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株主総会に出席して②

(承前)

1.一社目 『自律学習実践研究会』

今回のテーマであるタンデム学習だが、これは二人で行なわれるもので、従来の言語交換が「教え合い」だとすると、タンデム学習は「学び合い」(互恵性)を原則としているとの事であった。また、もう一つの原則である学習者オートノミーに基づき以下のサイクルで行なうのが理想的であるらしい。

①目標を設定する
②自分でリソースを準備する
③予習する
④対面時に予習して分からなかったところを質問しながら学ぶ
⑤振り返りとセルフチェック
⑥以上を踏まえて次回の目標設定とリソースの準備

確かにこのサイクルだと、会のテーマでもある自律学習との親和性が極めて高いであろう。教授陣自らが行った対面でのタンデム学習に加え、学生同士が行ったEタンデム(オンラインを活用したもので、日本在住の日本人と台湾在住の台湾学生のものであった)も報告されたのだが、流石は並居る教授陣自らの実践報告とあって説得力がある上、大変勉強になった。時折垣間見える『忙しすぎてそこまで厳密にやってられない』という本音が気になったが。ここで強調しておきたいのだが、研究会というのは立場の上下や左右、古今東西や山手線ゲームを問わず、クリティカルシンキングが求められる。アカデミックとは常にそうして進歩を遂げてきたのである。然しながら磁場の関係か何なのかは不明だが、目の前の20数年前から外見が一切変わらない妖怪達は私が大学の交換留学生時代にお世話になった恩師であるだけに止まらず、私の職場の主任を学生時代に教えた恩師達でもある。初めてこの研究会に参加した際、近況を報告すると『taka、○○が主任してる学校で教えてるんだー!なんかあったら何時でも言ってきてねー。○○に電話一本入れてあげるからねー』と、お茶目に仰っていただいたものだ。今は味方なので大変心強いが、一旦敵に回してしまうと違う意味で○○に電話一本入れ兼ねない。そうでなくとも台湾日本語教育界の重鎮達だ。私の現在・未来を捻り潰す事など赤子の二の腕をぷにぷにして、ほっこりするより簡単に成し遂げてしまえるお姉さま達なのである。私は一瞬垣間見えた本音や、言語交換との厳密な線引きに関する疑問などを瞬時に頭の外へと追いやり、『最高の報告でした‼︎』と最大限の喝采を送ったのであった。ただいずれにせよ、このタンデム学習は言語学習に於いて大変効率が良いのみならず、もっと多方面の学習に使用できる汎用性の高い学習法である事が分かり大変収穫があった。

2.二社目 『日本語教師こんぶの会』

日本語教育界の「三人娘」が主催することで有名な此方の会。三人娘と言えばキャンディーズ、つまり「キャンディーズが主催することで有名な会」と言っても一切語弊がない事は論理学の対偶を用いずとも自明の事実なのである。仮に万が一、上記の表現に疑問を持つ方がいらっしゃったら、コチラコチラに直接お話することをお勧め…は絶対にしない。それでも直接お話したい命知らず向こう見ず温水洋一な猛者中の猛者がいらっしゃるとするなら、是非わたしが止めた事を忘れないで頂いた上、どんなに酷い拷問を受けたとしても一切わたしの名前を出さないと約束して頂きたい所存である。

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さて、お約束いただいたものとして話を進めたい。コロナ禍の昨今、オンライン授業に関するウェビナーは数あれど、此方の会の他と違う特徴として①参加者にオンライン初心者が多かった ②実際の授業で使用しての報告が多かった の2点が挙げられる。先ず①の部分だが、よくよく考えると普段Twitterでわちゃわちゃさせて頂いている皆さんは、私も含めてかなりICTに精通している類の人間なのである。そういった人たちが主催するウェビナーは勿論先鋭的且つ実りあるものが多く、私も常々勉強させて頂いているのだが、知らず知らずのうちにハードルが高くなり続けていたのではないだろうか。それに対して此方では会の成功を重ねてきた事に対する元々の信頼か、はたまたキャンディースの魅力か、最近オンラインを始めたばかりの人たちも多数参加されていたのであった。このハードルの低さはオンライン化が進んできた昨今には特に重要となってくるだろう。どんなビジネスでもそうだが、成熟するに従い参入障壁が高くなりがちである。一方、新規参入がないと市場が活性化されないジレンマに陥る事もある。実際わたしも、そういった人たちのお悩みを聞きながら稚拙な知識で意見をやり取りしているうちに改めて勉強させていただいた点や気づいた点が想像以上に多かったのに加え、ある疑問が生じてきたのだが、それは後述させていただく。そして②である。これはブレイクアウトルームで行なわれたのだが、その前に当日の部屋の内容を紹介しておく必要だあろう。以下はそのブレイクアウトルームの内訳である。

①ブレイクアウトルーム1 学生への対応
 
(カメラOFF、ミュート、参加意思なし?など)
②ブレイクアウトルーム2 学習アプリ、ツール
  (成功、失敗含め)
③ブレイクアウトルーム3 教科別
  (読解、初級、文法...)
ブレイクアウトルーム4 教師の意識
  (オンラインの導入、自分の授業の変化、 集団オンラインの意味など)

特に1と4の部分は今回の核心をついていると思う。それもまた後述するが(ひっぱるねー)わたしは3に参加させていただいた。考えたら当たり前の話なのだが、どんなに便利なアプリであっても教科が違えば全く使えない事だってあるのだ。というか使えないケースの方が多いかも知れない。実際に『読解の授業がやりにくかった』と実践報告をされていた方もいた。そこでの話し合いは、◇◇という教科では、どのように対処すべきか、といった感じに授業の実際に基づいた話が中心に行われた。その後、ブレイクアウトルームで話し合った事を全体でシェアしたのだが、ここで1と4に注目してもらいたい。「学生への対応」や「教師の意識」そして我々が話し合った「各教科別の教え方」などは、なにもオンラインに限った話ではなく、現場に立つ教師のもつ共通かつ恒久的なテーゼなのである。それらの疑問はその後キャンディーズの総括でいとも容易く腑に落ちる事となったのだ。その総括とは一言で述べると「オンライン授業であろうと通常のビリーフに基づく必要がある」という事であった。どういう事かと言うと、オンラインは時に顔が見えない事や反応が読み取り難い事もあり不安に陥りがちだが、それは普段の対面式の授業でも常に存在しているのである。現に対面式の授業でもそうだ。寝てる人間もいれば遅刻してくる人間もいる。聞いてるのか聞いてないのか分からない人間だっている。幸い私の授業では多くの学生達が、うるさ過ぎるぐらい反応してくれてはいるのだが、それが即ち授業を聞いているとは限らないのだ。最近の話だが以下のような事があった。当校では毎学期、全ての学生に対し科目毎のアンケートを実施している。そう言えばわたしも毎学期、自分が担任をしているクラスの学生に『はやくアンケート出せ!張り倒すぞ!』とか口うるさく言っていたが、何故だか自分も評価対象に入っている事は完全に頭から抜け落ちていたのであった。この前その事実に気が付き、というか同僚に『授業評価の平均何点だった?』と聞かれ『なんの話?』と聞き返したら、ひどく呆れられアンケート結果の調べ方をご教授いただいたのだったが、恐る恐る過去4学期分(つまり奉職してから今までの二年分)のアンケート結果を見たところ、その数字が良いのか悪いのかも分からなかったので同僚に尋ねてみた。5段階評価で4を超えていると合格らしく、幸い平均が4.7とかだったので喜んでいると、同僚からツチノコを鷲掴みにする鷲尾いさ子を目撃したが如く驚かれた。『他の教師のと間違えてない?』とか『学生に金ばらまいてない?』とか、あらぬ疑いをかけられたのだが、数字は正直なのである。因みになぜ同僚が突然そんな事を聞いてきたかと言うと、前学期わたし同様、眼鏡光学学科の授業を受け持っており、そこでの評価が想像以上に低かったかららしい。そこで『こいつなら更に低いに違いない』とあたりを付け聞いてきたのが真相のようだ。動機がどうであれ人から信頼されると嬉しいものである。ところで、アンケート結果にはコメント欄まであったので読んでみると…

taka愛してるぜ
taka面白い
よく動く上、その動きが変
声がでかくて喧しい
酒飲み過ぎるなよ
体調管理しっかりしろよ

などと「授業に対してのコメント」であるにも関わらず、授業とは一切関係ないコメント内容であった。つまり反応はしているが、授業は聞いていないか、聞いていても一切印象に残っていないのである。もちろん私の授業がどう頑張って聞いていても分からないほど下手であるという可能性は一切考慮しないものとする。因みに唯一授業と関係があったコメントが

進度守れ!

であったのだが、そちらは見なかった事にした。なんだか途端に数字が信用できなくなってきた。それはそうと(無理やり話を戻すと)オンラインだって一緒なのだ。顔を映していなくとも、ミュートにしていようとも、反応がなくとも、聞いている人間は沢山いるし、その逆もまた然りなのだ。そしてオンラインで使用するアプリなども、本当にその授業で必要なのか、何故使用する必要があるのか学習者の立場に立って熟考するのが大事だとの事であった。そして前述のブレイクアウトルームの際に生じた疑問であるが、これも結局のところ、オンラインであるかどうかに関わらず、教科ごとに教え方や発生する問題が違ってくるのは至極当然の事であり、それらを解決すべく導き出した答えに沿って授業を進めていく必要がある。つまりはビリーフこそが大事で、アプリなどもビリーフに基づく形で使用しなければならないとのことなのだ。

「今さら聞けない!? オンライン授業のあれこれ」と銘を打ってはいるが、その実、内容はオンラインのみに止まらず、もっと根底の部分にある教師としての心構えや学習者主体に基づいた上での授業進行、それに伴う取捨選択の重要性を説いたもので、言い換えるなら学習者の最大多数個人の最大幸福をもたらす事を趣旨とした「功利主義的教授法」への導きであったのだ。

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