通そうとかさ、常に頭の中で考えてないのよ、全然。俺わかるもん、お前全然考えてないって。そう、シュミレーションしてないんだよ、シュミレーション。わかる?なんか小難しい文学やってりゃさ、そういうのわかんじゃないの?お前さ」

正確には、スペルはSIMULATIONだから、「シュミレーション」ではなく「シミュレーション」なんだけど、そんなことを今この場で店長に真っ向から指摘したとて、詮なきことだということを十分に僕もわかっている。昔から、なんでか知らないが、こういった瑣末な枝葉の部分にばかり目がいく。しかし、残念ながらこの店のバイトには全くと言っていいほど、この僕の長所が活かしきれていない。

この前も似たようなことがあった。明らかに、いかつめのカップルの客が来て、男の方が注文しようと近くにいた僕を呼んだ。「あの、このでじる茶漬けっていうのください。」と言った。僕は最初なんのことかわからず思わず面食らったが、すぐに理解して、「すいません、「でじる」ではなくて、それは「だし」と読むんです。」と訂正した。

そうしたら、男の方が一瞬状況を理解できなかったらしく、「はあ?」みたいな表情になった。そうして、間を置いてから、ようやく事情を飲み込んだようで、そこからもうあからさまに機嫌が悪くなった。「もう読み方とかなんでもいいからさ、早く出してくれよ。めんどくセー奴だな。」と、プチ切れされてしまった。おそらく、彼女の前で、盛大に漢字の読み方を間違えてそれを指摘されたことで、自分が恥をかかされたと感じたんだろう。他方、間違いは間違いなのだから、そこはきちんと訂正するのは至極当たり前じゃないか。

厨房に「でじる」などと伝えたら、なんか僕が間違えたみたいに思われてしまう。そこは僕も妥協できない。全く器の小さい奴だ、ため息をついて、厨房に戻り注文を伝えたら、このお客さんとのやりとりを見ていた店長が、近づいてきた。

「お前さ、ホントによけーなことを、お客さんに言わなくていいんだよ。な、別に伝わらいいんだから。わかるじゃん、そこは。あ、はい、わかりました、でいいんだよ。なんでお客さんにわざわざ言うんだよ。上から目線か、お前。」などと小声で小突かれた。

はあ、全くなんでこうなるんだ。

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」漱石先生、本当にその通りですね。

フロアから、同じバイトのマキちゃんに見られている。ああ、だめだ、最悪だ、恥ずかしくてたまらない。マキちゃんは僕より後から入ってきたけれど、声もハキハキしててよく気がつくし、店長の言う通り、僕より明らかに店の仕事をまわしている。この世の中で、仕事のできない先輩ほど、恥ずかしいものはないのだ。

マキちゃんは自分と同じO大で、学年は僕の1年下にあたるけど、僕は文学部、彼女は外国語学部で違うから、キャンパス内ですれ違ったことなどはない。これは本当にありがたいことだ。たぶん学内では、彼女も友達とかと一緒にいるだろうし、「バイト先の仕事のできない先輩」という自分の立ち位置なども鑑みた場合、彼女とその学友の前で、どういう顔をしたらいいのかわからないんだ。

「俺もさあ、本部から色々言われるわけよ、売り上げ伸ばせとか、新しいメニュー考えろとか、あと全然もう休みもないわけ。子供の誕生日のお祝いとかもさ、しっかりしたいわけなのよ。お前さ、まだ家庭持ったことないからさ、大黒柱の苦労とかわからないかもしれないけどさ、色々大変なのよ…」

店長の小言がますます脇道に逸れはじめて、もうすでに僕の仕事の問題ですら無くなっている。これ以上は、本質的な議論ではない。こうなるともういわゆる「解なし」だ、はあ。

ブブ。急にズボンに入れた携帯がバイブレートする。これは、メールが来た時の反応だ。なんだろ。そこで、マキちゃんと不意に目が合った。何かを僕に伝えたそうな目をしている。うん、これは一体…?そこで、僕は稲妻に撃たれたかのような感覚を覚える。

「店長、お話のところ、恐縮ですが、あ、あのトイレ行ってきていいですか?」

「はあ、もうわかったよ。もう。早く行けよ、頼むよ、もう。」

そそくそとトイレに入って、速攻で携帯を確かめる。やっぱり、マキちゃんからのメールだ。

「今日はたぶんお客さんが入らないだろうと思って、サークルのプチ歓迎会をうちの店でやってもらえるように、友達に頼んどきました。だから、もう少ししたら、お客さん入って店も忙しくなれば、店長も説教してる暇なくなりますよー(^ ^)」

ああ、マキちゃん、君はなんて優秀なんだ。君こそ社会に役立つ人材だ。それに比べて、この僕と言ったら。


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