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美しい風景をひとり眺める。その胸の痛みは、寂しさからじゃない〜〈フェリファブ哲学〉さんの動画を見て〜①

あれはコロナ禍がはじまった2020年4月のこと。
仕事を終えたわたしは、夕暮れが迫るなか、郡山市中田町へと向かった。樹齢400年といわれる紅枝垂地蔵桜を見て、丘の上からの里山の風景を見たかった。

地蔵桜は満開。だが、それを眺めているのは、わたしだけだった。

ひとしきり紅枝垂地蔵桜を眺め、桜の背後にめぐらされた遊歩道「さくらはなもも回廊」へと向かう。

茜色の中に金色の粒子が混じったような夕方の光のなか、小高い丘へ登る。残念ながら花桃の見頃には早かったようだが、黄色のレンギョウがやはりうっすら茜色を帯びて出迎えてくれた。

5分ほどで頂上に到着。
見晴らしのよい丘の上には、マジックアワー独特の空気感が漂い、木々の梢越しに金色の太陽がゆっくりと沈んでいくのが見える。スマートフォンを向けると、いい感じに日食のダイヤモンドリングのような光が撮れた。

金色の光。
小鳥たちのさえずり。
まだ少しだけ肌寒さを感じる春の風。
春独特の土と草の匂い。

そこには美しい空間が広がっていた。
わたしはそれをひとりで見ていた。

コロナ禍で友人を誘えなかったからではない。
仕事の帰りだったからでもない。

わたしはいつもひとりだった(当時は決して友人がいなかったわけではないのだが…)

美しい風景を眺めるたび、「この風景を誰かに見せたい」「美しさを分かち合う相手がほしい」と思い、そういう相手がいない自分を「孤独」だと感じていた。

鳥たちのさえずりが夕暮れに響く。なんとなく物悲しい

「孤独」は寂しいことだ。
こんなとき、目の前の風景を分かち合える人がいない自分が悲しくなる。人間として欠陥があるような気がして、胸が痛み、鼻の奥がツンとする。

本当はひとりなんかイヤだという思いもある。
一緒に風景を眺め、共感しあえる人がほしい。
そんな人は現れるのだろうか? 
無理だろう。
わたしは誰にも心を開けない(最近はかなりオープンになってきてはいるが、当時の自己否定はひどいものだった)

この美しさを分かち合える人がいない孤独。
分かち合いたいという人が現れても、おそらく分かち合えないだろうという孤独。

コロナ禍が一応のおさまりをみせた2024年春、わたしは再度「さくらはなもも回廊」へ向かった。4月らしい淡く霞んだ空の下、桜が織りなすピンクのグラデーション。

わたしはやはりひとりだった。胸が痛んだ。

2024年の郡山市中田町の風景
一面ピンクと黄色と淡い空色
煙るような光

先日、YouTubeで「“楽に生きる研究家”フェリファブ哲学」さんの「感情=情緒!」という動画を拝聴した。

以下一部を抜粋します。

(美しい風景など)あまりにも美しいものを見たとき、「今、誰かと一緒だったらな」と胸がシクシクしたとき、エゴの観点でいうと「はい! ひとりで寂しい人」で終わってしまう。

でも、本当はそんな短絡的なものではない。胸の奥のシクシクは「人がいない寂しさ」ではなくて、「自然が美し過ぎて、心が感応している」ということ。自分の元々ある「自然の美を感じ取る能力」がうずいているということ。

また、「人と共有したい」のは、そうじゃないともったいないほどの感動だから。人が好き過ぎて痛んでいる感覚でもある。つまり、自分にとっての「自分しか知ららない美」であり、「自分の情緒」。

(それなのに、エゴの観点から)「はい! 悪いもの!」としてしまうことで、本当はその奥になる「美の情緒」に気付けなくすることでもあると、わかってくるだろう。

だから、「はい! 悪い!」を排除して、自分が自分しか知らない豊潤な情緒と一体一でふれるとき、それは寂しさや虚しさではなくて、もっと違う味わい深い、人間という不完全なものをやる醍醐味そのもの。自分ひとりの、自分の人生にほとばしる美の感覚ととらえることができる。

YouTube フェリファブ哲学「感情=情緒!」より

そうか。
「孤独=寂しい人→わたしが誰にも心を開けない、人間として問題のある人」という声は、エゴのものだったのか。
それよりも、自分の中にある“美”を感じる力、情緒をたいせつにしよう。味わおう。ひとりでじっくりと噛み締めよう。

そして、”美”を感じたとき、誰かに伝えたいと思うのは、わたしが人を好き過ぎるからなのか。そうか。そうだったのか。

そうとらえると、孤独も「分かち合える人がいない」という寂しさも、悪いものではないように思える。なにより「分かち合える人がいない」→「分かち合える人がほしい」ということは、わたしが人を求めているということだ。

そうした「自分の感情」もじっくりと味わってみよう。

〈つづく〉

フェリファブ哲学さんのnote↓


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