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第4回「これはプライベートな映像だから、何をコメントしたらいいかわからない」(文=橋本倫史)

昭和の世田谷を写した8ミリフィルムの映像を手がかりに、“わたしたちの現在地” をさぐるロスジェネ世代の余暇活動「サンデー・インタビュアーズ」。月に1度オンラインで集い〈みる、はなす、きく〉の3ステップに取り組みます。ライターの橋本倫史さんによる記録です。

連載第4回(全17回)

今年度のサンデー・インタビュアーズの取り組みで、2本目の課題となった動画は『流鏑馬』(『世田谷クロニクル1936-83』No.41)だ。撮影日は昭和37年9月16日。鎌倉・鶴岡八幡宮の例大祭で披露された流鏑馬の行列と、大勢の見物客で賑わう境内の様子が記録されている。当時中学生だった提供者が行事に参加する運びとなり、その勇姿を撮影しようと提供者の父が撮影したものだ。

8月に開催された2回目のワークショップでは、この映像について参加者の皆で話し合った。気になった点を“タイムコード”として共有したのち、参加者は宿題として「だれかに“きく”」作業をおこなって、9月26日、3回目のワークショップを迎えた。

「今回私は、職場であるデイサービスのレクリエーションの時間に、『流鏑馬』の映像を見てもらいました」。トップバッターとして発表を始めたのは土田さんだ。介護職で働く土田さんは、デイサービスを利用している80代から90代の女性たちに映像を見てもらって、話を聞かせてきてもらったのだという。

「僕は地方出身なので、鶴岡八幡宮と聞いてもピンときてなかったんですけど、半数ぐらいの方が『行ったことあるわよ』とおっしゃっていたので、東京に住んでいる方にはわりと馴染みがある場所なんだなという発見がありました。ただ、鶴岡八幡宮に馴染みがある方でも、『流鏑馬をやっているとは知らなかった』と。その代わりに、鳩サブレーの話になったんです。『鶴岡八幡宮の額に鳩が描かれているから、それで鳩サブレーになったのよね』と。調べてみると、鳩サブレーは鶴岡八幡宮と関係が深いんだなということがわかりました」

鎌倉の「豊島屋」が鳩サブレーを発売するきっかけは、創業まもない明治30年代にまで遡るという。ある日、外国人の方から見知らぬお菓子を受け取った初代店主は、一口頬張ってその味に感動し、そのお菓子を自分でも作れないかと思い立つ。試行錯誤を重ねて、ようやく完成したお菓子を売り出すにあたり、どんな名前にしたものかと思い悩んだ。初代店主は鶴岡八幡宮を崇敬していたこともあり、八幡様にちなんだお菓子にしようと、「鳩サブレー」と名づけたのだ。

「映像に関連する話として、『私は鶴岡八幡宮じゃなくて、川崎大師にお参りに行ってたわよ』という方もいらっしゃいました」。土田さんが続ける。「鳩サブレーの話が出たこともあって、『川崎大師は葛餅よ』と、お菓子の話で対抗されている方がいらっしゃったのが印象的でした」

話を聞いていると、その光景が目に浮かんでくるようだ。他の誰かの記憶に引きずられるように、自分自身の記憶がよみがえってきて、数珠繋ぎに葛餅の話が出てきたのだろう。土田さんは昨年度に引き続いての参加で、これまでも職場のレクリエーションの時間に映像を見てもらって、そこでステップ3の「だれかに“きく”」を実践することが多かったそうだ。ただ、今回の『流鏑馬』の映像は、どちらかと言えば反応が薄かったほうだという。

「こどもが出てくる映像や、馴染みがある世田谷の風景の映像だと、僕が何もしなくてもお話をしてくれたりするんです。でも、今回は流鏑馬というちょっと特殊な映像で、撮影された場所も世田谷ではなかったこともあって、なかなか話が出てこなくて。そこで僕がホワイトボードに『鶴岡八幡宮』とか『鎌倉』とかって言葉を書いて、そこから話題を拾ったという感じでした」

2番目の発表者はshinoさんだ。shinoさんには弓道をやっている友人がいて、彼女に聞けば流鏑馬のことも少しはわかるのではと連絡を取ってみたものの、弓道と流鏑馬はほとんど別物だと言われたという。ただし、友人は鶴岡八幡宮で結婚式を挙げようと考えたこともあったらしく、その話が印象的だったとshinoさんは語る。

「この『流鏑馬』の映像だと、1分45秒あたりに写っている舞台がありますよね。ここは昔、静御前が追われている義経を思って、頼朝の前で舞いを踊った場所らしいんですね。この映像だと、柱はくすんだ赤い色ですけど、今は建て変わっていて、もう少し塗り立ての色になっているみたいです。ここは奉納もおこなわれているみたいなんですけど、今は結婚式場として大変人気な場所になっているそうです。しかも、日が暮れてからライトアップをして、荘厳な雰囲気の中でやるのが売りみたいで。だから、1日1組しか入れてもらえないそうで、私の友人は早々に諦めたそうです」

友人に『流鏑馬』の映像を見てもらって、なにか思い浮かんだことを話してもらう──そんな経験を経て、印象深いやりとりがあったとshinoさんは振り返る。shinoさんの友人は、昭和37年に誰かが撮影した8ミリフィルムの映像を見て、それをもとに話をすることに戸惑っていたそうだ。

「私の友達は、サンデー・インタビュアーズの趣旨をまったく理解できなかったんですね。これはプライベートな映像だから、とっかかりがなくて、何をコメントしたらいいかわからない、と。もうひとつ、自分が取材をされるというか、インタビューを受けるということにも戸惑っているみたいでした。『ここを見てください』というお膳立てがなくて、しかも有名人の記録ではなくて、普通の人のプライベートな記録を見た上で、自分の体験と合わせて話をするってことに馴染みがなかったみたいでした」

サンデー・インタビュアーズの活動は、参加者がインタビュアーになってみるプロジェクトだ。インタビューする相手は、往々にして身近な友人や家族になる。日常生活の中で、誰かにインタビューされた経験を持つ人は少数派だと思う。映像を見せて、「何か思い浮かんだ話を聞かせてください」とお願いしたときに、shinoさんの友人のように「何をコメントしたらいいかわからない」と戸惑う人も多いはずだ。

「今のshinoさんの問いかけは、サンデー・インタビュアーズの活動の根幹に関わる話だと思います」。世話人の松本篤さんが言う。「このワークショップでやっている3つのステップのうち、ステップ1の『ひとりで“みる”』は──映像を見て、気になった点を“タイムコード”として書き出してもらう作業は──映像の中に見えるものを書き出す作業だと思うんですね。じゃあ、ステップ3の『だれかに“きく”』について、どうやって作業をすればいいのか、事務局側の説明がやや不徹底だったような気がしています。なので、次回までの宿題については実験的に、『見えないものを書き出す』をテーマに作業をしてもらえたらと思っています」

次の課題となる映像は、No.66の『理容店2』だ。この映像は、提供者の義母が営む理容店の社員旅行の様子を撮影した8ミリフィルムで、そこには下北沢の路地も記録されている。参加者の皆さんが“タイムコード”として着目したのは、白い下着姿で外を歩く老人の姿や、呉服店の看板に書かれた「半端物半額コーナー」というフレーズ、当たり前に歩きタバコをする人たちの姿、旅先の海辺で男性が手にしているラジオのようなもの、くるくるまわる昔懐かしの「くるパー看板」、頭にタオルを被って歩く男性の姿など、映像の中に映し出されているものだった。ステップ3では、この映像の中に見えないものを書き出してほしいと松本さんは言う。

「見えないものは何か──たとえば『呉服屋さんに「半端者半額コーナー」と書かれているけど、半端者って何だろう?』ってことを調べてみるのも、この映像だけでは見えないものだと思うんです。皆さんにはまず、この映像では見えないものをタイトルにつけて、そのテーマについて調べたことや誰かに聞いてみたことを書いてもらえたらと思っています」

その説明を聞きながら、松本さんが以前、サンデー・インタビュアーズの取り組みのきっかけとなった上映会について語っていたことを思い出した。ある8ミリフィルムの上映会を開催したとき、映像から“横すべり”するように自分自身の記憶を語り始める人が続出し、その脱線模様が面白かったのだと松本さんが話してくれたことがあった。映像から“横すべり”して、思いがけない話に発展していくことを期待して、松本さんはこの提案をしているのだろう。

「ステップ3の『だれかに“きく”』をやっていただくときに、『この映像に関係ない話は言っちゃ駄目なんじゃないか』ってブレーキがかかってしまっているように感じたんです。だから、『この映像の中には見えないもの』という括り方をすることによって、一見すると関係ないようにも思えるんだけど、この映像をみて思い出されることを聞き取りやすくなるんじゃないかと思うんです」

もうひとつ、今回は実験的に、『理容室2』の2分39秒にシーンを限定して、その映像の中には見えないものを誰かに聞いたり、調べてきたりしてもらいたいと、松本さんは課題を出した。その場面には、下北沢の路地が映し出されている。この映像からどんな記憶が、どんな時代が見えてくるだろう?

文=橋本倫史(はしもと・ともふみ)
1982年広島県生まれ。2007年『en-taxi』(扶桑社)に寄稿し、ライターとして活動をはじめる。同年にリトルマガジン『HB』を創刊。以降『hb paper』『SKETCHBOOK』『月刊ドライブイン』『不忍界隈』などいくつものリトルプレスを手がける。近著に『月刊ドライブイン』(筑摩書房、2019)『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々』(本の雑誌社、2019)、『東京の古本屋』(本の雑誌社、2021)。

サンデー・インタビュアーズ
昭和の世田谷を写した8ミリフィルムを手がかりに、“わたしたちの現在地” を探求するロスト・ジェネレーション世代による余暇活動。地域映像アーカイブ『世田谷クロニクル1936-83』上に公開されている84の映像を毎月ひとつずつ選んで、公募メンバー自身がメディア(媒介)となって、オンラインとオフラインをゆるやかにつなげていく3つのステップ《みる、はなす、きく》に取り組んでいます。本テキストは、オンライン上で行うワークショップ《STEP-2 みんなで“はなす”》部分で交わされた語りの記録です。サンデーインタビュアーズは「GAYA|移動する中心」*の一環として実施しています。
https://aha.ne.jp/si/

*「GAYA|移動する中心」は、昭和の世田谷をうつした8ミリフィルムのデジタルデータを活用し、映像を介した語りの場を創出するコミュニティ・アーカイブプロジェクト。映像の再生をきっかけに紡がれた個々の語りを拾い上げ、プロジェクトを共に動かす担い手づくりを目指し、東京アートポイント計画の一環として実施しています。

主催:東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、公益財団法人せたがや文化財団 生活工房、特定非営利活動法人記録と表現とメディアのための組織[remo]

サンデー・インタビュアーズをめぐるドキュメント(文=橋本倫史)

第1回誰かが残した記録に触れることで、自分のことを語れたりするんじゃないか
第2回この時代の写真を見るとすれば、ベトナムの風景が多かったんです
第3回川の端から端まで泳ぐと級がもらえていた
第4回これはプライベートな映像だから、何をコメントしたらいいかわからない
第5回『ここがホームタウン』と感じることにはならないなと思ってしまって
第6回なんだか2021年に書かれた記事みたいだなと思った
第7回仲良く付き合える家族が近所にたまたま集まるって、幸せな奇跡というか