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突然降ってきた啓示

私はずっと、「人生の最期に、楽しかった事としんどかった事が半々ならば良い人生と思うようにしよう」と決めていた。

御年48歳と10ヵ月。今までしんどい事が多かった訳でもない。

そもそも、つらい事や嫌な事、悲しい事というのは、自分がどーんなに避けたくても、人が人と関わって生きている以上、避けることが出来ないものだったりする。

でも、楽しい事は自分で探す事が出来る。

だから、つらい事が1つあれば、2つ楽しい事を作り、なんとかチャラにしていこうと思い、今日まで生きてきた。マイナス1をプラスにするには、2個プラスを足さないと、プラスにならないからね。

でも実はこれって全然プラスになった感じがしないどころか、いつもなんだか満たされない感がずっとあった。それに、そもそもネガティブな人間で、マイナス要素を勝手に増やして、どんどん重くなっているものを、「プラスにしなきゃ!エイヤっ!」ってやるもんだから、とんでもないエネルギーを必要とするのだ。小さな幸せや喜びでは満たされず、大きなものを求めて、いつも頑張っていなくてはならない感じ・・・。


あーーーーーしんど。



そんな中、今日、車に乗り込む時「人生は思い出作りなのではないか。ならば、楽しい思い出を沢山作ろう」と突然、天からの啓示。なんでそんな啓示が降りてきたのか色々思い当たる事がある。ただその啓示を聴いた時、ちょっとワクワクする気持ちになったと同時に、あぁ、私もそろそろ人生の後半に来たのだなあと自分の年齢を考えて苦笑いしてしまったのだけど。


そう、私も48歳。人生100年と考えれば、そろそろ折り返し。まだまだと周りは言うけど、自分の色々な衰えはひしひしと感じる。


さっきだって、作家の「田辺聖子」が出てこなくて、PCで「作家一覧」を見つけ、ア行から順に探していたし。(余りの名前の多さにア行で断念)


今朝は、家の近所のスーパーに車を止めて用事を済ませ、車で来た事を忘れて徒歩で自宅に戻り、昼過ぎにまた出かけようとしたら、自宅駐車場に車がなく「盗難?!!!」と焦ったり。

ドタキャン、ダブルブッキングなんてお手のもの。スタッフは私があまりに忘れるから、誰一人私を信用せず、お陰で皆しっかりしている。


それはさておき、


結局、死ぬ間際に0になっていればいいや、なんてこれっぽっちも思っていなかったんだと今になると分かる。だって、いつもプラスになるように頑張ってきたのだから。それなのに、マイナスで終わる事を怖がって、それも仕方ないよな、と予防線を張って、人生を諦めていたのかもしれない。


もう、プラスとかマイナスとか、自分に起こった出来事をジャッジするのは止めよう。人生の後半は「楽しい思い出作り」に精を出していく事にしよう。自分にとって、本当に好きな事だけを貪欲に追及しよう。


で、その手始めが、このnote。


拙い文章ですが、どうぞお付き合いくださいませ。





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