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サンデー・インタビュアーズをめぐるドキュメント2021

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昭和の時代に撮影された8ミリフィルムのホームムービー。 かつて誰かが撮った私(わたくし)の記録を手がかりに、ロスジェネのメンバーが過去と現在をたずねるワークショップ・プログラム… もっと読む
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“わたくしの記録”から過去に触れる──「他者の話を聞く」橋本倫史×松本篤(前篇)

昭和の時代に撮影された8ミリフィルムのホームムービー。 かつて誰かが撮った私(わたくし)…

世代を通して見えてくるものとは何か──「他者の話を聞く」橋本倫史×松本篤(後篇)

昭和の時代に撮影された8ミリフィルムのホームムービー。 かつて誰かが撮った私(わたくし)…

第1回「誰かが残した記録に触れることで、自分のことを語れたりするんじゃないか」(…

再生ボタンを押す。 真っ暗だった画面に、人のようなシルエットをしたアイコンが映し出される…

第2回「この時代の写真を見るとすれば、ベトナムの風景が多かったんです」(文=橋本…

家族連れが、荷物を提げて歩いている。券売機の横にある入り口に「京王遊園プール入口」と書か…

第3回「川の端から端まで泳ぐと級がもらえていた」(文=橋本倫史)

サンデー・インタビュアーズの活動は、ひとつの映像に対して3つのステップを踏むことになって…

第4回「これはプライベートな映像だから、何をコメントしたらいいかわからない」(文…

今年度のサンデー・インタビュアーズの取り組みで、2本目の課題となった動画は『流鏑馬』(『…

第5回「『ここがホームタウン』と感じることにはならないなと思ってしまって」(文=橋本倫史)

小さな路地の様子が、フィルムに記録されている。『世田谷クロニクル1936-83』のNo.66、『理容店2』の映像だ。街路表示板には「北沢二丁目31」と書かれていて、そこが下北沢駅にほど近い場所だとわかる。それが何曜日で、何時頃の映像なのかはわからないけれど、多くの人が行き交っていて、どこか賑やかだ。 映像が撮影されたのは、今から50年以上前のこと。かつて世田谷の街には、どんな時間が流れていたのだろう。映像を見つめながら、その外側──映像には記録されていないものに想像を巡らせ

第6回「なんだか2021年に書かれた記事みたいだなと思った」(文=橋本倫史)

11月28日。先週末から続いていた冬型の気圧配置がようやく緩んで、青空が広がっていた。この日…

第7回「仲良く付き合える家族が近所にたまたま集まるって、幸せな奇跡というか」(文…

お正月まであと1週間を切った日曜日に、年内最後となるワークショップが開催された。この日の…

第8回「子供心にいつもと違う感じがして、わくわくした」(文=橋本倫史)

2021年度としては最後のワークショップが開催される1月23日は、西から入り込んだ前線の影響で…

第9回「言葉が途切れたあとも余韻が響いているのかもしれない」(文=橋本倫史)

今年もまた、「サンデー・インタビュアーズ」のプロジェクトが始動する。私たちは、どんな時代…

第10回「真ん中に写っているのは、おじさんが好きだった先生でしょう」(文=橋本倫史…

サンデー・インタビュアーズの活動の中で、だれかに“きく”ことの手がかりとなるのは、8ミリ…

第11回「『あんた、誰なのよ?』って言われることがあるんです」(文=橋本倫史)

世の中には“きく”仕事が存在する。 たとえば、カウンセラー。たとえば、記者。たとえば、コ…

第12回「この人と俺はね、一生の付き合いだから」(文=橋本倫史)

“きく”を掘り下げるために立ち上がった、「サンデー・インタビュアーズ2021+」の勉強会。2回目の勉強会では、こうしてドキュメントを書いている僕が講師を務めることになった。どこまで参考になるかは心もとないけれど、これまで自分がやってきた仕事について、参加者の皆さんに話してみることにした。 僕がライターとして仕事を始めたのは2007年のこと。これといった専門があるわけでもなく、最初のうちは依頼された取材を引き受けるだけの日々だった。そんな僕が、初めて自分でテーマを立てて取材を