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減点方式の社会

障害者は就職活動が大変である。
現在は人手不足なのもあり、健常者、障害者も面接に通りやすく、採用されやすい面もあるかもしれない。
だが、こと障害者に至ってはここで壁が発生している。
企業が障害者に門戸を広げ始めているとは言え、障害者の絶対数は増えており、健常者の採用率よりも倍率が高くなっているように感じる。
しかも、障害者を雇用するにも関わらず、応募者に対して無いものねだりが強い企業が多いのだ。
ハードルを高くしている為、本当に障害者を雇いたいのか疑わしいくらいだ。
しかも、私がいちばん危惧しているのは現代の社会規範である。
コンプライアンスが徹底され、小学生の頃から
「人はさん付けして呼びなさい」
「言葉の語尾にはです、ますを付けなさい」
などの礼節が厳しくなっているのだ。
しかも日本は全てにおける評価が減点方式である。
欧米は人や物事を評価する際は
「0点から計算する加点方式」である。
だが日本においては
「始めを100点満点として見なす減点方式」なのだ。
海外は仕事や生活、人間性に至るまで加点方式な為、「へえ〜、そんな事もできるんだね」
との評価が加算される。
しかし日本はスタート地点が満点(できて当然)の捉え方の為、「あ、これはマイナスだな」
と言った評価になってしまう。
要するに海外は人間の長所を見つける事を重視し、日本は相手の短所を重視するのである。
なので就職活動の面接などでも特徴的な行動は、海外ではプラス材料だが日本ではマイナスの原因になる。
日本人は他人の欠点を突くのが得意なのだ。
これには由来は様々だろうが、私は古来よりの社会風土に起因すると考えている。
公家や武家社会の時代から、自分の家が出世する為に日本人は「自分が努力して登り詰めるよりも、他者の足を引っ張り陥れて自分が前面に躍り出る」行動に終始してきた経緯があるからと思うのだ。
これは幸福な人間を見ると、妬み、嫉妬、恨み辛みなどが強かったからと推察される。
この考え方が悪しき風習となり、現代社会に蔓延しているからこそ、減点方式で物事を考えるのだと思う。
海外では、「何も無くとも食事ができれば満たされる」と考える。
日本では、「色んなものが手に入るけど、◯◯が手に入らなくて不満だ」と不平不満を口にする。
これは言い方を変えると、海外では「他者と比較した幸せを求めない」のがあるのだと考える。
だから他人が幸福でも比較をしない為、自分を不幸と思わないのである。
いわゆる個人主義なので「他人は他人、自分は自分」なのだ。
一方で日本人は世界でも飛び抜けて「他者と比較して幸福感を感じる文化」がある。
「隣の芝は青く見える」と言うやつである。
これは他人の不幸を喜ぶ習慣とも言い換えることができる。
「人の不幸は蜜の味」
なのが代表的な言葉である。
だからこそ(おばちゃんの井戸端会議は人の不幸話)で花を咲かせるのだ。
これは決して良いことでは無い。
福祉の面においても日本は何かの催し物(24時間テレビなど)が無いとボランティア、チャリティーの行動に出ることは少ない。
これは公家、武家社会から続く見栄の文化が原因だろう。
日本人は他者から評価される事を重要視する。
いわゆる承認欲求が強すぎるのだ。
海外は人の評価を絶対的なものと考えない為、評価云々は関係無しに福祉に参加してボランティア活動をする。なので誰が見ていなくとも自主的に福祉に携わる。だから福祉が活性化する。
ちなみにこれは海外は何かしらの宗教を信仰している人がほとんどであり、その宗教観を元に行動する理念がある為、「自分ひとりでも善行を積む」からだとも十分考えられる話である。
(日本は雑多な宗教が入り乱れている上、困った時しか神や仏に祈らないから常時、善行を行わないとも思える)
しかし、日本は他人の評価で自身の価値観を決めてしまう為、「人が見ている時は頑張るが、誰も見ていなければ行動しない」のである。
よく「日本人は親切だ」とメディアで言われているが、これは評価する人が周りにいるから親切なのであり、誰も見ていない所では評価に繋がらないと動かない事になってしまっている。
ハッキリ私から言わせると「偽善」である。
本当の人間性というものは、誰にも見られていないところで本性が出るのだ。
その尺度で見た場合、日本人はどうなのだろう?
甚だ疑問である。
話が飛んだが、この日本人の人間性が減点主義、マイナス思考、偽善的福祉の要因になっていると考えるのである。
この減点方式を変えるには、まず承認欲求を放棄する努力が必要ではないか?
社会、個人両方にである。
特に、先天的障害者の場合は別だが、鬱、ストレス性障害などの仕事や生活で後天的に障害を負った精神障害者の場合、承認欲求は毒になる可能性がある。
日本社会に逆行するようだが、障害者は
「他者からの評価を無視できるほどの心の強さ」
を身につけることにより幾分は楽になると思う。
社会が求める比較主義、減点主義の「相対的な価値、幸福」を否定し、誰がどんな事を言おうともスルーできる自分の評価は自分で決める「絶対的な価値、幸福」を求める事が人間性を高め、心を穏やかにする足掛かりとなるのである。

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