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第10回「真ん中に写っているのは、おじさんが好きだった先生でしょう」(文=橋本倫史)

昭和の世田谷を写した8ミリフィルムの映像を手がかりに、“わたしたちの現在地” をさぐるロスジェネ世代の余暇活動「サンデー・インタビュアーズ」。月に1度オンラインで集い〈みる、はなす、きく〉の3ステップに取り組みます。ライターの橋本倫史さんによる記録です。

連載第10回(全17回)

サンデー・インタビュアーズの活動の中で、だれかに“きく”ことの手がかりとなるのは、8ミリフィルムで撮影された古い映像だ。

“きく”を掘り下げる勉強会の中で、カナダ出身のラナさんが皆にきかせてくれたのは、個人的な事例だった。

「カナダの家には地下があって、こういうふうに倉庫になっていることが多いんです。日本に戻ってくる前に、ここをきれいにしたいなと思って片付けていたら、ある日、おばあちゃんの写真を見つけました。それはベトナムの写真で、戦争でなくなってしまったと思っていたので、そういう写真が残っていることも全然知らなかったし、『ベトナムの頃の写真ってある?』ときいてみるアイディアもなかったんですね。もしかしたら重い話だから父は言わなかったのかもしれないなと考えながら、写真をデジタル化して、アーカイヴ用のアルバムに整理したんです」

その写真は、家族がかつてベトナムに暮らしていた頃に撮影されたものだった。自分が生まれる前に撮影された写真ばかりで、それがいつどこで撮影されたもので、そこに写っているのが誰なのか、ラナさんには見当がつかなかった。ただ、その時代の話をきこうとすると、戦争の記憶に触れることになるかもしれない──。

どうすれば話をきくことができるか。考えを巡らせたラナさんが思いついたのは、上映会を開催することだった。

「家族の皆が集まる前に、父にだけふたりきりで写真を見せたんです。父はちょっと泣きながら写真を見ていたんですけど、気持ちをリフレッシュさせてから、スライドショーを見る軽い感じのパーティーを開催しました。そんな写真が残っているとは誰も知らなくて、久しぶりに──もしかしたら初めて写真を見たことで、いろんなストーリーが溢れてきて。親戚のおじさんが写真を指差して、『これはこの人だ』って言ったら、父が『いや、違うよ、これはこの人だよ』と話したりして。『真ん中に写っているのは、おじさんが好きだった先生でしょう』という話も出てきて、なんていうんでしょう、大きい歴史とはまったく違う、軽い思い出がいっぱい出てきて、それがすごくよかったんです」

ラナさんの話を受けて、介護施設で働く土田さんは、職場で「思い出上映会」を催すこともあるのだときかせてくれた。利用者の方から昔の写真を借り、それをスキャンして大型テレビに映し出すと、利用者の皆さんの話に花が咲くのだという。また、上映会に向けて古い写真を探し出してもらううちに、ご家族の方と利用者の方で自然と昔の話をする機会が生まれるのだという。

「そのイベントに向けて昔の写真を引っ張り出してもらうなかで、家族の方が自然とご本人と話をすることになるそうなんですね。そうすると、こちらから質問しなくとも、話をしてもらえるというのがあるのかもしれないですね。ただ、それは職場の介護施設で、やっていることなので、ラナさんがご自宅で開催されたのはすごいなと思いました。うちの実家だと、おばあちゃんちを整理することになったときに、大量の写真を捨てちゃったんですね。なんかもったいないなと思ってたんですけど、些細な写真でもデジタル化して保存すればよかったんだと気づきました」

何気なく撮影された、なんでもない日常を写した写真をアーカイヴする。人によっては「そんな写真まで残さなくても」という人もいるだろう。何気ない写真をアーカイヴする意味はどこにあるのだろう?

「国によっては、政情が変わったときに、オフィシャルなアーカイヴが信用できなくこともあるんですね」とラナさん。「シンガポールでも、インディペンデントなアーカイヴを残そうとするアーティストが増えていて、そこからインスピレーションを受けて、自分の家族のためのアーカイヴは自分でつくる必要はあるんだなと、ずっと前から思っていたんですね。ただ、そのためのマテリアルがないと思っていたから、見つけられたときすごい喜んだんです」

おばあさんが遺したベトナム時代の写真のことを、ラナさんのお父さんはきっと知っていたはずだ。ただ、「父は戦争の話をしないタイプだから、いろんな理由があって写真があるということは言えなかったんじゃないかと思います」とラナさんは語る。「だから、直接質問を投げかけて“訊く”ことは難しくても、“聴く”空間をつくることで、軽くリメンバリングすることではできるんだなと思いました」

毎日顔を合わせている家族でも──いや、毎日顔を合わせている家族だからこそ──“きく”ことが難しい場合もある。僕の祖母は8月6日に投下された原子爆弾で弟を亡くし、自身も被爆している。僕は誰かに話を聞くことをなりわいにしているけれど、祖母の被爆体験のことは去年亡くなるまでのあいだにたった一度しかきけなかった。

何気ない家族の日常を、どうすれば“きく”ことができるのか。それを考える上で参考になるのが、やながわさんの取り組みだ。

やながわさんは、2019年に「世田谷クロニクル」のプロジェクトで、下町育ちのMさんという方にインタビューする機会を得た。Mさんの話は興味深く、もっと色々きいてみたいと思っていたところに、コロナ禍になってしまった。こんな状況だけど何かできないかと、ラジオのような感覚で実験的にツイキャスを始めたという。

「録音装置を置くと、人は話し方が変わると思うんです」とやながわさん。「それが良いのか悪いのかって実験もしたかったので、あえて顔も見えないラジオ形式でやろうってことになりました。下町にあるM家の押し入れや頭の中に仕舞われていた記憶の断片を、ものを介して語り継いでいったら何が見えてくるのか、見えてこないのか、偶発的な実験をしてみるってことで始まったんです」

ラジオのように話を“きく”上で、手がかりに選んだものは、家族の思い出が詰まっている品々だった。いつも使っている茶碗や寝間着、孫の手といったものをテーマに選んで、家族三世代に話をきいた。

「それをやってみて思ったのが、親しい仲でも録音装置が置かれていたり、第三者にきかれていることを前提に話すと、相手もそれなりの言葉を返すので、いいキャッチボールができる。

会議の前にティンシャを鳴らすのと同じように、『録音しますよ』と言って始めることで、切り替えて話せるようになる。そうやって客観的な目が入ることによって、親しくてなんでも知っていると思っていた相手から、新たな一面が聞けるところもあって、面白かったです」

録音装置を置くことのメリットもあれば、デメリットもあると、やながわさんは言う。近しい間柄であれば、なかなか“きく”というモードになりづらいところに録音装置をおけば、ひとつスイッチを入れることができる。ただ、さほど面識もない相手と、レコーダーを挟んで向かい合うと、どうしてもぎくしゃくしてしまうところもある。

「誰かに話をきくときに、『今日はレコーダーでは録音しません』と伝えて話をきくこともあるんです」。事務局の松本篤さんが実体験をもとに話をきかせてくれる。「レコーダーが置かれていないってことがうまく使える場合もありますし、『これは録音されてないから、自分がこの言葉をおぼえておくしかないんだ』と思いながら話をきくこともあって。録音していないから教えてくれることもあるんでしょうし、この言葉は記録に残らずに失われていくんだろうなと思いながら、話をきいていることもありますね」

今や一般的に浸透している「オフレコ」という言葉の語源は、off the record、記録に残さないことを意味する。記録に残したり、表に出したりしないことが前提になっているからこそ、ざっくばらんに語ってもらえることは確かに存在する。オフレコの発言は、記録に残らないから意味がないというわけではなくて、公式に発表することはできなくても、それがオフの場で語られることによって、前提として共有することができる。あるいは、オフレコとして語られた政治家の発言でも、その協定を破ってでも公にするべきだと判断された場合には、記録として残される場合もある。

何かをきき、それを言葉で書き残そうとするとき、記録者は常に、歴史という座標軸から「なぜそれを記録に残すのか?」と問いかけられている。

文=橋本倫史(はしもと・ともふみ)
1982年広島県生まれ。2007年『en-taxi』(扶桑社)に寄稿し、ライターとして活動をはじめる。同年にリトルマガジン『HB』を創刊。以降『hb paper』『SKETCHBOOK』『月刊ドライブイン』『不忍界隈』などいくつものリトルプレスを手がける。近著に『月刊ドライブイン』(筑摩書房、2019)『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々』(本の雑誌社、2019)、『東京の古本屋』(本の雑誌社、2021)、『水納島再訪』(講談社、2022)。

サンデー・インタビュアーズ
昭和の世田谷を写した8ミリフィルムを手がかりに、“わたしたちの現在地” を探求するロスト・ジェネレーション世代による余暇活動。地域映像アーカイブ『世田谷クロニクル1936-83』上に公開されている84の映像を毎月ひとつずつ選んで、公募メンバー自身がメディア(媒介)となって、オンラインとオフラインをゆるやかにつなげていく3つのステップ《みる、はなす、きく》に取り組んでいます。本テキストは、オンライン上で行うワークショップ《STEP-2 みんなで“はなす”》部分で交わされた語りの記録です。サンデーインタビュアーズは「GAYA|移動する中心」*の一環として実施しています。
https://aha.ne.jp/si/

*「GAYA|移動する中心」は、昭和の世田谷をうつした8ミリフィルムのデジタルデータを活用し、映像を介した語りの場を創出するコミュニティ・アーカイブプロジェクト。映像の再生をきっかけに紡がれた個々の語りを拾い上げ、プロジェクトを共に動かす担い手づくりを目指し、東京アートポイント計画の一環として実施しています。

主催:東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、公益財団法人せたがや文化財団 生活工房、特定非営利活動法人記録と表現とメディアのための組織[remo]

サンデー・インタビュアーズをめぐるドキュメント(文=橋本倫史)

第1回誰かが残した記録に触れることで、自分のことを語れたりするんじゃないか
第2回この時代の写真を見るとすれば、ベトナムの風景が多かったんです
第3回川の端から端まで泳ぐと級がもらえていた
第4回これはプライベートな映像だから、何をコメントしたらいいかわからない
第5回『ここがホームタウン』と感じることにはならないなと思ってしまって
第6回なんだか2021年に書かれた記事みたいだなと思った
第7回仲良く付き合える家族が近所にたまたま集まるって、幸せな奇跡というか
第8回子供心にいつもと違う感じがして、わくわくした
第9回言葉が途切れたあとも余韻が響いているのかもしれない
第10回真ん中に写っているのは、おじさんが好きだった先生でしょう