ゲンバノミライ(仮) 第20話 高台の吉田自治会長
カタカタカタカタ…、カタカタカタカタ…、ガタッ、ガタッ…、ガタッゴトッ、ガタガタッ、ガタゴトガタッ!!!
遠くから近づいてくる振動が徐々に近づいてきた。家の前で騒音と振動がピークを迎える。その後は、だんだんと静かになっていく。
今日も始まった。
そう思うと、本当に憂鬱になる。
高台の集落に住む吉田嗣男は、地元の自治体で勤め上げた。退職後は家族で旅行をしたり、趣味の家庭菜園で野菜を育てたり、のんびりと暮らしていた。行政とのパイプ役になってほしいと自治会長を引き受けたのもずいぶん前だ。
集落では毎年決まったイベントを、ともに齢を重ねてきた近所の住民と一緒になって同じように繰り返していた。大した苦労は無かった。
年が明けたら新年会を開き、春になれば満開の桜の下で花見を楽しみ、形ばかりの総会を行うと懇親会に皆が集った。お盆の時期に、都会に移り住んだ面々が子どもたちを連れて帰省してくると、古びた小さな神輿を担いで練り歩いた。敬老の日は、高齢者ばかりなので互いに1年の無事を祝う。秋に収穫祭を終えると、あっという間に年の瀬が迫ってくる。
一大イベントは、積立金を使って出かけるバス旅行だ。かつては海外に足を伸ばしたこともあった。だが、全員が年金暮らしになり、身体もだんだん弱ってきて、毎年だった旅行がだんだんと間が開いていった。
最後に行ったのはいつだろう。4年前か、5年前か。それくらいだと記憶している。
それでも、ちょっとした人数が集まればお茶会だといって和気あいあいと賑やかにを過ごした。
何が幸せかなんて、あまり考えたことは無かった。振り返れば、あのような穏やかな日々にこそ、幸せが詰まっていたのだろう。
あの災害で大きく変わった。
周りからすれば、変わっていないと思われるだろう。
だが、やっぱり変わったと思う。
災害の時、居間でうつらうつらとしていた。体験したことのない大きな揺れで目が覚めて、気がついた時には棚が倒れ、食器などが散乱していた。
はっと思って、すぐに妻の由里子がいる寝室に向かった。
由里子は病で寝たきりになっていた。寝室には倒れてくるような物は極力置かないようにしていたので、怪我をするようなことは無かったが、出窓に飾っていた花瓶が倒れて水がこぼれていた。
「大丈夫か?」
吉田が呼び掛けると、由里子は恐れおののいていた表情を少し和らげて「うん」とだけ応えた。
寝室にあるテレビのリモコンのスイッチを押したが、反応がない。台所へ行くと、水は出なかった。都会に住む長男の紀夫に電話をしたが全くつながらなかった。
すぐに近所を見て回った。身体が不自由だったり一人暮らしだったりする家から声を掛けていき安否を確認した。皆が無事だったのでほっとした。
幸いにして、自治会の防災倉庫には非常食や水のストックがある。米や野菜もある。吉田は防災関係部署にいたことがあり、学んだことを地域で実践していた。
停電と断水の中で数日間を何とかしのいだ。多くの犠牲が出た場所に比べれば、被害は軽微な方だった。自治体幹部を務めるかつての部下に「被害がなくて幸運でしたね」と言われた。「本当にそうだよ。ありがたいことだよ」と、少し顔を引き攣らせながら答えたのを覚えている。
吉田の集落は住民間の連携も備蓄も整っており、自治体からすれば手がかからない優秀な部類だった。だが、全壊・半壊の住宅こそ無かったものの、壁が崩れたり瓦が落ちたりはしていて、家の中の片付けでも途方に暮れていた。停電も断水はなかなか復旧しなかった。あの災害で亀裂が入った斜面は、雨が降るたびに隙間を広げていった。
大切な人を失い、家も財産も全てを無くした人がたくさんいた。本当に痛ましい。吉田も哀悼の意を捧げずにはいられなかった。
その苦しみや悲しみを思うと、自分たちは文句など言っていられない。
捜索活動から応急復旧、避難所整備、がれき処理、仮設住宅の建設…。この集落に手を回す前に、先にやるべきことがあまりにも多すぎた。
「うちの集落も何とかしてくれないか」
その一言が、口に出せなかった。
しばらく経つと、住民から「何とかならんかね」「行政に言ってきてくれよ」と詰め寄られる場面が増えてきた。自分だってそうだった。災害以降は介護サービスも停止していた。このままの状況が長く続くとこっちも参ってしまう。
吉田は、自治体に相談に出かけた。執務室にいる職員も窓口や待合室で待つ住民らも殺気立っていた。皆が声を荒げ、時に怒号が飛び交った。職員の表情からは、激務による疲労が見て取れた。
何も言えずに自宅に戻った。
「もう少し。もう少しだけ我慢しよう。頼れる家族がいたら、少しそっちにいってやり過ごそう。今は皆が本当に大変な時期だ。協力し合って切り抜けるしかない。皆さん、頼みます」
集落で、そう頭を下げた。
吉田は、紀夫のいる都会でしばらく過ごした。「こっちで一緒に暮らそう」と言ってくれたが、踏ん切りがつかなかった。窓から見るいつもの景色が、あの集落で生まれ育った夫婦のよりどころだった。由里子も、介護サービスで友達と会うこともできないため、つまらなそうだった。結局、インフラが復旧したタイミングに家に戻った。
だんだんと普通の暮らしに戻っていった。その頃に始まったのが、もっと先にある沿岸の街での復興工事だ。違う自治体なので、詳しくは分からなかった。
ある日、郵便ポストにビラが入っていた。
「復興街づくりの工事で、工事車両が通行することがあります。ご不便・ご迷惑をおかけしますが、何卒ご理解賜りたく、どうぞよろしくお願い申し上げます」
そう書かれていた。
工事の車両がどんどん増えていった。大きなダンプトラックが列をなしていく。
最初は「復興のために頑張ってくれ」と思っていたのだ。だが、いつからだろう。大型車が抜けていく時の振動と騒音で早朝から目が覚めるようになった。由里子の寝付きも悪くなったように思う。
「大丈夫か?」と声を掛けると、「平気よ。ありがとう」と言ってくれるのだが、気になって仕方が無い。
じっと我慢することが復興に貢献することだった。
ただ、誰からも「ありがとう」とは言われなかった。
本当は自分たちも苦しい。
だが、それが言えない。
そのことがつらかった。
そうこうしているうちに、今度は感染症が広がってきた。都会の話だと思っていたら、あっという間に身近な脅威に迫ってきた。花見を中止にした。お盆も正月も、子どもたちの帰省を断ることで皆の意見が一致した。
毎日続く工事車両の音以外は、ひっそりとした日々が続いた。
再びの春が来た。桜が開き始めて久しぶりに車で沿岸部に出かけた。
かつての面影は全く無く、土が高く盛り上がっている場所が多く目に付いた。
こんな風に人は土地を変えられるのか。不思議な感慨があった。
一般用の駐車スペースに車を入れると、バーチャル体験ルームという看板が目に入った。中には誰もいなかった。パソコンや大きなスクリーン、ゴーグルのような物が置いてある。「ご自由にご覧下さい」と案内用紙には書いてあったが、吉田のような人間にはとても扱えない。
ちらちら見ていると、パソコンの脇に小さなポーチがあった。誰かの忘れ物だろう。ポーチには、マスコットキャラクターのキーホルダーが付いている。どこかで見たような気がしたが、思い出せない。
そうしているとパソコンの画面が勝手に切り替わり、「隣にあるバーチャルリアリティーゴーグルを装着して、この画面のスタートボタンを押して下さい」とアナウンスが流れて驚いた。そんなタイミングで、入り口の扉が開き、女性が入ってきた。
「あ、あった! やっぱりここだった! 良かった!」
弾んだ声でポーチを手に取った。
「忘れ物でしたか。良かったですね」
「作業に入ったらポーチがなくなっていて。絶対ここだって思ったんです」
「こちらの案内をされている方ですか?」
「違います。私はダンプトラックの運転手で、この現場で土砂を運んでいるんですれど。
あれ?
どこかでお目にかかったことがあるような」
「そうですか? はて、どこでしょう。私は工事現場の方とご一緒する機会はないもので」
「もしかしたら、前職時代かもしれません」
女性は、いったんマスクを少し下げて顔を見せると、もう一度マスクで覆ってから、「山川みのりと言います。災害の前は観光バスの運転手をやっていたんです」と自己紹介してくれた。
「思い出しました! 私は、ここに来る途中にある高台の集落で自治会長をしています。何度かバス旅行でお世話になりました。そうだ、そうだ」
見覚えがあるキーホルダーは、山川がかつて働いていた観光バス会社の物だった。
旅行の思い出を話した後、山川は現場監督の了解をもらってから、VR(仮想現実)を使って現場を説明してくれた。空から見ると、この街の新しい姿が良く分かる。
「今度、妻を連れてきてもいいですか?」と聞くと、「もちろんです!」と喜んでくれた。
工事車両の騒音に悩まされていることは、言えなかった。
でも、少しだけ、気が晴れた気がした。
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