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【73歳父の小説】あのころ③げたすけーとのころ

73歳になる父親が趣味で小説を書いている。

ちょこちょこいろんな賞に応募したりしているようだが、なかなか多くの人に読まれていないようなので、せっかくなので私がnoteに置いてあげることにした。

あのころシリーズはこちら


あのころ③げたすけーとのころ ポール守谷(著)

信州諏訪の冬は寒い。
スキー場が沢山あり多くのスキー客が東京から夜行の汽車に乗り訪れる。

近くの大都市諏訪下諏訪岡谷に面する諏訪湖も全面結氷して御神渡りが見られることもありましてスケートができました。
本格的大会用の屋外の湖のスケート場でもっと山側の白樺湖や蓼の海も有名でした。
地元でスキースケートの国体選手を沢山輩出していました。
皆実業団所属で特に地元のオルゴールメーカー三協精機の選手の活躍が目覚ましくて、早々スケートメーカーも毎年新しいモデルを次々と発表する勢いで。
サンエススケートという当時から今もだが有名なメーカを思い出します。
でその頃の子供たちはどうしていたかと言うと、もっぱらスケートを楽しんでました。
スキーは用具をそろえるのに費用が掛かり買っつてもらえる当てがなくて。

で地元の自分たちのために毎年PTAの協力で、冬の田んぼを借りて少し加工して簡易アイスリンクにしてもらいました。
なんと自分は下駄スケートを履いて滑っていたんです。
自分の家の古くからありだいぶくたびれてはいましたが。
それはどんなものかと言うと、まず下駄を想像してください。
その下駄の歯を取り、長さ30センチ幅3センチ厚さ3ミリほどの鋼の板をスケートの歯として取り付けたもので、芸術品ともいえる一品で。
はな緒付きなので普通に下駄のように履いて、固定用のひもで足とスケートを固定します。
これで準備よし。
あとは手袋して。
帽子被り。
スケート用の毛糸の帽子がないので学生帽で。
防寒ジャンバーやコートは普通の家の子はまず着ることはなくて、お母さんお手製の綿入れ半天という和製の綿入り、ハーフコートといった所の物を想像していただければと。
氷にスケートの刃が当たるカチャカチャという音、氷を滑るサーッという音がと独特でした。
刃の氷に対する抵抗も多くて総スピードを出せるもんではありませんで、氷を楽しむというところでしょうか。

スケートは小学二年か三年のころでして。
自分の小さな足でもなんとか大きな大人サイズの下駄スケートでも、足をひもで固定できれば滑れそうになってたからです。
滑っていた時、足は靴下を履いてるとはいえむき出しの寒風の中。
しかもひもでぎゅうぎゅう似召され下駄に固定で血の巡りが悪い。
そのうち冷たくなっつた足はしびれてきて感覚がなくなる。

まだひもで固定なのでそのひもの結び方の習得も必要になった。
最初のころは教えてもらっつた通りに結べず緩くなっつたり、ほどけてきたりで。
しかも寒い中ひもに水が付いて固くなりさらに結びを困難にしていた。
ゆるゆるのひものままではスケートは傾いてしまい足について来れない。
ひものむすびなおしがしょっちゅうおきて。
でも硬くてよく結べずまた緩むという、寒さのための悪循環に陥るのでした。
が一方豊かな家の子は、最初から靴スケートでした。
今のスケートと普通に指す物です。
その頃は下駄スケートと明確に区別ために、靴スケートと憧れをもっていました。

足くび靴に入るので温かく滑れました。
ひもを締めて足を靴に固定して。でこの靴ひもも、赤白黄色とお手もカラフルでした。
靴スケートの刃は下駄のそれとは下駄のそれとは全然似つかぬほど格好がよくて見た目にもスピードが出そうなスマートな形状をしていました。
靴スケート、憧れのを履いて滑りました。
それから4年後、兄のお古を頂いて。
お下がりでしたが嬉しかった。
サイズが26センチの大きさですので、まず最初は調整がいります。
自分の足のサイズに靴の中の容積を調整します。
爪先に綿を詰めるのです。
そして履いてみて足が靴の中で踊らないようにして。
これで靴スケートでデビューという事になります。


73歳父の小説シリーズはこちらにまとめてあります。

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