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181_Cocteau Twins「Heaven Or Las Vegas」

朝起きた時に、ベッドの傍に基樹の姿はない。

そういえば、仕事で明日は早いんだと言っていた気がした。半分寝ぼけて切れ切れした意識の中で、昨日の出来事を逐一思い出してみる。昨晩の話し合いで彼にああは言ってみても、正直あまり手応えがなかった。こんなことばかり繰り返しても詮ないことかもしれない。彼にどこまでこだわりがあるかどうかはわからないが、だがやはりどうしても言っておく必要があるのだ。

僕と基樹は同じ家に住みはじめて半年ほど経つ。正確には僕の部屋に基樹が転がり込んできたのだ。だが元々は大学の同級生でそこまでの仲良い方ではなかった。卒業して別々の業界に就職して、ある日ひょんなタイミングで再会した。彼は離婚した直後らしく、どうやら心に大きな傷を負っていた。(そもそも僕が結婚式にも呼ばれていないので、彼の奥さんがどんな女性だったかは知らない)

再会した時、正直彼はボロボロでひどい有り様だったので、僕は彼にひどく同情した。どんな形であれ、力になってあげたいと思ったのだ。どんな理由で彼が奥さんと別れたかは言わないが、彼がずっと一方的に話しをするのを聞いていた。宇宙の話、神話の話、動物の話、宗教の話。現実的な話などは一切なかった。僕は彼の傍でうなずいているだけだった。

何度か基樹と会っているうちに、彼は何かを僕に感じ取ったのか、一緒に暮らさないかと言ってきた。僕は正直、彼から求められることに悪い気はしなかった。それはある意味、僕に対して向けられたサインだと思っていたし、それを受け入れようと思った。お互いがお互いを必要としているのに、理由はいらないのだと。

一緒に暮らしはじめても、自分の方向性が180度変わるようなことは決してない。ただ、帰ってきたときに、家に明かりがついていて誰かがいる。ご飯を2人分用意して、一緒に食べる相手がいる。別に仕事で遅くなるようだったら、一人で食べてたらいい。ただ、2人で一緒にご飯を食べる行為は、確かに1人でいるのと全然違った行為だった。

基樹とは肉体関係はない。だが、ベッドでは2人傍で眠る。その方が落ち着くんだそうだ。それはそうだと思う。彼は1回目の結婚だとかブラックな仕事だとか、いろんなストレスに打ちひしがれてきたので、誰かが傍についてあげる必要があるのだ。彼は僕と違って寝付きがとてもよく、僕は寝ている彼の瞼の長いまつ毛がいつも気になった。

僕が基樹に対して性的な感情を抱くかについては正直微妙だった。風呂上がりの彼の姿を見て、少しばかりドギマギすることはある。だから、彼から求められれば間違いなく応じると思う。ただ彼でなければ、他の相手にそんなことはしないと言い切れる。彼だけは特別だと。

僕も何人か他の女性とは付き合ってきたし、周囲も僕のことをノーマルだと思っている。(周りには、友達と今ルームシェアしているんだと言っている)正直、僕にもよくわからないんだ。なんでもやってみないとわからないだろ、と言うのはいつも彼の方だが。

休日は二人で運動したり、公園をブラついたり、ゲームをしたり、本を読んだりした。こんな生活がいつまで続くのかわからないが、僕は幸福だった。しかし、基樹の方はどうだろうか。いつか、離婚の傷が癒えたら、この関係を終わりにしようとするだろうか。むしろ、彼はいったい何を求めているのか、僕はそれが不安でしょうがなかったのだ。最終的に彼が行き着いた答えが僕ではない、ということに。

何者かが、僕の耳元にささやく。彼は今、傷ついて混乱しているだけだと。誰でもいいからそばにいてほしいと、手っ取り早く見つかったのが自分だと。僕は受け身の人間で誰の言うことも聞くので、彼にとっては都合のいい相手でしかないのだと。

そもそも、基樹も僕も、擬似的な関係を装ってみても、実はゲイでもなんでもないんじゃないのか?何かのパーツが欠けた人間同士が、より歪な形でつながり合おうとしているだけだ。側から見たら一体自分たちがどんな風に見えるか、ちゃんと考えたことはあるのか?

そんな考えを振り払うように、僕は彼に尽くしてきたつもりだ。しかし、それは自分の不安な気持ちの裏返しであったのかもしれない。確かに僕も心から通じ合える人をずっと探し続けてきたのだ。それが彼なんじゃないかと思いたかっただけかもしれない。

この際、男性か女性かなんて関係ないんだ、とばかりに彼を受け入れた。しかし、何を根拠に彼だけは特別なんだと判断したのかわからなくなってきた。単にこれまで付き合ってきた女性が彼にすげ代わっただけじゃないか、そう言われると僕は反論できなかった。

僕の中で、いろんな葛藤があった。基樹は相変わらずあさっての方向を向いている。ある晩ご飯を食べ終わってまったりしている時に、どうしても耐えきれなくなった僕は感情の弁を抜いた。
「なあ」
「なに?」
「俺ら、いつまでこうしてんやろな」
「いつまでって?俺と一緒にいるの、やめたいん?」
「そういうんじゃない」
「じゃあ、なんでそんなこと聞くん?」
「たぶん、基樹はすげえダメージ負ってて、それで今リハビリみたいな感じやねん」
「リハビリ」
「そう、だから、もう大丈夫ってなったら、どうなんねやろうなって」

基樹はそんな話してくれるなとばかりに大きく伸びをして眠そうな素振りを見せた。
「さあ、どうなるんやろな。知らない」
それっきり会話がなくなった。お互い目線を合わせない。基樹は眠そうに寝室に入っていった。

どうなるか知らない。基樹にもわからないんだ。だが彼の迷いと葛藤もわかる。この先、どうなるっていうんだ。どうなりようもないのだろう、二人とも。親友でも恋人でも夫婦でもパートナーにもなりようがないのだ。僕たちは決してお互いを真に理解して、相手を受け入れようとしているわけではない。

ただ単に、飛び疲れてたまたま見つかった止まり木で傷ついた羽を休ませているだけだった。僕らはつがいの鳥ではないし、お互いの行く先は違う空を向いている。だが今だけは、この瞬間だけは、それを見ようとしたくなかった。次に飛び立てるようになるその時まで。

昼過ぎに仕事をしている時に、携帯にLINEが入ってきた。
「ごめん。来週、家探して出ていくわ」
基樹からそっけないメッセージが届いていた。僕は自然と涙が溢れてきた。たぶん、もう一生、基樹と会うことはないかもしれないと思った。


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