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深夜2時48分。


僕を縛っていたセクシュアリティの悩みから救ってくれたnoteの話を書こうと思う。あのnoteを書いてくれた感謝を伝えたくて。そしてこれを読んでくださる方が周りの人の性への認識を少しだけ優しい方向に変えてもらえたら嬉しいです。


1.セクシュアリティ。


それは人に話すことがとてもハードルが高い分野の話題だと思う。

偏見も含めて、まだまだ知られていない分野だと感じる。

自分も全く無縁の人生を送ってきた。


2.あれ、もしかして


自分がこの分野を詳しく知ることになったのは、今年の6月だった。

きっかけは、自分のことを知りたくて、友達に自分の印象を聞いて回っていた時だ。

やっぱりは僕は幸せものなのだと思う。

たくさんの言葉を貰えてとても嬉しかった。自分を見てくれている人はちゃんと見てくれていることを知れた。自分には見えていない自分がそこにはいた。自分の強みを改めて認識することが出来た。


そんな一方で、その中で自分はある形容がとても気になった。

女の子みたい

お母さんみたい

女子力高い

下の写真は実際の会話の一部の抜粋である。


過去を振り返ってみた時に、なんでか自分の中で納得がいったように感じた。

・女の子から恋愛対象ではなく友達に見られる

・女の子から相談を受けることが多い

信頼できる友達は女の子の方が多い

・女子会(5:1)の環境に呼ばれて、違和感なく過ごせてしまう。

・おしゃべりが好きでおちがないと言われたこともある

・とにかく甘いものが好き

・綺麗好き

・手先が器用で小物が好き

・料理が得意(友達が来ても全部料理を振る舞う)

・平和主義(優しいと言われる)

・感情的



なんでだろう。ここに書いていることも今思えば、そんな些細なものだったかも知れない。

でも自分でも違和感を感じていたからこそだったのかも知れない。

どこかで孤独感を感じていたのは間違いない。

自分の感覚をわかってくれる人がいないと思っていた。

自分の印象を聞いて、孤独感をより一層感じてしまった。


3.モヤモヤと


その時くらいからである。

(端から見たら女の子なのかも知れないじゃん?もしかして、、でも自分は恋愛対象は女の子だけど、、、ん??あれ、もしかして、自分、、、?性別とか普通じゃない?のかもしれない??と。)

※補足すると、自分の中では異性愛が普通という価値観が強かった

自分は過去に目立つことで徹底的に潰される経験をしてきていたからこそ、正直、自分が普通ではない(異性愛ではない)のではないかと思うと怖くなったのを覚えている。


4.自分と向き合えない時期


自分はそれ以来、自分のセクシュアリティについて考えることを避けるようになった。なんで自分が。怖くなって逃げ出したかった。

たぶんこれは過去に過ごしてきた社会も影響していると思う。


高校まで13年間

ず〜と紳士のスポーツと呼ばれるラグビーをしていたからこそ、男らしくあることが正義の社会だった。理想は強くて男らしくある人。女々しいもの、優しいものは好まれなかった。それこそ、たくましい体は男らしさの象徴であり、強さを示していた。


だからこそ、自分も型にハマっていたのかもしれない。


大学の友達からも

「彼女が出来ないのは優しすぎるから。男らしくいかないとダメだよ」

「後田からはを感じひん。」と。

でも自分の中で違和感しかなかった。自分にはあってないと感じた。


自分が男らしく出来ないこと女の子みたいに見えること。


どちらも自分の中でのセクシュアリティがわからなくなり、悩んだ。とにかく知るのが怖かった。人と違うということ。それはこの先、生きづらくなることではないのか。ただでさえ自分らしく生きてきたのに苦しいのに、それ以上にセクシュアリティで一般的ではない要素が強くなるのかと。


正直、どうしたら良いかわからなくなった。信頼している友達にたくさん聞いた。当時は必死だった。

「自分ってだと思う?」「男の子だと思う?女の子だと思う?」


たくさん調べて、自分には関係ないと思っていたことも知った。

LGBTQ(Lesbian, Gay, Bisexual, Transgender, Questioning)」とは、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クィア・クエスチョニングの頭文字をとって作られた性的少数(セクシュアルマイノリティ)の人たちの総称。

LGBTQを公言している人のTwitterを見たりした。本も読んだ。


でもわからなかった。


とにかく調べたら良いんだろうけど、知識を得ていく中で自分が異性愛者ではないと知ったらどうしたら良いんだろうと思ってしまった。(当時自分の中ではセクシュアリティの種類も全く知らなかったからこそ、異性愛者ではないことがLGBTQの人を指している印象が強かった。)


もしそうだったらカミングアウトしないといけないのか?(LGBTQの人が大人になって親にカミングアウトしている記事を読んだことがあった。)


優しい人だけではない世界でどうやって隠していかないといけないのか。自分が苦しくない生き方をしないと思った。怖くて、でも知りたくなくて、でも少しは知りたくて。そんなモヤモヤしながらも、自分と向き合うことから避けてしまったのかも知れない。


4.あの孤独から救ってくれたnote


自分のセクシュアリティについて悩み始めてから3ヶ月後。まさかのタイミングでまた自分のセクシュアリティと向き合うことになった。

参加している『言葉の企画』でかっこいいなと思っていた企画生のはるかさんのnoteだった。


女の先輩に恋をした話。自分のセクシュアリティについて
はじめてちゃんと向き合って、言葉にした。
書くことで、私の「好き」に、居場所ができた。
(引用)


自分は最初読み始めた時、セクシュアリティの話だと思わなかった。だから完全に油断していた。段落で話題が変わった時に、異変を感じた。あ、これセクシュアリティについて書いているぞと。

自分が知りたくなくて逃げてきた話。正直読み進めることをやめようと思った。でも自分のモヤモヤを知りたいと思った。気づいたら、はるちゃん読み手に配慮された優しい文章に乗せられて、気持ちはゾワゾワ、でもスラスラ読み進めていた。





衝撃だった



はるちゃんもなの、、?これ書けちゃうの?かっこ良すぎる。

自分だけじゃないんだと思った。恥ずかしいことではないんだと。

怖くないんだろうかと。その勇気に励まされながら、読み進めた。

もう悩んでいるのが自分だけじゃないことを知れたことで充分だった。それだけで僕の悩みはほとんど解消されていた。



そして、読み終わった時には温泉街のように暖かな気持ちに包まれた。

書いてくれてありがとう。

あなたのnoteに僕は救われた。




また一つ自分の壁を壊せると思った。

だから、最後に自分も診断してみた。(興味がある人は診断してみては!)

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2020年9月30日の診断結果(セクシュアリティは移り変わるものらしい)

結果を見て、やっぱりなと。

でも不思議とこれまでの怖さはなくなっていた。安心した。

自分のことも受け入れることが出来た。やっと自分と向き合うことが出来た。

自分を縛っていたセクシュアリティの悩みから開放してくれた瞬間だった。




読み終わった時には、すぐに動いていた。これはいま伝えないといけないと。どうしても伝えたかった。とんでもなく申し訳ないことをした。午前2時48分に構成も伝えることも一切考えることなく、送ってしまった。


直ぐに既読がついた。返信が帰って来た。

そのドキドキ感と安心感がたまらなくて、今でも思い出せる。


贈ってくれる言葉が一つ一つが染みた。



男だから、とか、女だから、とか
そんな外側でごだくんを見てる人は無視しちゃえばいいの!



私は、私のそのままを大切にしてくれる人だけ、私も大切にしたいなと思って生きてるよ。



どんなグラデーションであれごだくんはごだくんだし、そんなあなたをちゃんとギュッと認めてあげれたらいいなあなんて思ったよ。


その出来事をハルティンの側から見たnoteがこちらになる。(もうお気づきの方もいると思いますが、恥ずかしながらこの記事のあなたは僕のことである。)

こうして自分が背中を押してもらったことを言葉で伝えたことを書いてもらえたことは嬉しかった。伝えることで見えた世界がそこにはあった。


5.それからそれから


僕はどうしても人が怖かった。いや正確にはもう傷つくのが怖かった。だから言葉の企画のnoteでも何回か書こうとして描けなかった。書いてもお蔵入りさせてしまっていた。

傷つかないように傷つかないようにと殻に籠もっていた。

でもそれは僕の人生を変えてしまうような人に出会う機会を減らしてしまっていたのかもしれないと思った。



でもあのnoteは僕にチャンスを、きっかけをくれた。

はるちゃんはあの怖さに立ち向かう勇気も全部受け入れてくれた

たくさんの背中を押してもらえた結果、自分はまた前に進めたと思う。



自分の友達にも自分のセクシュアリティを話せるようになった。

しかも、これまであれほど書きたくて。

でも書けなかったことをスラスラとnoteに書いている自分にちょびっとびっくりしている。

はるちゃんのnoteのコメントにすら感謝を書く勇気すらなかったくらいだから。

まだまだ実感はない。

でも自分はこれからもそっと背中を押してくれた優しさを糧にして前に進んでいくのだろうと思う。


僕は少しづつ自己開示を、自分の弱さを書けるそんな自分になりたい。


誰かの背中をそっと押したくて。誰かに優しくなれると良いな。




最後まで読んでくださりありがとうございました。



P.S.

最後になりましたが、自分がここまでセクシュアリティに向き合い、書けるようになるまでにたくさん背中を押してくださったはるかさんありがとうございました。

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