中世の本質(14)印象判断

 既存の中世論の過ちは二つあります。一つはこれまで述べてきましたが、土地制度をもって歴史を区分したことです。そしてもう一つの過ちは桃山時代と江戸時代の日本を中央集権国と曲解したことです。
 歴史区分をするにあたり、土地制度を利用しただけではなく、国家体制の変化にも注目した研究者の方々は少なくありませんでした。それは素晴らしいことです。歴史区分のための正しい方法です。国家体制の変化は確かに歴史の交代を引き起こしますから。
 国家体制が中央集権制から分権制へ変わる時、あるいは逆に分権制から中央集権制へと変わる時、国家は一変します。例えば、明治維新やフランス革命は分権制を中央集権体制へと切り替えた革命です。それは現代化革命の突破口であり、日本やフランスを中世から現代へと根底から変えたのです。
 日本やフランスにおいて革命家たちは<廃藩置県>を断行しました。それまで全国各地の領国に分散していた行政や司法や徴税などの権力が一か所に集中される、東京やパリに、です。それは中央政府の設置でした。国家国民が一元的に支配される中央集権体制が整えられたのです。それは当然のことですが、封建領主の消滅を意味します。
 研究者の方々はこのように至極、真っ当な見識を持って日本史の区分に取り掛かりました。しかし奇妙なことですが、それにもかかわらず彼らは中世室町時代死亡説を唱えています。実に不思議なことです。歴史区分を国家体制の変化をもとに考察するのなら室町時代も桃山時代も江戸時代も皆、分権制であり、歴史は変わることなく連続する、となるはずです。ですから室町時代と桃山時代とを区切る必要がありません。中世が室町時代において死を迎えたと主張することは無いはずです。
 それは何故なのでしょう。何故、彼らはそんな誤った結論にたどり着いてしまったのでしょう。それは歴史学の大問題です。それは彼らが桃山時代と江戸時代の日本を中央集権国と断じたからです。そして一方、室町時代の日本を分権国と判断した。そのため室町時代と桃山時代の間に太い縦線を引いて、中世室町時代死亡説を掲げたのです。
 実に不可解です。何故、彼らは桃山時代と江戸時代の日本を分権国ではなく、中央集権国と見たのか、そして江戸幕府を中央政府と指摘したのか。その理由は彼らが桃山時代と江戸時代の支配者である秀吉や家康を専制君主と見立てたからです。つまり彼らの政治を強圧的なものと認識し、それを専制政治と錯覚したからです。
 彼らは次のように考えました、―――秀吉や家康は強者であり、日本全土を掌握し、日本国民を専制支配していた。それゆえ、日本の国家体制は中央集権になった、と。
 例えば大名です。徳川は日本の国土を占有していた、(徳川はまるで古代王のようです)そして国土を分割し、大名たちに分与した。そして徳川は徳川の意向をもってその分与を取り消すことも、そして大名を他の地へと移すこともできる。(それは国替えのことです)従って大名は徳川の地方長官のようなもので、徳川の一存で東の国へ、あるいは西の国へと飛ばされる。つまり大名は自立した存在とは言えず、根無し草のようである。彼らは徳川に平伏する、地方回りの地方長官と変わらない、と。
 さらに彼らの曲解は続きます。秀吉や家康は石高制の確立や武家諸法度の制定や参勤交代の制度化を通じ、大名や武士や農民を専制的に支配した。国民は抵抗もせず、絶対的に服従していた。すなわち秀吉と家康は専制君主であり、秀吉の大阪政権と家康の江戸幕府は全国を一元的に支配する中央政府と化した、すなわち日本は中央集権国である、と。
 一方、室町時代の日本は分権国であった。足利の支配は弱体であり、日本は30以上の守護大名領国から構成された分権国であった。従って室町時代は桃山時代や江戸時代とは全く異なる、両者の国家体制の違いは明瞭であり、従って、歴史は室町時代で区切られるべきである、と。よって中世は室町時代で消滅した、そして桃山時代から近世が始まった、と彼らは結論つけたのです。
 多くの歴史研究者は程度の差はあれ、このように室町時代と桃山時代を差別化しました。その結果、室町時代を境として中世を二つに切断した。秀吉や家康をまるで古代王のようにとらえ、そして桃山時代や江戸時代を奈良時代、平安時代のような古代国に見立てたのです。
 それは古代への回帰であり、専制主義の復活といえるものです。まさに歴史の逆行です。日本は中世から古代へと戻ったのでしょうか。しかし勿論、そんなことはありません。
 さてここが大事なところです。強者や強権という言葉のイメージについてです。日本を統一した秀吉は強者です、そして太閤検地を断行し、石高制を布いた秀吉は強権の持ち主です。この強者や強権という言葉は魅惑的な響きを持っています、つまりそれは専制君主や中央集権制を強く連想させる、印象判断を生みやすいのです。その結果、秀吉は古代王のような絶対者であるに違いないと、そんな思い込みが始まります。
 しかしムードに酔ってはいけません、誘惑にのってしまってはいけません。印象判断に堕してはいけません。それは思い込みです。強権というものを冷静に判断できれば中世室町時代死亡説のような過ちをせずに済みます。

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