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TDL二次創作「A twinkle of Mouse」16.ホーンテッドマンション④/VS. Dr.Facilier

 天空を占める沈痛な色相は、ある一色を皮切りにして、まもなく反転しようとしていた。

 Blue hour。
 すべてが濃密な青に染まる。

 重々しく澄み渡ってゆく紺碧の空は、いよいよ地の底から立ちのぼる光を察知して、じきに太陽が出るか、出ないかというところまで迫っている。大気は、旭が射し込んでくる瞬間に向けて、渺々たる風音の中で精神を張り詰めているようだった。無言の葬列と見紛う荘厳な棚雲の群れは、その身のほとんどを瑠璃色の翳で汚しながら横切り、上空へと退いてゆく星々は、今に陽の光に気配を殺されるだろう。そこへ、泥水を撥ねさせて重く地を踏む靴が、水溜まりに波紋を広げてゆく。足音から察する限り、一人。想定の範囲内——というべきか。あまりに筋書き通りに沿った結末に、ファシリエは吐き気すら覚える。

 この呪いの館に踏み込んだ生者たちの、実に四人のうち三人までもが、死の幻想に囚われている。弱さにさらされた者を握り潰すなど、赤子の手を捻るのにも等しい。彼と相対するのは、唯一、まだ死に魅入られていない人間だった。
 それとて、最も脆い箇所を見いだし、へし折れば造作もないこと。ヴィランズの中で、ファシリエほど、人の心の構造を熟知している者はない。彼は暴力という手段は取らない。契約の形で、自ら・・魂を破滅させることを選ばせるのである。獲物が震える手で犠牲者の運命を掴み取る瞬間、すでに勝敗は決している。

 時間だ。
 茶番を繰り広げた夜は終焉へ。もう、戯れる必要もない。

 残り十メーターほどを挟んで、キャプテン・デイビスはふらつく足で立ち止まると、その切れ長の双眸を絞った。血の固まったシャツが、大いに風を含んで、殴打を暈したような音をはためかせ、対峙するドクター・ファシリエのシルクハットに貼りついた羽根も、危うく吹き飛ばされそうに見える。まるで影の権化のような男だ、とデイビスは改めて目を凝らした——その歪められた口の合間から覗く白い歯は、びりびりと伝わってくる緊迫感に煽り立てられ、全身から滲みでてくる狂気じみた愉悦に身を任せる前に、必死に堪えようとしていた。枯れ木や禿げた地面が広がり、泥水の臭いの入り混じる鴻大な薄闇の中で、ただひとつ、己れの対峙するこの人物だけが、烈しい意志を宿したもののように目に映る。

Enchantéこれはこれは、キャプテン・デイビス殿。How y'all doing?」

「わざわざ出向いてやったんだ。俺がお前の口をへし折りたくなる前に、要求を言え」

「おっと、言葉遣いには気をつけなよ。私は、あの世にお友達がいるのだからね……」

 いかにも含めた意味を奥深く響かせ、天鵞絨のような声を開け放つ男。すると、その呟きに応じるかの如く、風以外に何もない虚空から、不可思議な木霊が聞こえてきた。


 ——He's got friends on the other side...


 慄然と肌を粟立たせるデイビスを嘲笑うように、長い杖をくるりと回転させながら、ファシリエはさらなる囁きをつけ足す。

「ただのエコーですよ。この土地に伝わるちょっとした隠し芸……心配はない」

「卑怯な奴だなあ、丸腰の男の相手をするのに、何人の外野を連れてきたんだよ。やっぱり三下は、やることに美学のカケラもねえな」

「随分と威勢の良い獲物だことだな。それに、外野というわけでもあるまい? 彼らは私そのもの。我が心の闇を喰わせてやる代わりに、魔術の力を貸してもらっているのだからな」

 合図は、僅かな手振りを見せるだけで充分だった。ぼこり、ぼこり、と地面が盛りあがったかと思うと、埋められていた数多のブードゥー人形が、土の中から這いだしてくる。
 その体に突き刺さっているのは、数えきれないほどの針。人の復讐心や恨みが、その一刺し一刺しに、血の雫の如く込められている。

 ああ、魂を売ったのか——デイビスは瞬時に理解した。人形たちに宿る怨恨が、むせ返るほどに立ちのぼってくるのを一瞥する。これほどに禍々しい瘴気を、ファシリエは魔力へと変換し、数々の黒魔術を行なっているのだろう。

 ファシリエは、シルクハットの陰に顔を伏せ、安っぽい手品師のように両腕を広げた。デイビスは何も言わない。傷ひとつなく光を反射する角膜の淵に、しらじらとした雲の翳が映り込む。

 二人とも分かっていた。
 これは、対決なのだと。

 ディズニーの陰と陽が、善と悪が、光と闇が、互いの尾を喰いあおうともがいている。だからこそ、背を向けたら最後だった。目を離すな。隙を見せるな。何より——油断するな。

 王の弑逆を図る逆賊の野望か——
 王を守ろうとする民草の意志か——

 その、結論が出るまで。血みどろの抗争が終わることはない。


「悪魔———とはどういう存在だと思う? キャプテン・デイビス君」


 かつん、と杖をつきながら差し向けられた問いに、デイビスは眉を顰めて、その真意を探った。

「……いきなり、何だ……?」

「ククク、そんな怖い顔をすることはないじゃないか、単なる世間話だよ。私は他のヴィランズたちとは、少々流儀が違っていてね。派手な魔術やら、怪物ヘの変身やら、ゾッとする策略やら、——そんな目くらましに夢中になっているボンクラどもなど、所詮は虚仮威しに過ぎんと考えている。

 悪の真髄とは、そんなチャチなものではない。暴力も、混沌も、陰謀も、破壊も、その本質的なものではありえんのだ。
 ならば、真に悪魔を決定づけるものとは、いったい、何なのか——?」

 かつりと、ふたたび、杖の先が地面を小突いた。ファシリエは、その青紫色の上唇を無気味にめくりあげ、隙間の空いた前歯を剥き出しにして、狂気の笑いを滲ませた。

善の自殺・・・・。それを導けるモノだけが、悪魔と呼ばれる資格を得る。

 人生とは、一本の細い橋を渡るのに似ている。おぞましくざわつく伏魔殿——その上に橋を渡して、一歩、また一歩と、危うい足取りで進んでゆく。光に向かって、のろのろと、統制された道を——だが、足元に蠢めく悪党どもが、黙って獲物を見守っているわけがない。

 ……たった一枚、化けの皮を剥がしてみればいい。人々の信じる道徳など、遠くでぼんやりと喚き続けるだけの絵空事……今、この場で己れの魂を揺さぶってくるのは、まさに足元を掴むこの・・鬼、この・・野獣でしかないのだよ。細い橋の上でそれと闘わなければならない人間にとって、遠くの善など、いったい何の足しになるだろう。

 まさしく、悪魔の誘惑だ。ぬめつく手で長らく揺さぶられ続ければ、どんどんと心のぐらついた人間は、自らの手綱を少しずつ緩めて、最後には悪魔と合意——身投げする。だが橋を蹴飛ばした瞬間、自らの選択したものの、本当の意義に気づいてしまうのだよ。

 自分は善人などではなかった。
 道を踏み外した悪人だ。もはや戻れない。この世のどんな希望も、ゆるしも、自分を贖うことはできないだろう——と。

 言っておくがね……
  ねじ曲がるよ、デイビス君。良心も希望も見失った人間というのは、地面そのものが、ねじ曲がるんだ……! とても真っ直ぐに歩けない、いや、立ちあがる意義すら見失ってしまう。なんせ、周りには口を開けた魑魅魍魎が、うようよと蠢いている。それが彼らの選んだ世界なのだ。そうして最後の一滴まで絶望に取り込まれれば、もはや廃人——生きながらにして死んだも同然だ。

 キャプテン・デイビス君……

 これこそが悪の完成なのだよ。人の盲信している天秤を傾かせる。自分は善人だと信じている連中の胸に、革命を起こす……! まったく、この時の人間の顔以上に面白いものはないよ! 底なしの沼に沈みながら、救いすら求める気力すら起きない。ただの棒立ち——置き物——虫けら以下の人非人。悪に食われた人間とは、そういうものなのだよ。一度、君にも見せてやりたかったがね———」

 淡々と語られる中に、確かに入り混じる悦楽に、デイビスは呆然としていたが、やがてようやく、全身の力をかき集めて、腹の底から声を絞り出した。

「悪趣味だ……!」

「結構、結構。私にとっては最大の褒め言葉だよ。さあて——ようやく本題なのだが——私と取引をしようじゃないか、キャプテン・デイビス君?」

「取引?」

 こんな時に似つかわしくない陽気さで、ファシリエは提案を持ちかけてくる。

「私は未来を読み解ける。それに少しばかり、改変の手を加えることもできる。お前の心の奥底を覗き込み——最も深い、野望を叶えてやることだって」

「お前、寝ぼけているのか? 悪魔の取引だって知っていながら、誰がそんな怪しい話に乗るっていうんだよ!」

「まあまあ、人の話は最後まで聞くのがマナーというものだ。お前のことは、魔法の鏡をお持ちの女王陛下から聞いているよ。何でも心中、大層頼りにしている同僚がいらっしゃるとか——」

 その含んだ物言いを聞いて、デイビスの脳裏に、たった一人の人物の名が閃いた。


(スコット——!)


 咄嗟に、無表情の下へと動揺を隠したが、無益に終わったようだった。血の匂いを嗅ぎつけたハイエナは、驚くべき執着心で数十キロを走破する、それと同じこと。ファシリエの唇に広がる笑みは、とどまるところを知らない。

 ———切り崩せ、

 デイビスは自分に言い聞かせた。ペースを握られるな。相手の手に落ちたら最後、あっという間に魂を喰い破られる。

「人間には誰しも弱点があるものだ」とファシリエ、

「他人にはちっとも理解できるものではないが——アキレス以外の人間に、踵はそう重要な部位でもない。同じことだろう?」

「確かに、スコットは俺の相棒だ……だがこの期に及んで、どうしてあいつを——!」

「おっと、若造、それ以上近づくなよ、自棄になってはいかんぞ——そいつら・・・・は少しばかり、生き血に飢えているからな」

 ファシリエが何を指しているのか、すぐに分かった。じりり、と微かに動いた彼の靴が、少しばかり目に見えない境界を超えたのと同時に、影の持つ鋭い爪が飛びだして、喉元を狙ってくる。ほとんど本能に任せて後ろに下がると、辛うじて避けることができた。空を掻く風圧が、余韻の如く皮膚に触れる。

「くっ——」

「君ももう立派な大人なんだ、交渉はくれぐれも慎重にな。誤魔化すなよ、私はお前のためを思って言っているんだ。交渉で決着がつくのなら、損な話ではないだろう?」

 ファシリエの込めた意味は、十二分に理解できた。すでに腕も足も矢につらぬかれて、彼の四肢は血塗れ、満身創痍だ。こんな状態で戦闘に持ち込まれれば、勝ち目がないことは分かっている。まともに動けない、魔法すら使えない自分は、何とか、示談に持ってゆくより道はない。

「……もうひとつ——の……」

 デイビスはのろのろと舌を動かした。自分の立っている地面が、あまりに頼りなく、無限にくねりながら地の底へと沈み込んでゆくように感じた。

「もうひとつの……条件はなんだ。代償として、お前は何を求めている?」

 ファシリエの唇に浮かんだ笑みが、ナイフで切り裂かれたように、一層深くなる。押し殺した彼の吐息に、妖しい熱が灯った。

「約束しよう、キャプテン・スコットの命は助けてやる。その代わり——ミッキー・マウスを、ここへ引きずってこい」

「ミ、ミッキー……だと——?」

 ———しまった、と思った。
 声に震撼が走った。それを見逃す相手ではないだろう。
 たったの一声で、築きあげてきたものがすべて、すべて切り崩されてゆく。

「駄目だ……ミッキーは渡せない。俺の命を代わりにやる。だから誓ってくれ、スコットだけは、必ずポート・ディスカバリーへ——!」

「おやおや、仮面ポーカーフェイスが剥がれてきたな。悪いがね、そんなチンケなものじゃあ、交換の額にはとても足りないんだよ。我々が欲しいのは、あのちっぽけな一匹のネズミだけ。他の奴らの命など、象に踏み潰されたって興味などありはせんのだ。

 だが、貴様にとってはそうじゃない。大切な相棒なのだろう? 分かるよ。お前が思われているより何倍も、お前はあの男を、唯一無二の存在だと思っている。そしてそれを、彼には悟られまいとしていることも。

 お前はあの男に、劣等感を抱いているよな? 世間の節穴どもの評価など関係ない。コンプレックスが膨れあがりすぎて——もう、正攻法では絶対に追いつくことのできない相手なんだと、分かっているんだろ? 良い機会じゃないか。ここであいつに恩を売っておけば、将来に渡って弱みを握れる……正真正銘、お前が一番だ。それとも、あいつを自分の手で橋の下に突き落としたいか? お前がそれに耐えられるのか? ずっとずっと、奴を追いかけてきた——その恩人の背中を、お前の意志で、破滅へ引きずり下ろすことなどできるのか?

 すべてはお前の手にかかっているんだよ。だからこそ、お前にとっての価値を見失うなよ、キャプテン・デイビス君。いいか、一度失ったら——命はもう、おしまいなんだ。二度と息を吹き返すことはない。永遠に、墓の下だ」

 抜け抜けといつまでも、愚にもつかないことばかり——デイビスは眩暈のするように思ったが、その誘いかけは確かに、崖へと追いやられた者の地盤を打ち震わせる、小さな石くれであっただろう。彼の耳には、かつて荒れ狂うストームを前にして叩きつけられた、あの朗々たるスコットの叫び声が響いていた。


(———デイビス、本当のことを言え! 私をくだらない同情で庇うつもりか!? パイロットは自分の意志で選んだ道だ! お前は私を馬鹿にしているのか!)


 今やデイビスの目は、これ以上ないほどに見開かれ、その瞳孔が、焔に焼き殺される蛾の如く、不断に揺れる。じり、と微かな身じろぎが走り、時が止まったかのような沈黙の中、風だけはざわめき続け、心臓が早鐘を打っていた。

「ああ、そうそう。すっかり忘れていたが——あの男には確か、仲睦まじい家族があったな」

 呼吸が、震える。無論、読まれていることだった。掌に載せた金の粉へ、ファシリエが唇を寄せて吹くと、たちまちそれは輝く人の形を取り、地に伏せて、聞くに堪えない歔欷の声を漏らし始めた。サラさんに、あの小さい幻は、クレアだろう——家族ぐるみで付き合いのあったデイビスには、遺された彼らの悲痛な涙こそが、何よりも魂を揺さぶってゆく。

「可哀そうに、細君もお子さんも、悲惨な末路を迎えた父の訃報を聞いたら、さぞかしお嘆きになることだろうねえ……それに比べたら、両親に捨てられたネズミ一匹など、この世からいなくなったって、どうということはないじゃないか。果たしてどちらが大切なのか、言わずとも分かるだろう? ハッハー!」

「卑怯者——!」

「ククク、確かにお前にとっちゃ卑劣かもしれないな。だが私は、嘘はつかない。これだけは確実だ。

 我々にミッキーを引き渡した暁には、お前たちの故郷には指一本触れないと約束しよう。これでいつでも、大手を振って帰ることができる。お前はあの男に一生の恩を着せることになるし、ポート・ディスカバリーの英雄として、生涯住民たちに崇められることになるだろう。素晴らしい大出世だぞ! こんな王国のことなんかすっかり忘れて、めでたしめでたし、何もかもがハッピーエンドじゃないか!

 どうだ——キャプテン・デイビス? ……あと、少しだよ———」

 最後は、ほとんど肉体から離脱した霊が、彼の耳元で息を吹き込め、魂へと囁くかのようだった。そう、まさしく、悪魔の誘いだ。けれども、ならばどちらの選択が良心に沿うものなのか、永遠に見極められることはない。

 天秤——果たしてそのような比喩さえ、扱って良いものか?
 皿に載せられた重さは、五分と五分。もはや、どちらを救うかではない。提示されたのは、どちらを見捨てるかの選択肢であり、どちらも救う手立てなど、最初から刈り取られている。

 あまりに重い。
 一人の両手に、二つの生命を握り締めるなど。そのいずれかを選ぶこと、それは、禁忌だ。

 動悸すらかまびすしく響く沈黙の底で、生唾を呑み込むデイビス。彼の脳裏を、鼻声に近いもう一人の声が掠めていった。


 ———これからも、時々でいいから、僕と一緒に遊んでくれるかい?

 ———もちろんさ。お前が行きたいだけ、何度でも遊びに連れていってやるよ。約束だ。


 何が間違いだったのだろう、とデイビスは回顧する。あの約束の頃までは、何の陰りもなかったのに——いったい、何が?

 今さら悔いたとしても、答えが出るはずもなく。

「覚悟は、決まったか?」

「……ああ」

「結構。では、こちらへ来い。お前の契約主に、手を差し出すのだ……」

 ファシリエの手招きに誘われて、新たな契約者が踏み入れる。渦巻く瘴気の圏内へ。

 悪魔の巣窟の如く陰翳に彩られた世界を、たった一人、蹌踉と歩いてゆくデイビスは、周囲の意思を持った影たちが、大声でわめき立て、両手を叩き、大地を足で踏み鳴らすのを聞いていた。虚空を飛びすさるヴェヴェの極彩色の妖光を投げかけられながら、ブードゥー人形たちは顔を寄せ合い、どこに針を突き刺すかの算段を交わしていた。それすら——背後に消えてゆくかのようだ。すべての音が遠ざかり、彼だけを取り残してゆく。ひとりきり。腕や脚から垂れ流され続ける血に同情を示してくれる者などおらず、そして自分は今から、自らの意志で、禁断の選択を果たそうとしている。

 この道の先に、ドクター・ファシリエが待っている。これが、終着点。もう後戻りできない場所。青に染まった空の下で、黒々とした燕尾服が、衣擦れを響かせてはためいていた。

「さあ、握手だ。この私と、握手をしようじゃないか——」

 デイビスはしばらく逡巡したように俯いていたが、やがて彼に向かって、おもむろに手を差しだした。それから、






——————パンッッッ




 強かに鳴り響く音と同時に、顎全体をぐらつかせるような衝撃が襲いかかり、鉄の味が広がる。頬を張られた、ということにも気づかなかった。昏倒の一歩手前で視界が揺らぎ、たたらを踏んだファシリエはようやく、遅れて波打ち始めた痛みとともに目を見張る。

 目の前に立つ若者は俯いていた。振り下ろした手を真っ赤に染めて、薄暗い瞳に、底なしの意志の強さが宿っていた。

「————これが俺の答えだぜ、ドクター」

 熱を籠めて囁く彼の、その全身から、なにか轟音のようなものが滲みでていた。その正体は杳として測り知れず、肩にも瞳にも、陽炎に似た気韻が取り憑き、霏々として揺らめいている。

「ミッキーは引き渡さねえ。お前の取引には乗らねえ。交渉は決裂だ」

「本当にそれで良いのか……? 後悔させてやるぞ、小僧! あの男の命は、貴様の言葉ひとつで簡単に———」

「遅えんだよ」

 デイビスの衣服が、解放を求めるように荒れ狂っていた。その手首に巻かれたパイロット・ウォッチは、刻々と、新たな時刻を指し続けている。

「遅いと言っているんだ、俺は」

 眼が、厳粛にファシリエを見据え、もう一度言った。鮮やかな眼の色だった。その奥底に、幾つもの意志の線が躍り狂い、何の幻覚か、それらは次第に、黄金の束の如く見えてくるのである。

 そして次の瞬間。
 衝撃が、爪先を貫いた。

「あ——?」

 デイビスは少しも動いてはいない。しかし、目の眩むような戦慄の後から激痛が走り、ファシリエが、ゆるゆると足元を見る。そこには、ボタンを縫いつけられた目で彼を仰ぎ、鋭い針を引き抜く、ブードゥー人形の姿があった。しかし、その色の人形が紛れ込むはずはない。黒い人形の意味は、死からの守護。

 ————魔除けのブードゥー人形、だと?

 刺された側の足が、痺れて、動かせない。単なる針ではなかった。よろめき——くず折れる。片方の脚に、完全に力が入らない。

「痛いか?」

 風の中で、デイビスはファシリエを見下ろし、妖艶に微笑んだ。黒い毛糸で巻かれた腕を動かし、ブードゥー人形はけらけらと空っぽの笑い声をこぼしながら、その主人の肩へと攀じ登ってゆく。

 ———小僧、と罵倒が喉まで出かかった。

 眩暈がする。憎悪と、怒りに。

 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す。

 染まってゆく。精神が、どす黒い悪意へと。

「お前、舐めてただろ? 魔法の使えない人間は敵じゃないって。その通り、俺は単なる一般人だからな。使えないなら、利用すればいい・・・・・・・・・・・・・・
 あんたのブードゥーの魔術は大したもんだ、俺の持っていた人形さえ、術にかかって動き出したよ。もっとも——この人形に込められていた念は、あんたのものでも、俺のものでもない。俺の相棒のものだけどな」

 じゃれついてくる人形の頭を指の腹で撫でながら、逆光に顔を翳らせるキャプテン・デイビスは、冷たい眼差しを向けて嘲笑う。

 事前に知っていたわけではない。けれども彼には、想像がついた、この人形をぶっきらぼうに手渡してきた、あの男の胸中が。ストームライダー発進前——嵐に突入するという極限状況の中でそれを握り締め、薄暗いコックピットでたった一人、念じ続けていた祈り。

 それは———

 どうか何事もなく、自分の愛する家族の元へ帰還できますように———ではなく。



 ————この街に生きる人々が・・・・・・・・・・、無事に朝の光を迎えられますように、であるということ。



 ファシリエの魔術によって命を吹き込まれたブードゥー人形は、その思念に従い、キャプテン・デイビスを守ることを至上命令だと解釈した。そして、持ち主から託された強い思いが、術者の悪意をも跳ね除け、孤立無援の彼に味方するのである。


 ———キャプテン・スコットの精神は、ここに生きている。
 ———あいつは自分じゃない、他人の幸せを願って生きてゆくような人間だ。


 それを信じて、突き進むしかなかった。
 今ここに、相棒がいないというのなら。手元にある小さな人形を通じて、彼の意志を推し量るよりほかにない。

 ———ごめんな、スコット、と声に出さずにつぶやく。でも俺は、最後まで諦めないから。生きる限り、闘ってみせるから。

 あんたは、ポート・ディスカバリーに生きる、数えきれないほどの人々を愛していた。そうだろ?
 人がどうあるべきなのかを学んだのは、あんたが、それを体現しようとしていたからだ。

 俺は必ず、あんたを救いだす。だから、今だけはどうか、力を貸してほしいんだ。


この王国のすべての始まりとなった、

一匹の鼠の光A twinkle of Mouseを守るために———




———俺に、悪と対峙する勇気を与えてくれ。



 太陽がこの地へのぼるには、物凄い力学を必要とした。ありとあらゆる時空が鳴り響き、無限に音を拡散させてゆきながら、さらに深い、底なしの空虚へと押しあげてゆき、夜の森厳に乾き切った地表を、薄明るい反射で満たした。ぎちぎちと軋んでゆく偶然性と、戸惑いに吹きかよう風に誘われて、夜明けが始まる。彼の半身もまた、翳に凍り、光に燃え、その眼は炯々と輝いている。ほとんど気圧されるようにして、ファシリエは、その人間を視界に入れた。この異様な存在感は、何だ? たかが魔術も使えぬ凡人の若造が、なぜ、全身を打ちのめすような迫力を帯びている? まるで、世の一切を霞ませ、風の中に吹き飛ばしてゆく、強靭な白光を目の当たりにしているかのようだ。ファシリエは、美しいと思った。その妖しい緊迫に満ちた姿を。燃え盛る激情を燻している様を。けれども同時に、これほどにおぞましいものは、一度も見たことがないとも思った。ゆっくりと、黄金きんに張り詰める琴線を爪弾くように、デイビスの唇が語りだした。その言葉もまた、醜く、美しかった。声は掠れ、同時に汗を滲ませていた。すべてが異様な色彩を帯び、そのすべてが、滅びゆくもののように思われた。

「キャプテン・スコットは、ストームライダーのパイロットだ。ストームライダーに乗る奴は、いつでも自分の死を覚悟してる。てめえ如きには、俺たちの抱く信念も誇りも、けして理解などできねえだろうがな。

 だが、ミッキーは———」

 風が吹き荒れ、乱れた前髪を避けるために眇めた片目が、哀しげに光る。


「……あいつは、子どもだから。俺たちが守ってやるんだって、教えてあげなくてはいけないんだ。例えこの先、どんなに恐ろしいことが待っていたとしても」


 風が吹き、茫々と取り憑く。まもなく夜明けを迎えようとする、空っぽのこの世界に。

 その宣戦布告がもたらした沈黙は、一瞬にすぎなかった。次の瞬間には、けばけばしいと言えるまでに怪物的な高笑いが噴きあがると、その冷酷な笑いに導かれるかのように、急速に影が伸びてゆく。立ち並ぶ枯れ木から、鉄柵から、墓石から。まるで、彼を闇の中へと追い詰める檻のように。

「たかがブードゥー人形一匹に何ができる! この世には呪いの人形など、山のようにあるのだ———貴様らのチンケな願いなど、たやすく吹き飛ぶほどにな!」

 デイビスはすんでのところで身を躱そうとしたが、その足首を、闇に掴まれた。次いで、腕も。形なき枷が渦巻き、自由が奪われてゆく。背後にも、右にも、左にも、得体の知れぬ魔の手が増えてゆくのを感じる。その影の口は鉤爪の如く裂けて、みるみるうちに悪魔の笑みへと変貌していった。

「せっかくの話を断るとは! まあいい、こちらの要求を跳ねつけたからには、覚悟はできているんだろうな? お望み通り、貴様らストームライダーのパイロットどもには、たっぷりと同じ絶望を味わわせてやるとも。

 さて、さて、さて……」

 ファシリエは、二本指で顎髭を撫でると、芝居がかった身振りで、影の創りだした監獄へと向かって杖をつき、ヘビの如くずるりと一歩を引きずり、前へと進み出た。

「ちょうどいい、貴様のような偽善者が、いったいどこで化けの皮が剥がされるのか、実験してみるとするか。何分経てば、命乞いをして、私の足元に這いつくばるのか。それとも、ネズミになんぞ加担したまま、惨めで高潔な一生を終えるおつもりなのか」

 ファシリエは手を伸ばして、魔除けのブードゥー人形を取りあげると、それを地面に叩きつけ、杖の先を、ぐっと心臓の上へ突き込んだ。そして、俯くデイビスの顎下に杖を挿し込むなり、ぐい、と無理矢理自身と目を合わせるよう差し向ける。

「さあ、教えてくれよ。中途半端な世迷いごとなどほしくはない、求めているのはただひとつ。私はな——この世の、真実が知りたいんだ」

 影の鉤爪に戒められた囚人の四肢からは、毒のような燐光が吹きこぼれ、不断に大気を汚し続けていた。ファシリエの網膜に、歪められた彼の姿が映る。濡れた髪から汗が一滴、煌めきながら顳顬を伝い落ちていった。

 しかし、それまで勝利に酔い痴れて口を歪ませていたファシリエの前で、デイビスはいきなり、ふっと唇を緩めると、見るも鮮やかに、対面する呪術師に微笑みかけてみせた。光り輝く双眸が細められると、より一層、魂の奥底を象徴する反射光が飛び散った。煌然たる翠の光———まるで彼の虹彩それ自体が、強靭に発光しているかの如く。

「———ああ、いいぜ、ファシリエ。お前が本当に自分の心を信じているなら、確かめてみると良い。

 哀れな奴だな。そうやって目に見えないものをいつまでも探し続けて、気づかないのか。お前自身が、疑心暗鬼の沼に引きずり込まれているということに」


 ゆっくりと目が見開かれ、ドクター・ファシリエの顔色が、変わった。常とは逆転し、裏切った場所から、光がやってくる。大地の底から、それがやってくる。デイビスは、彼と静かに見つめあったまま、周囲に漲り始めている、自然界の空疎な呻き声を聴いていた。

 間もなく、夜が明ける。微かな風さえも帯びる澄んだ轟きに、デイビスはそう悟る。髪は揺れ動き、シャツの襟がはためく。ざわつく影も、泥まみれの人形たちも、この世の中心に立ちすくむ二人の男を置き去りにして、近づくことはできなかった。けして相容れるものではなかった。死の薄膜一枚を隔てて、ほんの触れあっただけのような、波紋ひとつ以外、何も結び交わすことなど不可能だったような、ほとんど虚無に近い関係に呑まれ、互いが互いを、傲然と見続けていた。不意にデイビスは、まるで達観の境地に達したように、薄っすらと眉を持ちあげ、軽薄な笑い声を放った。そして、穹窿の下にその白い首をさらけだし、自らの捕縛者に向かって、会話を続けた。


「早く殺してみろよ、"お友達"がいなければ何もできないチキン野郎。俺が怖くて、ビビってんだろ」


 ——————殺す。

 がら空きだった腹に、鈍い衝撃が走る。重い内臓への圧力とともに、杖の戴いていた紫水晶の珠が埋め込まれると、さすがのデイビスといえども一瞬、目が眩む。腹を抱えながら膝をつき、奥歯の隙間から荒い息を噛み殺しながらも、彼はついぞ、ファシリエを睨めつけることを止めはしなかった。そのぎらつく瞳の輝きには一点の曇りもなく、いまだ狂おしいほどの獰猛さが燻り続けて、けして消え去りはしない。この眼だ、とファシリエは思う。無闇に歯向かい、蛙へと変えてやったあのストームライダーのパイロットも、この忌々しい眼を燃やして私を睨みつけていた。こいつも、あの男と同じ目つきをする。へし折ればいい。打ち砕けばいい。そうすれば眼差しは、瞬くように死んでゆくはずだ。だがなぜ、いつまでも光は消えはしないのだろう? あのプライドの高い男も、この小癪な若造も、なぜ、無益な抵抗のためなどに、命を散らしてゆくのだろう?

 何も理解などできなかった、何も。わななくように地を這う、敗者の指。それを、骨が軋むほどにゆっくりと踏み躙られ、声なき悲鳴を押し殺すデイビス。彼を厳然と見下ろすファシリエの手には、生贄のブードゥー人形と、薄明を反射する冷たい針が握られていた。

「最後まで強情な若造だった。そのふてぶてしさだけは、賞賛に値するよ」

「…………貴様、の……自由には、させやしねえ、よ——」

「ではせいぜい、そのちっぽけな自由とやらを握りしめて逝きたまえ。

 Au revoirさようなら、ヒーロー気取りの、哀れなキャプテン・デイビス君———」

 と言い残して、針の先端が鋭く光るのと同時。

 光が、弾ける。
 破裂した閃光を受けて、闇は呆気なく相殺され、思わず瞑目したファシリエを数歩後ずさらせる。無数の油の粒が弾けるような音とともに、一面に大地から霧散してゆく影たちが、もしも最期に目にした光景があるとすれば——それは、蒼い魔力を湛えた三角形の帽子。そして、それを戴く頭と、漆黒の丸い耳であっただろう。いまだ視力の戻らぬぼやけた視界で、闇の枷を外されてゆくデイビスは、目の前に佇む、子どもほどの身長の黒いシルエットを見つめた。ミッキーだ、ミッキーだ、というさざめきが、彼らを取り囲むブードゥー人形の間に広がり、ヒステリックな笑い声や、ニタニタとした笑みがさらに深まってゆく。

「馬鹿、やろ……隠れていろって、言っただろ……」

「いやだ! デイビスが闘うなら、僕だって闘う!」

「ミッキー。お前——」

「君を一人にするくらいなら、僕が一人になった方がずっといい! 僕は——僕は、これ以上、誰も失うわけにはいかないんだ!」

 そう謳う彼の膝は、哀れにも、ガクガクと笑いっぱなしで、ファシリエの嘲笑を誘うには充分である。デイビスの目にも、その小さな肩が、小刻みに震えているのが分かった。振り向けば、きっと泣いてしまうから。いつでもそうして前を見て、恐怖を呑み込んで、ヴィランズと向き合い続けてきたのだろう。それは、王国を背負って立つミッキー・マウスだけに与えられた使命であって、他の誰にも、肩代わりすることはゆるされない。例え、どんなに彼が助けを求めたとしても。

 ———けれども。

 違うんだよ、ミッキー、とデイビスは心の中で語りかける。お前はそうしてずっとひとりで、ディズニーの看板を背負い続けてきた。お前はその歴史を、あのおっさんとの友情の証として、何よりも誇りに思ってきたんだよな。

 でもな、ミッキー。お前はまだ子どもなんだよ。大切なものを守るために、自分を押し殺そうとする日々は、もう終わりにしなきゃならねえ。……俺もスコットも、それを断ち切るために、お前のもとにやってきたんだ。

 ドクター・ファシリエは浅黒い唇を歪めると、吹き荒れる烈風からデイビスを庇うように腕をあげ続けるミッキーに向かって、慇懃無礼に腰を折ってみせた。

「お待ちしていたよ、ミッキー・マウス。まさか、この国の王様自ら、こちらにおいでいただけるとは! わざわざ探しだす手間が省けたよ——」

「僕に触るな、ドクター・ファシリエ。お前はホーンテッドマンションを支配し、多くの死者を冒瀆した。それに——エディも、メラニーも、ダカールも、デイビスも。こんなにも、こんなにも痛めつけて。お前は、僕の愛する人たちを……」

 怒りに震えながらも、列挙されたところからは外された名。
 しかし、その意図を容易く見透かすように、ファシリエの舌が、ゆっくりとその名を載せて言った。



「———キャプテン・スコットは、お前を一人にしないと誓ったか?」



 その瞬間。
 ミッキーの心に、決定的な亀裂が入る。

 真核まで達する罅の数々が、目に見えない悲鳴をあげるように。ぴしり、ぴしりと、絶え間ない微かな音を鳴らしていた。
 だめだ、ファシリエの言葉に負けるな。しっかりしろ。そう、思えば思うほど———

 みるみるうちに目頭が熱くなり、視界がぼやけてゆく。ツン、と鼻が痛くなり、必死で噛み締めた息すら、嗚咽のような痙攣を湛えてゆく。


「お前にとっては、理想のお父さんみたいだったろう。この王国ディズニーランドにやってくるゲストのように、無条件の愛をそそいでくれて。寂しさを埋めてくれるようだったろう。ずっとずっと、こんな父親がほしかったと、心の奥底で願い続けていただろう。

 まるで、ウォルトのようだったろう・・・・・・・・・・・・・・・・?」


 ———どうして。

 どうしてファシリエは、僕の心を知っているんだろう、と。身ぐるみ剥がされ、丸裸にされたような気分で、ミッキーは震えていた。そして、堰き止めていたはずの感情がよみがえってくる。言ってはいけない言葉。心の奥底に呑み込んだ言葉。

 どうして———


 どうして、あの時のスコットは、僕の寂しさに気づいてくれなかったんだろう?


 分かっている、彼が僕より、相棒であるデイビスを優先させるなんてことは。だって、僕はスコットと出会ったばかりで、僕たちの間に何の縁もゆかりもない。

 たったそれだけのことなのに、永遠に見捨てられた気がするのはなぜ?
 どうしてこんなにも、胸が張り裂けそうになる?

「お前はあいつに、大好きだと言ったな。ところが愛とは、実に摩訶不思議なものだなァ? あいつは、さっさと足手纏いのお前を切り捨てて——行方不明になった相棒を探すために、外へと出て行ってしまったよな。

 お前は所詮、その程度の存在なんだと気づいたよな? 気づいて——それを、心の奥底に隠したよな? 愛を否定されてしまったら、今度こそ生きてゆけないと。……随分と涙ぐましい努力を払ったじゃないか、ミッキー?

 ああ、私は一流の占い師だ。お前の考えていることが、よく分かるよ———」

 一歩、間合いを詰める。
 涙を溜めた目で、ミッキーはそれを見た。ざわざわと、ファシリエの足元に、無気味な影が広がってゆく。

「夢だったんだろう? 朝から晩まで、遊園地で一緒に遊んでくれる家族が。憧れだったんだろう? 本当は、ウォルトがあれほど愛したディズニー家と同じように、自分も、父母に愛してもらいたかったよな。ああそうだ、お前はずっとずっと、指を咥えて羨ましそうに見つめるばかりだったな。

 この王国にやってくる、数え切れないほどの幸せな家族たちを———」

 言いながらファシリエは、懐から魔力を封じ込めた粉を取りだすと、それに息を吹きかけた。そして、ミッキーもデイビスも、長年この国を守り続けてきた王の、本当の願いを目のあたりにするのである。

 そこは、鮮やかな青空を背負ったディズニーランド。何枚もの写真を撮って、ホストではなく、数多くのゲストの一員として、ミッキーは王国を見回している。ひとりではなかった。家族がいた。父に、母に、姉……彼と血の繋がった者たちが勢揃いして、ひとつの輪を築き、和やかに笑っていた。
 けれども、彼の頭を撫でたり、目線を合わせて話しかけたりするそれらの人物たちは、ぼんやりとした影のままだった。家族と遊んだ過去を持たない彼には、具体的な委細など何も思い浮かべられず、ことごとく現実味を欠いて——それでも、そのシチュエーションに、心から憧れていたのだろう。僕も愛されたい。あんな風に、甘えたり、わがままを言ったり、大人たちからの庇護を感じて安心してみたい——普通のゲストたちと同じように。そんな空想を抱き続けながら、しかしけして叶うことはないと分かっているからこそ、彼はその願いを、心の奥底で否定し続けていたのだった。

 そしてその時、デイビスは確信した。スコットとともにワールドバザールに連れていった日、なぜ彼は、あんなにも目を輝かせて喜んでいたのか。



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 ———ミッキー。
 お前は俺たちに、幻の家族の姿を重ね合わせていたのか———



「実に惨めなことだなあ、ミッキー? この王国の頂点に立つ者が、そんな幼稚園児のように稚拙な妄想に耽って、自らを慰めていたとは!

 ———だが所詮は、道化のままごとでしかない。夢は、夢のままに死んでゆく」

 ぱちん、とファシリエが指を鳴らすと、家族の影はみな、真っ二つに切り裂かれるようにして、いなくなってしまった。憧れを積み重ねた光景が、ちりぢりに引き裂かれ、彼ひとりを残して、煙となって消えてゆく。

「くだらん。お前が信じている家族愛など、幼稚な貴様が浮かべた、ひとりよがりの幻想だ。大人の連中が、なぜ貴様のような餓鬼を愛してくれると思う? 今に知るだろう、奴らがどれだけ醜くて、身勝手な野望に囚われた連中なのか!」

「聞くな、ミッキー!」

 ぐぐ、と身を起こしながら、デイビスは叫んだ。僅かに裏返ったその硬質な声が、風によって、切れ切れに吹き散らされてゆく。幾らかの土塊が、彼の衣服から、頼りなく剥がれ落ちた。

「俺は、お前を選んだんだ。他の人間の言うことなんざ、聞くな! お前の信じるべきは、この俺だ!」

「そうやって、大人の言うことを何も考えずに信じ続けてきたんだろ? 信じたから裏切られるんだ。馬鹿なネズミめ、全部嘘なんだよ。大人はお前を騙すんだ、何度も、何度も、骨の髄まで!」

「ミッキー、俺たちはお前を騙そうなんて思っちゃいねえ!」

「大人なんて———」

 デイビスの言葉を掻き消すように、ファシリエは杖を振りあげながら叫んだ。

「———貴様の妄想が描いた、お優しい聖人ばかりだとでも思っているのか!? 教えてやろう、本当の大人というのはな、薄汚くて、金に目がなくて、自分が勝ち抜くことしか考えていない、吐き気のするような連中ばかりだ! 周囲の、針の刺さった人形たちを見ろ! この何十、何百といるブードゥー人形たちは、奴らの穢らわしい憎悪の表れだ! 自分の野望を叶えるためなら、他人を地獄に蹴落としたって、何の良心も痛みはせん! 奴らはそうやって、細い橋を、前へ前へと突き進んできたのだ!

 なぜ夢など見るんだ。この王国にやってきた子どもたちも、一度成長してしまえば、もう二度と、かつての日々を思い出しはしない! 貴様のような世間知らずのネズミがどんな綺麗事を抜かそうと、子どもはやがて、醜い大人になる。その流れを、貴様なんぞが止められるわけがない!

 時が経つごとに腐り落ちてゆく人間どもに、貴様は何ができる。何が教えられる! 愛だと? 戯けたことを言うな! 貴様が夢見ているような人間は、所詮、この世のどこにも存在しないんだよ———!!」

 身動きひとつせずに、その言葉を真正面から受け止め続けるミッキー。心と体が分断されたように感じた。自分を傷つけるためにぶちまけられる悪意が、虚ろに、耳に響いてゆく。凪の如く何も動かないように見えて——心だけが、反応している。ほんの少しでも動いたら、もう見ぬふりのできないそれが溢れて、取り返しがつかなくなってしまうと、分かっていた。

 泣くな。
 僕に酷い言葉を投げつける人なんて、世界中にいっぱいいる。今まで、パークにきたゲストにだって、面白半分で僕を嘲ってきた人はたくさんいたじゃないか。そんなのは、ディズニーが存在し続ける以上は、当たり前のことだ。笑え。作り笑いでも良い、笑っていろ。


 そう言い聞かせながらも、熱くひりつく喉を詰まらせるミッキーの傍らで———



「違ェよ」



 ———闇を切り裂くように、ひとつの声が、真っ向からその影に反駁した。


「お前の言ってることは、全部間違ってる。俺たちは、そんな能書きを説くために大人になるんじゃない。お前、子どもに何言ってんだよ——」

 それは、不思議な情熱を帯びて、ミッキーの心の反対側を照らす声。そして不意に、強引な力で肩を引き寄せられて、ミッキーは愕然とした。傷だらけであるにも関わらず、彼は立ちあがりかけていた。大地を踏み締め、熱が宿る。ただひとりの力で、煮え滾らんばかりの激しさで。

 これほどの怒りに燃えるデイビスは、見たことがなかった。そばに立つミッキーは、その肌に、鬼気迫るようなうねりを感じていた。まるで、滲みでる蒸気に表面が泡立ち、空気をも溶かす温度で輝き始める、金属の如く。どんな制御も、どんな弁明も義憤の彼方に没してしまい、あらゆる箍を外して、今、目の前にいる人間だけを憎悪していた。軋り合わせる奥歯に、震える呼吸に、見据えた者を破滅させようとする瞳に、凄まじい焰が、燃え広がっていた。


「大人は、何かを失った人間なんかじゃねえ。どんなに年老いても、死の間際に立たされたとしても、俺たちが心を燃やすべきことは変わらない——なのにお前らが勝手に、それを手放していっただけじゃねえか! 世の中には、お前みたいに腐りきってねえ大人なんて、いくらだっているよ。今も大きくなり続ける愛情を心に宿して、子どもたちには光の中で生きてほしいと、そう願って醜いことと闘い続ける大人たちは、いくらだってこの世にいるよ!

 お前らが幻想だと馬鹿にするその願いが、例え闇の中のほんの小さな瞬きだったとしても、光が自分の中にある限り、この先何度だって、また立ちあがれる。心が折れそうになったって、自分の信じた道を貫いてゆける。人生を懸けて受け渡されるその営みを否定する権利なんて、お前にありはしねえよ! お前みたいな人間が、人の抱く愛や良心の、いったい何を知ってるっていうんだよッ!!

 なあ、そうだろ、ミッキー? この世で何が美しくて、何が価値があるかを、俺たちは知ってる。それは多くの人が、俺たちに教えてくれたからだ。一番辛い時、一番大切な原点を思い出せるように。何度も何度も、未来の道しるべとなることを祈って、俺たちに生きる希望を教えてくれた人々がいるからだ。だからこそ俺たちは、大人になった今でも、その光の意味を知り続ける。それを目指し続けるということが、どんなに素晴らしくて、どんなに尊いことだったのかを、永遠にその身で理解し続けるんだ。

 ドクター・ファシリエ、お前たちが生きる上で、いったいどんな世界を見つめてきたのか、俺は知らねえ。もしかしたら魑魅魍魎の渦巻く、おぞましい世界なのかもしれない。傷ついて傷ついて、仕方のない世界なのかもしれない。だけど——大人になるっていうのは、闇に汚れて、光から目を背けて堕ちてゆくことじゃねえ! どんな闇の中でも、あの時の光に向かって立ちあがり続けるために、年を重ねてゆくんだよ! てめえらみたいに子どもの夢を嘲笑ったり、善意を踏み躙って、悪意を刻みつけようとしたりする輩は、大人である資格すらねえ! 人の道を踏み外した、ただの人生の敗北者じゃねえかッ!!

 てめえはミッキーを傷つけた! ミッキーの夢を馬鹿にした! 俺は絶対に許さねえ——てめえだけは許すことはできねえ! てめえらのような悪人どもが、この世の人間の本質だなんて、絶対に、認めるわけにはいかねえんだよ——ッ!!」


 そしてデイビスは、熱を孕んだ手をミッキーの肩に置き、息の吹きかかるほど近くで、一言一句を捧げ尽くした。

「ミッキー、あのおっさんがお前に願ったのは、自分の創りあげてきたディズニーの伝統を、たった一人で背負わせることじゃない。どんな時でもお前が、美しいことを美しいと信じられるように、この王国を託したんだ。自分の功績が大切だからじゃない、誰よりもお前を愛していたからだ。ディズニーというのは、ウォルトが、永遠にお前のことを愛しているという証なんだ!

 お前、あのおっさんのことが大好きだったんだろ? なら、思い出せよ。死してなお、自分の親友が夢見ていたことを、ミッキー、お前が簡単に見失ったりするんじゃねえよ!


 誰の胸の中にも、あるんだよ。
 生きる意味を照らしてくれる、星のように美しい光が———


 俺とスコットは、それを伝えるために。
 あの日、お前に会いにきたんだよ———!」

 そして、眩しく輝く目を燃えあがらせて、彼に懸命に眼差しをそそぐ姿を目にした瞬間、ミッキーの胸に、同じ心のわななきが吹き抜けてゆく。そう、これが初めてではない。何度も自分に向かって手が差し伸べられてきたことを、すでに彼は、思い出の中で知っていた。


(今こそ、お前が主人公になるべきなんだ。夢を見れば、お前はたったひとりの主人公として、最高の物語を始めることができるんだよ。この王国にいれば、誰もが主人公になれる。忘れちゃったのかよ、ミッキー? なら、何度でも思い出させてやるよ。

 お前がこの世で見てきたものは、きっと、これからを生きてゆく光になる。誰が何を言おうと関係ない、お前には、お前の人生の喜びがある。今からそれを、捕まえに行くんだ)


 あの時、泣き腫らしたミッキーの背を撫で続けながら、目の前にいる彼が、微笑みを浮かべて語りかけた夜。辺りを包み込む暗さは、けして敵対するものはなく、心を慰め、揺さぶり、勇気づけてくれる友達となるように、暖かい声が胸に染みて、この優しさ以外、何も考えられなくなるような夜。

 あの静かな夜のように。真っ直ぐに伸びてゆく道を見失ってしまいそうになった時、世界を愛し、善なるものを信じ続ける人々の心が、どれほど尊いのかに気づくだろう。まるで心に覆い被さってくる暗雲を払い、暗闇の先へと導いてくれる彼らの存在を、心の底から願う瞬間、魂は、けして否定しえない真実を知るのだ。



 ———人々の心を信じたかったのは、僕だけじゃない。
 "善"はこの世にあるという証を必要としていたのは、僕ひとりだけじゃない。


 誰もが闇に呑み込まれながら、夜の怖さに震えながら、微かな光を生みだそうとしている。

 それはあまりに脆く、あまりに傷つきやすく、誰かが守らなければ消えてしまいそうな光、彷徨えば彷徨うほど、見えなくなってしまう光、すぐに忘れ去られてしまう光。


 けれども。
 もしもそれを、永遠に心に宿すことができたのならば。


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 もう、自分の弱さを怖がる必要などない。
 心の光を道しるべにして、きっと自分の正しいと思う方向へ、何度でも立ちあがりながら生きてゆけるはずだった。


 この世界に輝く、けして失われることのない、人間の希望の灯火。想いがあり、温もりがあり、憧れがあり、微笑みがある。



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 幾つものページを重ねて。
 僕らはそれを、語り続ける。



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 九十年以上の歴史を持つ、この世に生み落とされた、たくさんの作品たち。
 数えきれないほどに膨れあがったそれらは、音楽と物語を通じて、今も宝石のように美しい光のありかを示し続けているのだ。





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———生まれてきて、よかったんだ。

———生きることは、喜びなんだ。


 一番脆くて、一番暖かくて、一番壊れてしまいそうな、あの、人生の輝かしい讃歌。心が傷つくたびに手離しそうになってしまうそれらは、けれども、失われることなんてない。目を開けてみれば、どんなところにだって、それはあるのだと。

 あらゆる映画から、音楽から、王国から、ディズニーに関わってきた人々が伝えようとし続けたメッセージ。それは、どんな時代の、どんな場所においても、世界に目を輝かせる子どもの心に、あふれんばかりに息づいている。

 君はこれからも、人生を愛してゆける。心から笑ってゆける。君が気高く生きることを、僕らは知っている。

 そしてこの先、例えどんな悪と対峙したとしても、君の心の美しさは、誰にも穢されない。そばにいてほしい時、泣いてしまいそうな時、誰かの温もりがほしい時、どうか僕らの名前を呼んで。

 けしていなくなることなんてない。君の思い出に通じる窓を解き放ち、友達みたいに輝きながら、心にささやき続けるよ。











—————僕らはみんな、


 

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——————夢を見ればいつでも、


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 ————このちっぽけな世界を抜けだして、太陽のように輝くことができるんだ。



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 ————僕らが君に、教えてあげる。


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 ————君の中に、どんなに素敵な魔法が眠っているのかを。


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 ————あの頃の純粋な気持ちが、今も君の胸に残っている限り、


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 —————生きる喜びが、星となって君を照らし続けるだろう。

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 —————世界は美しいんだって、


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 —————愛はここにあるんだって、


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 そう信じられるように。
 僕らが何度でも、君の心にささやくよ。

 




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 けして終わることのない、人生の旅路。その彼方に善なる光を信じて、きっと君は、歩いてゆける。

 僕らはここにいる。
 永遠にここにいる。

 闇の向こうに、生きる意味を信じられない時でも。
 僕らはずっとずっと、心の中にいて、君の光を信じ続けるよ。


 


 

「……あの時……」

 薄明と、薄闇と、風に満たされた空虚の中で、ミッキーがつぶやいた。デイビスは微かに息を呑んで見つめる。

「あの時。モンストロに呑み込まれて、ひとりぼっちで取り残されていた時。暗闇の中にいた僕を、デイビスは迎えにきてくれたね。

 そして僕に、ディズニーランドを、ディズニーワールドを、東京ディズニーリゾートを——シンデレラ城を、見せてくれて。夢を見れば、きっと叶う。お前ならできるって。……そう、言ってくれたよね」

 語るうちから、胸の奥底に、静かな力が湧き出してくる。風音とともに、次第に熱く、狂おしいほどに激しく。昂揚のうちに———心が、燃えあがってくる。

「デイビス。君は、僕を見つけてくれたよね。僕を励ましてくれたよね。魔法は僕の中にあるんだって、僕を信じて、笑ってくれたよね。

 あの時、ディズニーは、ここにあるってわかったんだ。僕だけじゃない、君の中にも、たくさんの人たちの中にも、それは息づいている。

 例え見失ったとしても、もう一度——美しいものは、何度でも信じることができるんだって、そう言われた気がして。


 ————僕、とっても嬉しかった……」


 そしてミッキーは、ディズニーランドが休園してから、いや、自身が親に見捨てられたのだと感じてきてからずっと、怖くて言葉にできなかったそれを、ようやく、口にのぼらせた。



「————僕のこと、愛してくれる?」 



 僕は知りたい。
 この世の真実が、善と悪の、どちらにあるのか。

「この先もずっとずっと、嫌いにならないでくれる? 僕がここにいることをゆるしてくれる? 僕を見捨てないでいてくれる——?」


 生は希望だ。命は喜びだ。僕の生まれてきたこの世界に、光を授けてくれる人々は、確かに存在しているんだ。

 たった一度でいい。それが確信できれば、きっと生きる意味を信じられるから——震えるようにそう願うミッキーへ、まるで陽の光が沁みるかの如く、明るい声が降りそそいでくる。


「———ああ、大好きだ。ずっとずっと、大好きだ。お前がそばにいるなら、俺はどこまでだって、一緒に行ってやる。

 いいんだ。もう、ひとりで闘わなくていい。守ってもらって、いいんだよ。

 俺たちが必ず、お前の笑顔を守ってやる。だからもう、ひとりで泣いたりするな——!」



 彼と目線を合わせ、大きなその手を差し伸べてくるデイビス。それは、混じり気のない、生の肯定だった。太陽のように眩しく、進むべき道を照らし続ける、その瞳の輝きはけして変わることはない。そして、その手を握り締めた時、めぐりゆく時を超えて、この先を生きてゆく子どもたちの、限りない未来に祈りを捧げ、その象徴たる彼の姿を愛おしげに見守ってきた、数々の大人たちの情熱的な瞳が、今、歴々とよみがえってくる。

「勝つぞ、ミッキー。あんな髭野郎なんざ、俺たちの目じゃねえってこと、思い知らせてやるんだ!」

 それは、ひとつの讃歌なのだろう。
 人から人へと受け渡される、力強い肯定の歌。幾重にも広がってゆくその響きに背中を押されれば、きっと誰もが、この世界で生きる希望を抱いている。そして、それを真っ直ぐに差し向けられた時、心の中で、あまりに純粋な想いが目を覚ますだろう。


 ———人間とは、こんなにも綺麗で、
 ———生きるとは、こんなにも眩しいものだから。


 目の前で懸命に息づいている、この人を守りたい。荒れ狂う悪の手から。襲いかかる悲劇から。この世界の、ありとあらゆる不条理から。
 それを愛と呼ぶのなら、こんなにも胸を揺さぶる思いを、どうやって叶えたら良い? 愛のありかを自覚しただけでは、到底足りはしない。僕は知りたい、燃えあがる願いの、その先を。誰か、教えてほしい。大好きな人たちの心を守るには、どうしたらいいのかを。

 そして不意に、不思議な蒼い光をたゆたわせていたソーサラーハットが、静かに、その色を深め始めた。頭頂から爪先まで、彼の全身を仄かな燐光で包み込み、遠い彼方から聞こえてくるような声が、ゆっくりと心の内側に響いてくる。


 ———やれやれ、ここまでくるのに長かったなあ。君が本物の魔法使いになれる日を、ずっとずっと、待っていたんだよ。

 ———ソーサラーハットくん?

 ———魔法使いになるのは、何も難しいことじゃない。君が、信じるんだよ。ミッキー・マウスは、世界中の誰よりも素晴らしい魔法が使えるんだって。

 ———魔法? 君のいう魔法って、いったい何なんだい?




 —————僕の魔法は、心の力。君が闘うたび、強くなるよ。





 ふっ——と、体に纏わりついていた何かが、軽くなった。けれども、血液の隅々まで満ち溢れるような、めくるめくあの感覚は消えていない。それどころか、どんどんと心臓が脈搏って、何もかもがドキドキして、膨れあがって、そこに立っているだけでたまらない気がした。心がざわめく。夢が躍る。万能感が、見えるものを書き換えてゆく。

 デイビスは、泥まみれになったスコットのブードゥー人形を拾いあげると、ファシリエを真っ直ぐに指差し、敢然たる口調で宣言した。

「ドクター・ファシリエ! これ以上、貴様らヴィランズたちに、ミッキーを苦しめさせやしねえ! 所詮三下なお前に、俺たちを倒せるはずがねえんだよ!!」

「ほざけ! 貴様ら全員、この私がまとめて地獄に送ってやる! 影よ——!!」

「———光よ! 闇を薙ぎ払え!」

 光と影が集結する。襲いかかる闇。それを前に突き出された手から、輝きを撒き散らす魔法が溢れだしたことに、ミッキーは少しも驚かなかった。凄まじい音とともに光芒の結界が出現し、突進してきた影が飛散するほどに爆ぜる。続けて、彼が片手をあげると、天から降りそそぐ数百にも及ぶ火球の群が、蒼白い灼熱の尾を燃やして、地に這いつくばる影たちを問答無用で殲滅していった。視界を灼き尽くす火花が弾ける様は、さながら大規模な光のスコール。雨霰と降り続ける閃光の洪水の中で、もしも目を開けた者がいたとするならば、その人間の網膜は、回復しようのない火傷を負っただろう。流星群が一方的に支配し尽くした後、地面に残るのは、拳大のダイヤモンドにも似た無数の残骸だけ。

 光の洪水に闘志を揺らめかせながら、その残骸を、ゆっくりと靴で踏み締めるミッキーの背後で、熱は激しく揺るぐ風に煽られて、彼の決意を支える陽炎となった。そして、その時。ミッキーの耳に、かつて魔法を使ってゲストたちを驚嘆させていたあの頃の音楽が、力強く、勇敢に、何よりもあふれるほどの偉大さをともなって鳴り響いてきた。ああ——と感極まって、呼吸さえもが響きとともに震える。僕を勇気づける世界、輝かしい旋律。胸いっぱいに満ちあふれるその懐かしい気配に、涙すら込みあげてくる。

 そうだ。そうなんだ。僕はその意味を知っている。

 この世が完全に光で染まることはないように、闇もまたけして、消え去ることはないだろう。けれども、どんなに真っ暗な夜闇の中でも、魔法の光がいてくれれば、何も怖くはない。全身から湧きあがる、煌めきに満ちたこの感覚。これがあれば、きっとどんな人でも、偉大な魔法使いになれるんだ。

 ———僕らは知っている、イェン・シッド様の……いいや、ウォルト・ディズニー・・・・・・・・・・から受け継いだ魔法を。小さい頃から、たくさん笑って、泣いて、未知のことに心をときめかせながら歩いていたね。

 ———それが、僕たちの力なの?

 ———そうさ、どんな心の旅も、やがて人生のかけがえのない糧になる。君が強くなるために、たくさんの星の光が、君の心に降りそそいだ。そして今、その光は、君の心の一番大切な部分を輝かせるよ。


 ソーサラーハットの言葉が、環を広げてゆく。それは彼の心と入り混じり、やがて、見えてくる世界と渾然一体になる。念じれば、全てが、願いに従った。凄まじい燐光を噴きあげる紋様が地を走ってゆくと、それはみるみる青い魔法陣を浮かびあがらせ、地鳴りが轟くその大地を激しく揺るがしてゆく。そして、円が完成した瞬間、怒濤の燐光が噴きあがった。まるで巨大な希望の柱だった。青い光は、そのまま天を貫き、空高く吸い込まれてゆく蒼穹にまで突き抜ける。信じられないような思いで、ミッキーは自分の力の溢れかえる様を見つめた。

 途方もない風に揺すぶられながら、世界が変わる。変革してゆく。空は晴れあがり、いよいよ木霊を溢れ返らせて響く鳥の声とともに、朝がくる。光が、黎明のうねりを予告する。影はどんどんと短くなり、そしてそれとともに、死に絶えた大地に、凄まじい勢いで草が生い茂り始めた。果たして、それは何を追い求めて芽吹き、空へと蔓を伸ばすのか。生命を与える圧倒的な力に、風は歓喜の喝采をざわめかせ、大気が一瞬で浄化されてゆく。

(まさか。ミッキーは、魔法の力を失っていたはずじゃ———)

「うぉおーし! いいぞ、ミッキー! そのままやっちまえー!」

 言葉を干上がらせるファシリエとは裏腹に、デイビスは心底目を輝かせて拳を握った。

 激しい風に揉まれて、露わになる太虚も、薄明に繰り広がる雲海も、滅裂に輝く魔法の燐光も、時空すべてが闘争を繰り広げるようだった。この颶風の中から、不意に真理の綱を攫んで躍動へと至る、あの何にも代え難い昂揚感が全身を満たしてゆくのを感じた。そして光の柱は、徐々に細まり、収束してゆく。その太陽とも見紛う膨大な光を操る、大きな耳のついたシルエットへ向かって。

「勝負するんだ、ドクター・ファシリエ! 君の魔術が強いか、僕たちの魔法が勝つか。今こそ決着をつける時だ!」

 風に耳と衣服とを躍らせ、光の中で敢然と叫ぶミッキーは、まるで運命に導かれた勇者のよう。けれどもそれを見て、敗北を悟るファシリエではなかった。影に包まれた呪術師は、その顔に、ぼうっと極彩色の蛍光に彩られた、骸骨を象徴する死化粧が浮かびあがる。

「友よ! 今まで借りを作ってばかりで申し訳ないが——小さなネズミの王が、私に勝負を挑んできてね。踏み潰すのを手伝ってもらいたいのだ」

 ざわり、と影が不穏な力を帯びる。
あまりに奇矯な忍び笑いや、嵐に千切れる悲鳴のような声が聞こえる。

「分かっているよ、見返りはちゃあんとある。お前たちは好きなだけ——ここに彷徨える魂を喰らうがいい。どうだ、悪くないだろう? ハッハッハッハッ……

 ——————では、取引は成立だな」

 ファシリエのその盟約をタリスマンに刻印し、影は一斉に散った。妖しい咆哮とともに、無惨にも引きちぎられ、貪られてゆくホーンテッドマンションの幽霊たちの悲鳴を聞きながら、デイビスは蒼白になって、周囲を見回していた。影がみるみる、その濃さを増してゆくのが分かる。死した魂たちを餌にして。

 これが、ファシリエのやり方——さんざん利用した挙句、時がくれば容易く掌を返し、搾取し尽くす。彼の眼には、すべてが道具としてしか映らないだろう。数々の死した人々の人生が、今、粉々に砕け散ってゆくのを、デイビスは肌身で感じ取っていた。

「デイビス。僕の陰へ!」

 ミッキーが素早く声をかけ、片手で彼を庇う。

「けして、魂を奪われないで。気を強く持たなければ、彼らに喰い殺されてしまう」

「お、おう。でもどうすればいいんだ、こんな数——」

「……大丈夫」

 ミッキーは、目を閉じた。溢れ返る魔力の燐光が、進むべき道を教えてくれる。

(ウォルト。どうか、迷える彼らを、天へと導いて)

 光の柱は、今も皓々と天地を繋いでいる。さらに、それを細く——細く——その分、量り知れぬ光を凝縮し、練りあげてゆくのは、一本の道しるべ。

(そして僕たちに、この王国で生きる希望を与えて——!)

 さらに——速度も力も増した影の追撃。けれどもミッキーは、無数に地面を飛び退るその死の狩人に、一すじの恐怖も覚える気配がなかった。ただ右腕を伸ばして、立ちのぼる細い光の柱の中へ、手のひらを突き入れただけ。途端、新たな閃光が目を灼いた。足元より、皓々と溢れ返り、吹き荒れる光。激しい旋風に煽られながら、片手に漲る魔力だけで、地の底に埋もれていた武器を、轟音とともに引き抜いてゆく。やがて、地鳴りが落ち着き、鮮やかな抜き身が完全にその姿を現すと、その黄金の柄を握り締めるなり、彼は堂々たる態度でそれを翳した。

 羽のように軽やかに浮いている刃。磨きあげた鏡とも見紛うほどの刀身は、一点の曇りもなく滑らかに、自ら燦然たる光を放って輝いている。装飾の削ぎ落とされた形状が、勇気と知恵を象徴している、魔法の力を宿したそれは。

「王のつるぎ———!?」

 ミッキーは、己れの体長を優に超えるそれを軽々と振り回すと、威風堂々たる佇まいで構えた。抜き身の刃は、神格さえ漂わせた白銀に光り、まるで清浄を極めた朝露に濡れたかのようである。

 そして、伝説はここに謳われる。黄金の柄の下に、奇蹟によって彫りつけられた金文字が、めくるめく高揚感をもって輝きだす。


 ———これなる剣を石の台より引き抜きし者があらば、
 その者こそ、まことの王である———と。

「ディズニーの夢と魔法は無敵だ——君たちの力だって敵わない! この国の王座がほしいというのなら、全力を尽くしてかかってこい、ドクター・ファシリエ!!」

「古ぼけた剣を手に入れたくらいで調子に乗るな、お望みなら受けて立ってやる! この私を甘く見たこと、後悔するが良い!!」

 対決は、一瞬のうちに実現した。対面から、零距離へ。驚異的な紫電が躍り狂い、焦げ臭い火花を挟んで、両者は歯を喰い縛りながら、ついに激突した。剣と杖が、魔法と魔術が、互いの存在を拒絶する。膠着状態に陥る彼らの周囲で、怖気を走らせるほどの電磁波音はますます大きく、けたたましく、激しくなる。めまぐるしく駆けめぐる電光が網膜を灼き焦がし、痛みに食い縛る彼らの顔は、幾度となく雷に照らされた。

(心に魔法を。魂に、勇気を!)

 びりびりと剣の柄に直に伝わる激震。静電気により、衣服や毛が不自然に持ちあがってゆく——ちぎれるような電流が走り抜け、激痛の中で、剣を離さないようにするのが、やっとなほどだった。

 けれども。

 なぜ、こんなにも昂揚したように胸が沸き立つのだろう。そうだ、僕は闘える。友達のためなら、いくらでも勇気が湧いてくるんだ。

 だから、全部、全部、全部。
 そそぎ込め。掴み取れ。克服するんだ。
 ありったけの力を、振り絞れ。

 ————僕なら、それができるのだから!

「影よ!」

「光よ!」

 ふたたび、激突。両者ともに相容れぬ力は、逆巻く粒子の底までも反発しあいながら、天を翔け昇る電撃と化し、大地を稲妻色の黄金に染めあげてゆく。ファシリエの帽子を飾る羽は不自然に浮かびあがり、足元の小石が、一斉に磁力で直立する。力量は互角——いや、僅かに剣が押しているともとれる。裂帛とともに、その杖を渾身の力で弾くと、バチィッ——とさらに耳障りな音が、周囲を制圧した。地を逃げ惑う光の粒と影の破片が、爆心地の痕跡を刻んで、そこに繰り広げられた魔術の凄まじい威力を物語っている。

 地を滑るようにして衝撃を殺しながら、鏡のように澄んだ剣を構え、ミッキーは、自らと対峙するファシリエを見据えた。相手は舌打ちをすると、懐からタリスマンを取り出し、その鋭い歯に己れの指を噛ませる。数滴の鮮血が滴ったかと思うと、見る間に、息苦しいほど濃密な瘴気が渦を巻いて、彼の周囲にどす黒く立ち込めてゆく。すっ——と、血の気の引くような感覚が、脊髄を走った。

「ミッキー、いったん退け!」

 デイビスの声と、腕を引っ張られる感覚——それとともに、一気に凶暴さも速度も増した影が襲いかかり、一瞬前まで彼のいた虚空を、身の竦むような鉤爪が掠めてゆく。しかしその時には、すでにミッキーは反撃の体勢に入っていた。低く踏み込んで距離を即座に詰めると、一閃、剣に絡めて鉤爪の斬撃を切り捨て、さらにもう一度、身を翻して、首元を狙った襲撃を回避。脳が目まぐるしく回転し、すべてがスローモーションとして動いてゆく。僅か数秒にも満たぬ間に懐に飛び込むと、そのまま全体重をかけて、刃を突き立てた。その渾身の力には見合わない、ずぷり、という明らかに異質な手応えとともに、哀れにも地面に縫いつけられた影は、そのまま断末魔をあげながら消滅した。闇はそれ自体が舞いあがる黒々とした燐光と化し、後には何も残らない。

「ありがとう。デイビス……」

「油断するな。あいつ、自分の血を捧げて、まだ強くなろうとしていやがる!」

 デイビスの言う通り、彼の背後から漏れでる無数の影は、さらに館を彷徨う魂を食い荒らし、得体の知れぬ笑い声を広げていった。血の契約だけによるものではない、確かにヴィランズは、魔力を増してきていると言えるのだろう。シンデレラ城の地下深くのコルドロンで、恐らくはその力を増幅させている。

 どくん、とタリスマンが脈搏った。その不可思議な鼓動は、遠い隔たりを挟んでなお大気を揺るがし、彼らの根本的な不安を煽り立ててゆく。ドクター・ファシリエは、その端正な薄紫色の唇を舐めると、

「単なる魔法対決だけでは、少々分が悪いようだからな……」

と、その口髭の下からすきっ歯を覗かせて、妖艶に笑った。

「喜べ、貴様らの大好きなお仲間の手で、人生の幕を引かせてやる。エディ・バリアント、お前の出番だ! 奴らを絶望の淵に叩き落とせ!」

「エディ?」

 そのつぶやきに、哀しみの色が差したのを、デイビスは聞き逃さなかった。しかし、その思考が追いつかないうちに、破裂するような銃声が飛んでくる。意志を持って空気を切り裂くトゥーンの銃弾は、その懐から取り出した斧を、復讐鬼の如く手荒に振るった。

「くっ——」

 何とか、ミッキーが剣をかち合わせてその刃を弾いたが、ヨセミテ・サムから贈られたという銃弾は、普通のそれではない。柄を握る手の痺れが引かないうちに、テンガロン・ハットを被ったその弾は、空中に大きく弧を描いて舞い戻ってゆくと、分厚く乾いた中年男の手が、まるでライターでも投げられたかのようにそれを摑み取る。その動きに合わせて、口の端に咥えている煙草が、薄い紫煙を掻き乱した。

 背の低い、山高帽を被ったシルエット。今はその周囲に、闇が渦巻いているのに眼差しをそそぎながら、デイビスは、それまで知らず知らずのうちに止めていた息を吐き切った。飛び道具と近接距離でしか機能しない武器となら、前者の方が明らかに有利である。デイビスはミッキーを振り向いた。友を守る、それだけを自身の誓いとしてきた彼の顔には、隠し切れない迷いが浮かび、今にも剣を取り落としてしまいそうに見える。

 ———駄目だ……ミッキーとエディを闘わせるわけにはいかねえ。これ以上、こいつの心は辛いことに堪えられねえ!


「ミッキー、余計なことは考えなくていい! エディは俺に任せてくれ!」

 痺れを切らせたミッキーが、銀色の燐光を渦巻かせて守護シールド魔法をかけると同時、デイビスは彼の肩に手を置いて、その強い声で宣言した。風が強くなってきている。荒れ狂う気流に剣呑に目を細めつつ、ミッキーと同じ目の高さまで屈み込むと、はたはたと揺さぶられている丸い耳元へ、デイビスは素早い小声で囁いた。

「エディはきっと、ドクター・ファシリエのブードゥーの魔術に心を操られているんだ。分かっているな? 俺たちの為すべきことは——」

「ファシリエのタリスマン。あの呪符を破壊すること!」

「そうだ。いいか、脇目を振るな、お前はあれだけを狙え。そうすれば必ず、道は開ける!」

 デイビスの鮮烈な翠の眼差しが見据える先。ぼう、と赤い二つの洞穴を輝かせる呪具が、遠い毒霧の向こうからでも、克明にその在処を告げる。ミッキーの鋭い瞳もまた、吸い込まれるように、その赤光へと据えられた。

(見える。あれがファシリエの、闇に売り渡した魂——!)

 精神を研ぎ澄ませて、切っ先を、手許へ引き寄せて。集中しろ、やるべきことは決まっている。白い手袋を嵌めたミッキーの指が、その艶やかな峰をなぞってゆくと、見る間に細い紫電を弾けさせて、鏡の刃に魔力が宿る。篝火の如く、煌々と光量を増してゆくそれ。湧きあがる闘志は、激しく揺らめく陽炎の如く。闇に引きずり込もうと画策する影は、呼吸するごとにその瘴気を膨らませてゆき、今やファシリエの何十倍も巨大な、暗黒の集合体と成り果てている。

「けして怯むな、必ず援護してやる。俺はエディを。お前は、ファシリエを!」

「分かった。いいかい、僕らは二人で一つだ。頼んだよ、デイビス!」

「おう!!」

 そして、自らの構えた剣に、一気に魔法を貫通させると、途端、凄まじい光量で刃が発光し始めた。耳障りな稲妻が虚空を喰い荒らし、眩しさは一斉に影たちの注意を引く。悪魔的な力を誇る悪役ヴィランへと向かって、真っ直ぐに駆け抜けてゆく後ろ姿を見送りながら、デイビスは心の中で強く祈った。

(負けんなよ、ミッキー……お前の心の、本当の強さを見せてやれ!)

 刻一刻と、空は明けてゆく。烈風の中で、天は錯乱していた。さながら、朝と夜の混合であった。黎明が切り裂けば、渾沌が鮮やかさを沈め、鬩ぎ合う両者は、やがて強烈な色調を帯びて、ひとつの壮大な碧落を創りあげてゆく。地においても、それは同じだった。影が唸ると、一拍遅れて、光の刃がすべて斬撃を叩き落とす。舞踏ダンス——とも言えるのかもしれない、その鮮やかな精彩とはかけ離れた、命のやりとりに宿る熾烈さを考慮しなければ。心は熱く、風は、身を切り裂く冷水のようだ。冷気と熱気の合間で、滑るように体が軽い。分かる。どれをかわし、何を叩き落とさねばならないのか。そしてその先には、ぼう、と赤く発光する、あの呪いのタリスマンが揺れている。

 デイビスのことは、きっと大丈夫だ、と胸に言い聞かせた。彼にしかできないことがあるのと同じく、僕には、僕の果たすべき使命がある。エディが心を開いてくれるのは、きっと、デイビスであるように、ファシリエの全力の魔術を引き受けられるのは、僕しかいない。分かたれた道を振り返ることはせずに、僕は、僕の道を突き進まなければならない。

 ———強くなるんだ、と命じる。影の攻撃が激しくなっても、なお——心は、波紋も立たぬほど、清らかに。そしてその透明な焰は、徐々に胸の中で、光の如く結実してゆく。もっと激しく、もっと壮大に——全身全霊を懸けて、燃やし尽くせ。僕はそのために、ここで生きてきたんだろう?

 傷つかないためじゃない。勝利するためでもない。
 僕は、僕の大切なもののために闘う。
 あまりに消えやすく、あまりに眩しく、あまりに美しいものを守るために。


———もっともっと、世界に、魔法の力を!




「エディ、辛かったろ。あんたを、助けにきたぜ」

 デイビスは歩みを進めながら、静かに語りかけた。彼は答えない。ただ、愛用していた銃の引き金に指をかけ——そして、破滅的な発砲音が、辺り一帯に炸裂する。

「待たせたな。あの時言えなかった言葉を——ようやく、あんたに言えるよ」

 その銃弾は、心臓に到達する寸前で、キィン——と、澄んだ音により弾かれた。波紋の如く揺らいだ銀の魔力が、その反動を、銃弾にそのまま反射したのである。同時に、その殺意と憎しみによって、守護魔法の盾の光が吸い取られるように削られていった。エディが心を取り戻すまでに、どれだけ耐えてくれるだろうか? もしも次の銃弾で盾に罅が入れば、その瞬間、彼の命はないであろう。

 ポート・ディスカバリーに生きる人々を守る、という願いを込められたブードゥー人形は、ファシリエの杖による深傷によろめきながらも、依然として、デイビスの襟首に掴まっていた。ここには、一人の人間の抱いた、善の思いがある。

 ———きっとこの人形だけは、踏み躙られても、泥まみれになったとしても、俺とともに闘い続けてくれるから。だから、この足を止めるわけにはいかない。心に光がある限り、俺は前に進み続けなければならないんだ。

「エディ……」

「近寄るな!」

 向けられた銃口はまるで、自らを憎しみ尽くすあまり、誰も俺に触れてはならないと、最後の警告を発するかのようで。
 そのひとつひとつが、あまりに痛々しく、あまりに眩しい足掻きのように、デイビスの目に灼きつく。こんな形で、あんたの心の底を知りたくはなかった、と。けれども追い詰められなければ、人は自身の中に燻る本当の思いを、露わにすることさえもできない。

「駄目だよ、エディ!」

 ファシリエの影と切り結んでいたミッキーが、横から必死に叫んだ。

「正気に戻って! デイビスを撃ったら、目が覚めたとき、一番絶望するのは、君自身なんだ!」

「ハハー、よそ見していていいのかね!?」

「!」

 どろりと、目の前で剣戟を交わしていた影が溶けて増殖すると同時、またひとつ、乾いた銃声が放たれる。それも、同じ結末を辿るだけだった。またもや、魔法によって明後日の方向へと逸らされ——デイビスの周囲を取り巻く銀の光は、朝陽を浴びて、星を撒いたように一斉に躍り狂う。流れてゆくその燐光の奥から見晴るかす双眸は、哀しげに細められたまま、エディを見つめ続けている。

「守護魔法か、小癪な真似をしおって——貴様らお得意の仲間意識とやらを、今に瓦解させてやるさ!」

 ファシリエは苦しげに息を荒げながら、ブードゥー人形の針に刺し貫かれた足を引きずり、懐に仕舞われていたタロットカードを扇の如く広げると、そのうちの一枚のカードを引き抜き、素早く回転させて投げつけた。その鋭いかどがエディの足元に突き刺さった瞬間、ぶわりと、毒々しい紫の閃光が一挙に漏れでるなり、彼とデイビスを中心として、みるみる円環を走らせてゆく。まるで彼らの存在を俗世から隔絶し、内部に囲い込むかのように。

「エディ・バリアント、喜べ、この私が貴様に、幕引きを選ぶ権利を贈ってやろう!
 カードの"死神"の腹を満たさぬ限り、何人たりとも、その魔法陣を出ることは叶わぬ。選べ、その若造の心臓に風穴を開けるか、それとも、貴様が黄泉に堕ちてゆくかのどちらかだ!」

 そして、円が魔法陣を完成させるのと同時、地面に突き刺さるタロットカードから、油の如く奇妙な気配が溢れでてきた。目に見えないそれは、二人のそばを緩慢に彷徨いながら、その両方の喉元に鎌を突きつけ、死の感覚タナトスを掻き起こしてゆく。

「エディ!」

 デイビスが叫んでも、その名は届かなかった。激しく見開かれたままのエディの眼の中には、生か、死かの天秤が揺らいでおり、そして手元には、それを簡単に決定づける銃がある。

 手に触れるそれが、酷く冷たい。探偵業に明け暮れていたあの時は、まるで相棒のような温もりで応えてくれていたのに、今日ばかりは、底無しの冷淡さに静まっていた。そしてそれは、最後に銃を握ったあの日と、同じ光景を想起させるのだ。どれほど月日を重ねようと、あの日から時は流れず、何度も何度も、あの地点へと戻ってゆく。気の狂うようなその遡行に、心はもう、限界だった。表面上では笑っているのに、奥底では、いつ首を吊るそうかと算段していた。毎朝、処刑台の上で目を覚ますようなものだった。

 デイビスは、守護魔法の光を透かして、エディの顔を見つめ続けていた。

 追い詰められた人間の、すべてを諦め、すべてを見定め、背負い続けて、すべてを超克したような、異様な瞳。

 彼の哀しみを、自分は救えない、とデイビスは思った。
 けれども、哀しみとは別の方角で、きっと心に触れることはできるから。
 それが魂に届くことを願って、ひたすらに語りかけ続けるしか道はない。

「エディ……情けねえぜ〜? この俺様を忘れちまうとはよぉ……」

 一歩、詰める。
 エディの銃はいまだ力なく項垂れたまま、どちらに向かっても、火を噴かない。

「あんた、俺に服を貸してくれる時……弟さんのことを思い出していたんだろ。今でもはっきり覚えてんぜえ、月明かりの中で細められた、あんたの目……」

 それを耳にして、頑なに引き結ばれた唇と、突きつけた銃口が、同時に震えた。その細い糸を手繰り寄せるように、デイビスは拳を握りしめ、切実に語りかけ続ける。

「あの時、俺はあんたに、何も言えなかったけど。ようやく分かったんだ、どうしてあんたが、探偵業をやっているのか。ずっとずっと、弟さんのことで、自分を責め続けるのか。

 あんたさ、多分、不器用すぎて。他人に辛いことがあったら、そいつの分も一緒に、背負っちまうんだよな……」

 ぼやけた視界の中で、デイビスの姿が揺らぐ。その朧ろな光は、あの日の像を結び合わせる。

 往年のトゥーンタウン。鮮やかな光と影の街。俺もテディも、あそこの仕事が大好きだった。ナショナル銀行の強盗を追って、ヨークシャー通りの古いビルに差し掛かった時。十五階から墜落してくるピアノを見て、地を蹴り、テディの元へと駆け出した、あの一瞬。


 ———もしも、あの時伸ばした手が、間に合っていたなら。
 届いてさえいたなら、命さえ捨てても惜しくはなかったのに。

 この世で一番愛していた人間が、目の前で潰された。
 双子のようにそばにい続けた、たった一人の弟を———俺が、救ってやれなかった。



「てめえに何が分かる、小僧ッ!! 目の前で家族を殺された奴の胸の内を、お前が賢しらに語れるっていうのかよ!!」

「違ぇよ、エディ! 俺はあんたに、あんたが否定し続けていることを伝えにきただけだ!」

「何を——」

「弱い人間を助けるために、探偵になったんだろ! それなら、あんたのことも一緒に救ってやれよ、エディッ!! あんたは殺人鬼でも、殺された奴でもない、自分自身に一番ゆるしを求めている、たった一人の弱い人間だろうがッ!! どうしてあんたが、あんたの心の一番弱い奴に気づいてやれねえんだよッ!!」

 キィン——さらに新たな一発が撃ち込まれたが、それもまた、守護の盾に弾かれる。それと同時に、彼にかかった魔法が、完全に底を尽いたのを感じた。みるみるうちに燐光の壁が消え失せ、丸腰の人間の姿をさらけだす。デイビスの双眸に、絶望の色が浮かんだ。もはや何も彼を守るものはない。どこかから、死神の嘲笑する声が聞こえた。

「さあ——ここからが本番だ……」

 ファシリエは舌なめずりして、その悲劇の結末を期待した。崖側に立たされた者が、生と死、どちらの藁を掴むのか。

「エディ!」

「来るなって言ってるだろ、俺に殺されてえのか、坊主ッ!!」

「撃ちたきゃ撃てよ! あんたの気の済む限り、いくらでも撃てばいい! 拒絶することがあんたの痛みなら、その痛みを俺にくれよ!」

「自惚れるな坊主、そんなのは何の役にも立ちはしねえ! てめえが俺にできることなど、何もありゃしねえんだよ!」

「巫山戯るな! 役に立たないって諦めるのは簡単だよ、だけど、あるって信じ続けなきゃ、あんたは死んじまうだろッ!! そんなのは一生かけたって、絶対に認められやしねえんだよッ!!」

 生きることは、なぜこんなにも苦しいのだろう、とエディは思った。死神が頭の中で、ずっと嘲笑っている。それは徐々に大きくなって、彼の理性をも呑み込んでゆく。

 人が殺される、ということが、こんなにも世界を一変させるとは思いもしなかった。もう、何も信じられない。この世に、善や悪があるのかも分からない。ただ、得体の知れない地獄。悪党の笑い声への恐怖が渦巻き、死神が、彼の耳に囁き続ける。


 ———貴様の目指した正義など、この世には存在しない。所詮この世は、殺るか、殺られるかだけ。他の道などない。

「そんなわけねえ……俺は、テディと誓ったんだ。トゥーンタウンに生きる奴らが笑って過ごせるように、ここをどこよりも良い探偵事務所にするって——」

 ———だがトゥーンは、お前の弟を殺した。お前の正義とやらの幻想も、粉々に消し飛んだ。お望み通り、トゥーンどもは今頃、お前のとんだ喜劇に大笑いしているだろうよ。

「やめろ……正義は、幻想じゃねえんだ。必ず、この世のどこかにある……幻想、なんかじゃ——」

 ———そして今また、お前は弟を見殺しにしただけでなく、自分の意思で、人間を殺そうとしている。正義だと? 自惚れるな、悪はお前だ。もはやお前はこの血の沼から逃れようがない、弟を殺した殺人犯と、同類なんだよ。裁きを受けろ、人殺し。——人殺し!


 それを聞いたエディは、歯を喰い縛り、自らの顳顬に銃口を突きつけた。殺すくらいなら、死んだ方がいい。生きるか、死ぬかよりも、殺すか、死ぬかの方が、よほど重要な問いだった。少なくとも、彼にとっては。真っ白に灼き切れたような頭に、狂おしいほどの感情が駆けめぐる。もう少しで、それは懐かしい色を乗せて、走馬灯になりそうだった。それさえをも脳裏から締めだすように、彼は目を強く瞑った。弟を思いながら死ぬのは、弟を殺人者に仕立てあげることと、同じことのように思えた。


「駄目だ、エディ! やめろ———!!」


 しかし、すべてを込めた指が引き金を引く寸前、突如として脳裏に響いてきた。大粒の涙を耳で拭いながら、この世の終わりのように泣き叫ぶ、オレンジ色のモヒカンを生やした白ウサギの声が。







———僕が嫌いなのは当たり前だ!
僕だって、アニメに弟を殺されたら、僕のこと憎むもん! そうでなきゃ、あんなにいつも、僕の耳引っ張ったりしないよう———








 パァン————


 発砲音が轟くとともに、硝煙が舞う。遅れて、風に乗って、焦げ臭い火薬の匂いが流れてきた。しかし、僅かにずらされた銃口から飛びだした銃弾は、標的に向けて舞い戻ろうとして、キキキ、と虚空で急ブレーキをかけ、目の前に佇む人間を、戸惑ったように見つめていた。

 朝陽に照らされて———
 皺の浮いた頬を、ゆっくりと、一縷の涙がこぼれ落ちてゆく。

 それは、時が止まったかのような光景だった。わななく呼吸と、噛み締めた唇の痙攣が、その熱い一滴を、辛うじて目尻から振り落とし、頬に微かに光るそれは、顎まで伝い落ちると、地面に小さな染みをつくってゆく。嗚咽も、号泣も、滂沱の涙もない。しかし、長年押し殺し続けていた弟への想いに風穴を空けるには、その僅かな塩水だけで、充分だった。

 ようやく泣けたのか、エディ——そう囁くことさえ憚られた。たった一雫の涙をこぼして、奥歯を噛み締め、震えながら見開かれた瞳には、あまりに深い悔いと、哀惜とが込められており、ひたすらに自責を積み重ねた果てにあるその姿は、いっそ神聖とすら言えるほど、混じり気のないものだった。

「……エディ」

 名を呼びかけると、茫乎として、彼は顔をあげた。まるで、帰り道を見失って長い闇の中を彷徨い続けた、ひとりぼっちの子どものようだった。

「あんたのせいじゃない。俺たちと一緒に、もう一度、弟さんを弔ってやろう」

 膝から地面に崩れ落ちる彼に向かって、デイビスの手が差し伸べられる。エディは、涙を隠すように山高帽を強く押さえつけ、枯れた声を振り絞って言った。

「ロジャーの大馬鹿野郎が……」

「……ああ」

「あいつ、死の間際までくだらねえこと喚きやがって、ちっともゆるそうとしちゃくれねえ。トゥーンの自分を嫌っているんだろうって、何度否定しても、馬鹿みてえに泣き叫びやがって……
 俺のことを、ゆるしちゃくれねえ。

 ———最期まで、ゆるしちゃくれねえんだよ……」

 風に絶え入るような呻き声が、その口から漏れ、数粒の雫が地面に染み込んでゆく。しかし、デイビスは静かに首を振ると、

「ゆるされているよ。誰もあんたを憎んじゃいない。弟さんだってそうだ。もう、大丈夫なんだ」

と告げて、小さく丸まったその背を、優しいリズムで叩いてやった。

 依然として暗黒の魔法陣が彼らを取り巻く中で、銃は、すり抜けるように地に落ちて、土の匂いと風にまみれた。立ちのぼる煙は、すでに風に吹き飛ばされて、誰の目にも映ることないほどに微かに薄らいでいた。
 それまで宙に浮いたままだったカウボーイ風の銃弾が、心配そうに身をくねらせながら、地面にうずくまったままの主人に声をかける。

「おーい、大丈夫かい、エディの旦那ぁ?」

「……ああ、目にゴミが入りやがった。おかげで、まともに敵を狙えたもんじゃねえ」

「あんた、ここんところ、飲み過ぎだったよ。昔とは人が変わっちまったみたいで、俺たち、ずっとハラハラしながら、あんたのことを見守っていたんだ」

 銃弾は、そっとテンガロン・ハットを取ると、それを胸に当て、申し訳なさそうに宙をたゆたいながら、

「泣かないでくれよ、エディ。俺たちで、あんたの大好きだった歌を歌ってやるよ」

 そして、息をひとつ吸うと、弾倉に詰まっている銃弾もろとも、喉をガラガラいわせる声を合わせて、往年の『メリー・メロディーズ』シリーズの劇中歌を歌い始めた。


 ♪♪Smile, darn ya, smile
 You know this old world is a great world after all
 Smile, darn ya, smile
 And right away watch Lady Luck pay you a call♪♪


「やめろ! 反吐が出るような歌声でえ」

「それで、元気は出たかい?」

「出るわけねえだろうが。胃の調子が悪くなっちまったよ」

「そりゃ、ヤケ酒の影響だよ、エディ」

 エディがしぶしぶ、拾いあげた銃の弾倉シリンダーをこじ開けると、宙に浮いていた銃弾は、中の空いている薬室へと飛び込んでいった。何やら、拍手や歓声も聞こえてくる。大成功と勘違いしているらしい。

「どこに行ったって、トゥーンタウンの呪いからは逃げられやしねえ。ったく、難儀な街の近くに住んじまったもんだ」

 ぶつくさと言いながら弾倉を閉じ、拳銃の具合を確かめているエディへ、デイビスはひたすらに眼差しをそそいだ。何かを言ったら壊れてしまいそうな、けれども、すべてが壊れてしまうには、何か太く静かなものが残る、そんな不可思議な印象を受けた。

「……エディ」

「なんだ、坊主。おめえも下手な歌を歌い始めるんじゃねえだろうな」

 何かを言おうとして、何も口にすることはできず、デイビスは無言で、エディに抱きつく。すると彼は、一瞬、泣き笑いのように困った表情を浮かべてみせ、自分よりもずっと背の高いその男の髪を、乱暴な手つきで掻き回した。

 そしてその時、デイビスは初めて知る。エディ・バリアントという男の、魂の最深部に横たわるもの。それが、どれほど雪のように静かな清冽さを湛えていたのか。それがこの男の本質ならば、自分は今まで、なんと表層の部分だけで、彼と会話していたのだろうと。

「馬鹿野郎、おめえが泣くんじゃねえ。こんなことくらいでべそべそするな、カッコ悪いぜ」

「…………」

「俺は随分長い間、荒れ果てた。どうやって償うべきかも分からなくて——同じ運命を辿ったら、ひょっとしたら、ゆるしてもらえるんじゃねえかって」

 エディは身を屈めると、足元に落ちている、死神のタロットカードを拾った。描かれている絵柄に、万感の思いを込めて——その瞳には、狂おしいほどの悔恨が光っている。



「……だが今度こそ、俺は俺の運命に、カタをつけてやるぜ」



 告げるなり、その指を一閃し、高らかに投げあげる。そして、霞むほどに回転する絵柄が頂点を極め、最後の光を浴びながら落ちてくる、そのほんの一瞬に秘められた好機。そのタイミングと完全に同期しながら、拳銃の引き金に指をかけたエディは、山高帽の奥の眼を眇めて発砲した。

 途端、それのもたらすすべての結果が、解き放たれるように同時に展開された。弾が死神の額を撃ち貫き、運命を描かれたカードを細切れにしたまさにその瞬間、暗い燐光を撒き散らしていたどす黒い魔法陣が、呆気ない音を立てて、消滅してゆく。日の光に透き通り、空へと還ってゆくように。夜は、朝へ。闇は、土へ。立ちのぼる硝煙も、その奥に輝く強い眼差しも、はらはらと落ちてゆくカードの切れ端に、何の感情も付しはしない。いや、あえて言うのならば———誇り。それだけが、曙の如く瞳の奥底に脈搏っている。

「あああああ! なぜだ! なぜどいつもこいつも、私の魔術を打ち破るんだ! 小賢しい、小賢しい、小賢しいッッ———貴様ら全員、影の餌食にしてやる! ブラック・コルドロンに突き落として、骨の髄まで煮尽くしてやるからなァッ!!」

 激しい動揺の言葉を吐き散らしながら、新たな影を飛びかからせるファシリエ。エディは、くしゃくしゃになった紙箱から、煙草を咥えて引きだすと、

「上等だ。悪いが俺ぁ、簡単に鍋の煮込みになるつもりはねえぜ。とりわけ、お前の汚ねえ指がこねくり回したような鍋にはな」

と憎まれ口を叩きながら、瞬間、背後に佇む枯れ木を後ろ手に撃ち抜いた。鋭い発砲音が轟くともに駆ける銃弾は、ふたたび、どこからか取りだした斧を構え、その幹を一直線に切断する。ぴしり——まるで罅が入っただけのような僅かな軋みを残して、支えを失った木は、エディのほんの数センチそばを掠めながら、まさに影の刺客の真上へと倒れ込んでゆく。凄まじい重量に、大地が揺れた。その細かい木の枝の影に絡み取られて、身動きが取れなくなった影を見下ろしながら、エディは銃口から棚引く硝煙を払うために、軽く息を吹きつける。

「エディ、あんた、射撃の腕は?」

「舐めるなよ、坊主。俺はロス警察で鍛えあげたプロだ」

「そうか。頼もしい限りだな」

 デイビスはにやりと唇を歪ませると、頬に擦りついた泥を拭って、まなこを鋭く光らせた。

「あんたにチャンスをやるぜ。常にタリスマンを狙っていろ。その時がきたら確実に、一発で撃ち抜けよ」

了解Copy that総司令官My captain

 エディは、慣れた手つきで回転式弾倉シリンダーを振り出すと、薬室を無言で目視し、先頭の銃弾を、最も信頼できる弾と詰め替えた。僅か数秒にも満たぬ間に、ふたたび鋭い音を立ててシリンダーを収め、山高帽のつばを引き下ろす。吹き荒れる朝風の中で、その顔は標的を前にし、物静かに昂揚しているように見えた。

「坊主、ミッキーのところへ行け。あいつにはお前が必要だ」

「……死ぬなよ、エディ」

「お互いにな」

 短い言葉をかけあって、デイビスは駆けだした。ファシリエは足を負傷しているが、双子の如く寄り添う自らの影に守られて、うかつには手を出せない。そして、血で契約したであろう大量の影は、いまだミッキーを嘲笑い、斬り伏せても斬り伏せても、次々と立ちあがるのである。

 その中で、希望の如く輝く剣だけが、子どもの味方をしていた。暗い道を照らしだす灯籠のようにすら見える。早く、駆けつけなくては——と心が急き立てる。その道のりが、果てしなく遠い。

 そして。
 一瞬の隙をつき、デイビスの遙か頭上を、投げ飛ばされた影が舞った。

 デイビスは上を見た。その僅かな動作しか、間に合いはしなかった。あまりに容易く、あまりに無造作に——ミッキーの体は、空中高く放り投げられていた。目に痛いほどの光。王の剣は、その手から滑り落ち、遠い地面に突き刺さる。

「————ミッキーッ!!」

 手を伸ばして、地面を転がりながらも、なんとか彼の体を受け止める。その衝撃で、自らの傷口さえも開いたのだろう。意識が飛びそうになるほどの痛みが腕とふくらはぎを貫き、遅れて、何か湿っぽいものが、じわりと滲みでてきた気がする。一瞬、全身の命が絶えたかと思うくらいに蒼白になったが、震える呼吸を何とか噛み締め、己れを鼓舞するように身を起こすと、腕の中にある子どもを揺すぶった。

「大丈夫か、ミッキー!? おい! 頼む、目を開けてくれ!!」

 彼は瞼をわななかせると、返事代わりに低く呻いた。そっと開かれた瞼の奥に輝く、深い瞳には、いまだ燃える焰が漲っているものの、衝撃から回復するには、数分を要するのだろう。全身が、小刻みに震えている。そして前方からは、片足を引きずるファシリエの、重い足音が刻一刻と近づいてくる。当然、猶予を与えてくれる相手ではない。

「逃げ、て……もうすぐ……ファシリエが、ここに来る……」

「何言ってるんだ、お前を離しはしねえ!!」

「僕が、彼を迎え撃つ——その隙に……」

「いいから、もう喋るな! お前が闘えないというなら、俺が代わりに闘ってやるよ!!」

 言い捨てると、デイビスはミッキーを抱きかかえて立ちあがり、地に刺さっている剣の柄に目を走らせた。しかし、誰が見ても分かる——その距離は絶望的で、何をどうやっても、ファシリエより先に手の届くはずがない。

 目の前には、ドクター・ファシリエが、陰暗たる笑いを浮かべて近づいてきているのが見える。一瞬、目が眩んだ。闘うわけにも、逃げるわけにもいかない。意味もなく後ずさるさなかで、ぽたり、ぽたり、と顳顬から地面へ、冷え切った汗がきらめいては滴ってゆく。

「おい、お前、王の剣なんだろ! それなら、俺たちの王様を守ってくれよ!」

 叫ぶ。
 それが、最後の手段だった。
 剣は、朝陽を滑らかに反射するばかりで、何も応えない。

「王にすべてを押しつけてんじゃねえ!! この王国が大切なら、王のことも守れよッ!!」

 それがどれほど虚しい所業かを知りながらも、心の滾りをぶつけるように、怒鳴るしかなかった。鍛えあげられた鋼は、その反響にひとすじも揺るがず、沈黙するばかり。それは冷酷の権化として、彼の心臓を剃刀の如くなぞりあげてゆく。

 かつり——と杖をつく音とともに、覆い被さってくる影に、目をあげた。蛇のように佇むその男の顔を、心底抑えきれない愉悦が彩って——デイビスは理解した。おそらくはこれが、彼の舞台のクライマックス。自分は、目の前の役者を昂揚させるための獲物にしか過ぎないのだと。

「無駄骨を折らせたが、ついに万策尽きたか。温い、温い、温い——鼠一匹守れぬくせに、歯の浮くようなことばかり抜かしやがって、保護者気取りだと? もういい。魔法も使えぬ人間は、自らの無力にのたうち回って死ね。所詮は虫けらにすぎぬ貴様に、何ができる?」

「……何ができるのかって?」

 じりり、と石粒に擦れる靴底が鳴った。冷たく見下ろすファシリエの下、デイビスはからからになった喉で唾を飲み込むと、不意に、最後の虚勢をかき集めたものか——それまで浮かべていた脂汗の下から一転、挑発的な笑みを浮かべてみせる。

「お前こそ、忘れているんじゃないか? ホーンテッドマンションである以前に——ここがいったい、どんなテーマランドなのかってこと」

「何?」

「勝負ってのは、最後まで分からないもんだぜ——」

 そして、ファシリエは見る。まるで、伏せていた手札カードをひっくり返すように——デイビスの胸の中に抱きかかえられ、弱々しい息をこぼしているミッキー。その震える片手が握り締めているのは、魔法の無線機。その電源は、すでに親指によって押し込まれ、それまで交わされた会話のすべてが、通話に乗って、テーマランドのエリア一帯のスピーカーへと拡散されていた。



 ————そして。
 魔法の訪れは、たった三音だけで事足りる。

 まるで内緒話を打ち明けるように持ちあがる、ひそやかな旋律。人々の心に不思議に惹きつけるその素朴なパッセージは、ファシリエの動きを止め、デイビスの笑みを深めるのに充分だったろう。

 そう、誰かがそれを吹いていたのだ。悪戯好きの牧神パンが愛したと謳われる縦笛フルート——多くの葦を束ねたかのような形状をしたそれは、朝陽を受けて硬く黄金に輝き、持ち主の人物の若々しい顔を、下から照らしあげる。






(魔法が使えない、だって? とーんでもない、ファンタジーランドの連中なら、誰だって使えるさ。うんと楽しいことを考えて、それに——妖精の粉をふりかけさえすれば、ね)






 どこからともなく、誰もが聞いたことのあるような少年の声が、記憶の奥底から響いてきた。そして、新たな眩しさとともに降りそそいでくるのは、確かに——魔法の光。その輝きに導かれるように、その場にいた全員が、眼を奪われる。

 それはとても敏捷で、ささやかで、不思議なことに目を凝らさなければ、気づかないかもしれなかった。虚空に、細かな黄金の粒子を撒き散らして翔けるもの。鈴に似た音とともに、縦横無尽に飛びすさるそれは、真珠のついた靴でファシリエの鼻すじに降り立つと、蛍のような光芒を投げかける。


「———まさか……ティンカー・ベル!?」


 彼は息を呑んだが、しかし、彼女はそれに答える術を持たなかった。代わりに、震える羽から猛烈に大量の妖精の粉を振り撒いて、目を眩ませながら、ファシリエを後退させてゆく。そして次の瞬間、目の前いっぱいに現れた少年の顔のクローズアップに、心臓が飛びあがると同時、デイビスは涙の出るような思いがした。微かに金色に光っているその少年は、赤い羽を挿した真緑の帽子、少し潰れた鼻、よく動く眉の下に嵌め込まれた、悪戯心いっぱいの、懐かしい、茶目っ気のある瞳。しばらくは無線機を掴んでいるミッキーの手を撫で、体調を気遣っている様子だったが、何かに気づいたのか、今度は彼の方にぐっと顔を近づけると、穴の空くほど覗き込んでくるなり、

「……デイビス?」

と目を真ん丸にしながら、首を傾げた。

 その声だけで、胸がはち切れんばかりの感動が波打った。……かつて、夢の中で大きく腕を広げ、彼とともに夜空を飛んだあの時間が、夢じゃない、ということを静かに告げるように、その少年は今まさに、彼の目の前でありありと息づいている。

「よお、ピーター。——久しぶり」

 湧きあがる思いに胸を詰まらせながら、デイビスもまた、照れくさそうに挨拶する。しかし、喉仏を震わせて伝わる、すっかり声変わりした大人の男性の響きを聞いて、ピーター・パンはどうも納得がいかなかったらしい。頭を数度掻くなり、口をひん曲げ、両腕を組んで、子どもらしい率直さで呟く。

「…………変わっちゃったなあ!」

「お、おう。そりゃ、あれから二十年以上も経ってるしな」

「二人とも……知り合い、だったのかい?」

「ああ。遠い昔にな」

「ふうん。デイビスって、ミッキーとも友達だったのかあ……」

 くるりと宙返りをすると、礼儀や遠慮というものを知らないのか、グイグイと顔を突き合わせて近づいてくるピーターに、デイビスもややヒキ気味になりながら、瞬きを繰り返す。

「君、本当にデイビス? 偽物じゃない? 僕をからかおうとしてるんじゃ……」

「お、おい、そんなにぺたぺた体を触んなよ。
……って」

「あ」

「股間に触れるなーっ!!!!」

「ご、ごめん。本当に大人になっちゃったんだね」

「こんなことで察せられたくねーよ!!」

 顔を真っ赤にして背中を丸める彼の後ろで、ピーターも不快だったのか、感触の残るそれを自分の服になすりつける。なかなかに情緒のない再会である。

 ミッキーは微笑んで身を起こすと、宙に浮いた少年と向きあい、口を開いた。

「ありがとう、ピーター……助けにきてくれたんだね」

「もっちろん! 僕らはずっとずっと、友達だったじゃないか。友達は、助けあうものさ。何年時が経ったって、これからもずっと、僕と君とは友達だよ」

「……ピーター……」

「おいこら、ピーター! 勿体ぶってないで、早く俺とミッキーに、妖精の粉をかけやがれ!!」

「まーったく、うるさいなあ。やっぱりデイビスって、子どもの頃から、なんにも変わっていないや」

 よろめくミッキーを支え、七十年近くの友情を確認し合う——はずが、外野からギャーギャーと喚くデイビスに、これ見よがしに耳を塞ぐピーター。むしろ、幼少期よりも騒がしくなったと言えるかもしれない。

 しかしデイビスは、その言葉を聞くと、ふっと優しい笑みを解き放ち、堂々とした瞳を輝かせて言った。


「———ああ、変わっていないさ。ちっとも」


 その言葉は、時を超えて永遠だった。幼い日に交わした、心の中にある宝石は、今も鮮やかな輝きを放っている。

 周囲に螺旋を描く金粉が立ち籠めると、三人の瞳は煌めいた。まるで夜の中、初めての細く、美しい音色で張り詰める琴線を、小さくわななかせるかのように。そして、ミッキーを抱き締めるデイビスの足もまた、ほんの僅かに、地面を離れ、宙のさなかへと浮きあがったのである。それを見たピーターの目が、はっと見開かれ、そして、震えた。そして彼は、自分をじっと見つめ返すその緑色の瞳の中に、妖精のように皓々と輝き続ける、素晴らしい好奇心に溢れた魂を見いだした気がした。それは絶えず震えながら、みずみずしい希望をときめかせて、心の中の夢が解き放たれる瞬間を待っていた。

 その眼差しだけで、ピーターは、すべてを悟った。彼と見つめあっている、一人の大人——この心の中には、あの広い広い夜空を前にして高揚する少年の日と同じように、今も変わることのない始まりの風が吹いているのだと。見つめ続けるピーターの頬を、やがて静かに、温かな涙が伝い落ちていった。ここに、もう一人の少年がいた。そしてその少年は、彼と同じ願いを星にかけ、同じ想像力の翼を広げ、同じように無邪気な笑い声をみなぎらせている。

 デイビスは手を伸ばして、目の前の少年の流している涙を掬ってやると、ニッと歯をこぼして、子どものように満面の笑みを浮かべてみせた。ピーターもまた、頷いて涙を拭い、彼らの周囲に降り積もる、煌めく妖精の粉の中で微笑んだ。まるでその一粒一粒が、人々の心の中を吹き抜けた無限の魔法のようだ。そしてピーター・パンは、デイビスの腕の中にいる、始まりの鼠を見る。

 全ては、この一匹の鼠から始まった。
 この先も、この一匹の鼠が、ディズニーの象徴であり続ける。

 けれども、ひとつの企業の歴史を分かち合う以前に、彼らは友達だったのだ。そしてその感情の方が、難しい概念よりもずっとずっと、彼らにとって大切だったのだ。心が迷った時、いつもそこに戻る。出会い、培い、育み続けてきた彼らの思い出の蓄積は、愛そのものだ。愛があるからこそ、こんなにも歴史が尊い。——友達とは、そういうものだった。

 ピーターは、ゆっくりと口を開くと、優しい声でミッキーに語りかけた。


「僕らが生まれてきた時、世界には、君が待っていてくれた。出会ってから今日まで、僕らは一緒に、夢のような時間を遊んだね。

 その思い出は、少しも色褪せはしないよ。ここは、懐かしいディズニーの映画に溢れた世界。かつてウォルトが心の中に描いていた光景が、時を超えて、僕らの目の前いっぱいに広がっているんだ」

 そしてピーターは、顔の半分に朝の光を浴びながら、その悪戯っぽい少年の笑顔で囁いた。

「こんなにも長い間、ディズニーを守ってくれてありがとう、ミッキー。君がこの先も前に進み続けるというのなら。そのための道は、僕らも一緒に創りあげるよ」


 その言葉を合図に、すべては彩りを帯びる。周囲に煌めくこぼれんばかりの光は、睫毛に滲む、無数の黄金の環のように。ティンカーベルは眩ゆい鱗粉を振り撒きながら、ピーターに、一際大きな魔法をかけた。

「目には目を、歯には歯を。影には——こいつが相手だ!」

 ピーターが、己れの靴に結ばれていた糸を解くと、たちまちそのシルエットは奔放に躍り出して、ファシリエの影に飛びかかり、ベッドの上を転がるように取っ組み合いを始めた。

「ハハー、見ろよ、ティンク!」

 腹を抱えて笑いながら、今なおも微かに胸を締めつける思い出を、ピーターはよみがえらせていた。靴と影とを結び合わせてくれていた、風に煌めく細い糸は、遠い昔の人との出会いの証。子ども部屋のベッドを飛びだして、遙かなロンドンの街並みを見下ろしながら、限りない星空を飛翔した、あの夢の夜。この先どれほど生きたって、もう二度と、あの時一緒に冒険した子どもたちに会えることはない——しかし、どれほど時が流れても、思い出だけは、永遠に彼の胸に光り続ける。あとは生きてゆくだけだった、その光を信じて。もう戻らないあの瞬間を、こんなにも愛しているのは、きっと自分だけではない。ウェンディも、ジョンも、マイケルも、そしてジェーンも。僕らの愛した彼らだから、この先も、永遠にその純粋さは消え果てることはない。そして時代が流れ、彼らが自分の人生を自分の力で歩きだした時、僕と過ごした思い出が、彼らの限りない未来を支えてゆくことだろう。

 そしてピーターを置いて成長していったのは、ウェンディたちだけではなかった。胸をドキドキと高鳴らせながら銀幕や画面の前に座り、シンデレラ城の上に、弧を描きながら飛翔してゆく、あの妖精の輝きを見つめていた、過去の数多くの子どもたち。数々の登場人物を愛し、夢中になって空想を追い続けたあの頃の無邪気さは、今も彼らの心の奥深くに息づいているのだろうか? その保証をすることは、誰にもできない。けれども、幼い頃のあの魔法が、大人になった彼らの心に光を投げかけていますようにと、ただ、そう祈るしかなかった。そして、遠い日に浴びた魔法が、成長した彼らの心の美しさに、少しでも水をそそいだならば。未来がやってくることは、きっと哀しいことではない、永遠に少年でいるのと同じくらい、大人になって未来を生きてゆくというのは、素晴らしいことなのだ——そう信じることさえ、できるのだった。

「ディズニーは……」

 ピーターは、小さな声で呟いた。

「ディズニーは、今もここにあるよ。どんな大人にも、どんな子どもにも。……いつまでも」

 風が吹いた。枯れ葉で作ったピーターの服も、彼の帽子に突き刺さった赤い羽根も、その流れと戯れるように揺れ動き、微かに乾いた音をかさつかせた。

 そろそろと、デイビスの手に縋りつきながら、ミッキーは地に足をつけて、立ちあがる。霜を振るうかのように、定まらない足に力を込め、その眼差しは遠い瑠璃色の空の下に屹立する影に導かれた。その黒く澄んだ瞳に、突き刺さったままの王の剣が映る。冷たく底走る不明瞭な音が、耳に滑り込んだ。それは果たしてどこからか。近くか、遠くか、それとも拡散してゆくこの時空全体か。焦燥を駆り立て、自然の底に染みついた躍動へと拉し去る不穏さが、明けかかるこの世を満たしていたのだった。

 澄んだ風は、肌寒いほどだった。切れば血の出るほどに凛然と張り、呼吸はまざまざと外界に荒れている。ミッキーは驚いた。全てが、見通せる。世界はこれほどまでに壮大だったかと思わせる、ありのままの、虚飾のない、生きたままの極限の姿。それは明瞭の極致と言ってよいほどに、彼の全身に襲いかかる。今見えないものは、この先もけして見えないであろう。この一瞬が、すべて。見るべきものは、すべて見張るかせていた。呪われたこの地を塗り替えるかの如く、黒々とした天頂は太陽の気配に齧られ、鮮烈なブルーを露わにしており、さらにその青の中には深海を思わせる静寂が、張り詰めた時の一秒、一秒を凍結させていた。その一滴が溶けて地上へと滴るように、世界はすでに、夜明けへと移り変わっている。そして、その溺れる突入の感覚の中で、遙かに偉大な事象と交わる眼差しは、あの金の細工を施された、世界にたった一本、遠い地面に突き刺さった剣を抜くための、六条の光を毅然と輝かせるあの柄へと、引きずられるように吸い込まれてゆく。まるでそれを見つめることが、自分の最大の熱望なのだというように、ミッキーはそれに食い入って見続けた。今、紺碧に透き通る背景は次第に遠ざかり、心の中の決意が、その六条の光と呼応した。天と地の合間に、たった二人だけ、自分と、その剣とが、交わるべき一対の存在だった。

 ティンカーベルが羽から瞬く微粒子を振り撒いて、傷ついた彼をもう一度、空へと浮かばせようとした。しかしミッキーは首を振ると、

「大丈夫だよ」

と空中に輪を描く光の軌跡に、優しく、けれども確固たる口調で言い切った。

「僕は、大丈夫」

 何かを言い聞かせるようではなく、何かをあざむくようでもなく。ありえぬほど潔癖に、決定的な意志に満ちて、その子どもは頷いた。それを聞いて、デイビスは、もはやミッキーが、自分の触れられえぬ場所へと歩み始めたのを知った。凛烈な風が、自らの旅路へと出発する者の足元を吹き抜ける。始まる。彼だけの道が。

 デイビスは、頭上を仰いだ。遙かな天を鳥が舞いあがり、次第にその空の色が、変わってゆく。色調が強くなり始めた。一方は緩やかに仄めき、一方は濃度だけを残して遠のいて、まるでそのグラデーションの妙は、途方もなく巨大に被せられた盆の淵のように見えてくる。世界が立体を意識し始め、虫の声が鳴り続ける。騒ぎ、急き立て、これから迎え入れようとする、途方もない時の流れにざわめくように。そして、その予感に満ちた時間を突き破るように、新たな影が降ってきた。デイビスははっと目を見開き、その名を舌に乗せた。

「ダンボ! ティモシー! 来てくれたのか!」

「なんと! ほら、ダンボ、見てごらん! あの時会った、海側の少年じゃないか! 君も覚えているね?」

 大きな薄い耳のはためいて起こす風が、首をすくめさせるほどさわやかに駆け抜ける。その空飛ぶ仔象の被っている黄色い帽子から、赤い鼓笛隊の制服を着た鼠が顔をだすと、眩しそうに目を細めながら、象の額を軽く叩いた。ダンボは嬉しく耳をはためかせ、鼻を擦りつけるようにして、舞い降りた先のデイビスに寄り添う。温かかった。乾いた表皮を撫でると、早朝の空気と交わり、ひび割れてしまいそうだった。象の頭上に降りたティモシーは、一人前の身長まで育った彼を見あげて、そっと帽子を脱ぎ、その磨かれた金色の釦と、目尻に溜まった大粒の涙とを、同時に微かな旭の中に光らせて言った。

「ああ——こんなにも大きく成長したのか。まだほんの小さかった頃の君を知っている者として、これほど喜ばしいことはない」

 その声すらも、柔らかく寒い風に溶けるように流れてゆく。そしてその余韻をしるべとして、先ほどから聞こえていた微かな音が、不意に、その音量を変え始めているのに気づいた。張り詰めて空疎を制圧し続ける、低い、それでいて間延びした音。浴びるような広い気配が、何の輪郭に阻まれることもなく、この世を縊るように蔓延していた。音は次々に、孤独な青い音楽の環を拡げた。紛れもなく時の変化を予兆するこの轟音は、風とともに潮騒を高くしながら、下界の隅々まで行き渡った。動物たちが機敏におとがいをあげてゆく。湖畔にいた鳥が、数個の波紋を落として飛び立つと、その軌跡は急激に天へと上昇し、果てしなく伸びてゆく。枝々に張り巡らされた蜘蛛の巣は、冷たい朝露をその結点のふしぶしに凝らし、薄く地べたに落ちる影は、とうの昔に朽ち落ちた、数百年前のガラスの破片の如く見えた。

 ティモシーは優しく象の頭を撫でると、その耳に迅速に指示を飛ばした。

「ダンボ! 影に向けて、ピーナッツの弾幕を発射してやるんだ!」

「しゃらくさい! たかが鼠と象が増えたところで、何の役に立たぬわ——!」

「望むところだ。何が真実なのか、私たちが教えてやろうじゃないか!」

「ミッキーを騙そうとしたら、容赦しないぞ!」

 思わぬところから増えた応答に、ドクター・ファシリエが振り返る。そこには、もはや操り人形の糸から解放され、本物の人間となったピノキオと、彼の肩の上で跳ねるコオロギのジミニーが、胸の金無垢のバッジを輝かせながら、決然として胸を張っていた。どちらも小さな体ではあったが、烈々と冷たく吹き渡る風を受け、彼らのベストと燕尾服は、旗の如く冷え冷えと棚引いてゆく。そしてやはりその眼には、穢れない意志が漲っていた。

 宙を翔けてゆく鳥が、一層高らかに、驚くほど澄んだ鳴き声を響き渡らせた。そして、少しずつ、少しずつ、晴れ渡る空に光が漲り始める。その予兆は、微かに黄を帯びていた。数々の葉が光芒に葉脈を透かし、あたかも金雀枝の如く、照々と宙へ張りだしたそれらを、酷く目の惹くものとしていた。万物は不可視の地鳴りに曝され、震撼し始めた。それが何の震えだったかは分からないが、何かが大地を揺さぶり、その上に生きる者たちを、激しく鼓動させているのだった。

「ミッキー、頑張れ」

 ピノキオの声が、朝の空気に溶けた。輝かしい一枚の葉が、振れながら地にかさついた。

「僕のためじゃない。君自身のために、頑張れ!」

「そうだ、ネズミの坊や。悪い奴なんかに、呑み込まれるんじゃないぞ! 君はどんなことだってできる子なんだ!」

 ————ドクン、


 その時、突如として胸に躍りあがった鼓動の大きさに、ミッキーは慄然たる念すら覚えた。いまだ、心臓は熱く呼応している、その内奥に真実を宿して放たれた言葉に。濃く、淡く、揺らめく思いに打たれる彼の足元で、またひとつ、光の筋が切り拓かれてゆく。ざわざわと葉擦れが鳴った。転がった石粒は判然として、その影を深いものとし、ますます多くのものが、東からの予兆に挑んだ。何者も、時の流れは止められない。夜が明け、闇が尽きてゆく。朝焼けが、赫奕として薄橙を刷きつつ、その上に白んだ靄のような帯をたゆたわせ、海から吐かれた横雲は叙情的に燃えたち、量り知れぬ空気量を露わにする。何もかもが、自然のドラマに向けて、準備を始めていた。

 まもなく、時が満ちる。
 黎明が、ここへやってくる。

 周囲の異変を嗅ぎ取った影が、その中心で、息をひそめたまま目を見張っているミッキーへ襲い掛かろうとした。しかしその直前で、恐るべき高温にまで熱せられた水のヴェールが降りそそぎ、まともに被ってしまった影は哀れにものたうち回るしかなかった。じゅうじゅうと鈍い音を立てて、地に染みをつくったその水が染み込んでゆき、一瞬の湯気が風に立つ。

「王を守るのは、我々使用人たちの役目!」

「この上だよ、卑劣なクズ野郎。それ!」

 枝の上に隠れていた黄金の燭台が、その頭上の芯と両手の蝋燭に灯る炎をあかあかと燃えあがらせ、瞬く間に、そばにいるポットの中身を沸騰させた。そして、その注ぎ口からふたたび、熱湯がこぼれるなり、たちまち天へとあぶれる湯気と、それをまともに浴びた影たちが、地を這いながら踊り狂う。水蒸気の彼方で、天頂の蒼は澄み始めた。命を持った金属の彫刻にも、陶器の肌にも、今や冴え冴えと高度の感覚を取り戻した蒼穹の色合いが、克明に反射されて映り込んでいた。霧がたち、地平にかかる遠方は霞み始めた。その微細な霞の粒すら、皓々たる光を帯びて、生きているように見えた。

「今のうちに、急ぐのです、ミッキー!」

「あなたはとても勇敢な子よ。最後には全てがうまくいくわ、大丈夫」

 ————ドクン、


 心臓が、また鋭く鳴った。鼓動はまるで、彼の一歩一歩の跫音と一体となるようであった。戸惑いも浮かばずに、ミッキーは、踏み出した。遅く、ゆっくりと、力を湛えて、次第に速く。まるで、夢の中を駆けているかのようだった。手足が痛んで、少しも持ちあがらない。それでも、その痛みを振り切って、風の真ん中を彼は駆け続ける。

 遠い彼方で、誰かに、呼ばれているような気がした。
 けれども、呼ばれたから行くのではなかった。
 同じ道だった。
 志したのが同じ道だったからこそ、彼は彼の道を突き進み、その声の主を知りたいと思うのだった。

 宇宙は、依然として運動を続けていた。我々の生命とは関係なく、途方もない綿密さと美しさで、論理法則に従ってそれは行われていた。海を超える水平線、早くも砕かれた白波を浮かばせて揺蕩う、数千、数万キロ、いや一億を超越する惑星の自転の果てには、この地球に恵みを降りそそがせる、絶対的な火炎の塊がある。同じ素粒子から産み出されているこのちっぽけな地球を見定め、銀河の片隅を照らして、恒星は燃える。その燃焼が顔を出せば、幾ばくかの命の、僅かな運命が変わるであろう。

 のぼれ、とデイビスは祈った。
 のぼるな、とファシリエは震えた。

 夜をかけてネズミの心を削ってきた、その闇を、今ふたたび、光芒が喰い殺してしまうのなら。
 光の中で、どんなに藻搔いたところで、ブードゥーの魔術に勝ち目などあるはずがない。だからこそ、賭けるべきは夜、この漆黒に塗り潰された夜のうちに殺してしまうべきだった。

「ナラ様、あちらでございます。お早く!」

 ざざ、と各々にしなる、完璧な形状をした草の茂みの上を、美しい青紫の羽を滑らせ、輝くオレンジの嘴を開いたサイチョウが飛びすさった。寒さが、ますます強くなった。大地には土の赤味が照り映え、葦は揺れる息吹の中に、己れの躍動を取り戻し始める。絶え間ない呼吸によって水分が蒸散してゆき、青臭い匂いが、急激に立ちのぼってきた。生き生きとした葦原は、漏れ始めた旭日の一部を吸って、一面に濡れた橙色の山を揺るがせて見える。その色鮮やかさは、彩色豊かな織り物の世界と言うべきか。灰色の陰影モノクロームの地平に這うブードゥー・スピリットたちは、その生命感に圧され、疑義を抱き始める。果たして、勝利の道はどこにあるのか、と。

 ファシリエにできることは、ただ、倒そうとする者の心を揺さぶる言葉を吐くだけ。それとて、孤立無援のこの状況では、虚しい悪あがきにしか聞こえない。

「ミッキー・マウス! 貴様のように心の弱い餓鬼が、チェルナボーグ様に勝てると思うのか! 誰も貴様の勝利など認めはしない、誰も、誰も!! 皆が貴様を嫌っている!!」

「私たちは違う。ミッキーこそが真の王よ!」

 草葉が騒ぐと、艶やかな睫毛の下から緑柱石の瞳を煌めかせて、雌獅子が姿を現した。一歩踏みだすと、夜のうちに冷やされた土の温度が、肉球越しに伝わってくる。白い内毛に覆われた、素早くくるめく耳、朝風にうねる流線を描いて屹立する首、そして確かな足取りで大地を踏み締める四つ脚は、しなやかな筋肉をしのばせて土の匂いにまみれる。太陽の頂点から微かに漏れる光が、その黄土色の毛並みに、怖気の走るほど美しい波を走らせた。

 猛獣——と言うべき存在の出現に、ファシリエはひるむ。喉から漏れでるその唸りは、孤峰の如く誇り高い。力強いナラの声が、彼の背中を後押しした。

「行くのよ、ミッキー! 太陽の届くところ全てが、あなたの王国よ!」

 そして次の瞬間、すでに金色の雌獅子は、影の群れへと飛びかかっていた。荒れ狂う牙が、爪が、真珠色に光って交錯する。命と影との熾烈な争いが、熱を帯びて繰り広げられる。


 ————ドクン、


 膨大な記憶を携え、ミッキーは取り憑かれたように走っていた。けれども、何を思いだしていたのだろう。立ち尽くしてしまいそうなほどに胸の奥に響く、何千、何万という声は、どこから聞こえてくるのだろう。息を吸うと、張り詰めた空気は、洋々と肺を切り裂くようだ。そしてその冷たさを呑み込むと、耳の底に、絶え間なく茫々と響き続ける、たったひとりの名が聞こえてくる気がした。

 草の香のする風は、絶えることも弱まることなく、この世に宛然と流れ続けていた。川のせせらぎよりもずっと柔和に、ずっと胸焦がすように、自由と解放を知りながら、しかも天から降りそそいでくる薄白い光芒の眩ゆさを、けして乱すことはなかった。まるでそれは、生まれる前の命に取り巻いていた、あの透き通る無垢の歌声に似ていた。次第に胸の中に強くなる鼓動の先へと送りだし、以降は永遠に思いだされることはない。生きているうちに思いだせるのは、ただ旋律と、そこに籠められた祈りの気配のみである。それに類するものを、命は、この世にふたたび見いだすであろう。時に炎の中に、時に水の中に、どこか懐かしくもけして掴むことのできぬそれの、微かな面影と不意に出会う。そして悟るのだ、もしかすれば、この生を尊ぶものを、自分はずっと前から知っていたのかもしれない。今はもう無くしてしまったそれを、今度は自分が生みだすことを命じられているのかもしれない。それを決定づける証など、どこにもないけれど。けれども、あるいはもしかしたら、そんなことが。


(———ウォルト、ウォルト、ウォルト、)


 呼び声に合わせて、体の芯を貫く鼓動が滾り続ける。膨れあがり、これ以上の衝動には堪え切れぬように。

 そんなこと・・・・・が、もしかすればあるのかもしれなかった。
 今だけは、それを信じて良いのかもしれなかった。
 信じることが、ゆるされているのかもしれなかった。

 そしてすでに、人生の旅路を終えてこの世を去った誰かが、それを信じ続けることは正しい道なのだと、今も囁いてくれているのかもしれない。胸に突き刺さるほどに苦しい、忘れられようもない、大好きなあの優しい声は、語り続けている。この世で何度となく繰り返される、生の物語の意義を。



 ———"That’s what we storytellers do. We restore order with imagination. We instill hope again and again and again."



 希望は熾火の如く燃えるだろう、何度も、何度も、何度も、何度も。挫折を知りながら、苦しみを知りながら、その先の彼方に、譲れない信念が輝く。風が、ここに吹きつける。

 土煙を舞いあげて、ナラが倒れる。どう、と地に振動が伝播し、彼女の口元が苦痛に歪んだ。すでに、立ちあがる体力はない——高潔な眼差しを振り乱して威嚇する命のそばへ、みるみるうちに、絶望の影が押し寄せてくる。

 しかしその時、葦原の向こうで、ゆらりと、炎が揺れ動いた気がした。幻覚だろうか? いや、それは生きている。誰も穢すことのできない生気を宿して、それは、そこにいた。こんなにも美しい獣を、誰も目にしたことなどなかった。正義と憤りに満ちたその体躯は、地に横たわるつがいに近寄ると、舌を出して、数度静かにその頬を舐めた。そのほんのしぐさひとつで、ナラは、自身にそそぎ込まれる唯一無二の愛を知ることができた。

「シンバ!」

 獣は、顔をあげた。赤銅の鬣をうち振るい、百獣を従える黄金の獅子が、威風堂々と佇んでいた。まるで、灼熱の化身。口からは白い吐息が漏れ、その眼差しは強靭に、強固に、抉るような巌の意志を研ぎ澄ましている。果たして何が、この厳粛な存在感を否定することができるだろう。生きることそのものが、この獣の一本一本の毛の先に至るまで、強靭に満ち満ちている。

 そして、吼える。全身の毛孔から噴きあがるかの如く、鬼気迫る勢いで響き渡る咆哮は、果てしなく荘厳に、生きとし生けるものの魂を揺るがし、びりびりと振動する大気の底から、畏怖の観念を呼び起こしていった。その獣の体躯には、神威とも呼べる迫真がみなぎり、熱い蒸気が噴きだし、その生命の立ちのぼらせる湯気が、この世の不浄なものを追い払うかのように見えた。ナラも、ダンボも、ピノキオも、ルミエールたちも、みな、そちらを振り仰いだ。咆哮はなおも木霊をひるがえし、共鳴は終わらない。夜と朝の狭間に立ち尽くす彼らの半身を、新たな薄明が照らしだす。


 そして、いよいよ、太陽が現れ始めた。


 それは、細い金属とも見紛う光だった。金緑が微かな弧を描きながら、宙空をみるみるうちに支配し、炙る、というよりは驚異的な温度に出くわしたかのように、あまねく地を照らすその光量。幾条にも渡って分裂したその細い光線が、強く、激しく、まざまざと身ぬちを吹き抜けてゆく。膨大な睡眠の感覚が吹き払われ、虚空に、絶大な音が鳴き交わされ始めた。数々の波紋が、一同に震える。何もかもが鮮明に、みずちずしく。獅子の猛る声色は、まるで生命を呼び覚ます父。太陽の届くところ、そのすべてが、命の声に満たされて輝くであろう。

「馬鹿な……馬鹿なっ! ここはホーンテッドマンションなんだぞ! なぜファンタジーランドの住人どもに牛耳られなければならない———!!」

 ファシリエの叫び声さえも、その時空の中では、異様に大きく震えて響き渡ってゆく。それは、世界を占める支配者が交代した証だった。夜のひそやかな静寂とは異なる、おびただしいほどの生命力を湛えて、抗いようのない朝が始まる。この世に、朝がやってくる。

 それは、ファシリエには耐えられない光景だった。

 なぜ天空は輝くのか。
 なぜ大地は燃えるのか。

 黒魔術の虜になってからはずっと、暗い部屋で幾人もの魂を地獄へ叩き落とし、妖しく魅了するタリスマンに、犠牲者たちの血を吸わせた——そのすべてが、たった今、白日の下に晒され、何もかもが明瞭のうちに吹き飛び、意味を失ってしまう。

 ならば。ニューオーリンズはどうなる? 私の故郷、私の野望の全て、何よりも手に入れたかったあの街。先ほどまで指に触れていたあのイマージュが、みるみるうちに遠ざかってゆく。
 全てはあの若造——あいつだ。あいつが余計な手出しをして、ミッキー・マウスの中の魔法を目覚めさせたせいだ。あのネズミの魂を回収できなければ、これまで湯水の如く注ぎ込んできた負債が、牙を剥いて襲いかかってくるだろう——まるで、金に狂った化け物のように。

 そして、彼の根城としていたホーンテッドマンションから、迷える無数の魂たちが、光を恐れて墓の下へと沈み、永遠の眠りについてゆくのを感じた。もはや、タリスマンに捧げられる霊魂は、ひとつも残っていない。何もかもがすり抜けて、空っぽだった。そして——どくん、とその呪符の奥から、赤光が鼓動する。反射的に、ファシリエは身をすくめた。血の色を秘めて照り輝くタリスマンは、自らの契約主に、最後の警告を伝えるだろう。

 約束を違えることは許されぬ。
 もしもツケが払えなかったならば、その代償は、お前が支払わねばならぬ———と。

「ふ——ふざけるなあッ!! この私がブードゥーの餌食になるなど、ありうるはずがないッ!! 影ども、ここに生きている者全員を八つ裂きにしろ!! 死した魂を食えぬなら、生きた者から奪い取るしかない!!」

「ヴィ——ヴィ——ヴィランズが王座につくのは、ゆるさない!」

「野郎ども、宝石をぶちまけろ! ネズミの小僧を守るんだ!」

 グランピーの言葉を合図に、数え切れないほどの鹿や兎や小鳥たちと、その鹿に跨った、旭を浴びるこびとたちが、手に持っていた宝石を一斉にばら撒いた。目をあざむくほどの無数の反射に、地面は燦然たる光の海となり、数々の天然石が地に触れたところは、赤、青、黄、緑、と色とりどりの光彩に透けて、まるで豪奢なステンドグラスのように、いかなる邪悪な影も触れ得ない結界を創りあげる。


 ————ドクン、


 タリスマンの刻限が、迫りくる。握る拳の中の鼓動で、それが分かる。汗で滑る手が、否応なく動悸を逸らせていった。

 間に合わない。今さら、どれほど影と契約したところで、次から次へと潰されてゆくだけだ。目の前に現れる、多くの光を背負った者たちに、もはやファシリエは本気で恐怖していた。手札が、消えてゆく。唇が蒼白になる中、のぼりくる太陽の眩しさだけが身に迫る。

「早く行け、小僧! ディズニーの歴史を始めたのは、お前だろ!」

 宝石のぶつけ合いが始まり、甲高いツルハシの衝突音までもが響く中、グランピーが叫ぶ。その間にも、輝かしい金属の音が大きくなっていった。時が経つごとに幾つも幾つも、それらは必死に積み重なり、やがてひとつの音楽の如く鳴り響いてゆく。

 清澄な空気に誘なわれて、地上には、異様なまでの音が殺到していた。速く遅く、澄んでは濁り、高く低く、己れの命を尽くそうと果てのない旅を始めていた。万物は響き始めた。鼓動を孕んで、心臓が激しい血を噴きだすごとに、その音楽は刻々と強くなり、力強い跫音のような迫真性を湛えてゆく。水はその過透明な層を煌めかせ、鳥は霧の如き飛沫を切って飛び立つ。そして天が、眼の透き通るほどに鮮やかな青へと移り変わってゆくにしたがい、大地全体が、生の歌声に共鳴した。

「なら、これで———!!」

 ファシリエは唇を噛み締め、杖を振りあげようとしたが、その手が、不意に軽くなる。振り返ると、視線の先には、絨毯のタッセルに尻尾を絡ませ、トルコ帽を軽くあげて挨拶するアブー。その絨毯の上で、猿の相棒たるアラジンは奪った杖を握り締めたまま、にやりと笑った。

「ハッ! お前、とんでもない泥棒だなあ!」

 呆気に取られるファシリエを置いて、魔法の絨毯は速度をあげると、空高く舞いあがってゆく。そして、朝陽に呑み込まれるアラジンの眼に、圧倒的な日の出が映った。溺れるような風、清々しい空の色、苦しいくらいの感銘が胸を灼く。何もかもが新しい世界を全身に浴びながら、アラジンは黎明の中で囁いた。

「ミッキー、僕たちは本当の君を知っている。誰がなんと言おうと、君はいつも、僕の王様だ」

 空気は、まるで柔らかな何者かの歌声の如く頬に吹き、髪は揺れ、微かな朝露にしめり、旭の粒子を霧のそれに混ぜ込んだ。大気は入り乱れた。視覚よりも遠く外界がつらなり、世界は、一様にその領域を広くしていた。

 小さな熊のぬいぐるみのプーは、おずおずと、遠くの枯れ木の陰から顔をだした。そしてちかりと目に入る、蜂蜜のような光にあふれた朝の幕開けに、思わず目を細め、そして、その下で繰り広げられている、光と影の熾烈な闘いに恐れおののいた。ミッキーのために駆けつけたは良いものの、ヴィランと争うのに何の手立ても持たない彼は、とてもその闘いに加われたものではなかった。

「ねえ、ティガー。そっちに黒い雲はある?」

 こわごわと語りかけるプー。すると、そばにいたティガーは両腕を広げて、太陽のように晴れ渡る明るい声で笑った。

「あるわけねえだろお? 俺様が、吹き飛ばしちまったよ!」

 光が射し、果てしない蒼穹を、七色の光線が突き抜けた。黄金の光の条を彩る、紅紫と濃藍の帯が交錯する。虹を孕んだその太陽の光は、何条、何十条と分裂して、新たな時の始まりを祝福していた。


(———ウォルト。もしも君がディズニーを通じて、生きる美しさを伝えようとしていたのなら。
 この世界に残された僕らは。この、王国は———)


 生きる者の世界を染め抜く、圧倒的な概念。誰もがその気配を、茫然として見送るしかなかった。神々しい黄金きんの中で、命が動く。生命が鼓動する。

 その神々しさに、ファシリエは気圧され、よろめいた。朝が、太陽が、眩しいほどに彼の網膜を灼く。肺が爆発しそうに苦しい。汗がびっしりと浮かびでて、そのいずれもが、風を浴びて、冷ややかに震える。ミッキーの眼差しの彼方で、剣は太陽を浴びて、地に突き刺さる一本の稲妻のようだった。

 そしてその時、彼の目の前に、運命の扉が開かれたように思った。しかしそれは、誰に申し渡されたわけでもない。自分の魂が、そうして生きることしかできないのを知っていた。

 ああ———と、覚えず、声がほとばしる。

 こんなにも強く、こんなにも熱く、長い間求め続けていたから。切ないほどに心を染めあげる、光への熱望の、その先。風がみなぎり、痛みと眩しさがひしめく彼方に、僕の生きる道がある。

 どうか、命の讃歌を唄わせて。
 人々がもう一度、この世界で、生きる意味を見つけられるように。
 僕らは愛されてここに生まれてくるのだと、信じさせて。何度でも、ここに希望をよみがえらせて。生きることは喜びだと確信する、あの真っ直ぐな感覚を、もう一度、僕は取り戻したい。





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 ———だって僕は、ミッキー・マウスなんだ。
 ———人々の夢を叶えるのが、僕の最大の喜びなんだ。



 僕はもう、僕を失うわけにはいかない。道を見失うのは、これで最後だ。

 背後からのぼる激しい太陽を浴びながら、全身の力を振り絞り、血反吐を吐くように、彼は叫んだ。

「みんな、僕に勇気を! もう一度、王の剣のところまで僕の魂を導いてくれ! 僕たちは必ず勝利する、ディズニーランドは、僕らの愛する国だッ!!」

「タリスマンよ、もう一度、エディ・バリアントを操れッ!! あいつを殺して、ミッキーの精神を破壊しろ! 血など幾らでも貴様らにくれてやる、どうか私に、闇の力を——!!」

 もはや、ファシリエの思考回路は、まともに働いていなかった。そのがむしゃらの命令を受けて、どくん、とタリスマンが不気味に波打った。そしてますます、残り少ない彼の寿命を乗せた天秤が、傾いてゆく。刻一刻と、返済の時期は迫ってくる。ファシリエは祈るようにエディを見た。ここで殺さねば、私の命が終わる。頼む、誰か私のために死んでくれ——と。

 エディは、ワイルドターキーのボトルを懐から取りだすと、口で引き抜いた栓を吐き散らし、呑もうとして——その手を、止めた。そしていきなり、そのボトルを思い切り投げあげると、狙いを定め、発砲した。高らかに弧を描く瓶を追って、勢いよく飛んでゆくネイティブ・アメリカン風の銃弾が、雄叫びをあげながら斧を振り下ろす。その行為のもたらす光景は、ご覧の通り。鼓膜を叩き割るような破裂音とともに、粉々になったガラス片と琥珀色の飛沫が、後から後から、光の滝の如く輝きながら大地へと降りそそいでくる様は、まるで奇蹟のようにすら目に映る。

「感謝しろ。貴重な八年モノだぜ」

 へし折れた煙草に火をつけたエディが、それを酒の河へと投げ捨てると、一転、激しい炎がそそり立ち、大地が焼き焦げ、灼熱に彩られた影が消滅してゆく。たゆたう空気に躍る火の眩ゆさは、死者たちを弔い、空へと還す儀式を思わせた。炙るほど漂う熱で、目が乾いて、ひりひりと痛くなる。それでもエディは、瞬きひとつせずに、焰を見ていた。その瞳の底に、狂おしいばかりに天へと腕を伸ばす、最後の火影が揺らめいていた。

 ミッキーは、走る。
 心に誓った。何があっても、誰一人、僕が死なせはしない。絶対に、守ってみせる。

 そんなのは無謀だと笑われてもいい。生きる限り、その思いを追い続けるのが、僕とウォルトを繋いでいるただひとつの祈りなんだ。

「……ヘンリー! ヘンリー・レイブンズウッド!!」

 哀れなほど脅えた声で、ファシリエが叫ぶ。

「貴様に仮初めの魂を与えてやった私に、力を尽くして死ね! あの生者たちを呪うのだ!」

 影がひとつのどす黒い魂を吐き出すと、それはみるみるシルクハットとマントを象り、幾度となく骨からよみがえる怪人ファントムが現れた。彼もまた、操り人形。悪に魅入られ、欲望に突き動かされ。しかし、彼が投げ縄で、生きた者の首を狙う前に、ふわりと、ミッキーの目の前を、白く透けたレースが横切ってゆく。

「メラニー!?」

 ———これが、私の振り絞れる最後の力。さあ、行くのです。この館を飛びだし、外の世界へと……

 消え失せてしまいそうな声は、儚げに反響し、日の光の下にどこまでも響いた。そして彼女は、己れの屍を縛めていた氷の刃を、震える手で折ると、骸骨と化した怪人——自らの父親の胸に、初めて、その切っ先を向けたのだった。

 その鋭い刃が、やすやすと肋骨をくぐり抜け、左胸に引っかかる干からびた心臓に潜り込む前から、怪人は自我を失ったかの如く、自らの動きを止めていた。氷を握り締める指、手袋に包まれた白魚のような指——そこに嵌められている指輪の輝きが目に飛び込んできた時、彼はひるんだ。そしてその美しい日の光は鋭く反射して、眼窩を貫いたのである。しかし、彼が茫然と身じろぎをやめたのは、何もそれだけではなかった。

 まるで、教会からの光を浴びるバージンロードの、その先を歩いてゆくかのように。
 堂々とヴェールを靡かせ、指輪を輝かせるその姿は、今まさに目の前にいるはずなのに、遠く、小さく、光に掻き消えてゆくように思える。

 寂しい——とヘンリーは思った。

 さびしい、さびしい、さびしい、さびしい。
 どうして、子どもは親を置いて、遠くへいってしまうのだろう。
 こんなにも愛を尽くしたのに。どうして、子どもは成長してしまうのだろう。

 そして、純白を纏った彼女が短剣を引き抜くと同時に、残酷な運命が、彼を、彼ただ一人を蝕んでゆく。

 頬は影を落とすほどに肉が削げ落ち、蒼白を超えて土気色へ。高貴なる服は破れた襤褸へと腐り果て、丁寧に撫でつけた髪は白髪が僅かに引っかかるばかりとなり、そして、そのさらなる下が覗いてきた。長い年月に晒され、顎から歯を剥き出しにして白骨化した骸骨は、その眼窩に嵌る目玉を爛々と光らせながら、彼女を見て——泣こうとした。けれども、涙が出ない。それを流すべき時期は、とうに過ぎ去ってしまった。生きる間に流すべきものを、彼は未来永劫、取り戻すことはできないのだった。

 ひとりにしないで。永遠に、一緒にいて。

 必死に、そう呼びかける。けれども、メラニーは静かに佇んだまま、自分へと伸ばされた白骨の手を、取ることをしなかった。なぜ、なぜ、と呟いたまま、老いてゆく骸骨はさらにひび割れ、乾いて、風化し——掬いとれぬ塵へと還ってゆく。膨大な風は、命を、何者でもないものへと浄化していった。未練も怨念も何もない。全てが、無へと帰してゆき、瞬きひとつすれば、もはや人の姿は跡形もない。一人の人生が、終わった。この世はふたたび、その人間が人間として生きることを許さない。

 それを見届けて、ようやくメラニーの眼にも安堵の涙が込みあげ、両手で顔を覆った。思えば、翻弄された生涯だった。まるで自分の心など存在しないかのように、すべてを取りあげられて、愛する人さえも失って。後戻りも、取り戻すこともできない、親に支配された一生だった。

 けれども———


 ———このまま僕たちと一緒に逃げて、二度と戻ってこなければいいんじゃないかな。陽射しの中の世界まで行けば、きっとあの怪人も、君を追ってはこられない。

 ———上出来だ。オジョーサマの家出大作戦、だな。



 あの時、手を差し伸べてくれた人たちに出会って、ほんの少しばかり。この世の、自由の本質に触れた気がする。

 自分を否定する者を超えて、その彼方へ。
 運命じゃない。自分の決めた道を歩いて、光の中へ。

 ———その夢を、少しでも見られて、よかった。

 朝の空気の中で静かに目を瞑る彼女の身に、逃れようのない時が押し迫ってくる。例外は何ひとつなく、この世に生きる全ての者が、同じ運命を辿るであろう。その終焉が、彼女にも平等に訪れた、ただそれだけのこと。そしてメラニー・レイズンズウッドに、正真正銘の、死が始まった。

 踵へ、ふくらはぎへ、膝へ。溶けてゆくように、爪先から灰と化してゆく。感覚が、もう何もない。ただ、膨大な風と一体化してゆくような連帯感が、胸いっぱいに吹きすさんだ。これで終わりなのだ、とメラニーは思った。想像していたよりもずっと、胸の中には、筆舌に尽くし難い感情がひしめいていた。さらさらと灰になりつつある彼女の骨は、生命という存在の一切を否定してゆく。膨大な自由の風の中によろめき、ついに、この世に立つ手段を失うメラニー。迫りくる地に打ちつけられた途端、自分は形を失って、粉々に砕け散るのだ——そんな予感がした。そして、その白骨の花嫁が倒れ込み、地面に叩きつけられる寸前で、しかし横から、確かに彼女を強く抱き留める腕があった。

「ダカール——!」

(こんなところで負けるんじゃないぞ、ミッキー……頑張れ。前に、進め!)

 必死に叫び返したダカールは、フィルハーマジック・オーケストラのオペラグラスをかけていた。けれども、それで日の光を免れたのはほんの束の間で、彼の幽体は、ほとんど掻き消えてしまいそうだった。あとは時間の問題だろう。太陽の光から庇うように彼女の上に覆い被さり、ダカールは目を閉じた。その瞼の裏すら光線に透けて、真っ白に塗り潰されてゆく。

 彼が盾となって太陽を遮った真下だけ、微かに、彼女の生前の姿を取り戻す。同じ光に包まれた気配に気づいたメラニーは、ふと朝風の中で瞼をあげると、その唇に、か細い声を載せてつぶやいた。

 ———ジェイク?

 彼女は涙を伝わせたまま、微笑んだ。最期の意識の混濁が始まっているのかもしれない。おそらくその唇に載せられた名前は、彼女が幻を見るまで愛した婚約者のものなのだろう。ダカールは、朝の光に薄らぎ始めたその手を握り締め、優しい声で囁いた。

(そうだ、僕だ。ジェイクだ。ずっと、君のそばにいるよ)

 ———嬉しい……ようやく、あなたに逢えた。あの暗い館で、ずっとずっと、あなたが迎えにきてくれると信じてた……

(ああ、もう僕たちが離れることはない。天国で、一緒になるんだ)

 風に運ばれて、呪いのように鳴り響くパイプオルガンの旋律が、彼の魂を揺さぶってゆく。その重々しい音のふしぶしから、ダカールは、生前の人生を思い返していた。誇り高き故郷には多くの血が流され、愛していた家族は大砲の前で、無数の肉片にされた。

 あれから、どれだけの月日が流れただろう?
 人類の本質を思い知ったあの日から、恐怖と懊悩が尽きることはない。生きるべきか、死ぬべきかの結論など、命を失った今でも、けして出せそうにはなかった。それほどまでに、大地に流れた血は、我々の背負う歴史を重くする。

 けれども、叶うなら、僕は。
 あの日見た、人類への絶望ではなくて、


 ——————命を肯定したい。


(僕をディズニーシーに呼んでくれて、ありがとう。ミッキー……)

 彼がそう呟いた時、腕の中には、干からびた数枚の花びらとヴェールだけが、清らかな朝の風にそよいでいた。まるでそれは、縛められることを知らない、野にほころんだ白百合のようであった。

 命は生まれ、命は生き、命は還る。そして、昨日と同じように、明日と同じように、今日も朝はくる。人々は生きて、未来に手を伸ばす。

 ———光が、よみがえろうとしている。

 逆光の中ただひとり、陽炎のような孤独さで駆け抜けてゆくミッキーの耳にも、風にさらさらと舞う、微かな自由の歌声が、祈りのように聞こえた。過去は塵となり、新たな時空が、姿を現し始める。天使の梯子に導かれるように、光の降りそそぐその場所へ辿り着くと、彼は手を伸ばした。その見事な彫金は、手袋越しに、自然に指に馴染む。掴んだそれに、力を込めて。鈍い音を立てて地面から引き抜くのは、王の剣。今また、その濡れたような白銀が持ち主の手に触れられて、ふたたび、彼の顔を照らし返すように、元の煌々たる輝きを取り戻してゆく。それに魅入りながら、ふとミッキーは、風の中にさらされた自分の頬が、涙でぐちゃぐちゃに濡れていることに気づいた。どうしてこんなにも、僕は泣いているんだろう。ただ、何かが心に響いて、溢れて溢れて、仕方がなかった。

「お待たせ。今度こそ、僕と君とで、この王国を守るよ」

 告げれば、歓喜が滲みでるよう、刀身は神秘的な共鳴を響き渡らせてわななき、まるで子どもが親に縋りつくように、自らを握り締める手に、ぴったりと吸いついてゆく。その嬉しさに照らされ、ミッキーは無邪気な子どもと同じように笑った。多くの思いを、背負うわけでも、浴びせられるわけでもなく、ただ深く深く、それらに心の底まで抱き締められるような感覚が、隅々にまで満ち渡ってくる。

「うん——そうだね。みんな、一緒に行こう」

 熱い涙を振り払うように、ミッキーは頷く。喉を詰まらせながら微笑んだその頬に、光は、きらきらと鮮やかな反射を投げかけた。何もかもが輝き、何もかもが熱に溢れ返る。

 その時、さながら雲間から光の射し込んでくるように、老獪な魔法使いの声が、彼の心に、水色の木霊をともなって響いてきた。

(その剣を抜いたということは、お前さんが、この国の偉大なる王なのじゃ。ホホホ……いつも心に、知恵と、優しさを忘れずにな……)


 その声の持ち主が誰なのかを、彼は知っていた。ウォルトが亡くなる前に公開を見届けた最後の作品——幼い少年を導く、ひょうきんな魔法使い。続けて、怜悧な瞬きを凝らして弾ける、重々しく蒼い燐光が、彼に新たな感銘を与えた。

(私がお前に与えた、魔法の帽子ソーサラーハットに宿る力。お前が真に魔法を操る意味を理解したならば、いつの日かきっと、使いこなせる時がくるだろう——)


 漲る燐光は、彼の頭上の帽子を取り巻く。そして、厳しさの後ろに横たわる愛と心強さで、彼の心の奥底を暖めた。そして、最後に、遠い星の輝きを思わせる、あの誰よりも優しい声が、空色の輝きとともに、胸いっぱいに満ち渡ってくる。

(覚えていますか、あなたの心の中にある、魔法の思い出。ずっとずっと大切にしてきた、美しい思い出の時を。
 さあ、あの素晴らしい魔法の時へ出かけましょう。夢を開いて、心のおもむくままに——)

 帽子を被り直し、剣を握る。哀しい傷に色褪せてしまわぬように、星に願いをかけて、人々の優しい光を守り抜こう。大切なものは、心の中にある。
 青は善の色、希望の色。魔法が導き、夜を変える色。様々な燐光が渦巻きながら輝き、煌めき、人生を包み込む肯定となって瞬き続ける。それはどんな命にも、平等にもたらされるべき光だった。

(分かるよ、マーリン様、イェン・シッド様、ブルー・フェアリー様。あなたたちは、魔法が何かということを、僕に教えてくれたんだね)

 例え道に迷っても、ひとりぼっちじゃない。
 多くの人々の想いを感じて、前へと踏みだす一歩は、こんなにも軽い。

 その瞬きに祝福されて、握り締めるのは、王の剣。折れることなく、天からの光を反射しているそれは、あたかも、彼の魂の芯を具現化したかのようである。

「さあ、みんな。心を重ね合わせて——」

 ———振りかぶる。

 浮かびあがるのは、光のシルエット。目を閉じ、光の奔流に照らしだされて微笑んだその姿は、慈悲深き王が、愛する国を平定するも同じ。

 風が、絶え間なく彼の耳を揺さぶる。重力から解放されたかのように入り乱れる数多の燐光は、吹きなぶるその烈風に躍り狂い、眼を見開いた《王》の風格を、ついに完成させた。

「嘘だ、嘘だ、嘘だッ! 王位は貴様のものではない——チェルナボーグ様のものだッ!! 影よ、あの人間の小僧を八つ裂きにしろ! 力で叶わぬなら、王の心を粉々に粉砕してやるのだ!!」

 一度契約を交わした以上、もはやファシリエに後戻りは許されなかった。自らの命を捧げ尽くしてでも、光への恐怖を抹消しようと、血の一滴まで勢力に注ぐより、道はない。死の願い、殺戮の願いが、その叫び声に張り詰める。素早い影の蛇が地をくねり這い、その牙を剥いて、王の背後にいるデイビスに向かって飛びかかる。しかし、その寸前で、激しい反射とともに影の攻撃を地に縫い留めているのは、たった一本、朝陽を反射する細い針だった。



—————させない。


 ぞく、と戦慄が走る。糸は綻び、割れたボタンのかけらが縫いつけられているだけなのに、その黒い毛糸で織られた人形の眼は、ファシリエの脳裏に、何かを髣髴とさせた。そう、あの男。いまだ焰を燻らせる瞳に、身が凍りつく。さながら、瞋恚に燃える魂が、このブードゥー人形に乗り移ったかのようである。そして、今やその仮初めの姿を通じて、魂は、語りかける。凄まじい灼熱の漏れでるような、あの低い、渾身の言葉を。


 ———ドクター・ファシリエ。必ず、貴様を倒すと誓った。私の相棒と子どもたちに、けして手出しはさせない!


「キャプテン・スコット——! 貴様、貴様、貴様! この私を地の果てまで愚弄しやがって、あの男——!! 貴様だけは絶対に、この私が踏み潰してやる!!」

 蛇の影は瞬く間に形を変えると、元の主人の輪郭を取り戻し、その長い足を持ちあげた。しかしその寸前で、人形を庇って、今度は別の影が覆い被さってくる。

「てめえに、スコットを殺させやしねえ!!」

 張り詰めた言葉が、朝の光に昂然と響く。影に踏み躙られるのを必死に堪える彼の姿を振り返り、ミッキーはその名を叫んだ。

「デイビス!」

「振り向くな、前を見ろ! 進むんだ、ミッキー……行っけえぇぇえええ————!!」

 地を揺るがすほどの命令。それと同時に、地面を蹴り飛ばす。世界が、あっという間に、滲むように過ぎ去っていった。

 速く——速く——もっと速く。迎撃しようする影を振り払いながら、光の軌跡で切り裂き、歯を食い縛りつつ、前へ、前へ。幾つのものを置いてきぼりにしたのだろう。けれども、もう、それらを振り返ることはできない。進め、と言ってくれる人たちがいる。それを糧にして、前へ踏みださなくてはならないんだ。

 ——————頑張れ。


(誰? 僕に語りかけてくるのは——)


 —————— が ん ば れ ……


「教えて。君は、いったい誰なの?」

 答えがないことは分かっていた。なのに、問いかけられずにはいられなかった。その声は、本当は、もう二度と会話することができない人物のものなのだと、哀しいまでに分かっていたのだから。

 しかしその瞬間、彼の背中を後押しするように——物凄い激しさで、暴風が吹き荒れる。その凄絶な追い風の波に呑まれて、一瞬、時が止まったかのように思えた。そして、無音のさなかを一人走ってゆく彼の傍で、幾つもの微かな気配が重なり、ともに鼓動を脈打たせて走る者の息吹が聞こえてくる。足は粘っこく、時を失ったかのようで、胸は引き裂かれるほどに重い。けれども、彼は前に進み続けた。自らを駆り立てるこの激情に間に合わなければ、生きる意味をすべて失って、泣いてしまうのではないかと思われた。

 雄獅子が走る。燃えるような鬣を棚引かせて砂漠の砂を蹴りあげ、死した父親から受け継いだ故郷を救うため、降るような星空を頭上に戴きながら。

 雪の女王が走る。孤独な心に呼びかけてくる亡き母の歌声に導かれ、城も、大切な妹も振り切り、凍てつく洞窟の最果てで、真実の自分を知ろうとして。

 ポリネシアの少女が走る。青く懐かしく輝くエイの魂魄に心を引き裂かれつつも、夜風の吹き荒れる海岸を見下ろし、何よりも愛する島民たちを守る使命を誓って。

 幼い天才少年が走る。唯一無二の兄を喪い、張り裂けそうな痛みを抱えてもなお、異次元を超えて、生きている人間に手を差し伸べるために。

 夜明けのうちに、時空を超えて、様々な声と映像がひるがえる。今や大地の彼方から昇りはじめた、残酷なほどに美しい朝の光を浴びて、幻影はなおも彼を鼓舞し、けして吹き止むことはない。それらはあたかも、風の中で魂の形を取り、精悍な意志を滾らせて、同じ時を疾駆してゆくかのように思われる。ともに、襲いかかる苦しみに立ち向かおうとした者たちがいる。それはまざまざと軌跡を噴きこぼし、風の中で、絶えずここに在る意義を刻みつけているのである。颶風のまにまに、人生が渦巻く。色彩が渦巻く。そうして風の底を駆け抜けるうちに、胸に滑り入るすべてが渾然となり、彼の一部となって、ともに脈打ち始めた。ミッキーは空を仰ぎ見た。白み始めた大空の中に星は消え入りそうで、けれども確かにその光は、彼の胸に輝き続け、今も進むべき道を照らしていた。

 息が詰まって、肺に張り巡らされた血管が、めちゃくちゃに引きちぎられそうだった。なぜこんなにも、胸に滑り込んでくる空気が冷たいのだろうか。いっそこのまま、すべてが粉々になってしまえばいい、とミッキーは思った。生きることは、それほどまでに眩しさで痛んで、彼の心を、悲痛の極致へと追い込んだ。


———走るんだ、ミッキー。何があっても!


 しかし、声は、彼に力強く語りかけ続ける。どれほど苦しくても、彼はその言葉をけして裏切ることはできない。だからこそ、刺すほどに干上がった喉を震わせ、湧きあがる力に剣を握り締めて、呪いの大地を駆け抜けてゆく。まるでその荒れ果てた廃墟の彼方から、日はまた昇り、この世の上に太陽が輝くことを知っているかのように。

 かくして、生と死が、光と影が、王と悪が、朝陽の下で激突の瞬間を迎える。激しく鞭打つような裂帛をともない、ミッキーは目の前に対峙するファシリエに向かって叫んだ。

「ドクター・ファシリエ、覚悟———!!」

「馬鹿め、むざむざと殺されにきたか! これが貴様の目にする、最後の陽の光だ——!!」

 そう叫ぶファシリエの足元から、どす黒い閃光のような無数の影が躍り出たかと思うと、矢継ぎ早に襲いかかってくる。その数、ざっと数十をくだらないであろう。生きた魂に飢え、契約者の命を担保として生み出された影が、命に憧れるように、鋭い鉤爪を振るう。しかしすでに、そこには何者もいなかった。虚しく空を掻いた手を彷徨わせたまま、誰もが、空中を見あげる。そして、そこに浮かぶ大きな耳のついたシルエットが、突き刺さるように降りそそいだ。

 地に縛りつけられたいかなる影も届かない、朝の光を背負って———

 重力の引かれるがままに、振り下ろす。そして、彼の腕の倍の長さを補って、風を切るように振り下ろされた王の剣が、寸でのところで切っ先を反射させ、ファシリエの首元を捉えていた。

 キィン———

 眩ゆい銀の残像を描いて、渾身の力を込めたのとは裏腹に、その一太刀はあまりに呆気ない抵抗を伝えて終わる。肉を絶つ感触はなかったが、しかし紙一重で、確かに目当てのものを切り裂いたことを、ミッキーの双眸は見抜いていた。ファシリエの首から下げていた革紐が引きちぎれ、吊られていたタリスマンが、黎明に煌めきながら宙を躍る。禍々しい鮮血を幾重にも刻まれた溝に脈打たせるそれは、紛れもなく、この稀代の呪術師たるファシリエの魂を封じ込めた魔道具。掴むには間に合わない、と判じたミッキーは、剣を振り下ろした衝撃のままに腰を捻ると、空高くそれを蹴り飛ばした。

「デイビス!」

「任せろ、ミッキー!」

「させるか——!」

 弧を描いて墜落してゆくタリスマンに向かって、駆けだすデイビス。しかし、ファシリエの合図とともに、彼の足首は影に掴まれ、その疾駆を阻まれた。バランスを崩してもんどり打つ彼の目と鼻の先で、からん、と虚しい音を立てて、タリスマンが地に転がり落ちる。

「ぐっ——」

 倒れ込んだ衝撃で、呻き声が漏れる。もはやデイビスは、全身傷だらけだった。腕や足から溢れる、ぬめついた鮮血の雫が、地面におぞましい筋を残している。虫の這うような速度で匍匐前進し、ほとんど力の入らない手を、命を燃やすように前へと伸ばす。しかし、その妄執じみた希望を裏切るように、ファシリエ自身の影が素早くタリスマンを掠め取ると、おぞましい笑みを刻んで、主人の元へと駆け走った。デイビスの顔が、みるみる絶望に染まってゆく。

「よし、よくやった、我々の勝ちだ! そいつをこっちへ寄越すのだ、早く!」

 勝利を確信した声で叫ぶファシリエ。しかしの背後に追いついていたミッキーが、タリスマンの受け渡される寸前で、手を突き出した。


 ——————笑うには、まだ早い!


「ファンティリュージョン!」

「何!?」

 凄まじい閃光が影を灼き尽くし、その位置が逆転する——光とは反対の方向へと・・・・・・・・・・

 かくして、自らを支える手を失ったタリスマンが、すり抜けるようにして落ちてゆく。回転しながら、奇妙にゆっくりと。夢でも見ているのではないかと思うほど、緩慢に。

 得物を受け取る距離を見失い、光に押し潰されるように倒れ込みながら、それでもファシリエは、力の限り、手を伸ばした。
 文字通り、そのタリスマンは、彼の命よりも大切だったのだから。全てが白光に包まれる中、伸ばされた指が届く——その、ほんの僅か数センチ先で。

 漆黒の人形が、ワラッていた。

 一瞬、何もかも忘れ去って、ほんの小指くらいの大きさしかない人形に、全意識が吸い込まれてゆく。なぜ? なぜこやつは、私を見て笑っているのだ? 何がおかしい? それとも、私ではない何かを見つめているのか? 意味の理解できないその不気味な笑みが、引き延ばされたようなスローモーションで刻みつけられてゆくのを、彼の深紫の双眸は、判然と映しだしていた。そしてその人形が、くるりと踵を返すと、受け止めたタリスマンを抱え、跳ねるように戻ってゆく先。迎え入れる手が、人形ごと掬いあげると、よろめきながら背筋を伸ばし、その千切れた紐を掴んで、すい、と黎明の中に翳した。愕然とするファシリエの眼差しの果てで、ぽた、とまた一滴、真っ赤に輝く血が滴ってゆく。

 朝陽を背負う影。土煙の中に佇むシルエット。


 馬鹿、な———馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な。


「そうそう。あんたに、良いことを教えてやるぜ?」


 なぜ、この私が———


「呪われた館を脱け出した家族が、俺たちに伝えてくれた言葉だ」


 こんな餓鬼どもに、追い詰められねばならない———?


 黒ずんだ血の固まったシャツをよじ登ってゆく人形が、ようやく、主の肩の上まで辿り着き、ファシリエは絶望に満ちた表情で——そのブードゥー人形のしがみつく、ぼろぼろになったキャプテン・デイビスの姿を仰ぎ見る。六条の閃光を放つ太陽が射し込んでくる中、その美しい青年の顔に、ニヤリと、ふてぶてしい悪魔の笑みが浮かべられた。


「—————愛は、すべてを超えるってよ」


 その瞬間、凄まじい発砲音とともにデイビスのシャツを激しく躍らせて、エディの構えた拳銃が、寸分違わず標的を撃ち抜いていた。鉄の銃弾に貫かれたタリスマンは、真っ直ぐに地面に打ちつけられ、甲高く澄んだ音を立てると、その身を粉々に撒き散らして砕け散った。

「よせっ、なんてことを——ああ! 奴らに借りを返せない! ああ——!!」

 惨めに地べたに這い蹲って、破片を掻き集めるファシリエ。しかし、すべては手遅れだった。急速に暗雲が渦巻き始める下で、逃げてゆく、逃げてゆく、逃げてゆく——それまで蓄積してきた、糧。妖しく発光するヴェヴェが、未知の生き物の如く飛び交い、雷鳴が轟くと、その痩せさらばえた指をすり抜けて、不穏な影が伸びてゆく。


 ♪Bum bum bum bum bum bum bum bum bum bum bum bum bum bum bum bum……


 振り向いたファシリエは、愕然と目を見開いた。周囲の墓石を突き破るように、ブードゥーの仮面たちが声を揃えて歌い始め、彼の背後まで迫りながら、動悸のようなリズムを刻んでくるのだ。世界は暗く、湿っぽく、まるで最後の裁きの日であるかのように、恐ろしい雲が彼の頭上に垂れ込めていった。

「友よ!」


 ———Are you ready?


「まさか、覚悟を決めろってのか? 待ってくれ、他にも策を考えてある——」

 その漆黒の髪を乱れさせながら、命懸けで作り笑いを浮かべ、必死に嘆願するドクター・ファシリエ。しかしブードゥーの人形たちは、聞く耳を持たずににじり寄ると、脅え切った犠牲者の鼓膜へと、毒の言葉をそそぎ込む。


 ———Are you ready?


「まだだ! こんな失敗、別に大した問題じゃないさ。ああっ——すぐに他の手を考えて、計画を進めよう! あのストームライダーのパイロットは、しっかり捕まえてあるんだ——!」

 いかなる泣き言にも、聞く耳を貸す彼らではなかった。次から次へと地面から這いだしてくる人形たちは、新たな獲物を見定めてゆらゆらと歩を進め、腐敗臭を漂わせるゾンビまでもが、地表を突き破り、彼ににじり寄った。そして、壁際まで追い詰められたファシリエが、何気なく口の端にのぼらせた言葉に、デイビスははっと胸を掴まれる。

(スコットは生きている!)

 ブードゥー人形たちは、冷酷な笑みを浮かべながら針の玉で太鼓を殴りつけ、無数の影は迫りくるビートに載せて、契約者を取り囲みながら嘲笑った。天には雷雲が渦巻き、泥沼のような色合いをして、もはやファシリエのために射してくる太陽は、どこにも見いだせはしなかった。しかし、たったひとつ、それがデイビス一行にもたらした利点がある。太陽の隠れた隙をついて、束の間の霊体をこの世に取り戻したダカールは、勢いよく宙を翔けると、一本の枯れ木に向かってゆく。そこには、トルコ帽を被った猿。アルバートの衣服を幹に縫い止めている矢に手を伸ばすと、ダカールはその最後の力を込めて、引き抜いた。そして彼の体が、雲間から漏れる陽の光に呑まれて掻き消える、まさにその瞬間。アルバートは弾けるように解き放たれて、前へと駆けだした。手を伸ばす。地面に落ちている、蓋が開いたままのオルゴール。蒼く入り乱れる燐光をこぼしながら、最後のミュージック・ダストが、今まさに、そこを翔ける。


「アルバート、今だ! オルゴールを閉じろーッ!!」


 その途端、ごうっと、魂の凍りつく音を逆立てて、猛然たる突風の勢いに、樹々も墓石も、根こそぎ薙ぎ払われるかと思われた。荒れ狂ううねりを掻き分けるように、デイビスはミッキーの腕を掴んで墓石の陰に隠れると、ヴィランが迎える最期を隠そうと、彼の体を強く抱き締めた。吹き飛ばされた無数の枯れ葉が、凶器の如く切っ先を繽紛と乱す中、呼吸を殺して背後の様子をうかがう。汗の匂い、土の匂い、血の匂い、風の匂い———すべてが入り混じり、突風の向かう先へと消えてゆく。まるで、即席のブラックホールだった。

「デイビス……!」

「見るな、ミッキー!」

 エディも近くの枯れ枝を掴み、山高帽を押さえて、その場に踏ん張った。ディズニーキャラクターたちも、次々に隠れ場所を見つけては飛び込んでゆく。茫々と荒れ狂う風の渦の中心では、紛れもなくあのオルゴールが、溢れでた魔術を、箱の中へと呑み下そうと吸い続けていた。哀れにもその重力に捕まったものは、梨の礫にもかかわらず嘆願し続ける。

「あと少しだけ、時間をくれ! 頼む、やめてくれ——あと少しだけ時間を!」

 ただひとつ、ファシリエの必死の断末魔だけが、恐ろしい状況に巻き込まれた者の存在を物語っていた。体が引きずられるほどの颶風を浴び、鼓膜を埋め尽くす轟音の中で、デイビスはひとり、誰にも聞こえぬほどの低さで呟いた。

「だから言っただろ。お前に——」

 ファシリエは、恐怖の面持ちで、自らの引きずられる果て、異次元の彼方へと通じるブードゥーの神の口を仰ぎ見て———

「———俺たちは倒せない、って」

 もはや後戻りのできないことを悟り、丸められた紙のように、くしゃくしゃに顔を歪めた。

 絶望。

 それが、自ら道を踏み外した人間———ドクター・ファシリエの、この世で浮かべる最後の表情となる。

「必ず借りは返す———約束だ!」

 地面に長く残された爪痕が、土を抉り取り、何メートルにも渡って掘り起こす。そして、荒れ狂う強風を巻き起こすオルゴールに吸われる寸前で、真の契約主はその巨大な仮面を近づけると、ファシリエの魂に向かって大きく口を開き、この世とあの世とを遮断するように、がちり、と歯を噛み合わせた。

 破滅的な雷鳴。鼓膜の張り裂けるような音響が地表を叩き潰し、その場にいた全員の肩を震わせる。そして、いまだ止まない耳鳴りが近く遠くうねる中、激甚たる無音が一帯を支配して——呪いのオルガンの音が完全に途絶えたことを告げていた。そっと、ミッキーが墓石の陰から顔を出すと、そこには薄ら寒い霧が、不気味に仔細を暈して漂うばかり。その霧の晴れ間には、世にも恐ろしいものを見た瞬間のドクター・ファシリエの顔が、彫刻として墓廟に刻まれているのが垣間見えた。


 Hush———


 何事もなかったかのように——あの世からの最後の囁きを漏らし、終焉を底浚う。世界全体が沈黙したような静寂を背負い——その背景には、ふたたび、薄い雲を払って、茜色の朝焼けが広がっていた。音もなく、静かに、天空から透明感に満ちた光が降りそそぎ、長い夜が終わりを告げ、ようやく、朝へ。緩やかに舞い戻ってくる小鳥の声とともに、この呪われた館にもふたたび、平和が訪れてきた。

「終わった——な」

 張り詰めたその場の空気を破るように、エディは、はひー、とへたり込みながら、溜め息をついた。長年の探偵生活の中でも、ここまで恐ろしいものは経験したことがない。枯れ木の幹に寄りかかったままずり落ちてゆくと、ちかりと、睫毛を透かして、太陽の光が顔面に当たった。今日も、生き残っちまったかな——全身に取り憑く疲弊感とともに、どこか清々しい冷たさを胸に感じながら、エディは微笑んだ。朝が希望の時間帯のように思われるのは、いつ振りだろう。久方に、この光の感覚を味わった気がする。デイビスはといえば、爽やかな早朝の風の中で、目を擦りながらあくびをしている。夜を徹して呪われた館を彷徨っていたことになるのだが、そのホラーじみた冒険も終わり——もう朝だ。気を張り詰めていた分、一気に眠気が襲ってきたのだろう。どこか快く澄んだ気怠さが全身に纏わりつき、彼の意識をうとうとと蕩かしていた。

「わああ、おっきなあくび!」

「んー? こら。そんなにじろじろ見てんじゃねーよ!」

「Ha-hah! ちょっとやめてったら、デイビス!」

 デイビスは笑って、腕の中から覗き込んでくるミッキーを捕まえ、うりうりとその脇腹をくすぐった。朝の光に満たされた清浄な空気の中で、けらけらと笑い転げるミッキー。本来の素直な笑顔をこぼすその姿に、デイビスも愛を込めた眼差しで見つめ返し、幸せそうに微笑した。

「よく頑張ったな、ミッキー。お前の勝ちだ」

 目と目を合わせて、はっきりとそう告げられた言葉が、長い夜を超えた彼らの勝利宣言。ディズニーランドを脅かす影の一人を斥け、確かに——勝ったのだと。湧きあがる感動を抑えきれず、ミッキーは瞳を揺らめかせると、それを隠すように彼の胸元へぴょんと飛びついた。

「ありがとう、デイビス!」

「ぐっ——」

 その衝撃で直に電撃のような痛みが走り、息を詰まらせて硬直するデイビス。あだだだだっ——と途中まで出かかった悲鳴を飲み込み、なんとか、麻痺した腕をカクカクと動かしていって、その背中をぎこちなく撫でてやった。そこへ、硬い地面を踏み締めて、くるくると拳銃を回すエディが近づいてくる。

「やったな、坊主に、ミッキー。大したもんだぜ」

「エディ、なんとか切り抜けることができてよかったよ。で、どーだ、俺たちと一緒に、ホーンテッドマンションを生き延びちまったご気分は?」

「——さあて? 知らねえな」

 にやりと、彼らしい皮肉めいた笑いが返ってきて、朝陽に白い歯が輝いた。幾分かは哀しみの色が残っていたが、しかしそれをも溶け込ませた、糸の解けたように柔らかいその表情を見て、デイビスもニッと口角を吊りあげる。

 そして、アルバート。トルコ帽から伸びるタッセルを揺らして、デイビスにそそくさと駆け寄ってきた子猿は、オレを忘れんなよ、と言わんばかりに、突風で乱れている彼の髪を引っ張った。

「いててっ! こらこらこら、悪戯すんなっつーの!」

「キキッ」

「わーかった、わかったって、さ、仲直りだ。無理矢理捕まえたりして、悪かったな」

 そしてデイビスは、見つめ合う猿に向かって微笑むと、頬擦りをするように、その小さな体を抱き締めた。

「———ありがとうな。アルバート」

 わあっと、暖かな拍手の波が、ミッキーたちに向けて押し寄せてきた。ディズニーキャラクターたちが、勝利を祝して、歓声と喝采に沸いているのである。ミッキーは、眩暈がした。どこか足元がふわふわとし、真新しい太陽の下で笑顔が立ち並ぶ、目の前の光景を信じられないままでいた。けれども確かに、そこにいるのは、ともにディズニーを築きあげてきた仲間たちで、触れてくる指や、見つめる瞳の暖かさは、ずっとずっと知っていたものだ。狼狽してデイビスを振り向くと、彼はほんの少しだけ眉をあげて、応えてやれよ、とでもいうように優しく顎を突きだす。そしてその時、ぶわりと、胸の奥底に秘めていた感情が、太陽のさなかへと解放されたように感じた。突き抜ける空、どこまでも遠く広さを味わうかのように、一日が始まる。

 その暖かい周囲の笑顔に目を煌めかせながら、みんな、ありがとう——とミッキーが囁きかけた、その時。

「—————そこまでじゃ!」

 突如として庭園に響き渡る大声に、誰もが振り返った。聞き慣れないその声色に、一斉に、全員の眼差しが一点へと吸い込まれる。

 そこに立っているのは、一人の背の低い老翁だった。が、その纏っている出で立ちに、どうにも奇人変人の雰囲気が漂っているのは否めない。赤く艶のあるトルコ帽に、ぼさぼさに伸び切った白い眉、右目に嵌め込んだ片眼鏡モノクルの下には、薄い緑の瞳。ゆったりとした高級感のあるガウンを身に纏い、片手には湯気立つコーヒーカップ、そしてなぜか足元は、花柄の可愛いスリッパである。何より目立つのは、その豊かすぎるほどに垂れ下がった、真っ白な口髭。本人が大いに自慢にしていることが容易に察せられ、念入りにトリートメントされたそれが、顎の下でくるりとねじ曲がる様は、龍の髭とも見紛えた。

 老爺はへこへことして、ディズニーキャラクターたちの輪の中に割り込んでくるなり、存外機敏に腰を曲げた。

「どうもどうも、儂はヘンリー・ミスティック卿。またうちのアルバートが、悪さをしたようで」

「いや、あんた、今どっから出てきた?」

「無論、あそこの緊急脱出口ですよ。あれは時空の穴ですから」

 ホーンテッドマンションの隅を指差し、平然として時空を超えてくる翁の物言いに、デイビスたちは一斉に頭を抱えた。扉の向こうは異次元で、何でもありということにするしかない。

「ほいほい、ファンタジーランド組は、己れのアトラクションのところに帰るがいい。今日も慎んで、開園準備に勤しみたまえ」

「「「「「「「ありゃっしたー」」」」」」」

「え? え? おい……」

「ベアリングの摩耗には、くれぐれも気をつけるのじゃぞ」

 ヘンリー卿が手を打ち鳴らしたのに従って、ぞろぞろと帰ってゆくディズニーキャラクターたち。先ほどまでの熱量と打って変わって、なんという撤収速度であろう、瞬く間にホーンテッドマンションからは人がいなくなり、残ったのは、ぴちち、とうららかに聞こえてくる鳥の鳴き声だけ。

「……つーか、あんた、S.E.A.分会の主宰者か?」

「おお、若い方、よくご存知ですな。左様、このような老耄が棺桶を間近にして、表舞台にまで出しゃばるとは、いや、実にお恥ずかしい」

 ぽりぽりと口髭を掻いては、また丹念に指で髭を撫でつける飼い主の脚を、アルバートは素早く登ってゆくと、肩に落ち着いて、安堵の溜め息をついた。なるほど、そこが彼の定位置なのだろう。ヘンリー卿は、ごくりとコーヒーカップの中を飲み干すと、そのまま当然の如き顔をして、空になったカップをガウンの袖へと仕舞った。

「アルバートがまた儂の言いつけを破って、随分と大惨事になったようだが、こいつには良い薬になったじゃろ。それに、うちのシリキ・ウトゥンドゥが、ちょいとばかり君たちにおいたしたようだからな。その詫びもかねて、ここにきたというわけで」

うちの・・・?」

「聞けば君たちは、マンホールを通じて、ディズニーシーからランドに移動したとか」

「なんであんたがそんなこと知ってるんだよ」

「君たちはもしかして、こんな目をした置き物に、背中を押されたのではなかったかね?」

 ごそりと、彼が袖の下から出してきたのは、頭に大量の釘を打ち込まれた、巨大な耳に乱杭歯の目立つ、アフリカの民族の祭神具と思われる偶像である。異様な迫力を持つそれにたじろいでいると、奥に秘められた目が、突然、ギロリと動いて、稲妻の如く不気味なグリーンに光る。

「あっ!!」

「どうもシリキが上機嫌にしておったから、また高いところからゲストを突き落としたのではないかと、心配になってのう。問い詰めてみたら、この有様というわけじゃ。ほれ、シリキ。ごめんなさいは?」

 ぺちぺちと頭を叩かれていたものの、偶像はつーんとそっぽを向いた。しかし、亀の甲より年の功。そんな瑣末なことは気にも止めずに、ヘンリー卿は愛をそそいでたまらないようで、

「おお、おお、へそ曲がりでなんとも可愛い子じゃ。お前には、作画崩壊で有名な、このディズニー飲茶の点心をくれてやろう」

と、その乱杭歯の生えた口に、ずぼずぼとオラフの饅頭を入れていた。

「「「……………………」」」

「お前はまた、この儂が、ハイタワーホテルへ送り届けてやるとするかのう。なあに、遠慮することはない、きちんと暗い木箱に密封して、U.S.スチームシップ・カンパニーから送ってやろうて」

 どうやら、このヘンリー卿こそが、ハイタワー三世失踪後の新たな保護者らしかった。そして人生経験の成せる技なのか、どう見ても、偶像より彼の方が一枚上手である。ワタワタと暴れるシリキを無言で袋に詰めると、サンタクロースの如く颯爽と肩に担ぎ、ヘンリー卿はひらひらと手を振った。

「ではこれにて失礼つかまつる。機会があれば、ぜひ、香港ディズニーランドにも足を運んでいただきたい」

「はあ」

「楽しいぞお、特にミスティック・マナーがおすすめ。儂もオーディオ・アニマトロニクスで登場するからの」

と、オルゴールを拾いあげて帰りかけたのを、ヘンリー卿はふと、足を止めて、

「おや? オルゴールが、関係ないものを吸っているようだが」

「え?」

 確かに、彼が耳元でオルゴールを軽く振ってみると、べちべちと、何か粘ついたものが衝突するような音がする。ヘンリー卿は、閉じ込めたミュージックダストを漏らさないように注意しながら、慎重に指を差し込んで、その中身をつまみあげた。

「なんだね、こやつは。心当たりは?」

「ええ〜? 知らねえよ、そんなきったねえ蛙」

 ゲコ、と明らかに不満の声をあげて、ヘンリー卿につままれながら、緑の蛙が喉を震わせた。正直、触りたくすらないシロモノである。

「ふむ。間違って吸い込んだかな? 人は地へ。蛙は池へ。それがこの世の理よ」

 呟きながら、ヘンリー卿はまるでポイ捨てでもするように、その蛙をそばにあった池に投げ込んだ。ざ、雑ゥ……とあまりの手荒さにドン引きするデイビス。と、その瞬間、きら、と光る朝陽の領域に触れられて、果たして何の因果に導かれたことだろう、小さかったはずの波紋はみるみる盛りあがり、ざぱぁっと大量の飛沫をあげて、逞しい男性のシルエットを聳え立たせたのである。

「ああ——やっと、元に戻った」

「スコット!」

「参ったな。スーツがびしょびしょだ」

 いったいどういう奇蹟か、あるいはお伽話なのか。ミッキーもエディもデイビスも、ポカンと口を開けたまま、池の中に突っ立っている、変身した人間の影をボーゼンと見つめるしかなかった。え、えぇー、もっと感動の再会とか、そんな感じじゃないの? 俺たち、こいつを見つけだすのに、めちゃくちゃ苦労したんだぜ……? 朝の光に煌めきながら水浴びするその姿は、神秘的——とすら言える。いや、よくよく見てみると、その正体は単にスコットなので、神秘もクソもないんだけど。

「どうした。何をそんなに、驚いた顔をしているんだ?」

 シャツの裾から水を絞りながら、不思議そうに一行に語りかけるスコット。驚くも何も、蛙が人になったら、呆気に取られるしかないであろう。しばらく、気まずい沈黙が両者を隔てるしかなかったのだが、しかし、たった一人だけ、胸いっぱいに込みあげる感銘に、肩を震わせる者がいた。それまで、肌寒い空気にさやさやと身をさらし、瞳を揺らめかせて堪え続けていたミッキーは、突然、身を翻すと、冷え切っている池に飛び込んだ。そして、自らが水に濡れるのも構わずに懸命に水面を掻き分け、ひしと彼の腰に抱きつくと、声も枯れるほどの大声で泣きだしたのだった。

 エディもデイビスも、そしてスコットも、その子どもの泣き声で、長い長い夢から醒めたようだった。まだ波紋の残る柔らかな池の水を横切って、小さな蛙が泳いでゆく。輝く朝の太陽の下、ぽたぽたと髪から雫を滴らせているスコットは、自分にしがみつきながらとめどなく号泣し続ける子どもの姿を、所在なさそうに見下ろした。

「大丈夫だ——ほら、ちゃんと帰ってきただろう? 私は、生きてここにいる。ミッキー、心配しなくたっていいんだ」

 温かいその背中を叩いてやっても、嗚咽の収まる気配はない。ぎゅう、と強まる、必死に抱きついてくる力が、その心のうちを物語るようだった。

「すまなかった。もう、一人にはしないよ」

 デイビスは池の縁で、ふーんという顔をして両手を頭の後ろに組み、ブラブラと足を揺らしていた。

「よく言うぜ。中盤以降はずっと登場せずに、読者から忘れられかかってたくせに」

「……まあ、出番はなかったな」

「ホラホラ、坊主に兄ちゃん、ここまできて喧嘩するもんじゃねえ。ミッキーもいい加減泣き止めって、こいつはもう、どこにも行きやしねえさ」

 ずぶ濡れのスコットは、ミッキーを抱きかかえて陸にあがると、あちこちの服を絞ってやった。デイビスは片耳に手を当てると、ミッキーの方に耳を傾け、勝手にフムフムと頷いている。

「ほれ見ろ。スコットなんて嫌いだ、もう顔を見たくないってよ」

「貴様という男は、どうしていつも、事態をややこしくするのに命を懸けるんだ」

「ふふっ……」

 ようやく、ミッキーがくすくすと笑い始め、なんとなく場の空気が綻び始める——それを頃合いだと思ったのか、背後から様子を見守っていたヘンリー卿は、静かに踵を返した。スリッパの軽くぱさついた音が、一歩ずつ、朝陽に照らされた地を踏み締めてゆく。

「あ……」

 デイビスは一瞬、後ろを見る。アルバートを肩に掴まらせ、遠ざかってゆくヘンリー卿。この機会を逃せば、もう二度と、彼に会えることはないかもしれない。言葉を交わすことも、永遠にできなくなるかもしれない。別れの挨拶もなく立ち去るその後ろ姿を、エディもまた眼差しだけで見送りながら、ぼそりと呟いた。

「なんだ、変なジイさんだったなあ。香港から来たんだっけか? なんとなく食えねえ感じではあったよな」

「…………」

「おーい、坊主? どうした、石みたいに固まっちまってよ」

「俺——俺、あの爺さんに、話があるんだ。ちょっと行ってくる」

「え? お前、知り合いなのかよ?」

「知り合いじゃねーけど、ずっと訊きたかったことがある。悪い、みんな、ここで待っていてくれ!」

 言うなり、デイビスは背を向けると、脇目も振らずに駆けだした。訊きたいこと——それは必ずしも、彼の胸を晴らしてくれるものではないのかもしれない。スコットが昨夜話していた、あの重い言葉が、余韻をともなって脳裏に響く。


 ———良いか、この世には幽霊も、お化けもいはしない。死んだ人間は、もうその人生を終えて、二度と蘇りはしないんだ。彼らがまだこの世を彷徨っていると信じるのは、死を経験した人々に対する冒瀆だ。


 分かっている。重々承知していても、それでも、死んだ人間の面影はなおも、胸の中から掻き消えたりはしない。どうしたらいいかなんて分からない、もはや、それを突き詰めてゆくことでしか、拭い去ることはできないのではないか——そう訝しみながら、全速力で地面を蹴飛ばして、

「爺さん。……爺さん!」

と大声をあげ、デイビスはその人物を呼び止めた。

 ホーンテッドマンションからの暗い脱出口。闇に閉ざされたその洞穴の中で、ヘンリー卿はゆっくりと振り向き、その場で息を荒げているデイビスを目に入れると、器用に片方の眉を持ちあげた。

「どうしたんだね、青年。何か、この儂に御用かね?」

「いや、大したことじゃないんだが。……あんたに、訊いてみたいことがある」

 走ったことで荒れた息を落ち着かせようとしながら、デイビスはこの半年間、ずっと心を翳らせていた問いを口にした。


「あんた——カメリア・ファルコって、知っているか?」


 そう、S.E.A.の関係者ならば。
 知らないはずがない、その天才発明家の名を。

 抑え切れない動悸を左胸に隠して、デイビスは生唾を呑み込み、ひたすらに回答を待つ。五秒か、十秒か。ヘンリー卿は、静かに髭を撫でつけると、まるで紅茶でも口にするかのような軽い調子で言った。

「S.E.A.分会では、その発明家の名は、禁句となっておる」

「え……」

「ホホ。気にするでない、ここは分会の本拠地ではあるまい。それに、最もその名を恐れる分会メンバーは、もはや、この世から謎の失踪を遂げてしもうたからのう。さて——西のポート・ディスカバリーのCWCの旗下に集い、我々東の分会と対立するお前さんは、この哀れな老いぼれから、カメリア・ヴァレンティーナ・ファルコのどんな情報を引き出したいというのだ?」

 アルバートの背を撫でながら、一歩、間合いを詰める老爺。気の良さそうなその眉の下に、秘められた炯眼が光る。それは薄闇においてさえも、背筋の凍るほどに冴え渡っていたのだった。

 とんだ狸だな、この老爺は——と一瞬でデイビスは理解した。さすがは、海千山千の野心家たちを束ねてきた、分会メンバーの頂点なだけはある。落ち着け——と波打つ心臓に言い聞かせ、言葉を選びながら、慎重に、彼は自らの問いを手繰り寄せる。

「違うんだ。俺が知りたいのは、カメリアのことじゃない」

「ほう?」

「爺さん——いや——ヘンリー・ミスティック卿。あんたはなんで、分会なんか作った? どうして、カメリア・ファルコの遺志を継ごうとしなかった?

 あんたもカメリアと同じように、世界中を冒険してきた天才発明家だと聞いている。ならばどうして、S.E.A.の分会なんて……まるで、本家に泥を塗るみたいに——」

 デイビスの震える言葉は、最後まで辿り着くことなく空中に途絶え、後はしん、とうそ寒い沈黙ばかりが、二人を囲う洞穴を満たした。ヘンリー卿は、この問いに対して、容易に答えようとはしなかった。まるで宙に浮かぶ埃でも見つめるかのように、しばし眼差しを彷徨わせ、少しばかり首を傾げていた。それから、思いだしたかのように、

「はて、はて、はて。あの女性は生前、何やら青臭いことを並び立てておったな……」

と呟き、ゆるりと片手で自身の顎を撫でた。それはまるで、過去の出来事へ言及する前の儀式のようだった。

「簡単なことだ。まず第一に、あの者のふわふわとした思想が気に入らない。人類貢献? 世界平和? これまた、随分とお花畑なことで頭がいっぱいだったようだが、儂はもっと、地に足のついた考えを好む。自ら空へ飛び立つでもない、自ら奈落の底へと堕ちてゆくでもない、ひたすらに見つめるのだ——人々がこの世に抱く、様々な欲望を」

「欲望……?」

「古今東西における人間の欲望は、時に、実に奇妙で風変わりな形を取って表れる。そうした奇天烈な文化の精髄とはすなわち、人間の愚かさと哀れさの象徴である。儂の蒐集癖は全て、この哲学に由来したものでな。偽善的なイデオロギーの臭いをプンプンさせているS.E.A.本家とは、まるで一線を画するのよ」

 何の熱意も籠もらない、しかしどこか異様な落ち着きを孕んだその言葉を聞いて、デイビスは、目の前の老爺が選び取った本質を思い知る。

 ヒーローでも、ヴィランズでもない、

 別の道———最も気まぐれで、最も通俗で、最も不思議な生々しさに満ちた道。そう、単なる正邪では片付けられない、曲がりくねり、時に離散し、時に集合するこの清濁併せ持つ世界。何にも汲みさぬこの道を、ヘンリー・ミスティック卿は、今日まで歩み続けてきたのだろう。その軌跡はすなわち、猛々しい野望渦巻くS.E.A.分会と、科学の理想に燃えるCWCの、その対立をも離れて観察しては面白がる、冷たい好奇のようなものに培われていたのだった。

「第二に——分会の設立に、儂が大いに関わったことは認めよう。しかし、真の設立を企てたのは儂ではない。儂は単に、名を貸しただけでな。本当の首謀者は、ハリソン・ハイタワー三世」

「!」

 思わぬ名が飛びだしてきて、デイビスは短く息を呑む。カメリアと時空を超えた旅を繰り広げている最中に出会った、妖しい笑みを浮かべる、あの老人———

「どうして……ハイタワー三世は、自分で分会を作らずに」

「分からんかね? ハリソンは、カメリア・ファルコが憎くて仕方がなかった。彼がほしくてほしくてたまらないものを、彼女は生まれた瞬間から手にしておった。にも関わらず、彼女は呆気なくそれを捨て去った。そしてハリソンは、生涯の最後に至るまで、それに固執し続けたのよ。分会の主宰者として名を貸した儂は、彼の燃やし続けた執念の、単なる道具立てにしか過ぎなかったわけじゃ」

「え。ハイタワー三世が、ほしくてたまらなかったもの、って……?」

 えーっと。あいつ、人に羨ましがられるような資質なんて、何かひとつでも持っていたっけ? となかなかに失礼なことを考え、疑問符を浮かべるデイビスに、ヘンリー卿はにやにやと笑みを浮かべたまま、静かに申し渡した。


「儂は貴族・・の出身である」

 その言葉で、ふっと、それまでのすべての鍵が繋がった気がした。田舎の貴族と、大都会の成金——その光と影の二人を隔てるように、大海原メディテレーニアン・ハーバーが合間に立つ。ヘンリー卿は一息置くと、より詳細に踏み込んだ話を続ける。

「ハリソンは、人生で二度、ファルコ夫人と対面しておる。二度目は、彼が晩年、謎の失踪を遂げる直前に——嘘か真かは分からんが、まだうら若きファルコと会った、と豪語しておっての。その頃、カメリアはとっくにメディテレーニアン・ハーバーの墓の中じゃ、儂らは大層奇妙に感じたものだが、あの夫人について、何か冗談を言うようにも思えなくての。果たして、アメリカン・ウォーターフロントの潮風が見せた白昼夢なのか、はたまた、ハリソンの執念が幻覚として現れたのか——しかし彼にとって、それは、ファルコとの初めての邂逅ではなかったのじゃ。

 二人の因縁は、もっと長く、遠く、深い。おお、なんとなんと……彼らが出会ったのは、ハリソンがまだ十代の頃であった。スノッディングトン校を退学になったばかりの問題児だったが、恐喝と窃盗で、手元には多くの金があった。そこで、自宅へ帰る前にその有り金をはたいて、イタリア半島の北西部、伝統深きルッカへと赴いたのだ。これが、おお、そうじゃ、ハリソンの人生で最初の冒険と言っても良い。船を乗り継ぎ、馬車に揺られながら、女性で初めてS.E.A.に認められた終生会員とはどんな人間なのか、ひとめ顔を見て、この手で鼻を明かしてやろうと思ったのだろうな。

 一方のファルコといえば、S.E.A.に迎えられたというのに、実に寂しい晩年を迎えておっての。彼女は、ハリソンに対して……ホホ、考えられるうちで最悪の選択をしたの。あれがなければハリソンも、あそこまで人格が歪むことはなかったろうに……」

「か……カメリアは何をしたんだ? 教えてくれ」

「知りたいかね?」

「あいつが人を傷つける真似をするはずがない!」

 ニヤリと、細い月のように目を細めて笑い、ヘンリー卿はその答えを口にした。


母親・・のように接したのじゃ」


 凍るような沈黙が落ちた。さやさやと遠く、背後の世界に生えた庭園の樹々が、風に微かな音を立てては安らいでいった。ヘンリー卿は静かに微笑むと、

「このくらいでよろしいかの?」

と首を傾げる。肩に乗ったアルバートが、キキッと、軽い鳴き声をあげて、彼の頬を親しみを込めて引っ掻いた。

「また会おう、青年。おぬしらCWCが、S.E.A.分会に挑むというのなら、我々も全力で対抗しよう。科学の道は、それでよいのだ。一本道ではありえない」

 その言葉で、何かが切れて、決着がついた。アルバートとシリキを連れて、スリッパの足音を響かせ、悠然と次元の彼方に消えてゆく翁。その後ろ姿をしばらく見守っていたが、やがて踏ん切りがついたのか、デイビスも虚ろな目で踵を返すと、ふらふら、と朝の光に満たされた外へと出た。いい天気になりそうだった。太陽は早朝という段階を超えて、通常の朝の位置にのぼりつつある。

「おう、お帰り、坊主。あの爺さんと、何を話していたんだ?」

 蹌踉と戻ってきた仲間に、エディが軽妙に声をかけ、スコットも顔をあげた。しかしデイビスはそれに答えなかった。数秒の間を置いて、彼はいきなり頭を抱えると、地球の底に向かって叫んだ。

「あ゙あ゙〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」

「(ギョッ)ど、どうしたんでえ、坊主」

「いや、ちょっと、心のモヤモヤを発散しようとしただけ。……つうかお前ら、何やってんの?」

 デイビスは彼らを見下ろしながら、素朴な疑問を口にした。しゃがみ込んでいる三人の前の地面には、ハンカチが広げられている。そして、その上に載っている、白いかけらを目にして、デイビスはただちに察した——彼らは、メラニーの骨を拾っているのだと。

「しかるべき場所に……埋葬してあげたいと思うんだ。こんな、呪われた館じゃなくてさ」

「——そう、だな」

 デイビスは顔をあげた。すでに世界は朝を迎え、堆く積み上げられた死者の群れを忘れつつある。世界は進んでいる、過去を手放して。そうして、朝陽の照らしだされる館を振り返った彼は、その柱に浮かびあがる、幽霊たちが残した最後の言葉を見たのだった。


 "私たちは、生きていた"

 この世界へ生まれてきた者は、やがて誰もが、抗いきれない人生の終焉を迎える。その一連の物語を、自らもまた繰り広げてきたのだという、嘆きと誇り。それらはもはや、自分の手の届かないところで完結を迎えた以上、彼は光の中に深く頭を垂れ、鎮魂の祈りを捧げるしかなかった。




 一方、シンデレラ城の地下。

「フフフ……奴はヴィランズの中でもちょっと弱い方……」

「割と最近追加されたキャラだもんね……」

「いや、もう登場してから十六年以上経ってるんだけど……」

 暗闇の中で、ボソボソと語り合うヴィランズたち。意外に人目のつかないところでは仲良しなのかもしれない。

「しかし、ドクター・ファシリエの功績は無駄ではない……あのネズミはまたもや、我々の前に、自らの脆さを露呈させた」

 その重々しい声色に、その場にいた全員が顔をあげた。闇の奥底に、ナイフで切り裂いたような赤い眼——それが愉悦に細められると、黒山羊の呻き声の如く、枯れた低音が続きを語る。

「ミッキー・マウスは、もはや、罅の入ったガラスのようなもの。心をよく知り、最も弱いところを突けば———粉々に砕け散るであろう」




 ウエスタンランド、アメリカ川の河畔。墓標も何もないその乾いた植え込みの陰に花を捧げながら、黙って佇んだままのエディは、秋の冷ややかな川風に吹かれていた。真っ白なレースを三段に重ねたかの如きマーク・トウェイン号の船体は、磨きあげられた河面を乱して、遙か後方へと就航してしまい、時折り、翠緑の尾羽の美しい鴨や、滑空してゆく白頭鷲の影が通り過ぎてゆくばかり。対岸にゆっくりとめぐる水車は、ささやかな水の流れに回転を委ねながら、その微かな反射と木製の矢骨とを、微かな軋みとともに絡ませていた。

 黄や紅の続く落葉樹の波の彼方に、赤土を煌々と照らしあげる、ビッグサンダー・マウンテンのメインビュートが見える。誇り高い丹色を聳え立たせるその山を、いつでも望める位置を探して、ここを選んだのだった。黙って簡素な墓を見つめるエディの後ろ姿を、デイビスは柵の上に座って見つめていた。

「愛はすべてを超える、か。難しいことは分かんねえが、ま、少なくとも骨は、呪われた館の境界を越えたってわけだよな」

「ええ、あの言葉のオチって、たったそんだけ?」

「こら、"そんだけ"なんて言うんじゃねえぞ、坊主。きちんと埋葬するってのは、大事なことなんだ。遺された奴の気持ちも落ち着く」

「そうか。……あんたが言うなら、そうなのかもしれないな」

 一昔前の自分だったら、そんなのはただの生者を安心させるための儀式だろうと、高を括っていたのかもしれない。けれども、死の意味が肌に迫る今となっては、これが生者から故人に手向けられる唯一のことであり、この世での最後の触れ合いなのだと。ぼんやりとであれ、そう理解できるようになったのは、紛れもなく目の前にいる男の影響だろう。——デイビスは思う。これで本当によかったのだろうか。自分のわがままで、エディを無理矢理、生の道へと引きずりあげてしまっただけなのではないか、と。

「弟を殺した奴はな、トゥーンだったんだよ。引っ捕まえて裁判にかける前に、ディップを浴びて——死んじまった」

 一瞬、絶句する。エディの言葉は、哀しみだけでなく、無力感と虚しさに満ちあふれていた。すべてが徒労に終わった、そんな感覚が残るばかりで、仇を取ったという仮初めの安堵に浸ることさえゆるされなかったのだろう。それは弟の、二度目の死を味わったというのにも等しい。

「それは……悔しい、な」

「ああ、復讐してやろうと思っていたのに、そんなつまんねえことすら実現できなかったよ。
 死んじまったら罪はねえ、苦しんでもいねえ。どいつもこいつも、安らかに土の下で眠ってる。……結局、物事が落ち着くには、みんなおっ死んじまうより他に仕方ねえのかもな」

 山高帽を被りながら、静かに立ちあがったエディは、まるで自らに言い聞かせるように、重みをともなった声で呟いた。

「馬鹿だぜ。人を殺す奴も、殺される奴も馬鹿だ。なんで地獄みたいな因果に、わざわざ引きずり込まれちまうんだよ」

 今、初めてエディは、押し隠していた内心を言葉にしているのだろう。失われてきた時間を、取り戻すように。

 それを十二分に分かっていながら——何も、返事が思い浮かばなかった。どうして。どうして自分は、こんな安っぽい紋切り型しか、口をついてこないのだろう。

「弟さんのこと。……残念だったな」

 迷って、長い沈黙を置いてから、ようやく、それだけを告げる。しかし、それに答える言葉はなかった。デイビスが顔をあげると、いきなり、エディは顔を歪めて崩れ落ち、吠えるように声を荒げて、慟哭し始めたのだった。

 声を嗄らして泣き叫ぶ彼の姿に、デイビスは言葉を失った。いつもの少し擦れたような横柄な態度も、皮肉混じりに浮かべる笑いも、どこにもなかった。背広を着た中年の大人が、ただ地面に手をつき、涙をぐちゃぐちゃに溢れさせ、子どものように泣いていた。その姿は異様な凄みに満ち溢れ、何者も、けして声をかけることができなかった。

 受け止めきれない、この押し寄せてくる哀しみも、大切な人を喪った大きさも。デイビスは初めて、本当の意味での無力さを自覚する。それは、数年間押し留めていた感情の、歯止めの効かない決壊であり、そして時間と当事者自身以外に、誰にも慰めることなどできはしないのだ。

 慟哭し続けるエディの背中を見つめて、デイビスの胸に、何とも言えぬ自己嫌悪と悔しさが湧いてきた。こんな時に、ましな言葉ひとつかけられないなら、何の意味もない。

(すべての人間を救えるなんて、驕っちゃいない。俺はどうしようもない無力で、できないことが数え切れないほどある。たったひとつ、慰めの言葉をかけてやることさえも)

(だけど。苦しんでいる人がいるなら、そいつの助けになりたい。哀しみを背負って、一緒に苦しんでやりたい。少しでもそいつの心が軽くなるように、そばにいてやりたい)


(……俺は、そんな優しい奴になりたいよ)







* 画像一部出典:

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