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*38 最終決戦

 正念場である。言ってしまえば今年は春先から絶えず正念場の中を潜り抜けて来たようなものであるが、今週で授業も終わり来週の月曜日に試験を控えた極めて正念場たる正念場を迎えている。終わり良ければ全て良しと言うのであれば、その逆もまた然りの筈である。これは何も結果を言う訳ではない。最後まで挑戦者として毅然たる態度で真摯に立ち向かう事をなげうち、土壇場で膝を震わし怯んでいては背中を押していた応援歌もたちまちブーイングに姿を変え背中にぐさぐさと刺さるに違いないのである。南ドイツの方言や外国人と言う条件がいささか不利であるとは言え、それらはもう自己防衛するにも役立たない程押入れの隅で埃を被っている。六ヶ月もその条件下で過ごして来ておいて今更引っ張り出して来たとて耐用年数はっくのうに過ぎているのであるから、正面からがっぷり四つに組むしか手は無いのである。もとい六年前に押し入れに押し込んだぎりすっかりその存在も忘れていた位なものである。


 最後の一週間は例の朗読講師の授業で幕を開けた。依然として教科書を読んでいるばかりである。先日別の女講師が、顧客に対する商品のプレゼンテーションにおける注意点を授業で取り扱った際に「顧客に伝えるには言葉で紹介するだけでなくて、カタログや図を使って説明する様な工夫が必要よ。」と言った成り「貴方達の授業を受け持つ講師の中で何と工夫も無くただ喋るだけで授業を済ませるような講師はいますか。」という問いを御道化おどけるように投げて来たが、屹度きっと皆の頭の中にはこの男の顔が浮かんだに違いない。それでも皆大人なので茶を濁すような返答のみで誰一人として明言する者はいなかった。

 そんな彼の授業中に私は一度席を外さなければならない用事があった。役所で住所変更をするのに事前予約を申し出た所この日に指定されていたので止むを得なかったわけであるが、数ある可能性の中からこの朗読会の時間に予約が入った事は運に恵まれていたと言っても過言では無い程、今週その他の授業は軒並み重要であった。

 屋根裏の様な私の借室は三階にある為、何度も何度も階段を上り下りするのも面倒なので出掛けるついでにごみ袋を持って降りた。先週越して来て以来初めてごみ捨て場に行ったのだが、生ごみ用のボックスを開くと裸の生ごみが敷き詰まっていて虫が一斉に飛び立ったので、私は慌てて手に持っていた生ごみの入った紙袋を投げ込み蓋を閉めた。何という荒業あらわざであろうか。住人がそれぞれに生ごみをごみ袋にまとめ、それをボックスの中に捨ててあるわけでは無いのである。その衝撃によって記憶が蘇ったのであるが、先週荷物が届くのを待ちながら窓から外を覗いていた時に、一人の女が生ごみ用のボックスの蓋を開けて手に持ったフライパンをカンカン鳴かしているのを見た。すなわちあれの蓄積かと思うと、その横着さに呆然愕然とした。


 スマートフォンの画面に映った地図を頼りに、まだ歩いた事のない道を進む。派手さの無い街である。先月まで住んでいた街を散々田舎だ田舎だと書き残してきたが、ひょっとするとこの街の方がより一層田舎である。斯く言う私も田舎の生まれであるから田舎に対する嫌悪感などは持ち得る筈も無いのであるが、ドイツに来てから今年の二月までミュンヘン(※1)に住んでいた事もあって多少の不便さを感じるのもまた事実である。当時は何とも思わなかったが、今になって地下鉄やバスが絶え間なく走っている事の便利さを痛感する。

 約二十分程歩いて役所に着いた。用事は只の住所変更であるから何も難しい事など無いのであるが、役所に行くのは未だに騒々そわそわとする。中に入ると受付に座っていた恰幅かっぷくの良い女性に予約の確認をされたので名前を告げると、何度か聞き返しつつ手元の予約一覧表だか何かの中に私の名前を探し始めた。こういった場合はこれまでも幾度とあったのでその度に、見慣れない名前は覚えにくいでしょうなどとこちらから笑って言ってやるのだが、ほとんどの場合それに対する返答は「なに、大したことないよ」というにわかに強がる様である事は、一つのドイツらしい流儀であるように思われた。ようやく私の名前を見付けだした彼女は電話で担当者らしき人に電話を掛け、その間椅子に座って待っているようにと私に指示を出した。


 五分と待たない内に、今度は随分と痩せ細った女性が二階から降りて来てぼそぼそと私を探しているようだったので、私ですと言いながら近付いて行き、彼女の後について二階に上がって部屋に通った。ざっと七、八ものカウンターが右から左にずらっと並んだその部屋には、私を案内してくれた女性を含めて二人の職員しか居なかった。その上私は最も左のカウンターに案内され、残りの職員は最も右のカウンターの向こうに腰掛けていた。否早いやはや申し分のないソーシャルディスタンスである。

 手続きは十五分程で完了した。私がアジア人だからか、マスクによるものなのか、将又はたまたそれが彼女本来の性質なのかは判然はっきりとしなかったが、必要以上とも思える程丁寧に解り易く説明しようと心掛けている事は明白であった。私は彼女の爪の垢を朗読講師に持って帰ってやろうかという所まで考えたが、アクリルの衝立ついたてに阻まれ遂には叶わず役所を後にした。部屋に帰り時計を見ると、一時間しか経過していなかった。授業はその一時間の内の三十分が休憩だった為に、思いのほか進んでおらず被害は最小限に抑えられた。


 翌火曜日には注文しておいた洗濯機が届いた。こちらも授業中の対応であったが、ここで要したわずか数分は前日の三十分よりも痛手であった。体格の良い二人の大男が洗濯機を備え付ける所まで済ませて帰って行ったのだが、勢いよく作業に取り掛かり瞬く間に作業を終わらせていった大男達は、私が細身であるからか終始威圧的な態度であった。威圧によって自己顕示をしようとする者ほど対応し易い例は他に無い。帰り際にここでも名前を聞かれ案の定聞きただされたので、早々とアルファベットで一文字ずつ教えてやって帰した。

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 マイスター学校の配慮だと思われるが今週の授業は木曜日で終わったので、試験前最後の週末は普段以上に時間が与えられる事となった。最後のひと踏ん張りである。もうここまで来ると勉強法だの暗記術だの出題傾向だのに構っている場合ではないのである。四の五の言わずに単語や知識を脳味噌に詰め込むだけである。数々の障害を掻い潜りながら試験勉強に励んだ七月に比べれば随分と時間的余裕を持って試験勉強に打ち込めたわけであるが、その分内容がより複雑であった為に結局損とも得とも無く同様に厳しい闘いになった。さらに思い返せば製パン専門教科の授業を受けていた春頃は春頃で、毎日ひいひい言いながら座学に実技に目を回していた。まあ細かい話は試験が終わってからゆっくり振り返るにしても、兎に角三月から日夜続いた闘いの最終決戦を今目の前にしてまるで馬の如く荒い鼻息をふんふん鳴らしている所である。

 そんな駆け馬に鞭たる週末を過ごしている。結果云々よりも試験までにどれだけ自分を納得させられるかであり、本当の闘いは試験当日などではなく今日までの日々だと再認識した私は改めてテーブルランプに照らされたこの乱雑な闘技場を眺めた。その光はこれまでに馬車馬の如くつけて来たひずめの跡を照らしていた。思い通りに脚を運べない駑馬どばも私なら、牙骨無ぎこちなく手綱を引き鞭を打つのも私である。要領悪く不格好ながらも確かにこれまではしって来たのであるから、最終コーナーを回った直線で追い込み馬と化し最後の力を振り絞って駆け抜ける事こそが懸命の策でありこれまでの自分への礼儀である。人事を尽くし天命を待つ。歴戦の数も経験と化す筈であるから、私は仮令たとえ手応えがなくとも決して俯く事無くコースに刻まれた蹄の跡を辿るようにウイニングランを執り行う事とする。


(※1)ミュンヘン:南ドイツの主要都市。

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いよいよマイスター資格取得に向けた最後の試験を目前に控えました。本文にある通り当たって砕けますので、どうぞ応援よろしくお願い致します。

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