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ゲンバノミライ(仮)第47話 失意の中西さん

頑張れって言ってたじゃないの。しっかり役に立ってこいって。
あなたがそう言ってくれたから。
だから頑張れたのに。嘘つき。

中西好子は、通話を終えた携帯に向かって、小さく呟いた。

嘘つき! 嘘つき!! 嘘つき!!!
本当は大声で捲し立てたかった。

プレハブの宿舎では、怒鳴り声なんて出せない。
本当は落ち着いてなんていられないのに、心の中を鎮めなければいけない。やり場のない苛立ちが心を覆う。

ゼネコンに勤める建設技術者の中西は、あの災害で被災した沿岸の街で復興街づくりを担うコーポレーティッド・ジョイントベンチャー(CJV)の一員として現場の施工管理を担っている。

入社して、いくつかの現場を経験してから、復興の現場への配属が打診された。せっかく建設技術者になったのだから、被災地の力になりたいと思っていた。今回の仕事は、中西が働く大きなゼネコンでさえ経験したことがない規模の大きさで、事業手法も全く新しい。計画立案から設計、施工、維持管理、運営を、行政らと一緒に進めていく。ごく一部を手伝うに過ぎないが、将来にとっての大きな経験になる。

被災地全体で見てもリーディングプロジェクトと言われており、選ばれたことが嬉しかった。打診された直後に、彼氏の今林祐介に「今晩会えない?」とメールを送った。遠距離恋愛になるため、返事の前に一度相談したかった。なかなか返信が来なかった。
「ごめん!! 今日はちょっと無理」
夜9時を回ったところで、1行のメールが来ただけだった。

一晩じっくり考えた。被災地で仕事がしたいという気持ちが沸々とわき上がってくる。これは自分にとって挑戦なんだ。
そうした思いが募っていった。翌日に被災地への赴任を快諾した。

「しばらく会えなくなるの。ごめんなさい」
翌週の週末に、ようやく会えた今林に、こう切り出した。聞いている被災地の現状や従事する復興プロジェクトの重要性、建設技術者としてのキャリアにとっても大事な経験になること。募る思いに押し出されるように言葉が出て行った。

「分かったよ。良かったね。せっかくの話だし、行くべきだと思うよ。
 あの災害からの復興に貢献できるって、すごいことだよ。好子なら絶対に力になる。大変だろうけど、しっかり頑張って」
今林は、いつも優しく包んでくれる。
「ありがとう。絶対に頑張ってやり遂げて、成長してくる!」
「待っているからね」

中西は、自分の熱意が伝わったと思っていた。なかなか会えないのは寂しいが、隙間時間にオンラインでやり取りしており、近くで暮らしていた頃よりも、むしろ密に連絡していた。

いや、違う。そんなのは最初の1年くらいの間だけだった。

現場になじんだころから、業務が増え、ちょっとした頼まれ事や手戻りの対応など際限なく仕事が降りかかるようになった。現場のことばかりに頭が浸食されていった。

普段の生活を考えれば、それもやむを得ない。
朝は5時台に起きる。顔を洗い、作業服に着替えて、軽く化粧してから食堂に向かう。だいたい1~2番目で、がらんとした中で黙々と朝ごはんを食べる。ご飯は山盛り。そうしないと昼までもたない。

現場事務所に行くのも早い方だ。静かな中でパソコン立ち上げる。作業予定や人員配置、搬入資機材などを確認しつつ、前日に入力しておいたTo Doリストを見返していく。やり残した報告書などを仕上げることも多い。それから、工程表や3Dモデルで今後の施工の流れを見ながら、数週間後や1カ月先に予定する作業をイメージし、今のうちにやっておかなければいけない準備を考える。
自分で判断できることと、上司に確認しておくこと、協力会社に指示しておくことなどを仕分けながら、頭の中で組み立てて、今後のTo Doリストに入力していく。

それからメールを開く。指示事項や業務連絡などを、優先順位とつけながら読み込んで返信していく。CJVに来ている様々な問い合わせに対する下データの整理なども案外、時間がかかる。朝は、必要なデータや図面などを考える程度で、実際の作業は現場が終わった後の夜にやることになる。

そうこうしていると、あっという間に7時半近くになる。ピンポイント天気予報で、降雨の有無や気温、湿度を確認する。雨の場合は滑りやすくなるため安全管理により一層の注意が必要になるし、生コン打設があれば養生を考えなければいけない。猛暑時は熱中症の危険性が高まるため、協力会社に注意を呼び掛けないといけない。

7時半前には、必ずトイレへ行く。8時から朝礼が始まり、その後はすぐに現場を回るから、早めに済ませておくのだ。ギリギリになると女子トイレが混む。「もっと増やせばいいのに」っていつも思う。所長になったら最初に改善するのは快適な女子トイレの増設と決めている。

15分前には朝礼会場に向かい、なじみの職長や作業員と世間話をする。情報共有ツールや連絡アプリはあるが、こういう場の方が「あれってどうにかならないの?」など本音が漏れてくる。正式ルートに乗ってこないような情報が、円滑な進行やトラブル防止には実は重要なのだ。

話をしながら、それぞれの体調や立ち振る舞いなどにも、それとなく目を配る。大勢が出入りする現場は、好調な人ばかりとは限らない。体調が悪い人や二日酔いの人、精神的に参っている人。いろいろな人がいる。心身の不調は労働災害の発生に直結する。できるだけ注意しておく必要がある。

現場が動き出せば、作業内容や安全対応を確認していく。日中は、本当にあっという間に時間が過ぎていく。

現場では、作業場所も作業内容も日々刻々と変わる。前日の打ち合わせで作業内容や安全対策事項は決まっており、スマートフォンを通じて各作業員に通知しているが、きちんと理解してもらったかどうかは全く別問題だ。

作業員たちは生身の人間だ。機械のように一度言ったら完全にそのまま動くものではない。元請けが見過ごしているトラブルの芽を摘んでくれることもあれば、悪い方に作用することもある。「しっかりと指示をした」という証拠は残されていたとしても、実際の作業で手抜きがあったり、労働災害が起きたりすれば、何の意味もない。結局は、人と人とのコミュニケーションが大切なのだ。

現場内のカメラ映像から不安全行動を人工知能(AI)で自動検知して警告したり、作業員が携帯しているバイタルセンサーで健康上の異常を感知したりすることもできる。こうしたデータは蓄積され、後から調べることもできる。以前であればまったく目が届かなかった所まで確認できるようになった。

技術の進歩って素晴らしい。ものすごく助かっている。そうだけれど、あまりにも多くのことに目が届きすぎるようになったことに不満もある。
一昔前であれば、安全に作業してきたかを聞いて、「もちろん」と答えが返ってきたら、それでおしまいだった。相手の言葉以外に確認の術が無かったからだ。

だが今は違う。返答が本当かどうかを、後からチェックできる。
「チェックできるのならば、きちんと確認した方がいい」
そんなことを言い出す人が現れても仕方がない。

復興の現場で労働災害を起こしてはならない。そのためにはできることをすべてやりたい。そう思うのは当然だ。

だが、別の側面もあるように思う。
例えば、一人の作業員の不安全行動で労働災害が起きたとしたら、その人のこれまでの行動を検証するはずだ。「きちんとやっていたはず」という曖昧な言葉では済まされない。その人が映っている現場内の映像をAIで抽出すれば、過去の行動を見返すことができるからだ。そうすれば、本当の普段の姿があぶり出される。

もしも、不安全行動の常習犯だったら、どうなるだろうか。その作業員が所属する協力会社や元請であるCJVの指導や安全配慮義務への姿勢が、当然ながら問われるはずだ。だからこそ、現場の撮影映像を確認して、不安全行動の芽を摘んでいく作業が新たに取り入れられる。

何も間違っていない。
問題は、その作業を誰かがやらなければいけないということだ。

AI、IoT、ロボティック・プロセス・オートメーション(RPA)、自動化・省人化…。
便利な物が日々、生み出されている。
それなのに、どんどんがんじがらめになって仕事が増えるのはなぜなんだろう。
安全だけではなく、品質や工程、コスト、すべての管理に同様の状況がある。

ただでさえ忙しい中に、感染症対策への対応も加わった。3密回避、消毒、換気、検温が、すべての場所で求められる。

建設現場は、作業の場面で密集するような状況は比較的少ない。だが、相乗りでの通勤や休憩する詰め所、各種会議などで、どうしても人が一緒になる状況は生まれる。

今週初めには、来るはずだった鳶職人たちが急遽、来られなくなった。足場の組み立てや解体を手がけるグループの一人が、高熱を出したのだ。検査では陰性だったが、大事を取って相乗りしている全員を宿舎での待機にした。この現場のことを良く分かっていて腕も立つメンバーなので、かなりの痛手だがどうしようもない。

替わりの鳶職人を確保できたから、作業が止まる最悪の事態は免れた。だが、素行があまり良くなく、腕もスピードもかなり落ちた。数字上は同じ人数だが戦力としては相当見劣りする。

来週末には、地元の住民や被災者を対象にした見学会が開かれる。中西は、そのための資料も作成しなければならなかった。今週は比較的定型的な作業が多いため、日中にも事務所に戻って資料作りができるはずだった。だが、入れ替わった鳶のグループは不安全行動が目につき、できるだけ現場に張り付くようにした。

「そうすると資料作りが夜にしかできないじゃない。それなのに残業をやり過ぎても駄目だから、早く帰るように言われるのよ。
 何よ、働き方改革って。ブラック企業はダメだけど、やらなきゃいけない仕事はやらせてよ。監督署なんて、何も分かってない。安全で一番大事なのは、ゆとりを持って慌てずにルール通りに動くことよ。何でもかんでも時間で縛るから、逆に余裕がなくなって軋みが出ているのよ」

中西は、あまりにストレスがたまったため、深夜に今林に愚痴を聞いてもらっていた。スウェット姿で手には缶ビール。買い溜めしているイカの燻製をつまみながらのやり取りだ。

「あの災害で被災した人たちに来てもらうのよ。せっかくだから、しっかり見てもらいたいじゃない。今は、一生懸命に必死にやりたいの。
仕事だけど、今は生きがいなの。

会社の幹部だって、苦しい仕事が自分を成長させてくれたって自慢げに言うのよ。それなのに、今は働き方改革だからルール通りに休め休めって。すっごい矛盾。マジなんなのよ」

ついつい熱が入ってしまう。
はっと思って、画面上の今林をよく見ると、ちらちら下の方を向いている。

「そっちはどう?」
「そうねえ、いろいろ大変だよ」
「いろいろって?」
「いろいろだよ。そんなことより、この前、転勤した同期が本社に帰ってきたから、久しぶりに皆で集まってカラオケしたんだよ。超盛り上がって、めちゃめちゃ楽しかったよ」
「カラオケしたの? こんな時期に大丈夫?」
「大丈夫だよ。年寄りがいる訳じゃないし」
「でも」
「好子さあ、なんか仕事以外の話はないの? 遊びに行ったとか旨い物食べたとか」
「えー。休みの日は、爆睡してからネットや映画を見たり、ゆっくりしたりしてるだけだよ」
「おばさんみたい」
「でも、身体を休ませないと危ないし…」

気まずくなって、会話が途切れた。
今林が、けだるそうにあくびをした。

「忙しくて寝てないの?」
「そんなことないよ。ネットのドラマにはまっちゃって。テレワークでギリギリまで寝てられるから、ついつい見ちゃうんだよね」
「何見てるの?」
「別に、大したのじゃないよ」
「教えてくれても良いじゃない」
「いいよ。そんなの」
「そろそろ寝ようぜ。疲れているんだろ」

「うん。そうだけど。
わかった。お休みなさい。ありがとうね」

今林は、手を振っただけで何も言わずに退出した。
中西は、真っ暗になった画面をしばらく見つめていた。
明日は待望の休みだが、気が晴れないまま、じっとしていると、気づかないうちに寝入っていた。

目が覚めると昼前だった。飲みかけの缶ビールがこぼれて床にしみていた。
二日酔いで頭が痛かった。こんな姿、現場では見せられない。
冷蔵庫からバナナを取り出して、歯も磨かずに食べた。

スマホを手に取ってSNSにアクセスした。開くのは久しぶりだ。サークル時代の友人のSNSに、大勢で公園に集まって宴会をしている写真がアップされていた。笑顔の今林もいる。同じ大学のサークル仲間だから当然だが、年下と思われる女性がいて、半分くらいは知らない人だった。

そのうちの1枚に目が止まった。
皆で紙コップを高く上げて乾杯している。最初の写真よりも、今林と隣の女性が近づいている。下ろしている方の手が重なっているように見える。

余計なことをやっているのは、十分に分かっている。
やらなければ良いのに。
でも、止められない。

二人の手元を拡大していく。
偶然に触れ合ったのではない。明らかに手をつないでいる。
嬉しそうな女の子の表情を見ていると頭が真っ白になる。

そのままにしていればいいのに。忘れて寝ちゃえばいいのに。やめればいいのに。

中西は携帯電話の電話帳を開き、ハートマークとともに「祐くん」と表示されている部分に触れる。

電話が、今林を呼び出す。

言い訳などなかった。
「新しい彼女ができた」
それだけだった。謝罪の言葉もなかった。
「好子、ずっと仕事ばっかだろ。それが生きがいなんだろ。だったら良いじゃないか」

違うのよ。
成長して、あなたに認めてもらいたくて、だから必死に頑張っていたのよ。

今さら、そんな言葉を伝えても何も意味も無い。
「馬鹿にしないでよ! さよなら」
携帯を壁に投げつけてから通話を切った。

気がついたら夜になっていた。
現場の先にある海辺の方まで車を走らせた。

災害で甚大な被害を受けた海辺近くには、まだ明かりが灯っていない。
見上げると、満点の星空が輝いていた。

たくさんの星空の下で涙があふれてきた。
ずっと我慢してきた苦しい気持ちが、感情の中でほとばしっていく。心がぐちゃぐちゃだった。
誰かに慰めてほしかった。でも、誰にも助けてほしくなかった。

大好きな曲を聞きながら、ずっと遠くを見つめていた。

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