見出し画像

S-230 アスクレピオス頭像

石膏像サイズ: H.76×W.35×D.49cm(原作サイズ)
制作年代  : 紀元前330年頃
収蔵美術館 : 大英博物館
出土地・年 : ギリシャ・ミロ島(Melos) 

ギリシャ神話上では医術の神であるアスクレピオスの彫像です。ミロのヴィーナスと同じミロ島(Melos)からの発掘物で、アスクレピオスに捧げられた神殿の一部だったと考えられています。パルテノン神殿の年代よりも100年くらい新しい時代ということで、ややヘレニズム(古代オリエントと古代ギリシャ文明の融合)的な要素が含まれています。アレキサンダー大王の東征(紀元前330年代に巨大な領地を獲得した・・)が、古代ギリシャ世界にも影響を及ぼし、より装飾的で華麗な彫刻作品へと移行していった時代です(ちなみにミロのヴィーナスは紀元前100年頃、ラオコーンの群像は50年頃の製作とされており、よりヘレニズム的要素が強い作品)。

アスクレピオスの物語は、その父であるアポロンと深く結びついています。アポロンの恋愛というのは、一方通行で自分勝手な顛末の時が多い(ベルニーニが彫刻にしたダフネとの恋、トロイの王女カッサンドラとの恋・・・)のですが、テッサリアのラピテース族の王プレギュアースの娘コロニスとの恋はとても順調でした。コロニスはアポロンの子を宿して、幸せな関係を築いていたのですが、ある時アポロンがコロニスとの連絡係としていたカラス(この時点では羽の色は”白”だった)が、コロニスの浮気を告発します(これは無関係の人との立ち話を見咎めて…っていう説と、カラスの作り話・・・という説があります)。激昂したアポロンは、すぐさまコロニスを矢で射って殺してしまいました。我に返ったアポロンは、それまでのコロニスとの関係を振り返り誤解だったことに気づき、荼毘に付されようとしていたコロニスのお腹から胎児を救い出しました。この赤ん坊がアスクレピオスです。

アポロンは、ケンタウロス(半人半馬)のケイローン(ヘラクレス、イアソン、アキレウスなども養育した)にアスクレピオスの養育を託しました。アスクレピオスは医術の分野で目覚ましい成長を遂げ、イアソン率いる”アルゴー号の冒険(有名なエピソード・・)”などにも参加したりします。あまりに医術の技に長けたアスクレピオスは、アテネの王テセウスの息子ヒュッポリトスをその死後に蘇らせてしまい、この行為が冥界の支配者ハデスの逆鱗に触れ、その訴えを聴きいれたゼウスは雷霆でアスクレピオスを殺してしまいました。息子のアスクレピオスを殺されたアポロンは、ゼウスに反抗するわけにもゆかず、その怒りの矛先をゼウスに雷霆を授けたキュクロプス(一つ目の巨人族)達に向け皆殺しにしてしまい、さらにゼウスに怒られるという悪循環に。このような神話的な紆余曲折の末、結局アスクレピオスは死後に天に上げられて、”ヘビつかい座”となり神々の一員となりました。アスクレピオスの姿には常に「アスクレピオスの杖(Rod of Asclepius)」が添えられています。杖に蛇が巻きついた図案は、アスクレピオスが蛇によって薬草の効用を知った(教えてもらった?)からという説と、ヘビの毒を薬として治療に用いたからという説があるようです。

大英博物館収蔵 「アスクレピオス頭像」 紀元前325~300年頃制作 石膏像の原形 斜めになっている展示は、全身像だった場合の角度を反映しているようで、少し首をかしげたポーズだったようです。製作当初は、頭頂部に金属製の冠が存在したことが分かっています
(写真はWikimedia commonsより)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?