私、この企画展には必ず行きます。皆さんも、ぜひ。
東京は東村山市の国立ハンセン病資料館で、「ハンセン病文学の新生面 『いのちの芽』の詩人たち」という企画展が始まるとのこと。会期は[2023年2月4日(土)~5月7日(日)]。詳しくは以下のリンク先をご確認ください。
私、実は極端なほどに出不精のインドアな人間で、家の外に出ることが嫌で嫌でたまらない、かなうなら一年365日、ずっと家にこもって生きていたい人間なのですが、この企画展に関しては、必ず、絶対に、そして可能なら複数回、行きたいと思っています。その理由は、石井正則『13 ハンセン病療養所からの言葉』(トランスビュー)に掲載されていた、ハンセン病療養所の入所者の詩が、あまりにも凄かったからです(写真ももちろん素晴らしいです)。
石井正則氏の写真は、以下のnote記事でも鑑賞することができます。途中から有料の記事になりますが、このコンテンツで500円は安い。ご購入をおすすめします。
『13 ハンセン病療養所からの言葉』に収められている塔和子という詩人の「金魚」という作品から、その一節を引用したいと思います。おそらく、自らを、金魚鉢のなかに生きる金魚に見立てている詩です。
どうでしょうか。
もう、私ごときが感想を言葉にするのがナンセンスなほどに、凄い。
もちろんその凄さというのは、ハンセン病と歩んできた詩人自身の経験、思い、人生からは切り離せないものでしょう。そこを捨象して彼ら、彼女らの作品を解釈することなどできない。それは私も重々に承知しているつもりです。でも、それでもあえて言うなら、私はこうも思ったのです。この詩人たちの書いたものは、シンプルに、
詩、あるいは言語芸術として抜群である
と。
言葉の選び方や紡ぎ方、配列、改行、抑揚やリズム……とにかく、
鋭利で重厚で、堅固な建築のようでいて柔らかく、そして人間に満ちている。つまり文学としての次元が、あまりにも高い
と言わざるを得ない。
……こんなことを書き連ねると、私のひとりよがりなセンチメンタリズム、あるいは安直なロマンティシズムと誤解されないか、それが怖くてたまらないのですが、そんなことはまったくない。絶対にない。とにかく、
ただただ純粋に、詩として、文学として、凄い
んです。そこは、引用した詩句からもご理解いただけるはずです。
この衝撃は、私にとって、宗秋月の詩や随筆、あるいは石牟礼道子や崎山多美の作品を読んだときのそれに匹敵するものでした。それはつまり、
言葉というものに対する感覚と緊張が、尋常じゃない
ということ。なんというか、言葉の髄のところ──私などには伺い知りようもない言葉の芯のようなものを、ぎゅっと掴んでいる。
私は、こんな凄まじい言語芸術をこの世界に生み出した人たちについて、少しでも知りたいんです。知りたくてたまらない。だから、この企画展には行きます。絶対に。出不精だけど。でも、行く。よろしければ、皆さまも、ぜひ。そうしてネットで感想などを交換し合うことができたりしたら、とてもとても、嬉しいなあ。
最後に。
この企画展のタイトルにもある『いのちの芽』というのは、詩集、
大江満雄編『いのちの芽』(三一書房)
として、かつて出版されたものだそうです。私はまだ読めていないのですが、絶対に手に入れたい。本棚に置く用と、そして書き込むようの2冊。国会図書館のデジタルコレクションで閲覧できるようですが、やはり──紙の本として、手元に置きたい……。
『13 ハンセン病療養所からの言葉』に掲載されている作品群から察するに、読まずともわかります。この『いのちの芽』が、後世に手渡すべき、文学の至宝であることが。
例えば文庫などで、この詩集が、
より多くの人々の手に渡るかたちで復刊されること
を、強く強く、心の底から願います。出版社の皆様、何卒、前向きにご検討ください。何卒。是非に。
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