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M-447 ヴェルサイユのダイアナ半面

石膏像サイズ: H.42×W.20×D.17cm(原作サイズ)
制作年代  : 1~2世紀(原作は紀元前4世紀頃 現存せず)
収蔵美術館 : ルーブル美術館
原作者   : レオカレス
出土地・年 : イタリア半島( Némi、またはティボリのハドリアヌスのヴィラ)

この半面像は、パリ・ルーブル美術館収蔵の 「ヴェルサイユのダイアナ(Diane de Versailles)」 という作品の一部です。オリジナル作品は、紀元前4世紀頃にアテネの彫刻家レオカレス(”ヴェルベデーレのアポロ”の原作者)が作ったものと考えられています。ルーブル美術館のものは、1~2世紀の帝政ローマ期に制作された複製品です。イタリア半島( Némi という土地、またはティボリのハドリアヌスのヴィラから、の出土ではないかと指摘されています)で発掘されました。1556年に、時の教皇パウルス4世が、フランスのアンリ2世に贈りフランス王家のコレクションとなり、現在はルーブル美術館に展示されています。

パウルス4世は、1527年のローマ略奪(サッコ・ディ・ローマ・・・親フランスの立場をとった教皇クレメンス7世の行動に対して、神聖ローマ帝国のカール5世の軍勢がローマへ侵攻した)の経験者で、カール5世のハプスブルク家に対して敵対心を燃やしていました。そこでパウルス4世は、1555年に教皇に選出されると、反ハプスブルク家、親フランス王家の行動をとります。そのようなフランスとの関係強化のために贈呈されたのが、この”ヴェルサイユのダイアナ”の彫像だったのです。またパウルス4世は、何世代か前のルネサンス最盛期の教皇たちとは対照的に、芸術分野への理解に乏しく、キリスト教の教義に関してはたいへん厳格な人物でした(ミケランジェロの”最後の審判”の人物の下半身に”腰巻”を描かせた)。このダイアナ像を贈った経緯には、そういったパウルス4世の”厳格さ”が影響した興味深いエピソードが残されています。

彫像を受け取ったフランス王のアンリ2世には、美しく聡明なことでその名を知られたディアーヌ・ド・ポワチエという愛妾がいました。パウルス4世がダイアナ像を贈ったのは、このディアーヌに対する遠回しなあてつけではないかとする説があります。ギリシャ神話に於いて、アルテミス(ダイアナ)神は純潔を象徴する存在です。フランスと親交を深めたいという意味での贈り物ですので、”あてつけ”をする意図がよく理解できませんが、ディアーヌは、正妻のカトリーヌ・ド・メディシスよりもはるかに強大な影響力を持っていたということで、そういった愛妾が政治の実権を握るという状況に苦言を呈するような気持ちがあったのかもしれません。フランスに到着したダイアナ像は、当時の王の居城であったフォンテーヌ・ブローに展示されました。その後1602年にアンリ4世が、現在のルーブル美術館であるルーブル宮の”カリアティードの間(ジャン・グージョン作の装飾彫刻)”に移動し、さらにルイ14世の時代にヴェルサイユ宮殿に移動されました (ルイ14世の時代にヴェルサイユ宮殿の建造は最盛期を迎えていた)。「ヴェルサイユのダイアナ」の名は、この時期に設置された事実に由来しています。フランス革命が勃発すると、彫像はふたたび共和国政府によってルーブル美術館に戻され、現在に至っています。

何回かの移動のたびに、彫像を修復・補足する作業が行われたようで、記録が残っています。1602年 Barthelemy Prieurによって修復、ブロンズ複製の制作、1634年 ブロンズ複製の制作 これは英国チャールズ1世へ、1710年 Guillaume Coustouによって大理石製の複製品制作、1802年 Bernard Langeによって修復・・・。資料によると、左腕、右手のひじから先、右足、鼻、耳、鹿の多くの部分などが後世の修復による補足ということです。欠損した部分が無い美しい彫像ですが、それは度重なる補修・補足を経ての姿ということになります。

アルテミスはティタン族(オリンポス12神の前の世代の神々)の娘であるレトの子で、アポロンとは双子の兄弟になります。父親はゼウス。純潔・狩猟・出産・月を司る神で、アポロンと同じく弓の名手でもあり、その矢で地上に疫病と死をもたらす恐ろしい神という一面もあります。オリンポス12神のひとりでもあります。様々なエピソードのあるアルテミスですが、とにかく”純潔”一本槍なところがあって、関わる人々はたいてい大迷惑ということになります。「水清ければ魚棲まず」という故事を地で行くようなドタバタを、兄弟のアポロン(こちらも相当に融通のきかない男)と共に繰り広げます。石膏像の関連するエピソードとしては、ニオベとその子供たちを襲った悲劇があります。七人の娘と七人の息子という十四人もの子沢山だったニオベは、うっかり口をすべらしてその多産を自慢してしまいます。それを聴いたアポロンとアルテミスという双子の母だった女神レトは激怒。アポロンとアルテミスに命じて、ニオベの子供たちを皆殺しに。残されたニオベはひたすら嘆き悲しんだということです。

ルーブル美術館収蔵 「ヴェルサイユのダイアナ像」 1-2世紀頃帝政ローマ期の制作(原作は紀元前4世紀 レオカレス作) (写真はWikimedia commonsより)


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