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*39 才能なんかいらない

 試験前最後の日曜日の早朝、悪夢にうなされて目を覚ました。遅刻をする夢などは子供の頃から何か重要な行事がある度に見てきたのだが、今度は試験が始まるやいなや気を失って机に伏せたまま試験を終え、それで取り返しの付かない事をしてしまったと心臓を動悸々々どきどきとさせていた。目を覚まし、それが夢だと判ると安堵の溜め息を漏らしたが、体はまだふわふわとしている様であった。四時前の事であった。


 試験を翌日に控えた日曜日の夕方頃になって、突如気持ちが猛烈に不安定になった。計算問題を復習していても数字も単語もその一切が私の目に映りながら遂には角膜を通過せず、その非常事態への焦りが苛立ちに変わり、今こうして沈着に言葉を並べている私とはまるで別人格たる私が暴れ始めた。こうした時は気分転換が重要であるとは分かっていながら、気分転換に割く時間の僅かな事も解っていた私は、間を取るように生活に組み込まれたシャワーでの気分転換を図ってみたが、それからまた計算式を見るなり鼻の奥が癇癪を起した。愈々いよいよ両の手を上げた私は、イヤフォンを耳に顔を枕に埋め込みしばし音楽の中を浮遊した。高々応急処置であった為、十五分程突っ伏して幾らか心が落ち着いた様であったが、一度計算問題から距離を置く事にして代わりに試験範囲の要点となりそうな箇所を丸暗記する方へ力を向けた。


 八月末から教わって来た内容を先週まで意地になって総復習していた際に、重要点と思われる単語や説明書せつめいがきを選り分けてまとめておいた紙があったので、それを端から暗記していく事にした。本当であれば全てを深く理解しながら試験へ向かう事が理想であったが、そうはいかずに前日まで来てしまったんだから付け焼刃でも突貫工事でもやる他に仕様が無かった。


 蛍光ペンとボールペンで散々汚した四四頁よんじゅうよんぺーじに渡る紙の束を手に持ち、要点をそらんじながら持て余している借室の広間を行ったり来たりしていた。それで一通り暗誦あんしょうが済むなり、まだ九時頃であったと思うが早々に床についてその分試験当日の翌朝に早く起きてもう一度広間を往復しながら復習しようというつもりでいたのだが、興奮だか緊張だか或いはどちらもの作用の御蔭で中々眠りに付けず、ようやく眠れたかと思えば直ぐに二時になって身を起こした。そして顔を洗い支度を済ますと、出発するまでの三時間しきりに部屋中をぶつぶつ言いながら歩き回った。

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 試験会場までは電車で一時間と掛かったのでそこでも紙を見漁った。前日に一度距離を置いた計算問題とも睨めあった。電車の中で一度便所に入って鏡越しに目を覗き込んでみると、硝子玉がらすだま越しに揺らめくほむらえるが如く赤かったので驚いた。会場の最寄駅に到着しても開始まで三十分程あったのだが、早々に会場に入っても他のクラスメートがいれば勉強に集中出来ないだろうと踏んで小さな駅構内のベンチに腰掛けてそこでも尚紙を眺めた。そこまでやっても自信というのはなかなか容易に手に入らないものである。結局会場に到着してついこの間まで同居人だったトーマスに声を掛けられそれで自分の席に着いても、未だに心臓は激しく高鳴り鼻息も荒かったが、そんな弱々しい様子でもうに腹は括っていた。


 遂に試験が始まった。八月末から学んできた経営学の試験でありながら、三月末から続いて来た製パンマイスター挑戦の集大成たる試験でもあった。その第一歩目が二十問の選択問題であったのだが、その足取りが、私が吃々びくびくと考えていたよりもずっと軽やかに進み始めたのである。所がその二十問を過ぎた後の八十点分の記述問題と計算問題では案の定苦戦を強いられた。記述問題の殆どがこれまで学んできた事の応用であり、より実用的な出題のされ方であったので、例えば私が頭に叩き込んできた単語を只書き並べれば良いという問題であれば手応えの有無も明確なのだが、その単語を通じた知識を活かしての記述は最後まで手応えを得られなかった。見当さえ付かない設問も含め全ての空欄を埋める事は埋めたが、自信が有る事も無ければ自身が無いとも分からない極めて手応えの無いまま全四部構成の始めの一つ目を終えた。その手応えの無さにより途端に焦燥感に駆られた。それでも十五分の休憩の間、第二部の試験に向けた復習に徹したが第一部同様に手応えを得られないまま帰路に着いた。


 
 手応えは無くとも、済んだのは事実である。さあ気持ちを切り替えるんだと自分に言い聞かせて、家に着くなり翌日に控えた第三部と第四部の準備に取り掛かった。出題方法は応用であると判明はしたが、設問の予測は付かないわけであるから前日同様兎に角基礎の暗礁に明け暮れた。そして基礎を固めて応用に活かそうと意気込んだ。この日は疲れもあったのか夜になると予定通りにすっと眠った。そして朝もまた二時過ぎに起きて、まあ後は前日の繰り返しなので割愛させていただく。


 前日に一部二部を経験しているだけあって前日程ぜんじつほどの緊張や興奮も無く比較的鼓動は穏やかであった。それでも今週から気温がぐんと下がったせいで羽織った厚手のコートの下に隠したまま、腹は括られていた。

 ところが昨日までは有るとは言えないまでも無いと言う程でもなかった筈の手応えが、この第三部においては無いと断言せざるを得ない程暗礁あんしょうに乗り上げてしまっていた。設問の言い回しが難しい部分もあれば、もう少し事前に良く確認しておけば解けたような部分もあり、兎に角前日の一部二部では得る事の出来なかった手応えの無さをここで己のてのひらの上に見付けてしまったのである。しかしそこでさじを投げ日曜の朝に見た悪夢の如く机に突っ伏して時間をやり過ごす程やわな炎を燃えたぎらせていない私は、多少強引でも空欄には文字を書けるだけ書き込み、全くもって解き方の浮かばない計算式も提示されている数字をどうにか繋ぎ合わせて最後の一秒まで頭をひねり上げた。逃げも隠れも出来ない代わりに羞も恥も用紙の上に書き残して来た。

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 流石に憔悴しょうすいしながら迎えた第四部はこの全四部の内最も点を稼げたかもしれない。確信は無いが手応えはあった。コミュニケーション等にまつわる計算問題の無い内容であったのもあり、第三部の鬱憤うっぷんを晴らすが如く書き込んだ。


 こうして私の製パンマイスター資格への挑戦は一度幕を閉じた。三月末から続いていた挑戦を最後まで走り切る事が出来たという事実は、屹度きっともう二度と私の人生で味わう事が出来ない程貴重な経験であったに違いない。挑戦したからには無論合格して無ければ納得しない。これまで三つの試験を合格してきて、最後に経営学の試験が不合格であればいずれ経営学の試験だけ受け直すつもりである。しかし今私の中に生まれた感情は結果に左右されるような軽薄な物ではなく、未来の私の自信を形成していくそのいしずえたる重厚な物であるように思う。猫背で歩く私の背筋をうしろから蹴り上げるような熱烈な物であるように思う。家に着くなり私は背負っていた荷物をおろした。異様なほど肩も背中も軽く感じた私は一度思い切り背伸びをし胸を張った。

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 来週の月曜日からまた始まる仕事に向けて、試験が済んでから湯に浸かってみたり酒を飲んでみたり身体の養生に努めていた金曜日の事である。働き先のパン屋のマリア(※1)から電話があった。何事かと思い電話に応えると、どうも同僚の一人が怪我をした関係で人手が足りないから明日から来て貰えないかという頼みであった。八月の恩(※2)もあった私は二つ返事で引き受けた。


 久しぶりの深夜出勤に生活リズムを急には変更出来ず、結局出勤前に眠れないまま夜中の一時を迎えた。この街に来て初めて見上げた静寂な夜空に鮮明に輝く星の下、私はまた新しい一歩を踏み出した。




あいさつ

 ここまで「ドイツパン修行録~マイスター学校編~」を読んで戴いた皆様、心より感謝申し上げます。言わずもがな皆様のスキやコメント、フォローが激励となって私の背中を最後まで押して下さっておりました。その他様々な方の力を借りながら助けて戴きながら最後の試験を終えられた事に感謝が尽きません。結果が出るのはもう少し先になりますが、今週受けた経営学の試験を合格してようやく製パンマイスターとなります。人事を尽くし天命を待つ、後は祈るばかりです。そしてまず何より結果はともかくとして、貴重な経験が出来た事、挑戦出来た事、それを走り抜けられた事を僅かでも自信に昇華させられたらと思います。
改めまして、本当にありがとうございました。          GENCOS



(※1)マリア:働き先のパン屋の女性若社長。詳しくは「*28 チャリオット」参照。
(※2)八月の恩:私が一時ドイツ滞在存続の危機に面した際、このパン屋に拾って貰った。詳しくは「*27 緊急事態」「*28 チャリオット」参照。


尚、今回のタイトル「才能なんかいらない」は、私が敬愛してやまないロックンローラーであります志磨遼平(ドレスコーズ)の楽曲「才能なんかいらない」より拝借させて戴きました。常日頃から魂を鼓舞して戴いていた珠玉の名曲を恐縮ながらこの物語のアンセムと致します。


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この度も「ドイツパン修行録」ならびに「頬杖ラヂオ」への訪問、ありがとうございました。もしよろしければサポートもよろしくお願い致します。 引き続きドイツパンに真摯に向き合って修行の道を精進して参りますので、何卒応援の程よろしくお願い申し上げます。また来てください!