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*2 旱に飴

 汗を流して働くという事は大人として当然の営みであると理解したつもりの頭を乗せた体は、今年に入って一月と八月に汗を流したぎりほとんど労働とか社会とかと一線を画した世界で齷齪あくせくとしていたばかりであったのだという事を思い出した。どおりで振り返って見てもそこに積み上がった悪戦苦闘の記憶が汗臭くないわけである。そんな数カ月を経て再度労働世界の敷居を跨ぎ製パン業に携わり始めた私は、文字通り異世界の如くに感ぜられる風景の中で労働者の鯔背いなせったさまと遭遇した。

 それは御客様の為に真心を込めて、と言う綺麗なこころざしとは異なっていた。また日々の作業を要領良くこなすルーティーンみたものとも違った。そこにはパン職人として、或いはパン屋見習いとして、パン屋を動かす歯車の一部として己の役割を全うしようと言う美しき責任感があり、それに私は予期せず魅せられた。仕事の時間には正しく汗を流し、余暇には心体を休めそしてまた仕事にいそしむ。至って普通である。至って普通である筈だのに私にはその姿がいやに美しく見えてしまった。


 昨今土や風で以て時代を評する節があると共に、これまでの価値観を根こそぎ引き抜いては新しい時代の苗を植える運動の強まりを世に見受けられるが、その波動によって労働の在り方も問われ、只生活していく為にのみ仕事に従事する事を古い価値観だと切って捨てる声も聞くがこれは余りに乱暴である。一度仕事というものから距離を置いてみて気付いたが一所懸命に仕事へ取り組む人の美しさというのは決して幻ではない。恋人への悪戯いたずらや色仕掛けた動画で人目を集められる時代であるが、温故知新の四字がいたずらに葬られる事の無いようにと尽く尽く思うに至った。


 しかしながらそれはあくまでも労働環境と人間的生活の均衡があって初めて悠長に語れる話である。月曜日、仕事も終盤になるとマリア(※1)が首からカメラをぶら提げた男を連れて工房に入って来た。男は新聞記者であった。何でも日本からドイツへ来てパン職人をしているが無い男を記事に取り上げるという事で私はカメラの光を浴びながら作業を進めつつ、彼から投げられる質問に答えていた。


 作業が一段落ついた所でマリアを含めた我々は場所を移し、店内のテーブル席に腰掛けインタビューを続けた。どうしてドイツに来たのか、という質問は殆ど主題であろうが、その時の両親の反応であったり、ドイツ語はどうやって身に付けたのかなどという幾つかの真当まっとうな副題もある中で、休日は何をしているかという質問まであったが、それが果たしてどういう角度で記事に食い込んでくるのか見物である。旅行なども好きで以前は散々出掛けていたが、近頃では仕事以外に家でもパンを焼いている、と振り返ると悠々と記事に溶け込みそうな回答をすると、隣に座っていたマリアが嘘でしょうと言わんばかりに驚いていた。

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 そんな質問の中に、日本からドイツに来て文化の違いなど何か驚いた事はありませんかというものがあった。咄嗟とっさにはひらめかなかったが、少々考えたのち、働き方という答に辿り着いた。これは何も私が日本で勤めていた職場を悪く言いたいわけではないが、当時寮生活だった私の一日は朝六時半に規則で起床し、晩の十一時に規則で消灯するまでの間で平均して一日十三時間労働が普通であった。当時の私も四六時中仕事と隣り合わせの環境を当然の事として過ごしていたが、ドイツで働き始めると途端に働き過ぎていた事に気付いた。いや、働き過ぎているという事よりも人間らしい生活を疎かにせざるを得なかった事が問題であったかもしれない。ドイツの働き方は有給休暇も労働時間も法律で固く定められ、その遵守じゅんしゅが義務付けられている。すなわち有給休暇を取る事も義務であるし、残業をすればその分の休暇か賃金が与えられるのも義務である。そうして一人一人の生活が守られているのである。そんな話を記者に伝えるとArbeitsmoralアルバイツモラルという言葉をあてがった。成程なるほど確かに働き方と言うよりも倫理観モラルと言った方が腑に落ちた。

 肝心の記事であるが来週に発行される見込みである。シェフ(※2)の夫人もゲンコスは何処に載っているかしらと新聞をぺらぺらとめくっていたが結局土曜日になっても紙面に私の姿は現れなかった。


 さて課題として定めたバゲットであったが今週は金曜日になってようやく成形の機会が巡ってきたので慎重に作業をした。それから窯入れ前にクープ(※3)を入れていたシェフの元へ歩み寄って、今日のバゲットはどうでしたと尋ねると、良くなっていたと言った。こうやって一つ正解がわかれば後は精度を高めるだけである。正解が分からない状態と言うのが何より苦である。こんな物言いをすると自分で考える頭が無いだのゆとり世代だのと馬鹿にされそうであるが、それぞれのパン屋にはそれぞれの規則や方法があるはずであるんだから、正解を初めに貰わなければ話は進まない。仕事中に一から十まで答えを貰うのはいささか非現実的ではあるが、要点となる目安くらいは教えておいて欲しいものである。そうでなければやり場のない不安に心臓を掴まれたまま作業を進める事もあれば、文句も言われないからと何時まで経っても曖昧な正解を繰り返す事だって起こりうるわけである。

 こんな話も宮大工であった頃の私であれば見て盗むという戦法を声高に論じていたに違いない。そしてまた今の私の尻を蹴り上げていたに違いない。今でも見て盗むという意識は常に携えてはいるが、ドイツのArbeitsmoralアルバイツモラル上指導もまた義務であるから、そういう環境を経験する中で私は随分と甘えん坊になってしまっているのかもしれない。見て盗むという手段以外の選択肢も手に入れた、と言うのが今の私の精一杯の反論である。

 しかし作業内容と並行して、僅かずつではあるが職場に馴染み始めているのも事実である。そんな土曜日の仕事も終盤に差し掛かった頃、休憩だとの声を掛けられた。土曜日は休憩を取らずにその分早く帰る、という話を聞いていた私は状況を正しく解明する間も無く皆について二階の休憩室へ上がった。アンドレ、ル(※4)ーカス、シェフ、そして私の四人がテーブルに着き、私はカプチーノを飲みながらアウスゲツォーゲネ(※5)を齧っていた。シェフもルーカスもコーヒーをすすっていたし、アンドレもツォプフ(※6)を食べていた。丁度それらを食べ終えた頃になって、シェフの夫人が買い物から帰って来た様子でなんかんだと文句を言いながら買って来た品物を片付けていたのだが、しばらくしてヴァイスヴルスト(※7)を浮かべた鍋が運ばれて来た。更には焼き立てのプレッツェル(※8)や仕事もまだ残っているというのにヴァイスビール(※9)まで出て来た。時刻はまだ朝八時頃の事である。そんな朝からビールにソーセージにプレッツェルと聞くと、まるで酔っ払いの会合の様であるがこれは立派なバイエルンらしい朝食である。ソーセージを囲んで交わされる会話の途中で、日本では朝食に何を食べるのと夫人に聞かれたので御飯と味噌汁と焼き魚という理想に近いが典型とも言える献立を説明すると、アンドレには朝から米を食うのかと朝食にビールを飲んでおきながら驚かれた。


 こう書くと如何にも私がその場の中心の様であるが、実際この朝食に纏わる会話は全体の一割程度で後はビールを飲みながら皆の会話を兎に角聞いていた。そこは矢張やはり幾らビールとプレッツェルを手にドイツ人に仮装した如く振る舞ってみても中々飛び交う会話の中に楽しんで肩を入れる隙を突けずにいた。職場に馴染むにも仕事を覚えるにもず方言に慣れていかなければならない私は、話し手の顔をその都度代わる代わる見詰めながら聞き入ってはふんふんと相槌を打っていたが、半分と理解が出来ないまま遂には五〇〇mlのビールを飲み干した。



(※題)ひでりに飴:旱に雨。待ち望んでいた事が実現するという意味。

(※1)マリア:ベッカライ・クラインの若チーフ。太陽の様な女性。
(※2)シェフ:チーフの事。
(※3)クープ:バゲットに入れられる切り込み。
(※4)アンドレ、ルーカス:ベッカライ・クラインの同僚。パン職人。
(※5)アウスゲツォーゲネ [Ausgezogene] :円盤形のドーナツのような揚げパン。
(※6)ツォプフ [Zopf]:レーズンの入った甘い編みパン。
(※7)ヴァイスヴルスト [Weißwurst]:ハーブ入り白ソーセージ。バイエルン州の名物。
(※8)プレッツェル [Brezel]:バイエルンを代表するパン。腕組みをしたような形。
(※9)ヴァイスビール [Weißbier]:通称白ビール。フルーティーな香りが特徴。

※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。


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