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【R-18】ヒッチハイカー:第36話『勝利の女神現る!? その名はニケ!銀の翼を持つ少女』

「何だって? はえの王? それは一体どういう事なんだ、風祭かざまつりさん? 
 伸田のびた君は? 千寿せんじゅは? 二人はどうなってるんだ?」

 ヒッチハイカーとの戦いで大破した特殊万能戦闘RV車『ロシナンテ』の運転席に座った鳳 成治おおとり せいじが、ふだん冷静沈着なこの男にしてはめずらしく興奮し、まるでシートから身を乗り出すかの様に腰を半分浮かしながら、無線の向こう側にいる風祭 聖子かざまつり せいこに対してきそうな勢いの怒鳴どなり声で矢継やつばやに質問した。
 ロシナンテの車内にいる他の面々も固唾かたずを飲んで興奮したおおとりを見守り、彼と通信相手の聖子とのやり取りに聞き入っていた。特に恋人であり婚約者フィアンセでもある伸田のびたの事が心配でたまらない皆元 静香みなもと しずかは二列目シートに固まった様に座ったまま、指が真っ白になるほど両手を強く組み合わせて前の運転席に座って通話中のおおとりの後頭部を食い入るように見つめていた。

『非常に残念としか言いようが無いんだけど、死にかけていたヒッチハイカーは雷の直撃を受けて、おそらくヤツの最終進化形態と思われる「蠅の王ベルゼブブ」に姿を変えて完全復活してしまったわ。うちの所長…白虎びゃっこは、ヤツが操るハエの大群に飲み込まれてしまって身動きが取れない状況なの。
 今から決死の覚悟を固めた伸田のびた君が、ベルゼブブに最終決戦をいどむところ…』

 車内スピーカーから流れて来る聖子の報告を聞き終えた瞬間、車内にいる全員が凍り付いた様に息をんでシンと静まり返った。ヒッチハイカーと戦って負傷した〇X県警SIT(Special Investigation Team:特殊事件捜査係)チーム隊長の長谷川警部でさえ、倒した最後列のシートに毛布をかぶって横たわったまま、怪我けがの痛みを忘れるほどの衝撃を受けていた。

「ベルゼブブ… 蠅の王だと? ヤツは元々は普通の人間だったはずだろう? それがなんで!」
 おおとりらしくも無く、興奮した彼は固く握りしめた右こぶしで運転席側のドアを思いきりたたいた。
「ドンッ!」

『私にも分からないわ。ただ…今回の一件は、偶然に起こった事態ではない気がする。そう、かげで何か邪悪で巨大な何者かの意思が働いている様な…』
 それまでなめらかだった聖子の声の調子が、思案しながら話しているためか途中から途切れがちになってきたのが、車内で聞いている全員に伝わって来た。彼女の声の様子と、その話す内容は聞く者を不安にさせずにはいられなかった。だが、聖子の話を理解出来るのは、おおとりただ一人だった。

「聖子さん、私も同じ考えだ。今回の『ヒッチハイカー事件』は何者かに仕組しくまれていたんだと思う。何よりも千寿せんじゅや私は、『アテナ』側だと言ってもいい人間だ。かげでライラとバリーのいる組織が動いている事やBERSバーズBio-enhanced remodeled soldier:生体強化型改造兵士)製剤に類似るいじした薬剤がからんでいる事から見ても、アテナに敵対するやみの存在による邪悪な意思が働いていると考えて間違いないだろう。」

「いったい、あなた達二人は何を話しているんですか!? 私達には、さっぱり分からない!」
 突然、二列目シートの静香 しずかとなりに座ったSITの島警部補が、運転席のおおとりに対して大声で言った。
 彼はおおとりと聖子の話す会話の内容が自分の理解出来ない事にイラついていたのだが、ついに我慢がまんの限界に達したのだろう。それは、最後尾シートで横たわる長谷川警部も、島の隣に座る静香 しずかも同じ気持ちだった。全員が伸田のびた千寿せんじゅの心配をしているのだ。二人の訳の分からない会話の内容に辛抱しんぼう出来なかったとしても無理は無かった。

「…すまない、島警部補。今、私と風祭かざまつりさんが話した事は国家機密に匹敵ひってきすると言っていいほどの内容なんだ。残念だが、君達にも詳細を話す事は出来ない…
 ただ… 今、現状において伸田のびた君の戦っている相手の蠅の王は近い将来、この国の存亡そんぼうを左右する敵になり得る可能性のある存在…とだけは言っておく。
 今回の作戦の責任者である私が言うのは情けない限りだが、今の我々としては伸田のびた君の健闘に望みをたくす他に成すすべが無いんだ。」
 鳳 成治おおとり せいじの発言は断固だんことした口調だったが、彼の握りしめたこぶしがブルブルと震えている事から、彼個人としては断腸だんちょうの思いでしゃべっているのがうかがい知れた。長谷川警部と島警部補の二人はともに、おおとりのつらい立場を理解する事が出来た。だが、車内で一人だけ決して黙っている訳にはいかない人物がいた。

「そんな、あんまりです! どうして…ノビタさんの肩に国の存亡がかかってるなんて、そんな無茶な事が言えるんですか!?
 彼は警察官でも政府の人間でも無い、ただの一般人の若者です。私の大切な婚約者です!
 国家なんて私は知らない! 彼を無事に私の元へ返して! 私のおなかには、彼の…子供がいるんです!」
 興奮した静香 しずかがヒステリックに叫んだ。
 
 ロシナンテの車内はシンと静まり返り、中にいる誰一人、彼女にかける言葉を持たなかった。
 そんな中、通信を通した聖子の声だけが静香 しずかに対して語りかけた。
『興奮しないで、静香 しずかさん。落ち着いて。
 冷たい言い方になるけど、今あなたが興奮しても事態は何も変わらないわ。伸田のびた君は、あなたとお腹の子供さんを守るために立ち上がったの。彼の気持ちを分かってあげて。
 今では蠅の王となってしまったけれど、ヤツはまだあなたの事をねらっている。ヤツのあなたに対する異常とも言える執着心…いえ、あれは執念というしか無いわ。
 あの執念からあなたを救うためには、ヤツを倒すしかない。伸田のびた君は、自分でそう決心したのよ。』

 黙ってうつむいたまま聖子の話を聞いていた静香の両目から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。

「ノビタさん… どうか死なないで…」

 愛する者をおも静香 しずかの心と流した涙に、その場にいた全員が胸を打たれずにはいられなかった。

「何とか出来ないんですか、おおとりさん?」
伸田のびた君は、ただ巻き込まれただけの民間人なんだ。何とか彼を救ってやって下さい!」
 島警部補と長谷川警部がそれぞれにおおとりに向かって訴えた。

風祭かざまつりさん、『黒鉄の翼くろがねのつばさ』はどうなっているんだ?」
 車内にいる他の三人のすがるような視線を受けたおおとりが、無線を通じて風祭 聖子かざまつり せいこに問いかけた。

黒鉄の翼アイアンウイングは現在、重傷を負った安田巡査を救急搬送中よ。だから今、そちらに向かう訳にはいかない。』
 この場に一人だけ存在しない聖子が声だけで無念そうに伝えて来た。

「くそ! あれも駄目だめ、これも駄目か! この『ロシナンテ』はヒッチハイカーと、引き続くライラ&バリーとの戦いで大破したため現状での戦闘はほぼ不可能だ。その上『黒鉄の翼』まで駄目となったら、我々には打つ手が無い!」
 普段冷静沈着なおおとりが八方ふさがりとなった今の状況に、文字通り両手で頭を抱え込んだ。
 ロシナンテの車内にいる誰もが見つめるだけで、うつむいたおおとりにかける言葉を持たなかった。
 しばらくの間、誰もが口を利かず、ヒッチハイカーに破壊された天井部を応急処置のためビニールシートでふさいだだけの『ロシナンテ』の車内には、外を吹き荒れ車体に吹き付ける吹雪の音だけが嫌が応にも強調され、誰の耳にも大きく聞こえていた。

 少しって、何かを思いついたのか、おおとりうつむけていた顔を勢いよく上げて言った。
「いや、待て… あったぞ! 打つ手が一つだけ! 何でもっと早く思いつかなかったんだ! 今の状況を打開出来るかもしれない人物が一人だけいた!」

 いったい、彼は何を思い付いたというのだろうか? あきらめかけていたおおとりの沈んでいた声が、急に生き生きとしてはずんだ声に変わった。何事かと車内の全員がおおとりの顔を注視した。すると、みなの見たおおとりの顔つきが、それまでの沈んでいたものからきとした表情へと変わっていた。

風祭かざまつりさん、私のめいだ! 姪の榊原さかきばらくみに連絡を取ってくれ! 急いで!」

『えっ!? そうか! ニケ●●を使うのね! すぐに連絡するわ!』

 またしても二人の間で交わされる彼らだけしか分からない会話に、他の者達は首をかしげながら互いに顔を見合わせるしか無かったが、二人の明るくはずんだ会話の調子と活き活きとしたおおとりの表情が、『ロシナンテ』の車内にいる全員にいい意味で伝染するかの様に広まっていった。それまでのふさぎ込んでいた車内の雰囲気ふんいきがガラリと変わった。

「急いでくれ、風祭かざまつりさん! くみ…いや、ニケなら、彼女の極超音速ごくちょうおんそく飛行なら、ここまで数分で着く!」
 今や鳳 成治おおとり せいじは、自分の思い付いた考えに大いに興奮しているようだった。

「ニケ? 極超音速ごくちょうおんそく飛行…?」
 隣り合って座る静香 しずかと島が互いに顔を見合わせ、最後列シートでは負傷した長谷川が横たわったまま眉間みけんにしわを寄せていた。彼らには、相変わらずおおとりの言っている事が全くと言っていいほど理解出来なかった。

「あの…鳳さん。榊原くみって…あなたのめいごさんですか? その人が、この事態を何とか出来るとでも言うんですか?」
 島警部補がみなを代表する形で、おずおずとおおとりに質問した。

 島達の座る後部座席を振り返っておおとりが質問に答える。彼の目は興奮してキラキラと輝いていた。
「ああ、この事態を打開出来るとしたら彼女しかいない。なぜなら、ニケは勝利の女神だからだ!」
 
 
 
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「分かったわ、聖子さん。今の話で、すっかり目がめたから私は大丈夫。
 成治せいじおじさんに伝えて。すぐにそっちへ行くって。」
 少女は通話相手にそう伝えると、つながっていたスマホを切った。

 現在の時刻は午前4時32分。冬の日の出時間にはまだ早く、屋外も室内も真っ暗であった。
 ここは、東京郊外にある安倍あべの神社の裏に位置する現宮司である安倍賢生あべの けんせいの長男、榊原さかきばら竜太郎りょうたろうが主人としてきょを構える榊原家の一室。
 今、ベッドに寝起きのパジャマ姿で腰を掛け、突然かかって来たスマホの通話を終えたのは榊原家の一粒種ひとつぶだねの長女で15歳の少女、榊原さかきばらくみである。
 この少女こそ誰あろう、つい先ほど『ロシナンテ』の車内で鳳 成治おおとり せいじ風祭 聖子かざまつり せいこの会話に登場した『くみ』という名の少女その人なのである。彼女は明るい栗色の長い髪で、んだ青色の瞳をしたとても美しい少女だった。青い瞳だけではなく、彼女の容姿全体が純粋な日本人ではない事を物語っていた

 ついさっきまで、自室のベッドでぐっすりと眠っていた榊原くみは、突然のスマホ着信音でたたき起こされたのだった。夜明け前の電話に驚いたくみだったが、掛かって来た相手は以前別件で知り合った叔父の旧友でもある千寿 理せんじゅ おさむが所長を務める探偵事務所の秘書、風祭 聖子かざまつり せいこだったのだ。
 直接面識のない相手から突然掛かって来た早朝の電話に驚いたくみだったが、聖子の話す内容を聞くにつれ、さらに驚いた。聖子から事件の概要を聞き、自分しか事態を収束出来ないとの彼女の強い要請を受け、叔父おじである鳳 成治おおとり せいじを含めた現場の人々を救うべく出動する決心を固めたのだった。

風祭 聖子かざまつり せいことの通話を終えたくみは、パジャマから服を着替え始めた。彼女が身に着けるのは、別の作戦の際に叔父である鳳 成治おおとり せいじを通して日本国政府から提供された『ニケ専用特殊戦闘スーツ』だった。このスーツはニケの戦闘補助用に関係機関で研究開発された特殊なスーツで、耐弾たいだん耐刃たいじんはもちろんの事、耐熱及び耐衝撃にもすぐれた効果を表わす世界最高性能を持った戦闘服なのであった。

「くみ、行くのね。」

 いつの間にか、くみの部屋の扉を開けて外に立っていた母親である榊原さかきばらアテナが娘に対して言った。娘くみの前に現れた母であるアテナは、流暢りゅうちょうで完璧な発音の日本語を話しはしたが、容姿は日本人とは似ても似つかず、燃えるように美しい金髪と海のように深く青い色の瞳をした美しい白人女性だった。そうすると、当然ながら娘のくみは日本人と白人とのハーフという事になるが、彼女は栗色の髪を除いては、青い瞳を含めて母の血を多く受けいでいた。
 とにかく母娘そろって、スーパーモデルや女優顔負けの非常に美しい容姿をした女性達だった。

「ええ、ママ。行って来るわ。
 詳しい状況はママが聖子さんが聞いて、飛行中にテレパシーで私に中継して。」 
 更衣にやや手間てまのかかる特殊戦闘用スーツを着用し終えたくみが、自宅の庭に出る際に自分を見送る母アテナに対して言った。
 訳の分からない事を言い出した娘に、母親が美しい顔に微笑みを浮かべながら落ち着いた態度で答えた。
「分かった。そっちは任せてちょうだい。」
 
 鳳 成治おおとり せいじの要請を受けた現内閣総理大臣である志村しむら首相直々じきじきの命令で発注され、くみの体型に合わせて特注で作られた彼女専用の黒い特殊戦闘スーツは、ファッションモデルのようにスラリと背が高くスタイルの良い彼女の身体にピッタリとフィットし、部屋かられ出た明かりが彼女の美しいシルエットを夜明け前の暗い庭にくっきりと浮かび上がらせていた。

 くみは戦闘スーツのえりの部分に右手を当て、そこに仕組まれていたボタンを指先で軽く押した。

「プシューッ!」
 空気がれ出る音と共に、くみの来た戦闘スーツの背中の肩甲骨辺けんこうこつあたりに背骨に並行してたてに20cmほどの左右ふたすじの細いスリットが開いた。
 すると… もしこの場に彼女達以外の第三者がいたならば、自分の目を疑う様な光景が展開した。
 戦闘スーツの背中に走った縦二列のスリットから二すじの青白い光がほとばしり出たかと思うと、青白い光は面状に展開し、くみの背中に2枚の翼の形となって広がった。そう、ちょうど天使が背中の翼を広げた様に…
 くみの背中に展開した2枚の翼から青白い光が消え去ると、そこには一枚一枚が全て銀色の羽根で出来た、鳥類と同じ形状をした銀色の翼に変化していた。
「バサッ、バサッ」
 くみの背中からえた銀色の翼は、決して作り物の動きでは無く、生きている鳥の翼と同じ優雅で力強い動きで大きく羽ばたき始めた。

「それじゃあ、行くわね。ママ。」

「今回の敵は手強てごわいかもしれないわ。相手は蠅の王よ。決して油断しないで成治せいじ叔父さん達を救うのよ。」
 
 これは一体、どういうなの事だろうか? 今回の一件について風祭 聖子かざまつり せいこと通話したのは、娘のくみだけである。そして、くみは母であるアテナに通話の内容を一切話していなかったのだ。なのに、アテナはおおとりの危機や蠅の王の事まで全て承知しているかの様な口ぶりだった。しかも母娘二人の会話の様子では、どちらも互いの言動に疑問を抱くそぶりなど一切無かった。この二人は通常の理解を越えた不思議な母と娘であると言えた。

「分かった、気をつける。行って来ます、ママ。」

 母に対してそう言ったかと思うと、次の瞬間には、くみの姿は地上から消え失せていた。

「行ってらっしゃい、私のいとしい娘、ニケ…」

 目に見えない速度で瞬時に上空へと飛翔したニケは、〇✕県の夕霧谷ゆうぎりだに方面へと真っぐに進路を取って飛行を開始した。銀色の翼を広げて大空を飛ぶニケは、そのままどんどん加速していった。身にまとった戦闘スーツ以外は生身なまみの身体であるニケは、そのままの姿で瞬く間に音速を突破し、ジェット戦闘機の速度をはるかに超えた彼女の飛行速度は、すぐにマッハ20(音速の20倍の速度)にまで達した。極超音速ごくちょうおんそくと呼ばれるスピードで夜明け前の空を飛ぶ彼女は、10分とかからずに目的地までたどり着く事だろう。

 それにしても… このアテナとニケという不思議な二人の母娘ははこは、いったい何者なのだろうか…?
 
 
 
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 『ウインドライダーシステム』のバックパックに仕組まれた6基のローターをフル稼働させ、吹き荒れる吹雪でてついた大地から飛び立った伸田のびたは、動きを止めて自分の方を観察していた蠅の王を中心に見据える様にして、付け入るすきを探るべく敵の周辺を旋回し始めた。

「聖子さんが言った様に、蠅の王を『ウインドライダーシステム』に仕組まれた疑似結界ぎじけっかい発生装置で作り出した疑似結界シールド内に封じ込められれば、ヤツの動きを止める事が出来るはずだ。そうすれば、ヤツの身体に直接『式神弾しきがみだん』を撃ち込める。
 何とかして、ヤツの動きを止めてやる。」

 そう伸田のびたが考えた次の瞬間、彼のすぐ目の前に蠅の王の顔があった。
 無表情な顔で伸田のびたを見つめる蠅の王は、笑みを浮かべているかの様に口元だけゆがませながらささやいた。

「そう、お前の思い通りにいくかな?」

「うっ! うわあああ!」

 蠅の王が近距離に突然出現した事に驚愕した伸田のびたは、あわててその空域から飛び退いた。
 すると、飛び退いた先で彼の耳元に吹きかかる息と共にまたしても、いつの間にか背後にいた蠅の王の不気味な囁き声が聞こえた。

「つれなくするなよ、俺と遊ぼうぜ。その…何とかシールドっていうのを早くためして見たらどうだ?」

「くそっ! この野郎っ!」
 いつの間にか背後にいた蠅の王を振り返りざま、伸田のびたは右手に握った『ヒヒイロカネの剣』で後ろの空間を思い切りぎ払った。

「カキーンッ!」
 蠅の王は山刀マチェーテで軽く受け止めた。

「そうだ、もっと足掻あがけ。もっともっと、かかって来い。」

 伸田のびたは、またもや蠅の王の思うがままに動き回されている自分に気付いた。
「まさか…ことごとくヤツが先回り出来るのは… それに、『疑似結界シールド』の事まで知っているのは…
 ひょっとして…ヤツは、僕の思考を読んでいるんじゃ…?」

『それは、案外当たっているかもしれないわね。』
 突然、伸田のびたかぶるヘルメットを通して聖子からの通信が入った。

「聖子さん… やっぱりそうなんでしょうか…?」
 
『考えられない事じゃないわ。すでに完全な魔族と化したヤツなら、人間の思考を読み取る事なんて容易たやすいはずよ。』

「そんな… 僕の思考をヤツが読み取るのなら、こちらの攻撃パターンも退避行動も全て見切られて当り前じゃないか…」
 伸田のびたは蠅の王と自分との圧倒的な強さの違いが、魔族と人との能力の差である事を思い知らされ愕然がくぜんとした。こればかりは、いくら伸田のびたが頑張った所でどうしようも無かった。敵の行動をあらかじめ予知出来る者を相手にして勝てる筈が無いのだ。
 伸田のびたは立ち直れそうもないほどのショックを受けていた。

「どうした? お前が来ないのなら、俺から遠慮なく行くぞ。」

「ビュンッ!」

「カキーンッ!」
 火花が散った。

 話しかけて来たかと思うと、蠅の王が突然りかかって来た山刀マチェーテの刃を伸田のびたは手にしていた『ヒヒイロカネの剣』で咄嗟とっさに受け止めたのだ。

 それは、彼我ひがの大きすぎる力の差に意気消沈していた伸田のびたが半分無意識で取った反応だった。
 昨夜さくやからのヒッチハイカーとの度重たびかさなる戦闘でみがきに磨かれた伸田のびた自身の戦闘スキルは、驚くほどに向上していたのだ。自分では気づいていなかったが、けっして大袈裟おおげさな表現ではなく、この時点で伸田のびたの反射神経と戦闘能力は人間レベルをはるかに超えていたと言えるだろう。

 その時、蠅の王の顔に浮かんでいたのは、伸田のびたに対する忌々いまいましげな表情などでは無く、じつに楽しそうな笑顔だった。

「ははは! やるな、お前! それでいい! 面白いぞ! もっとだ!」
 楽しそうに笑いながら、蠅の王は何度も伸田のびたに斬りかかった。

「ギュンッ!」「カインッ!」「ギューンッ!」「カキンッ!」

 金属同士の激しくぶつかり合う音と共に上がる黄色い火花が、夜明け前の暗い空に戦う二人の姿が浮き上がらせた。そして、様々に方向と高度を変えて次から次へと火花を散らしていく。目まぐるしく場所を変え、あちこちで火花が散るたびに、激突する二人の姿が一瞬だけ夜空に浮かび上がるのだった。
 伸田のびたと蠅の王が手に持ったやいばまじえているのだ。二人がそれぞれに握るオリハルコンで出来た山刀マチェーテと、ヒヒイロカネで造られたつるぎが何度も何度も空中でぶつかり合っているのだった。
 国は違えど共に失われしいにしえの超金属で作られた二つの武器の激突は、ほぼ互角だった。いや、互角であるはずが無い。
 互いの武器の性能が拮抗きっこうしているならば、扱う者の力量が勝敗を決するのが剣におけるたたかいである。気力・体力・速度のどれをとっても人間である伸田のびたが完全な魔族と化した蠅の王にかなう筈が無いのだ。それが一見互角に剣を切り結んでいる様に見えるとするなら、蠅の王が手を抜いているとしか思えなかった。
 蠅の王は簡単に伸田のびたを殺すのではなく、じわじわとなぶり殺しにするつもりの様だった。

「くそ! ヤツはわざと手を抜いてやがるんだ。でも、こっちが気を抜いたら一瞬でられる… やっぱり僕の力じゃあ、蠅の王と化した今のヤツに一矢いっしむくいるのさえ、夢でしか無いのか…?」
 強く噛みしめた歯をギリギリと鳴らしながら伸田のびたが悔しそうにつぶやいた。
 
 
 
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「つまらない戦いだねえ、バリー。
 蠅の王…ベルゼブブか。あんなの相手じゃあ、ノビタなんて人間の小僧こぞうごときが勝てるはずないじゃないか。
 遊んでばかりいないで、あんなガキ、さっさと切りきざんじまえばいいのにさ。」

「ブモー!」

 ライラのぼやきにバリーが賛同の声を上げた。

 伸田のびたと蠅の王の戦いを、離れた地点から隠れてのぞき見ていたライラとバリーは正直な所、きて来たのだった。二人とも蠅の王に代わって、自分自身の手で伸田のびたを切り刻みたいという残虐ざんぎゃく極まりない欲求がこうじて来たのだ。

 すると、突然ライラの身体がビクッとふるえたかと思った途端とたん、彼女の態度が一変した。

「ん!? 何か来る! こっちに向かって物凄ものすごいスピードで空を飛んで来る!
 くそっ! このアタシより速い!」

「ブ? ブモー?」
 
 バリー自身にはだ感じられなかったが、顔色を変えたライラのあわてふためく様子と普段聞く事の無い彼女の恐怖に近い叫び声を聞き、にぶいバリーもつられてパニックを起こしそうになった。
 二人が見上げた未だけやらぬ暗い空をおおくす分厚ぶあつい雲の下をうように飛行しながら、吹きすさぶ吹雪ふぶきのベールを通してさえ視認出来るほどの青白く光り輝く何か●●猛烈もうれつな速度で近付きつつあった。
 
 
 
     ********
 
 

「カキーンッ!」

 すさまじい火花を散らし、伸田のびたが右手に握っていた『ヒヒイロカネのつるぎ』がはじき飛ばされた。クルクルと回転しながら飛んだ剣は、鋭い刃先を下にして伸田のびたから二十数m下のてついた地面に深々と突き刺さった。

「しまったっ!」
 左手で衝撃にしびれる右手首を押さえて叫びながら、空中でくずれた体勢を立て直そうとした伸田のびたのすぐ目の前に、またしても無表情な蠅の王の顔があった。

みだな。もう、お前相手の遊びにはきた…」
 たった1m程しか離れていない空中で伸田のびたを見つめる蠅の王の視線は氷の様に冷たく、りの深い端正な顔には何の感情も浮かんではいなかった。

「さらばだ、人間… お前の首をが女への手土産てみやげとしよう。」
 伸田のびたに向けて静かにそう言い放った蠅の王が、右手に持った山刀マチェーテをゆっくりと振りかぶった。

「これまでか…」
 ついに自分の最期さいごだと伸田のびたは強く目を閉じた。大好きな両親や親しい仲間達の顔、それに今までの楽しかった思い出などが、走馬灯そうまとうの様に次々と彼の脳裏のうりぎって行った。

 そして最後に、この世で最も愛する女性である皆元 静香みなもと しずかの顔が、彼のまぶたに大写しになって現れた。その静香 しずかくちびるが動き、伸田のびたに何かをげようと話しかけていた。

「何…? 何て言ったの、シズちゃん?」
 伸田のびたが最後の静香 しずかの声を聞こうと必死にかたむけた耳に届いた言葉は…

『大丈夫… あなたは死なない…』

 幻の静香 しずかがつぶやいた言葉を理解した伸田のびたが閉じていた目を開いた瞬間…奇跡は起こった。

「シュビィーーーッ!」

 突然、今なお暗い夜明け前の空間を青白い光が照らした。そして、蠅の王の振りかぶった山刀マチェーテ幅広はばひろ刀身とうしんを、突然空から地上に向けて真っぐに走った青白く輝くまぶしいふたすじの光線がつらぬいたのだ。
 伸田のびたは見た。空からしたレーザービームそのものの様な青白い二条の光線が、伝説の超金属『オリハルコン』で出来た山刀マチェーテ刀身とうしんを折る事無く見事に貫通した二つの1cm大の穴を開けているのを…
 しかし、そんな事が有り得るのか…?
 つい先ほど、伸田のびたは特大級の雷が直撃しても溶けもせず、いささかも形を変える事さえ無かった山刀マチェーテを自分の目で見たばかりだったのである。それを、あの二条の青白い光線が一瞬で貫いてしまったのだ。

「ぐおっ!」

 蠅の王が短い叫び声を上げ、右手に握っていた山刀マチェーテを手放した。落ちていった山刀マチェーテは先に落ちた『ヒヒイロカネの剣』と同じ様に地面に突き刺さった。

 敵同士の伸田のびたと蠅の王が一瞬だが仲間ででもあるかの様に互いの目を見交わし、二人同時に青白い光線が発射された上空を見上げた。

「何だ、あれは?」

 まるで、敵同士なのを忘れたかの様に、二人が同時に同じ言葉を発していた。 
 そして彼らが目にしたのは、自分達よりも高度にして30mほど上空に静かに浮かんでいた奇妙な存在だった。

 それ●●は人の形をしていた。その姿は身体にフィットした黒い衣服を身にけていたため、美しい身体のラインから女性である事がはっきりと分かった。
 ライラの様に男をたぶらかす熟れ切った女のフェロモンを発散させた妖艶ようえんで究極とも言えるボディーとは異なり、熟れ切ると言うにはまだ少し青さを残してはいるものの、抜群ばつぐんのプロポーションだと言っても良いほどの美しい姿だった。
 だが、なぜそんな美しい姿態の女性が空を飛ぶ事が出来るのか? 奇妙に思えるが、その姿を見れば一目瞭然だった。
 彼女は…空に浮かんだ女の背中には翼があったのである。それは、一枚一枚が銀色の羽根で出来た美しい翼だった。左右に大きく広げた翼長は4m近くもあるだろうか… その優雅に広げた銀色の翼は、猛禽もうきん類の翼が持つ力強さというよりも白鳥の持つ上品な美しさとでも言える様な優雅さが感じられた。

 不思議な事に伸田のびたは、その銀色の翼を生やした女を初めて見た瞬間にも「新たな敵が現れた…」とは思う事は無かった。なぜなら、蠅の王の山刀マチェーテつらぬいた青白い輝きの光線も、銀色の翼全体がボウっと放っている、やはり同じ青白い色をしたオーラの様な淡い輝き… それは、蠅の王の翼や全身を覆う邪悪な紫色をしたオーラとは異なり、白虎のきばつめはなつ優しさを感じさせる青白い輝きと同系の見る者に安らぎを与える光だったからだ。
 その青白い優しい光は見る者にいやしと勇気を与えてくれる…伸田のびたは彼女を一目見た瞬間から、味方だと信じて疑わなかったのである。

「『あれ』とは何よ、失礼ね! 私はニケ。そっちの紫色の翼を生やしたあなた! ここに私が来た以上は、もう弱い者いじめは許さないわよ。私は弱い者いじめは大っ嫌い。弱くても正しい者は必ず守ってあげるの。
 他人には優しくしなきゃ。両親や学校の先生に、そう教わらなかった?」

 翼を生やした女の発した声は少女の様に良く通る、んだ美しい声だった。いや、ファッションモデル顔負けのスラリと均整の取れた美しい姿態をしたこの女は、間違いなく少女だろう…彼女を初めて見た時に伸田のびたは直感でそう感じた。しかも、敵では無いのも彼には確信が持てた。

 しかし、オリハルコンで出来た山刀マチェーテに穴を穿うがつほどのすさまじい威力を持ったレーザー銃の様な武器を、この少女は所持しているのだろうか…?
 いや、しかし両腕を胸の前で組んで眼下を見下ろしている少女は武器らしい物を持ってはいない。身体にぴったりとフィットした黒いボディースーツには武器を隠す場所も無さそうだった。
 敵では無さそうだが、このニケと名乗った翼の少女は一体何者なのか…? 
 蠅の王も恐らく伸田のびたと同じ思いだったのだろう。それまで黙っていた蠅の王が口を開いた。

貴様きさま… ニケと名乗ったが、いったい何者だ?」

 蠅の王の声は低くおさえられていたが、自分の行動を邪魔したニケに対して相当そうとう頭にきている事は声の調子から十分に察せられた。しかも、愛用の山刀マチェーテに二つも穴を開けられているのだ。伸田のびたは蠅の王の全身を包み込む紫色のオーラがユラユラと怒りに震えているのを感じた。

「言ったでしょ、私はニケ。ただの通りすがり…と言いたいところだけど、そちらのお兄さんと、私の身内みうちを救ってくれという要請を受けて寝てたところをたたき起こされて、ここまでやって来たのよ。だから今の私、あんまり機嫌きげんが良くないわ。」
 蠅の王に答えたニケは、次に伸田のびたの方に顔を向けて言った。
「あなた、伸田のびたさんね。風祭 聖子かざまつり せいこさんから話は聞いてる。探偵の千寿せんじゅさんはどこ?」
 聖子から話を聞いているのなら、この恐ろしい力を秘めた魔人とでもいうべき存在の蠅の王をこわくは無いのだろうか? ニケの話す声の調子におそれの響きは微塵みじんも感じられなかった。

千寿せんじゅさんは、この蠅の王が出したハエの大群に飲み込まれてしまった。あそこに…」
 ニケの問いかけに答えながら伸田のびたは足下に広がる雪の降り積もり凍てついた大地の一点を指さした。そこには、邪悪なハエの大群で構成された大型バスほど大きさをした紫色の塊があった。おぞましい事に、その紫色をした塊は全体がザワザワとうごめいていた。

「分かった、あれね。」
 そう言って紫色のハエで出来た塊をジッと見つめたニケの双眸そうぼうが一瞬青く輝いたかと思った次の瞬間、その両目からまばゆいばかりの青白い輝きの光の線がほとばしり出た。
「シュビィーーーッ!」
 なんと、先ほど蠅の王の山刀マチェーテに二つの穴を穿うがった二条の青いレーザー光線は銃の様な武器から発射されたのでは無く、信じられない事にニケの両目から放出されていたのだった。彼女の目には器具的な物は何も取り付けられてはいなかった。
「ジュッ! ジュジュッ!」
 青いレーザー光線が紫色のハエで出来た小山に穴を開けた。ニケが目からレーザーを放出したまま頭をわずかに動かした。するとレーザー光線が線を描く様に紫色のハエの大群を焼き払って行く。ちょうど虫眼鏡むしめがねで太陽光線を集めてアリを焼いた時の様なにおいが周辺にただよったが、すぐに吹雪でかき消されていった。
 凍て付いた大地も、表面を覆った氷が青いレーザー光線で瞬時に蒸発していき、蒸発した水蒸気はまたたく内に凍り付きダイヤモンドダストと化して空気中を舞ったかと思うと、やはりすぐに吹雪で散らされていった。
「ジュジュジューッ!」
 点から線、線から面へと見る見るうちに広範囲に渡るハエの群れが焼き払われ、ハエの大群が群れを成して出来ていた小山の形状が崩壊していった。

「ぐわおおおおおーっ!」

 大地をるがすような物凄ものすご雄叫おたけびを発しながら、表面から内部に渡って焼き払われ崩壊しつつあるハエの大群で出来た紫色の小山をぶち破って現れたのは、今まで中に閉じ込められていた白虎の姿だった。

「ぷっはあっ! やっと、忌々いまいましいクソバエどもの中から出られたぜ! あのハエの大群が、まるで結界みたいに俺を閉じ込めていやがった。」」

 肉食の魔バエの大群にむさぼり食われ続けたため、白虎の全身をおおう美しい毛並みがボロボロになり、身体のあちこちにピンク色の地肌じはだのぞき、傷口からき出した血が白い毛を赤く染めていた。だが、それ以外に白虎の身体に大したダメージが無いのを見て取った伸田のびたは、安堵あんどめ息をいた。
 しかし、恐るべき肉食の魔バエの大群に全身くまなくくされ、中に数十分間も飲み込まれていたというのに、窒息ちっそくふくめ表面的な傷以外に肉体的にほとんどダメージも感じられないとは… いやはや…まったく、神獣白虎というのは恐ろしくタフな生物である。その証拠に魔バエに食われてボロボロだった毛並みや体表面に負った傷口などが見る見るうちに再生修復され、白虎の全身が元通りの美しい毛並みの凛々りりしい姿にもどっていくではないか。
 なるほど、これなら風祭 聖子かざまつり せいこが「うちの所長は心配ないから…」と歯牙しがにも掛けなかったのも無理は無い。
 苦笑しながらそう考えた伸田のびたは、驚くべき事実に気付いた。肉食の魔バエの大群に寄ってたかって食われる尻から彼の身体が次々に再生修復していく事は、今までの付き合いから伸田のびたにも予測は出来た。
 だが、たった今ハエの大群を焼き払うためにニケの両目から発射された青いレーザー光線は、取り囲んでいたハエ達だけを焼いて、中に閉じ込められていた白虎の身体には傷一つ付けなかったというのだろうか…? 凍てついた大地だって、表面をかされていたのでは無かったか…?
 いくら白虎とは言え、さすがに今焼かれたばかりのレーザー光線による焼灼傷しょうしゃくきずをそんなにすぐに修復してしまえるとは、伸田のびたには到底とうてい信じられなかったのだ。なのに、白虎の身体には魔バエに食われた体表の傷しか負っていない様にしか見えなかった。
 
「すると…ニケはむらがっていたハエ達だけを焼き払い、中に閉じ込められていた白虎さん自身を傷付きずつけない様に、自分の双眸そうぼうから発する光線の威力を加減かげんしたって事か…? あの…どう見たって少女にしか見えない彼女に、そんなすごい芸当げいとうが可能なのか…?」
 そう考えながら、伸田のびたは突然空から現れたこの救世主きゅうせいしゅと言うべき少女を感嘆かんたんと驚異の入り混じった目で見つめた。

「ニケは…僕達を助けてくれた彼女は… ひょっとして…少女の姿をした神なのだろうか…?」

 猛吹雪の吹き荒れる上空をウインドライダーシステムで飛行する伸田のびたは、同様に近くを浮遊している敵である蠅の王の存在をしばし忘れ、銀色の翼で自分達よりもさらに上空を飛ぶ青い目をした美しい少女を見つめていた。
 
 
 
【次回に続く…】

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