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とある90年代に死に損ねた陰キャの日記-小学生

1.小学校・低学年の記憶 時代ー『ミニ四駆』、『スト2』、『ひらり』、『クレヨンしんちゃん』『ドッジ弾平』

1. 一番古い記憶って、どれだろうか? 私の場合、幼稚園の頃の光景はほぼ覚えていない。朧気だけど、砂場の女の子に砂をかけられたことや、節分の日に来た鬼が怖くて隅っこで泣いていた記憶がある。人の顔や名前は全く覚えていないので、いじめの無い平和な日々だったはず。断言して言えるのは、トラウマという心理用語があるように嫌な記憶や罪悪感が残る出来事は鮮明で、死ぬまで忘れることはない。
 記憶が曖昧なのは恐怖を感じる出来事がなく、穏やかな日々が続いていたという証拠。私の場合、しっかりとした記憶があるのは小学校の入学式あたりからになる。入学式が終わり、保護者と生徒たちは教室に集められた。教卓の前に立った女性の教諭はガタイが良く、自分が若干太っていることをネタにして自己紹介をした。まだ語彙力が少なかった私は、太っているの言い換えである『デブ』の単語が頭に浮かび、大きな声で「デブ」と口にした。
 保護者たちも周りの子たちも凄く笑って、笑わせたことに快感を覚えた。人を笑わせると、自分も笑いたい気分になる。周りの子たちを笑わせられるキャラに成ろうと、この瞬間自分の役割を決めた。
当たり前のことだけど、子どもは自分が楽しいと感じる方向へ行動する。わざわざ苦しい、つまらないと感じることをする子どもなんていない。嫌なことでも我慢しているのは、大人の世界だけの話。帰り道でなんとも言えない表情をする母に怒られた。理解力が足りていない私は、周りを笑わせたのに母一人だけ怒る理由が全くわからなかった。

 木に登るだけで楽しい。天気がいいだけで楽しい。ドッジボールは下手でも友だちと一緒なら、毎日やっても楽しい! 子どもの脳ミソは、楽しい感情以外に入る隙間がない。入学して間もない頃は人見知りをして、見兼ねた担任が「山田くんと遊んであげて」と友だち作りを協力してくれた日があった。最近で言う黒歴史に値するようなエピソードなのだろうが、子どもは一度一緒に遊べば直ぐ友だちで、これを皮切りに周りの子たちと仲良くなれたのだから素直に感謝している。
 当時の自分は外で遊ぶのが大好きで、わんぱくタイプの子だった。おじいさんが生物の教師だったこともあり、生き物や花が好きでドッジボールの途中でも虫が飛んでいるのを見かけたら追いかけにいくほどだった。人を笑わせる快感も残っていて、面白いと思うことがあれば率先して笑いを取りにいく。そんなどこのクラスにも居る、落ち着きのないムードメーカーだったと思う。
 楽しいばかりの毎日のまま一年が過ぎたところで、担当教諭が入れ替わった。新しい担任の佐々木先生は見た目がかなりおばあちゃんで、歳をとっているだけで子どもが好きそうな印象を受けた。しかし実際は聞き分けの良い学級委員タイプの子だけが好きで、手の掛かる子たちのことを嫌っていた。口癖は「おバカちゃんたちは決まっているわね、山田でしょ、永井でしょ、市橋でしょ・・・・・・」と、毎回決まった生徒の名前を列挙していた。給食の時間はかかさず教室のテレビを点け、NHKの朝ドラ『ひらり』を見ていた。ビデオの時間録画機能も優れていなかった時代なので、朝間に合わないと給食の時間に見るしかなかったのだろう。一度こんなやり取りをしたことがある。
「ねえ、どうして毎日ドラマ見てるの? 家で見ればいいじゃん」
「ドラマじゃなくて、時間を見てるのよ」
「でも、時計あるよ」
「もう、山田はうるさいわね!」
 本人曰く、右上にデジタルで表示される時間を見ていたらしい。


 小学校の話に戻ると先生なんかどうでもよくて、学校が終わってから親友の峰くんと『スト2』をすることばかりを考えていた。峰くんが操作するキャラはどれも強くて、ゲームに慣れていない僕はキャラの進む方向に合わせて自分の体も動き、峰くんによくぶつかっていた。
山田家は暗黙のルールで、ゲームが禁止されていた。代わりにマンガやおもちゃは買ってもらえたが、定期購読していた小学館の学年別雑誌で『スト2』の記事があったりするのに肝心のスーファミ本体はやはり買ってもらえない。そんな私にとって峰くん家の環境は、自分ん家より遥かに恵まれていると思った。
 まず『スト2』以外のソフトが、結構ある。友だちが帰って一人に成っても、一人プレイのソフトができるなんて羨ましい・・・・・・。
 更にゲーム用の小さいテレビがある。山田家は一台のテレビで、夜は親父が野球を見ている。日曜日に父が家に居るときは、テレビを独占していた。しかも父はテレビ番組の悪口を言っては1分単位でテレビのチャンネルを替えるので、番組のことなど頭に入らず口にした悪口ばかりが記憶に残った。それなのに、峰くんはテレビを2台持っている。ゲームが無いなら、テレビを見ればいい。マリ・アントワネット並みに、恵まれている。
 近頃ネットの掲示板で「団地の子と遊んじゃダメ」というスレッドを見かけるけど、ネットのネタで実際にそんなことを言う人はいなかったと思う。団地が学校の側にあるので、生徒たちも団地で育った子が多かった。子どもからしてもゲームを沢山持っていればお金持ちで、それ以外で人の家が貧しいかどうかなんて考えたことも無い。
 『昇龍拳』に『波動拳』に、ときどき違う技。かっこいいキャラの真似をすると、自分たちも強く成った気がする。ゲームやアニメのキャラを真似るのは通過儀礼だが、このとき流行っていた『クレヨンしんちゃん』は最も子どもに見せたくないアニメとして、社会問題になっていた。一人称が僕でも私でもなく、“オラ”も良くない言葉使いとされ、目上の先生にケツだけ星人を見せるしんちゃんは問題児とPTAが認定していた。私たちにとってのしんちゃんは他人をいじめたりしないし、皆が笑顔に成れるように振る舞っている。男子も一部の女子も、世の中の評判など関係なしにしんちゃんの声や口調を真似て、戻し方がわからない日もあった。
 この時の私は、未来で『クレヨンしんちゃん』の映画版は、大人も泣ける作品として紹介されることなんて想像もつかなかった。こんな風に度々世の中の意見や見方が、180度ガラッと変わる。いい風にも悪い風にも、そこに居る狭い社会でがらりと変えられてしまう。

 外でやる遊びがドッジボールからサッカーへと、変化していった。野球と違ってサッカーの格好良さは、ゴールした後ポーズが決められるところだ。カズダンスは勿論、両手を広げて走ったり、洋服を脱いだり、祈ったり。対戦ゲームの勝敗が決まった後に見せる、勝ちのポーズに似ている。クラスではJリーグチップに入っていた選手のカードを自慢する子が居たけど、見ても誰? というのが心の声だった。周りは読売ヴェルディのファンばかりだったけど、私はどこかのファンに成りたい心理が理解できなかった。もしもこれが運動会なら、当然自分の所属している色を応援する。紅組だったら赤を応援するし、白組だったら白を応援する。だけどサッカーは、自分の所属しているチームじゃないので良くわからないし実はチーム名も覚えていない。それなら決める要素は、色かキャラの可愛さくらいしかない。マスコットすら知らないので、コアなチップスの代わりにJリーグヌードルを買って、付属のJリーグバッチを一通り揃えた。そこで水色が綺麗なフリューゲルスも捨て難かったが、鹿のキャラが可愛い鹿島アントラーズのファンになりことにした。母親に鹿島モデルのシューズとサッカーボールを買ってもらった日は、家の壁に向かって一日中サッカーボールを蹴り続けていた。
「タイガーシュート!」
 キャプテン翼の影響もあって、シュートで人が吹っ飛んでゴールネットに穴が開くのを想像しながらボールを蹴り続けた。理想のポジションはハンドが唯一取られないキーパーで、ゴールを守りながらシュートで人を吹っ飛ばす最強キャラをイメージしながら、壁に穴が空くことを心配していた。
応援するチームも決めてサッカーデビューを果たしたが、一つ気がかりなことがあった。クラスメイトの一部が、鹿島のファンはダサいと言い出したのだ。ダサいって、どんなとき使う言葉だろうか? ゲーム脳だった私は、ゲームに置き換えて考える癖があった。確かに使用できるキャラクターを選べるゲームでは、格好悪いキャラクターを選ぶとダサいと感じる。弱い仕様になっていたり、見た目が格好悪かったりすると、ダサいで形容される。きっと、鹿のマスコットはイケてなかったのだろう。
 
 年上のいとこ、さきちゃんとみっちゃんが大好きだった。父は山田家の長男で、弟と妹が居た。父の妹の娘がマキちゃんとりっちゃんで、それぞれ4歳か7歳くらい離れたお姉さんたちだった。田舎に行くと、とくにマキちゃんに可愛がられていた。当時の私はNHKで放送されていた『生命40億年はるかな旅』に夢中で、多摩センターのバージェスモンスター展にも行ったし、鬱陶しいくらいアノマロカリスやオパビニアの話をしていた。そんな私の話をウザがらずに聞いてくれて、テレビを見るときも、寝るとき隣に居てくれたのもマキちゃんで田舎から帰るときに決まって悲しいのはマキちゃんとの別れだった。
 父親のことは正直、好きではなかった。いつもなにかに苛ついているし、怒るとグーで顔面を殴ったり、ランドセルを外に投げて泣きながら外に出ると家の鍵を平気でかける。わんわん泣きながら窓を叩いても絶対に鍵を開けない、殴られた顔が腫れてもまるで気にしない。口癖は「俺の金で買った」で、学校へ行けるのも家があるのも俺のおかげだといつも言っていた。母はそんなとき、とくになにもせず黙り続けている。今の時代では躾の領域を超えているが、日常的に殴っている訳では無いので虐待まではいかないグレーゾーンなのだろう。そんな親父は、外の人と話をするときは見たことがない程ニコニコしていて、それが余計に私を苛立たせた。
 2つ上の兄は好きじゃないを通り越して、嫌いの部類に入っていた。例えば田舎でスリッパが外に投げ捨てられていたり、自宅の歯ブラシが消える事件が起きたりすると決まって私が犯人にされた。クラスでも落ち着きが無くて、勉強もしない私は悪さをするイメージを持たれていたのだろうか? 歯ブラシの嫌がらせは、まだまともなほう。
 当時、ミニ四駆が流行り始めていて、近所にミニ四駆を走らせるためのサーキットが用意されていた。ミニ四駆は電池を激しく消費するので、母が僕と兄のそれぞれに充電池を2本ずつ買ってくれた。サーキットの真ん中には充電器が置かれていて、1本をセットして兄に
「トイレ行くから、取られないように見てて」
と、伝えてその場を離れた。そそくさと用を足して戻ると、電池が無い。電池の目の前には、別のクラスの熊切と、兄が立っている。
「ねえ、電池返して」
「はっ? 知らないよ」
 熊切は知らないと言うけど、二人のどちらかしか居ないじゃないか。
「ねえ、本当にしらない?」
「ここで見てたけど、知らないよ」
今度は兄が言う。
買ってもらったばっかりの、高価な充電池。ほとんど使っていないのに、一本になってしまった。
 家に帰り母へそのことを伝えると、母の言葉が出る前に「電池は熊切が取ってったよ」と告げた。体がその場で凍り付いた。
「えっ、だってさっき知らないって言ったじゃん」
「熊切がもっていったんだって」
「だって、知らないっていってたじゃん!」
母はこういうとき、だいたい私の話を信じない。いつも内申書に授業中落ち着きが無いと書かれていたからだろうか? 子ども同士でもわかる嘘も、どういう訳か母は兄が言うと追求しなかった。
この頃くらいから、兄の行動は少し異常だった。例えば喧嘩をすると私の目に殺虫剤を吹きかけたり、クラスの集合写真が載った記念マグカップを叩き割ったりする。それはただの喧嘩の域を超えていて、それでも兄に甘い母にどうしょうもなく腹が立った。腹いせに母を困らせてやろうと、私は母の小銭を盗んで近所のゲームセンターで使うことにした。ミニ四駆のサーキットへ向かう途中におばあさんが切り盛りしている駄菓子屋があり、脇に置かれたアーケードゲーム、『XEXEX』が気になってしょうがなかった。スーファミよりも映像が美しく、タイトルの読み方がわからないのも好奇心をそそる。母の財布から取った50円だったが、同じ家の中でのお金なので、罪悪感はそこまで強くなかった。父はよく、「俺の金だ」と口にする。僕の金も父の金だし、母の金も父の金。どっちも父の金だから、私が使っても母が使っても変わらないじゃないか。そう思いながらも、お金を挿入する手は確かに震えていた。

お札まで持ち出すつもりは、全く無かった。だけど私はアーケードゲームの戦略に、すっかりはまり込んでいた。『XEXEX』は横スクロールのシューティングゲームだが、その手のゲームは初見では普通クリアできない。ゲームは失敗を繰り返して、攻略方法を覚えていく部分が多い。しかしゲームをプレイするなら、誰もがエンディングに辿り着きたいと願うはず。そんなときに、『continue』が表示され、プレイヤーに課金することを促す仕組みになっている。相変わらず方向キーと一緒に体まで動くほどゲームが下手な私だったが、お金さえあればクリアできると信じ千円札を数枚持ち出した。しかし下手なのに加え、もう一つ大きな障害があった。
駄菓子屋の脇に置かれたアーケードゲームゲームだったが、必ず中学生の不良がたむろしていた。そいつらがいたずらで、50円玉を入れた瞬間に本体のコンセントを引き抜くのだ。そんなとき店のおばあさんは不良を追い払うがキャッシュバックはしてくれず、仕方なくもう一度50円を挿入する。しかし不良たちは直ぐ戻り、またコンセントを引き抜いた。こんなことを繰り返しているうちに、お金があっという間に消えていく。合計で5千円くらいだろうか? 
ついに私の後を付けていた母に全てがばれ、母の信用を更に落とすことになった。駄菓子屋のおばあちゃんに話をしていた母は、くすねたお金でプレイしていたことを報告したのだろう。
*この歳で振り返っても、したことの中ではこれが一番の悪さだったと思う。万引きは牢屋に入るイメージしかなかったし、他人のものは盗ったことがない。初めは母にムカついてしたことだったが、課金の誘惑にどんどんハマってしまった。ある意味、スマホの課金ゲームが無い時代でまだ助かったのかもしれない。
 この頃の私は不安要素を少し感じながらも、頭の中ではまだ楽しいだけを考えていた。

2.不安要素に溢れる、高学年・初期の記憶
時代ー(『6つの金貨』、『スーパーマリオクラブ』、『聖剣伝説』、『シジマール』、『ジャッキーチェン』、『帰りの会』)

 毎日日が暮れるまでリフティングの練習をしていたあのサッカーが、つまらなくなり始めた。地元の小学生たちでサッカーチームができて、そこに所属している同級生たちがプロごっこを始めたからだ。酷いもんでドリブルをしているとみぞおちにエルボーをして、Jリーグだとよくあることだと主張する。しかも悶絶している人の顔を見て、
「今笑っている人、馬鹿」
 と言い出す始末だ。途中で逆切れして、自分のゴールに態とシュートし、更に跳ね返ったボールを何度もゴールに陣地に蹴り出す。
「じゃあ、俺はスーパーゴールキーパーです」
 そう言って、私はボールを手に持って走り自分のゴールへ投げ入れた。
「はっ? お前、なに言ってんの?」
「トライで、ワンゴール。いえーい」
 もはやもう、サッカーでもラグビーでもない。さようなら、あこがれていた若林君、シジマール選手。
 それぞれ違うから楽しいと感じていた個性が、どんどん変な方向へ走りだした。学校は相変わらず楽しいけど、放課後には毎日恐ろしいイベントがある。“帰りの会”だ。
 目的は学校やクラスで改善したい部分を提案するというところだったのだろうか? しかし現実に行われるのはいわゆる、公開処刑や死刑宣告をする裁判に近くて、被告人になると冤罪でも悪くなくても謝罪を強制させられる。
私はお昼の掃除をさぼったことで、裁判にかけられた。それなら当事者だけ残して話し合えばいいのに、クラス全員を放課後残す。そしてだいたい長引き、クラスのフラストレーションが爆発する。
「ふざけんなよ山田、土下座して詫びろよ!」
「切腹しろよ、切腹!」
「死ねよ、おい!」
こういう語彙力はどこから得るのだろうか? 当時から漫画やゲームが大好きだったけど、咄嗟にそういった言葉は出てこない。きっと他に有害な知識を与える媒体があったのだろう。担任も無表情で注意する気配すらないし、あまりにシュールな光景だった。その場では涙を見せないようにしていたけど、家に帰るまでの道では半べそをかいていた。
家では兄が中学受験ってやつをするらしくて、家のピリピリした感じが嫌で、楽しい遊びを以前以上に求めていた。そんなとき、同じクラスの景ちゃんという女の子から思い掛けない提案があった。
「うちゲームボーイ余ってるから、あげようか?」
「えっ? くれるの?」
 景ちゃんは成績優秀で、見た目も性格も良くて、授業参観に来た親たちが揃って「お姫様みたい」と口にするほどだった。当時、景ちゃんとの接点はそこまでなかった気がする。低学年のときは女の子を泣かせるほうだったし、女子とは一定の距離をとるようにしていた。
女子のイメージはセーラームーンが好きで、連れションを必ずして、交換日記を盗み見ると本気で怒る。そして、チクって帰りの会で裁判に掛けるから怖い。そんな怖い女子も男子と同じように、ゲームとかする生き物なんだ……。
景ちゃんの家は学校の目の前にあり、学校の帰りにそのまま立ち寄った。犬に吠えられながら玄関でそわそわして待っていると、ゲームが沢山入った箱を持った景ちゃんが現れた。箱の中は色違いのゲームボーイ本体が幾つかあり、一年以上は遊べる量のゲームボーイのソフトが入っている。これがお姫様の暮らしなのだろうか? 山田家に一台も無い本体を、景ちゃんは沢山持っている。犬の分も含まれているのかもしれない。この後興奮し過ぎてしまい、「ありがとう」をちゃんと言えてかも覚えていない。しかも遊ぶソフトが無い私に、『6つの金貨』を貸してくれた。
スーファミがない私にとって、マリオは喉から手が出るほどやりたいソフトだった。テレビ東京の『スーパーマリオクラブ』でゲストがプレイしてる動画を見る度に、テンションがあがっていたあのマリオ! しかもクッパではなく新しい敵キャラ、『ワリオ』のCMがガンガン流れていた最新作。
 禁止されていたゲーム本体を持ってきたとき、母がどんな反応をしたかもまるで覚えていない。覚えているのは生まれて初めて徹ゲーして、次の日、クリアしたのを学校で自慢したところまで。その後も景ちゃんのコレクションがやりたくてしつこく迫ったが、ドン引きされているのを感じてソフトは自分で買うことにした。
 スーファミではRPGというジャンルが一番の流行りだったが、プレイしているのを後ろで見ていると選択肢を選んでいるだけであまり惹かれる要素がなかった。しかしアクションとRPGを融合させた欲張りなARPGというジャンルがあり、ゲームボーイを手に入れたら絶対にやりたいソフトが『ゼルダの伝説 夢を見る島』と『聖剣伝説ファイナルファンタジー外伝』だった。どちらもほしいが、聖剣伝説のほうはあの『ファイナルファンタジー』の名前もついていて、更に欲張り度が高いと感じる。
 思い立ったら直ぐ行動で早速近所の中古ゲームショップに足を運んだが、残念ながら『聖剣伝説』は在庫切れらしい。手に取った箱が空箱なので詐欺かと思ったが、ちゃんと『ゼルダ』のほうは中身を入れてくれた。片方手に入ったのは普通に嬉しいが、『聖剣』がやりたい欲求は収まらない。確証は無いけど、別のショップに行けばあるかもしれない。手に入れたい衝動は収まらず、次の日にはノリ君と一緒にちょっと遠い中古ショップの『VISCO』へ行くことにした。
 当時のテレビでは夜のロードショーで、ジブリと同じくらいにジャッキーチェンの映画が放送されていた。漫画でもアニメでもない実在する人間が見せるアクションに、ちびっ子たちや、ウッチャンナンチャンのウッチャンの心は鷲掴みにされたようで、『七人のおたく』では本家並のアクションを披露していた。そんな誰もが憧れるジャッキー映画を見た次の日には、自己流のカンフーを決まって教室で披露していた。

 そんなときに出会った気の合う友だちが、ノリ君だった。ノリ君とは互いにアクション映画もどきをしているうちに、一番の親友になった。限界に挑戦することや、未知の発見をすることに興味津津で、鶴見川で未開の生物探索を一緒にしたのもノリ君だ。
 週末、ずっと遠くにあるゲームショップ『VISCO』を目指しツーリングすることとなったが、普通に行くのでは無く自動販売機を見つけたら必ず釣り銭と下にお金が落ちていないかチェックすることにした。見つける確率のほうが低い分、見つかったときの喜びは計り知れない。二人で集めたお金で飲んだアルミ缶のポカリスエットは、格段に美味しかった。ヘトヘトになるけど、知らない道がわかるだけで全てが楽しい。途中で道に迷いかけてセブンイレブンの店員に
「ビスコって、何処ですか?」
と尋ねると、店員さんがお菓子のコーナーを案内した。このときお菓子のビスコを見て、二人で大笑いしたのを鮮明に覚えている。親友は笑うタイミングが一緒で、感動するタイミングもシンクロしたりする。ヘトヘトになって辿り着いた『VISCO』で『聖剣』を買ったときは、旅が終わったようで少し寂しくなった。帰りは私が作った頭脳遊び、『ことわざ、格言を言えるだけ言うゲーム』をやりながら帰った。列挙するだけして言葉がでなくなったほうが負けのルールで、いつも私が勝っていた。
「ブルータス、お前もか」
「寝耳に水」
「少年よ、大志を抱け」
「豚に真珠」
「世の辞書に、不可能という文字はない」
これが終わると、『マジカル頭脳パワー』の覚えるしりとりを始める。
「野村監督、国、肉、栗、陸・・・・・・」
 親友と居ると、なんでもないことが面白い。自宅に着く頃には、足が自分の体の一部じゃないみたいになっていてこのときばかりは徹ゲーをせずに眠りに落ちてしまった。

ノリ君は偶然この小説を見てたりしないだろうか? 大親友で、一番一緒に時間を共にしたノリくん。丸くて、いかにもお坊ちゃまな顔をしていたノリくん。
どうして君は悪い人間に憧れたのだろう?

トラウマと殺意
時代ー『けろけろけろっぴ』


サッカー自体が嫌いになった訳ではないので、誘われれば断る理由がない。小学生は早いもの勝ちルールがあり、一番初めに公園を占領したメンバーがそこでグラウンドを使えることになっていた。そうなると自宅の側に公園がある人が有利で、公園のすぐ側に自宅がある私は場所取りをよく頼まれていた。大体一番に公園を占拠していたが、その日は柄の悪い中学生3人がたばこを吸いながら陣取っていた。そのうちの一人を見て顔が引きつった。富永が居る。
 ゲームセンターで毎回コードを引き抜きに来た中学生は、この辺では有名な不良で富永と言うらしい。主婦の情報網なのか、私は母からこいつの名前を聞いた。
「よお」
「あっ、こんにちは。なにしてんの?」
「カエルがいんだよ。ちょっとそこの砂場行こうぜ」
この頃描いていた将来の夢は獣医さんか、ファーブル先生みたいな昆虫学者に成って進化の謎を解き明かし、余暇の時間でゲームボーイをプレイすることだった。
田んぼが多い場所にしか居ないアマガエルに対して、ヒキガエルは庭先や公園に頻繁に出没していた。母はけろっぴのグッズを集めていたし、種類が違うけどヒキガエルだって可愛い。昆虫も、植物も、動物も大好き。そんな私の目の前で、可愛い一匹を富永が蹴り飛ばした。
「なにしてんだよ!」
「これからこいつで、遊ぶんだよ」
手にはライターと爆竹を持っている。
 意味がわからない。足を持たれて宙吊りにされたヒキガエルたちが、砂場へ運ばれていく。眼の前での光景に呆然としていると、サッカーの約束をしていたメンバーたちが現れた。不良というのはどういう訳か小学生にも顔が広いようで、遅れてきたクラスメイトも富永のことは知っているようだ。
 バンッと、爆竹の一つが爆ぜる音がした。お尻に爆竹を置かれたカエルは、熱さで死を感じて必死に逃げようとしている。そこへ、顔の付近へもう一つ。赤い血が流れて、片目が潰れる。クラスメイトの一人は、笑っている。聞こえる声は、「可哀想だけど、面白い」。そうして何本か投げ込むうちに、お腹が割れてサザエのつぼ焼きで見るような内蔵が飛び出した。それでもまだ、笑い声が聞こえる。次の一匹にも一本ずつ爆竹が投げられていく。煙の匂いが充満して、鼻の奥がツンとする。結構な音がしているのに、近所の人は誰も来ない。叫びたいけど、体中が震えて声が出てこない。泣きそうだけど、泣いているところは見られたくない。
二匹目の内臓が飛び出したところで、ようやく家に引き返すだけの力が足に入った。
 公園を出た時点で歩けない程、声を出して泣いていた。玄関のドアを開けても喉がヒクヒクして、声が出てこない。心配する母に起きたことを身振り手振りで伝え終えると、部屋で布団に包まって真っ暗な中で泣き続けた。
 翌日、クラスメイトの話によるとキーパーが居なく成ったので、サッカーは中止に成ったとどうでもいい話を聞かされた。
「ねえ、お墓作ってあげたい」
 我慢していたのに、大粒の涙が次から次へと溢れている。我慢していたのに・・・・・・。
「ねえ、お墓作ってあげようよ!」
 あの場所に居て泣いていたのは私だけで、笑っていた奴もいる。授業が終わると、二人くらいがお墓を作りに来てくれた。砂場には臓器が向き出しになったままの三匹の死骸があり、スコップに載せて木の下へと埋めた。公園に咲いていた花を沢山お供えて、また私は号泣する。一緒にお墓を作ったクラスメイトは、なんとも言えない表情をしていて、悲しんでいるのか私の反応に困っているのかわからない。
 あれだけ泣いたのに、また淀み無く涙が込み上げてくる。みんなと違って私だけが、ずれてしまったのだろうか? 生き物が苦手で触れたく無いなら、まだわかる。犬が怖いという子や、猫を怖いと言う子は居た。でも犬を殺す子や猫を殺す子は、誰も居なかった。あいつらは殺して、その後笑っていた。もうこのヒキガエルは生き返らないのに、サッカーなんてどうでもいいのに、クラスの奴も笑っていた。
 感情がグルグルと渦巻いて、生まれて初めて殺意を覚えた。
 正常も異常も、そこに居る人間の多数決ですら成り立たない。周りへの不信感が強まっていく中、また一つ学年が上がっていく。

4.学級崩壊と性へ目覚め
(時代-『ハイポジ』『こどものおもちゃ』『ギルガメッシュないと』『L⇔R』『ボキャブラ天国』)


 空前の小室哲哉ブームが巻き起こる中、私はCDを買ったことが無かった。毎週新曲がリリースされ、目が回りそうだった。『DOS』や『hitomi』など次々に新しいアーティストがプロデュースされ、追いきれていない。
 そもそもサンキュッパのゲームボーイソフトだって高いと思うのに、一曲聞くのに千円じゃ直ぐお金が無くなってしまう。ミュージックステーションや土曜日のCDTVで新曲はチェックできるけど、フルで聞いてないのはダサいらしい。そんなとき、カセットテープで音楽を録音してくれるのがノリくんだった。カセットテープ選びもよくわからなかったけど、ともさかりえのCMで知っている『どっちでもイン』のセットを購入した。

 ノリくんにカセットを渡すと、どんな曲が返ってくるかわからないびっくり箱状態でワクワクする。『L⇔R』やゼロチョコレートの『ZERO』のようなバンド系だったり、意表を突いて内田有紀のラップを入れてきたり、「ドゥビドゥビ」をひたすら繰り返す洋楽だったり、気にいる曲もあれば気に入らない曲もあった。そんな自分に合わない曲のときは早送りを押すが、何度押してもすぐ巻き戻しになってうまくいかないことがある。アナログ録音の伴奏が無い部分を自動認識する機能は画期的だけど、元々伴奏の空白が多い曲はガチャガチャと音を立てて頻繁に巻き戻ってしまう。そのことを話題にすると「俺ん家のもそうだよ」と、相変わらずノリ君とは笑うタイミングがシンクロした。
 この頃の私は、外の世界へ楽しみを求めていた。自宅は新築になったばかりで、自分の部屋も用意されていた。そんな新しい家なのに、キッチンに兄が居ると空気が悪い。兄は受験に落ちてから八つ当たりや世の中への批判を列挙するのが毎回で、母もネガティブな発言が多くなった。父親は酔っ払って深夜にタクシーで帰ってくるか、出張で家に居ない日が殆どだったが、家に居ると些細なことで怒鳴り散らかす人なのでなるべく避けるようにしていた。
 幸いクラスのみんなは前以上に仲良しで、教師からクラスの自由を取り戻そうと革命に燃えていた。
 洋子先生は余所の学校から来てクラスの担任になったばかりだが、クラスのみんなとは上手くいっていない。この人が特別に悪い先生という訳では無く、私たちが急激な速さで成長して、賢くなっていたのだろう。先生という存在は帰りの会では被告人を裁くように仕向ける存在で、あるときは炎天下の中グランドを何周も行進させるような存在だった。更に「皆の心が揃ってないから、行進がうまくいかない」などと不条理な難癖をつける。熱中症で具合が悪くなる子がいてもニュースにもならず、体育祭あるあるネタで処理されていた。
 授業中に突然怒って職員室に引っ込むところなんてクソみたいな茶番で、その積み重に全員がうんざりしていたのだろう。座席が隣のアミちゃんはそんな授業風景を見て、
「『こどものおもちゃ』みたい」
 とよく言っていた。『こどものおもちゃ』は流行っている少女マンガで、流行りの学級崩壊やこどもの心理について描かれているらしい。
 それから十年以上後にその少女マンガを読んだとき、描かれている内容と読んでいる世代に衝撃を受けた。こどもの頃に感慨深いマンガを読んでいた女の子たちだから、女子は男子より心の成長が早かったのかもしれない。

 大人に意見できるようになったのは、進歩だと思う。だけど、訳のわからない反発には納得できない。ノリは買い食いをした後で、袋や割り箸、レシートを道路へ捨てるようになった。自然と動物を愛する私には理解できない行動で、注意をすると
「なんで捨てちゃいけないの?」
「プラスチックは溶けないし、環境破壊になるからだよ」
「なんで溶けないの?」
 と無意味に「なんで」を繰り返して反発する。更に何故かちょっと歩いては、痰がからんでもいないのに道路へツバを吐く。意味が分からない。歩く度に道路へゴミやツバ残していく奴と、一緒に歩くのは恥ずかしい。こんなとき手を出さない代わりに、軽蔑した眼差しを送って距離を取るのが二人の喧嘩の仕方だった。低学年までは数日経てばそれで行動を変えてくれたが、ノリは最後までゴミのポイ捨てを止めなくなった。
 それ以外の変化としては、周りがゲームの話題より性的な話を好んでするようになった。
「ギルガメッシュがさ-」
 口にした瞬間、一部の男子たちが瞬きする間も無く振り向く。その反応は、お金を床に落として振り向くよりも早い。ゲーム中毒の私は『ファイナルファンタジーV』に登場する、ボスの固有名詞を口にしただけ。だけど周りにとっての『ギルガメッシュ』は深夜に裸の女性たちが、エッチなことを繰り広げる番組のようだ。知らないのを相当馬鹿にされたので、一度見てみることにした。
 テレビはリビングに一台しか無く、親にバレると恥ずかしいので真夜中音を立てずに階段を降りた。部屋の電気も当然、点けない。そして時間ピッタリにテレビを付けて、ミュートを押した後で音を最小にする。この頃、テレビで女性の裸が流れることはよくあった。マーシーと一緒に出ている志村けんのバカ殿様でも素っ裸の女性たちが出てくるし、母が見ていた火曜サスペンスにも必ず裸の女性が登場した。『タモリのボキャブラ天国』でも、「ハイオクですか?」を「パイオツですか?」にして、乳房を曝け出す場面があった。
 ドキドキしないこともないけど、大きく驚くことはないだろう。
 せいぜいその程度だろうと高を括っていたところ、予想より遥かに衝撃的な光景が流れてきた。まず出演している男たちが、出演している女性たちを脱がす方向に行動をする。いい大人たちが、百パーセントの性欲を恥ずかしげもなく女性にぶつけている。女性も嫌がっている動作をする割に、脱がされてからも笑顔で恥ずかしい素振りは見せない。そして出演している男女のボルテージが、どんどん上がっていく様子だった。
 その光景を見て初めに湧き上がった感情は、ちょっとした恐怖だった。真っ暗な中テレビを見ているのも怖いし、なによりも訳の分からないテンションが怖かった。低学年の頃、通学路に落ちている破れたエロ本の切り抜きを見て泣いてしまったときと良く似ている。
 喘ぎ顔の演出なんて理解できなかった私は、女性の嫌がっているような表情が怖くて思わずその場で泣いてしまった。様々な感情が入り交じる中、咄嗟にテレビを消すと辺りが真っ暗になって更に怖さが倍増した。そのまま後ろを振り返らず、手探りで階段を這い上がって音を立てずに部屋の扉を閉めた。
テレビで見た光景は、現実なのか?
布団に入っても、呪いのビデオでも見たような気分がずっと拭えなかった。

5.少年誌からヤング誌へ
時代-『桜通信』、『稲中卓球部』、『聖龍伝説

 テレビ番組の課題を一つクリアしたところで、今度は漫画の話題が少年誌からヤング誌へと切り替わっていった。周りが大絶賛するのが『稲中卓球部』で、私の認識ではエロ本だった。頭の中でアダルトビデオの『アダルト』と『ヤング』は同意語で、エロくないのが少年マガジン、エロいのが『ヤングマガジン』という印象だった。現に少年サンデーコミックス欄に並べられているコナンと、ヤングサンデーの欄に山積みされている『桜通信』では表紙からして全然違う。
ヤング誌の『稲中卓球部』を持っていた子のほとんどが、「兄ちゃんから借りた」と口にしていたので、中学生はヤングでもっと上だとアダルトマガジン、アダルトサンデー、アダルトジャンプなのだろうか? あと、アダルトガンガン・・・・・・。
 借りて読んでみたけどギャグは頭に入らず、乳首が隠されずに描かれているところばかりが気になった。やっぱ、エロ本じゃん・・・・・・。

 男子は性に目覚めると、一気に突き進む。つい最近まで安達祐実の『聖龍伝説』ごっこ遊びをしていたノリくんも、R18まで一気に飛び越えようとしている。
クラスのジャーミーくんが、兄ちゃんの洋物アダルトビデオ-『ハイスクールエロチカ』を手に入れたらしい。ジャーミーくんは二年程前転校してきたハーフの子で、初めは拙かった日本語も流暢に成っていた。クラスメイトとは上手くいっていない様子だったけど、こういうときに限って結束力は強い。ジャーミーくんのよく口にするギャグは宮本武蔵の名字を“近藤”に変えた「コンドームサシ」で、加トちゃんケンちゃんの言う「うんこちんち○」よりもヤングなギャグだった。
「AVって、あの志村けんのコントで見るやつか?」
「あれな! おもしれーよな」
 ベタなコントで、まず志村けんがアダルトビデオをデッキにセットする。そこで隣にティシュペーパーを置いて見ようとするけど、トラブルが度々起きて困るという内容だった。
 この時代のテレビは『電波少年』や『元気が出るテレビ』など、本当に過激だった。マスゴミなんて言葉は無かった時代にエロあり、暴力あり、不謹慎ありで視聴率を全力で取りにいっていた気がする。あれから時が経ち、今ではyoutuberの迷惑行為が話題になっているけど、子どもはなんとなく理解しないで笑っている・・・・・・のだと思う。現に私はあのコントで笑っていたのに、学校ではこんなことを口にしたのだから。

「俺は行かないけど、鼻血出ないようにティッシュ用意しとけよ」
 私がそう言うと、ノリたちはキョトンとした顔をする。エッチなものを見ると、鼻血が出る。そのために志村けんは、ティッシュを用意したんじゃないの?
私一人だけ、話が噛み合っていなかった。

 ジャーミーとノリ君一派がAVデビューしている最中、私は中古のゲームショップへ向かっていた。家族の空気がピリピリしている中、バレて親へ報告されるようなことはしたくないし、普通にハイスクールエロチカよりレトロゲームを収集したかった。
 ゲーム業界ではハード戦争が勃発している真っ只中。後の『せがた三四郎』のCMはイカしてたけど、プレステ派のほうが周囲では大多数。
私は時代と関係無しに、唯一持っているハードのゲームボーイが相変わらず好きだった。マイブームは中古でゲームボーイの隠れた名作を見つけることで、毎日お店に通ってはパッケージを物色して隠れた名作をリサーチしていた。そこで目に止まったのがヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』をパロディった、『カエルの為に鐘は鳴る』だ。
 このときハイスクールエロティカ・ルートを選ばずに買ったこのソフトは、20年以上経った今でも宝物として持ち続けている。

 学校の勉強より、受験用の勉強をする子が増えていた。学校の勉強もこどもちゃれんじも疎かにしている私とは違い、日能研やZ会での勉強をしっかりやらないと中学には合格しないらしい。
 エロ男子たちの行動は過激度が増し、最近では女子が教室に居ない間にリコーダーを舐めたり、あそこに擦り付けたりしたのを自慢していた。相変わらず周りとは仲良しだったが、理解できない行動をする人たちが増殖している。舐めるのも気持ち悪いし、あそこに付けるって・・・・・・なに?
 恋愛や性について、全くもって理解できない。自宅の漫画もゲームも悪と戦う題材ばっかりだったし、女子がキスに憧れるのもワケワカメだ。キスで交換するのは唾液で、唾液ってあの朝、口から溢れて枕に付いているヨダレと一緒だ。汚いし臭いし、やっぱ意味プー、クマのプー太郎だ。
 セックスについてなんとなく教わったけど、それでも両親がそんなことをして自分が生産されたことが疑わしい。
 父は相変わらず「一家の大黒柱」だの「俺が稼いでる」だのと口にする。あんなウザくて酒臭い人と裸で抱き合って、そんなことをするほど母は気が触れてはいないと思う。
 学校はまだ楽しかったけど、家の人たちと一緒に居るのが苦痛に成りかけていた。特に兄の言動は酷さを増し、些細なことで殴ったり、人のものを壊したりやりたい放題し初めた。そんな行為を強く注意しない母もムカつく。友だちを自宅に招いていた時期もあったけど、この頃から誰も家には呼ばなくなった。クラスメイトから「山田ん家の前を通ると、いつも喧嘩してる声が聞こえる」と言われたくらいだし、こんな状況で家に誰かを招き入れたくない。
 片付けが苦手で『BB戦士』や漫画が足場の無いほど散らばった部屋だったけど、自分だけの空間は居心地が良い。鍵が付いていない扉を背中で強く押して、いつも心の中で呟いていた。
 ずっとこの扉を閉じたまま、時間を過ごせたらいいのに・・・・・・。

小学生編最終話・卒業式と漫才
時代-『一人ごっつ』
 嫌な方向への変化が多い中、昔から変わらない子もいる。峰くんだ。ある日、学習の一環として一年生のクラスで子どもが興味を持てるような劇や、本の読み聞かせなどを披露する課題が課せられた。週毎に分かれていて、最初に本の読み聞かせをした班は玉砕されたとようだ。当然の結果だと思う。たどたどしく絵本を読む上級生より、周りの子たちとおしゃべりしているほうがずっと楽しい。それでも初めから内容が決まっている絵本の読み聞かせが一番楽で、ほぼ全ての班が絵本を選んだ。それが繰り返されるうちに一年生の退屈パラメーターはピークに達し、教卓に立つ上級生は居ない者として扱われているらしい。そんな向かい風が音を立てて吹き荒れる中、同じ班になった峰くんが一つの提案をする。
「相方! 漫才やろう。俺、セリフ作ってあるから」
 そう言って、白紙の紙に鉛筆書きされた台本を手渡した。
 低学年の頃と違い、峰くんの家へ遊びに行く回数は減っていたが学校では顔を合わせるとじゃれ合うような仲だった。峰くんはいわゆるムードメーカー的な存在で、恋愛対象にはならないけど誰からも好かれる素質を持っていた。『ごっつええ感じ』だけではなく、深夜の『一人ごっつ』も欠かさず見ていると言う。『一人ごっつ』を夜中に起きてまで見ている小学生は、峰くんぐらいだ。
 お笑いマニアの峰くんは、人を笑わせることに快感を覚えたのだろう。その快感は、私もよく知っている。入学式で「デブ」と言って、クラス中が笑いに包まれたあの快感を味わえるなら漫才というやつをやってみたい。
 台本によると峰くんがボケで、私が突っ込みのようだが、なんともストレートなボケと突っ込みだった。
「コーラ一つお願いします」
「すいませんコーラはありませんが、茶色くてシュワシュワした飲み物ならあります」
「それがコーラだろ!」
 声に出すのが恥ずかしいほどベタなボケと突っ込みだが峰くんは至って真剣で、二人でスラスラ言葉が出るまで練習を重ねた。
 そして本番の朝を迎える。
 一年の教室のドアを開け、挨拶をするが清々しいまでのシカトの洗礼を受けた。無能な上級生がしつこく”読み聞かせ”を続けてきたのだから、無理もない。
「僕たちは漫才をやります! 聞いてください。漫才!」
 峰くんは「漫才」と口にしたけど、一年生に意味は伝わっているだろうか? 私が小1のときは、そもそも漫才という単語そのものを知らなかった。だけど、きっと上手くいく。台本だけでは面白みが無いと感じていた私には、ある秘策があった。
 どうせボケならハリセンや『シティーハンター』のハンマーみたいのを使いたい・・・・・・。ハンマーだと峰くんが即死なので、自宅からクッキー缶の蓋を持ってきていた。入るときから背中に隠して持っていたので、ちびっ子たちも気がついていない。
「すいませんコーラはありませんが、茶色くてシュワシュワした飲み物ならあります」
 峰くんのセリフが終わった刹那、背中のそれを取り出し思い切り峰くんの頭を叩いた。
「それがコーラだろ!」
 缶が凹む大きな音がした途端、クラス中が笑いに包まれた。好き勝手に話をしていた子たちは私語を止め、キラキラした目で私たちを見ている。場の空気を完全に掴んだ。後はとちらずにベタなボケとツッコミを堂々とやり抜くだけ。
「透明で、泡がシュワシュワしている飲み物ならありますけど・・・・・・」
「それが、サイダーやろうが!」
 缶の蓋が凹む音が、笑いで掻き消されていく。立て続けに笑いが巻き起こり、余った時間でみんなは漫才をアンコールした。
 家へベコベコに凹んだ蓋を持って帰ると、母にグチグチと文句を言われた。どうやらクッキーが無くなったら、裁縫の道具入れにしたかったらしい。すっかり気分が良くなっている私は母の言葉など気にせず、頭の中でセリフを反芻していた。
「すいませんコーラはありませんが、茶色くてシュワシュワした飲み物ならあります」
 恥ずかしいほどベタで、プロのお笑いならまず言わないワンフレーズ。
そんな使い道の無いフレーズで未だに笑えるのは、この世界で私と峰くんだけだろう。
 
 月日はあっという間に流れ、学級崩壊が続いたまま卒業式を迎えた。担任は学校を離れ、しばらく休職するらしい。仲の良かったグループは中学受験で離れ離れになるけど、それを知ったのは卒業する間際だった。ノリと峰くんは地元の中学へ行くと言うので、ちょっと安心した。
 卒業式では予め録音しておいた将来の夢を語るテープが流れ、そのとき初めて峰くんの夢を聞いた。峰くんの夢は吉本に入ってお笑い芸人に成ることで、流れたと同時に保護者たちの笑い声が響いた。保護者たちは成れないと思っているから、笑ってんのかな?
 ノリくんと自分の夢がなんだったのかは覚えていない。確か、私の夢は生物学者か獣医さんだったと思う。卒業文春に夢は書いてあったのだろうか? 
 アルバムに自分は笑顔で写真に映っていたのだろうか? 今となっては全く思い出せない。
 この日から二年後、カッターで切り裂いて燃やすのだから。
小学生編・END

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