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051_Kamomekamome「Kamomekamome」

胸を突き刺す、このビート、つんざくような耳心地の良いノイズの空間。目の前に圧倒的な音圧の空間と音の残響が拡がっていく、あー、そうだ、これよ、これ、俺はこれを求めていたのよ。退屈な会社なんか抜け出してさ、やっぱりこういう場所がないと人間ダメだよね。

もう、3年ぶりだ、こうやってエウロパのLiveをじっくり見られるのは。エウロパは国内でもコアな分類に入るベテランのノイズバンドだ。メンバーはいつもと変わらず胡散臭いなりした連中ばかり。まばらな客の入りの中で、ライブハウスの中の籠もったジトっとした空気、額からじっとりと流れる汗、手に抱えた生ぬるくなったビール。感じる。

最近はライブハウス内も禁煙のところも多いけれど、学生時代はいつもタバコ臭かった。俺自体はタバコを吸わないけど、ライブハウスから帰ってくると全身がタバコ臭くなってしまって、その時同棲していた彼女とかに散々嫌がられたっけ。まるで生ゴミを見るかのような目をされたものだ。

「何、あの空間。あと、あそこにいる人たちも。孝太の聴いている音楽って、本当意味わかんない」

その時の彼女をエウロパのLiveにも連れて行ったけど、散々な反応だった。悪かったなあ、意味わかんなくて。意味なんて、なくていいんだよ、世の中に意味のあることばかりでなくちゃいけないわけではないし、意味のないものもあっていいんだよ。まあ自分でも何言っているかわかんないけど。結局、宝塚とジャニーズとミスチルとかが好きだったその娘とは、1年足らずで別れた。

「結局、なんかよくわかんない音楽聴いてて、わかったフリしているだけなんじゃないの。よくわからないけど」

彼女には、そう別れ際に言われた。よくわかんねえのかよ、そうだよ、俺もよくわかんねえんだよ。ただ、確立した個という絶対的な自分っていうのを持ってさ、みんなこの世の中生きてるって訳か?自分なんてわからないし、世の中の仕組みなんてものはわからないし、それでも不確定なものに囲まれてこうやって生活してて、でもこれだけはっていうものがないと、いつか自分が立っている場所もわからなくなる。

俺にとって、エウロパのLiveがそれだ。エウロパのギターがかき鳴らすノイズを聴いていると、自分の存在そのものを脅かされるような、まるで野生生物としてサバンナで息を潜めて生活していて天敵と目の前で対峙させられているような、そんな心持ちになる。この壮大のノイズの前に、俺はこの確固たる2本の足で厳然と立って、そして受け止めなくちゃいなくちゃいけないんだ。そういう場面って、日常生活を生きててあるかい?

https://www.youtube.com/watch?v=rYaGQQsVKEk

社会人になって、この3年。学生時代はエウロパの音楽漬けだった日々を抜けて、まっ黒い鴉のようなスーツの人の群れに押し流される通勤電車、細かいミスを叱責するパワハラ上司。毎日、自分がなんのために生きているのわからない日々。朝、目覚めて鏡の前に立つたびに目が萎んで、顔がげっそりし、ショボくれた自分の姿を見て、さらに気分がダダさがる。お前はちゃんと生きているのか?絶対的に向き合うべきなにかから目を逸らし、見えないふりをして生きているんじゃないのか。

足りない、足りない、そうだエウロパのノイズが足りない。脳髄に打ち込まれるような、あのLiveでのあのノイズの絶対的な体験、麻薬中毒者にも似た渇望に俺は苛まれる。そうだ、俺は生きている感覚が欲しいんだ。あのノイズの中に自分の肢体の全てをさらけ出して、再びまっさらなプログラムに書き直してもらうようにしなければ、世の中わからないものがあるんだ。

ただ、ちょうど俺が社会人になったタイミングでエウロパが謎の活動休止に入った。狭いファンのコミュニティの中では、バンドの解散も囁かれた。バンドの中心人物だったギターのDANも、個人でのソロアルバムなどを活発にリリースしていたからだ。もちろん俺も彼のアルバムを買ったが、こうなんていうかあるものが足りない。たぶんDANの趣味嗜好が入りすぎている。もちろん光る部分はあるんだ。でもやっぱり、エウロパっていうバンドの単位でないと、そこに何かが起こらない、自分の中でのパズルがカチッとはまらない。俺と同じディープなエウロパのファンならそう感じたはずだ。

3年ぶりに聴くこのエウロパの演奏、そしてこのノイズ。最初は3年ぶりということもあり、メンバー間でも探り探りといったものがあったのか若干ぎこちなかった部分もあった。しかし、段々と演奏の中でコミュニケーションが図られていったのか、これまで見たLiveの時の演奏と遜色のない出来に仕上がってきている。そうだよ、それでこそ、エウロパだよ。そして、今それを全身で噛み締め、楽しみきっている、俺よ、お前は今までちゃんと生きていたのか、ただ息だけして死んでいないだけじゃなかったのか。

このバンドはいつもMCはしない。淡々と、ただひたすらに演奏を行うのみ。無駄なことが一切ない。だが、それがいい。LIveも終盤に近づく。この流れだと、あのLiveの定番曲を聴きたい。いつも、必ず演奏する俺の一番好きな曲「Future」。あの曲をLIVEで聴く瞬間だけが、それだけが、俺のこの3年間の中でつとに切望し続けていたこと。俺だけでなく、ここに集まるファンの皆も待っているはずだ。

しかし大体、いつもは中盤でやるような曲を終盤でやっている。おかしい。予定されていたLiveの時間の終わりも近づてきた。あれ、もしかして、このまま、あれやらなくて終わり?そんな空気が観客の中であるのがわかる。なぜ一番盛り上がるあの曲をやらないんだ。アンコールの可能性もない。そもそもこのバンドはアンコールにも応じないからだ。そういう奴らだ。

結局、最後の曲の演奏を終えて、最後に「ありがとうございました」とギターのDANが淡々と呟くような挨拶を終えて、彼らは引き上げていった。俺には煮え切らない不完全燃焼となった何かが渦巻く。

やはり、この3年間の中で、バンドの中でもまた色々な変化があったのだろうか。俺自身にも変化があったのと同様に。演奏もやはり3年前と必ずしも同じではなかったのも確かだ。「Future」が聴けなかったからというわけでもない。そうだ、何かが俺の中でも変わってしまっている。

変わっていかないものはない、いつまでもそのままであり続けるものはない。諸行無常の心持ち。それをこのエウロパの3年ぶりのLiveで実感することになるとは思いもしなかった。

Live後の徒労感とノイズの残響が残り続ける耳をあえて愛おしむような気持ちで、俺は一人ライブハウスの階段を上り、缶コーヒーを飲みながら、6月の雨上がりの夜空を見上げる。ああ、明日も仕事だな。


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