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大正13(1924)年、星製薬・星一(ほし はじめ)社長の選挙活動

 ここ数日、都民ではないけど、ネットに流れている東京都知事選の各立候補者の選挙演説動画を毎日見ています。😅😅😅
 今回は現職都知事の学歴詐称問題とか、対抗候補者たちの様々なスキャンダル問題が取り上げられて居り、正直エンタメ性があって非常に面白い。。

 そして、今回の立候補者56人の中の一人うつみさとる氏への、6月30日の大西つねき氏の応援演説を聞いて居て、以前読んだ本の中に書いて有った、一風変わった大正時代の選挙運動のことを思い出しました。
 その本とは、星新一(ほし しんいち)氏人民は弱し 官吏は強し (新潮文庫)』です。

 昭和生まれの方は、”おお?!”と気が付かれる方も多い筈。。。
 作家・星新一氏の名前は、その昔は毎年夏休み前に学校で配られた『小中高生へのお奨め図書』の一覧の中に『ボッコちゃん』とか『ブンとフン』などの星氏のショート小説の題名が必ず載っていました。当時の子供・学生の多くが読んだ事と思います。私も勿論読みました。。

 ですがしかし、その星新一氏が、大正10(1921)年に星製薬を創業した星一(ほし はじめ)氏の長男だった事を知る人は殆ど居ないです。。
 何を隠そう私も全然知りませんでしたが、以前に私のベトナム滞在備忘録としてこの記事⇒『日本陸軍・山下大将のベトナム埋蔵金』を纏めた時に、戦前日本の阿片事情を調べて色々と資料を探している時に偶然出会ったのがこの本でした。

 …『戦前日本の阿片事情』…何故に阿片(あへん)か。。。?を知るに、出版元の新潮文庫さんの説明文を借りれば、⇩ 

明治末、12年間の米国留学から帰った星一(はじめ)は製薬会社を興した。日本で初めてモルヒネの精製に成功するなど事業は飛躍的に発展したが、星の自由な物の考え方は、保身第一の官僚たちの反感を買った。陰湿な政争に巻きこまれ、官憲の執拗きわまる妨害をうけ、会社はしだいに窮地に追いこまれる……。最後まで屈服することなく腐敗した官僚組織と闘い続けた父の姿を愛情をこめて描く。

『人民は弱し 官吏は強し』 星新一 | 新潮社 (shinchosha.co.jp)

  「12年間にわたる苦学生活をおえてアメリカから帰国したのが、10年前の明治38年。(中略)借り集めた400円の資金で作り始めたのが、このイヒチオール(=湿布薬)という薬だった。
 …と星はその時に気が付いた。人々が輸入した商品を使うことで、今までは外国をどんなに面白がらせて来たことだろう、と。この利益と興味とを、わが国に取り戻さなければならない。すなわち、輸入にたよっている品の国産化とは、自国の損失を防ぐことでもあり、事業としても有望である。べつに取り立ててさわぐほどでない、ありふれた原則かもしれない。」

          『人民は弱し 官吏は強し』より

 この理念の下でアメリカ帰りの星一氏が創業した新興の星製薬が、湿布薬イヒチオールの製造販売の成功を得て、次に堂々着手したのがアルカロイドの精製、『モルヒネの国産化』だったのです。⇩

 「ケシの果実に、未熟なうちに傷をつけると、乳状の液がにじみ出て来る。これが阿片であり、それの持つ神秘的ともいえる麻酔作用は紀元前から人類に知られ、利用されて来た。この主成分がモルヒネなのである。」
          『人民は弱し 官吏は強し』より
 
 将来医療水準が高まるにつれ、需要も多くなる。なのに、欧米からの輸入にすべて依存しているのが明治・大正の日本の現状でした。。
 ならば、日本の国益の為にと、非常に難しい技術を要したモルヒネ製造を民間会社でやり遂げ、台湾専売局から原料阿片の払い下げという方法を考え出し、当時『阿片専売法』の下で日本政府にがんじがらめに専横支配されていた阿片輸入に風穴を開けた星製薬。。。

 。。。えーと、😅これ⇧は、日本という国家・国民にとってはヒーロー(の筈)ですケド、、、
 なのに、やはり。。。民間虐め大好きお役人とか、お金と権力大好き政治屋とか、専横・専売大好き半官半民の大企業とか、、、で寄って多寡ってボコボコにして星製薬を潰しちゃったという、戦前日本で本当にあったびっくり事件、これが星製薬の『阿片事件』です

 星一社長の息子さんでSF作家の星新一氏が書いたのが、『人民は弱し 官吏は強し (新潮文庫)』。そしてこの原本が、当事者だった実父、星一氏の書いた阿片事件』でして、←これは、現在国会図書館オンラインで全文無料で読むことが出来ます。

 この『阿片事件』に関しては後日また詳しく取り上げたく、前置きが長くなりましたが、掲題の『選挙活動』です。。😅😅
 
 福島出身の星一氏は元々、アメリカ留学で政治学・統計学を専攻して居ました。その事もあったのか、帰国後に事業の成功と名声が高まるに伴い、郷里福島で衆議院選挙への立候補を強引に勧められたそうです。⇩
 
 「大正13年の一月末、清浦奎吾内閣は衆議院を解散した。総選挙の期日は5月10日と決定された。
 それ以来、星への立候補のすすめは、急に一段とはげしくなった。(中略)当時は一区から一人の小選挙区制であり、星の出身地では憲政会の比佐昌平が連続して当選していた。それに対抗して勝つためには、政友会としても有力な人物を必要としたのである。
 …しかし、星はあいかわらず、社の多忙を理由に辞退した。」

          『人民は弱し 官吏は強し』より

 しかしです、星氏の出張先に、「本日、満場一致で貴下を候補者に推薦した。」という電報が届きます。急いで帰郷し、郷里の有力者の真剣な懇願を聞いた星氏は、条件付きで立候補を了承したのでした。その条件とは、⇩
 
 「星の企画したのは従来の選挙運動とはまったくちがった、前例のない方法だった。政見発表の演説をやめ、選挙区の各地で≪選挙大学≫と称する、一日で卒業の講習会を開催して廻ろうというのである。
 その時に使う教科書として≪選挙大学≫と題したパンフレットを作った。30ページほどのもので、下段には余白があり、各人が話を聞きながら記入できるような、ノート兼用の形だった。」

 その他にも、『選挙権のない女性に配布しても無駄』の声を押さえて、地元婦人向けのパンフレットも作成し、さらに、作成した選挙ポスターには肝心の候補者の名である『星一(ほし はじめ)』が全然書いて無かったそうです。。。
 そして、いざ4月20日から≪選挙大学≫が開講されました。⇩

 「星はパンフレットの≪選挙大学≫をくばり、その巻頭に印刷してある青年道徳法典の箇所を、声をあわせて朗読させた。それは、
 『一、善良なる日本人は自国を知り、自己の責任を知り、自己の義務を果たします…。』
 という文句にはじまり、建設的であり、改良発明につとめ、進歩的な社会を築くため努力するなどの内容がつづき、
 『…自治は人類の本能にして、協力こそ進歩であります』
 と結んである。」

 これを聴衆たちが唱和し、会場の雰囲気が盛り上がって和やかになったところで講義が開始されました。⇩

 「…その第一章はこうはじまっている。

<政治は奉仕なり。参政は権利にあらずして義務なり>

 政治とは何かにつづき、科学とは、創造力とは、富とは、進歩とはなにかを、黒板に図解しながらていねいに説明した。
 政府を株式会社にたとえ、合理性と能率ある運営をすれば、国民はそれだけ有利な配当を受けられると話した。もっとも、その前に株式会社とはなにかを、わかりやすく説明しなければならなかった。」

 聴衆は農民や漁民で、年齢もまちまち。退屈で居眠りする者が続出するかと心配したが、しかし、「みな午前の9時から午後の5時半まで、熱心に聞き入ってくれ」、それどころか、「次第に聴衆の目が輝きをおび、終わりには『万歳を唱えよう』との動議を出す者さえ出た」そうです。
 講義の最後には、ひとりずつに≪選挙大学講習会修了証≫を渡す、という星一氏のこの斬新な≪選挙運動≫は大評判となり、どこへ行っても大盛況で多くの聴衆が集まったそうです。

  選挙運動中、星一陣営の運動員は、
 「せめて、清き一票を私に、と壇上でおっしゃって下さい。」と申し出るも、星一氏は、
 「それは言えない。その言葉は最後まで口にしないつもりだ。これぐらい理屈に合わない文句はない。それを連呼したら、なんのために政治教育をしているのか。」と言ったそうです。この理由とは、⇩

 「日本では憲法発布で国民の参政権が認められたのだが、それは上から与えられたものであった。そして、それ以来、国民に対する選挙の実際教育が少しもなされていなかった。文明の利器を持ったはいいが、その構造も有効な使用法も知らないという状態だった。星はこの空白を補うべきだと考え、それを実行したのである。」
          『人民は弱し 官吏は強し』より

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 上述の、6月30日の大西つねき氏のうつみさとる応援演説の内容が、大正時代に政官民複合体にボコボコにされた新進気鋭の星製薬社長、星一(ほし はじめ)社長の選挙運動となんとなく似ているなぁ。。と思い出して、私がそう思った部分は、その動画の20:00頃からです。⇩
 
 「…我々が誰を選ぶか、とっても大事です。どういう選び方をするか、とっても大事なんですよ。それを我々は怠って来たんですよ。…(今回の戦いは、)我々自身が何をして来たのか、何をして来なかったのか、ちゃんとそれを、我々自身が向き合う、そういう戦いなんです。
 …彼(=うつみ氏)は、最終的には選ぶのは貴方自身だと言っているんですよ。…最終的にはそこは自由だよと、皆さんにおそらく委ねているからなんですよ。…そういう、まあ信者として崇めるような行為(=一択)は実は一番民主主義を駄目にするんですよ。我々自身がどんな候補者かちゃんと自分の眼で見て、自分の頭で考えて、自分で決めるということをして行かなければ、民主主義なんていつまで経ってもちっとも機能しないんです。
 残念ながら此の国の民主主義は、全く機能していません。」
 
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 もし、この応援演説の聴衆の中に、ベトナム人革命家の潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)が混じって居れば、きっと興奮して”そうだ!そうだー!”と大声を張り上げ、もしかして自分で壇上に登って行って即興で演説をかましたかも知れません。。
 何故なら、明治末の日本に渡来した彼は、≪本当の民主主義≫に対する慧眼が有ったのですから。⇒ベトナム抗仏独立運動家とジャン=ジャック・ルソーの『民主主義』

 それに、大西つねき氏の応援演説中のこの言葉は、⇩

 「…ちょっとでも多くの人に、知らせて欲しいんですよ。そして考えて欲しいんです。まだまだ気が付かない人一杯いますよ。」

 これ、ファン・ボイ・チャウの著書『海外血書全篇』に、そっくりそのまま同じことが書いてあるんですよね。。。

 「初版にはフランス人による我が民族種族を絶滅する為の≪毒悪政策≫のうち、 主に2つについて詳述した。
 ◎一つは≪陽剥≫の策。征役・人頭税、百道の搾取、我が国人の血液油脂を一滴残らず 絞り取る政策。
 ◎もう一つは≪陰酸≫の策。偽文明の粉飾の意。偽教育を描き、人間の精神を萎えさせ 封じ込める毒悪政策。それにも拘らずこれは発見され難い。 
 冒頭文はこのようなもの。
 ≪我国人、奇妙だ奇妙、誠に奇妙。此の逆境にお気づきか。或いはまだボンヤリか。或いはまだ、嘘だ作り話だで無関心…≫ 」

               『海外血書全篇』より

 えーと、、、
 こう比べて来ると、もうどうしたって今の日本は嘗ての『フランス領インドシナ』。。。
 『西洋植民地国家日本』=『国民総奴隷国家』へまっしぐら、もう崖っぷちに居るという事が明白だと思います。。

 

  
 
 

 
 

 

 

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