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ちょうど1年。

1年前の早朝、父は亡くなった。
トイレに行こうとしたのか、ベッドから落ちた状態で母に発見された。助けを呼びたかったのか、息が苦しかったのか、死に顔は口を大きく開けていた。

父はパーキンソン病を患っていた。元々アル中に近いほど飲酒していたが、仕事を引退して隠居生活を始めてからも変わらない飲酒量で、手の震えや呂律が回らなくなりいくつもの病院で検査してもらって判明。4年くらい前だったと思う。
大量の薬で進行を遅らせるしかやれることもない難病らしい。その薬のせいで幻覚や見えたり幻聴が聞こえたりして訳の分からないことを叫んだり、家のあちこちで漏らすようになったり、お酒もやめたから甘いものを異常に食べるようになったり、とにかく父が父でなくなって行く毎日だったらしい。近くで見ていた母は辛かっただろう。
たまに孫たちの顔を見せに行くが、あんなに厳しかった父がヨボヨボのジジイになってしまった姿を見るのは私には辛かった。

人付き合いが苦手で仕事以外には興味もなかった父の老後を母が面倒みないといけないことは明らかだった。元気な頃から何かあると母の名前を叫んで呼びつける。それが父だったもの。

だから最後の瞬間も母の名前を呼んだんだろうなと思う。
前の晩にテレビを見ながら交わした会話が「あんたも私に感謝のひとつでもいいや」「へへへ」だったらしいので、最後の最後に「今までありがとう」ってちゃんと言ったのかな。

葬儀屋さんがやってくれたエンバーミングで父の口は閉じられ穏やかな寝顔になった。
ここ何年も見た事がない穏やかな顔だった。いまにも起きてくれそうなのに何度呼びかけても起きなかった。なんでも写真を撮る時代だけど、この時の父の顔は目に焼き付けた。スマホなんかで撮りたくもなかった。ちゃんと私の心の中にインプットしたかった。記憶なんて曖昧で相当改竄されてるだろうが、娘から見てもとても男前だった。


きっと父の寿命はそこまでって決まっていたんだろうけど、もう少しだけ母が発見するのが早かったら…前の日に私が会いに行ってたら…なんか色んなタラレバを考えてしまう。

母は父と過ごした45年の思い出を抱えて、父がいなくなったこの1年をどんな気持ちで過ごしてきたんだろう。

会いに行くたびにコレが最後かもしれない…と覚悟していたけど、私はまだまだ喪失感を乗り越えられない。

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